魔女教とのプリステラ攻防戦は、一応の収束を迎えた。
討伐されたのは、魔女教大罪司教『強欲』担当レグルス・コルニアス。
かつて都市を単独で落とした異次元の強者は、当代『剣聖』と新たな『英雄』により討ち取られた。
そして、魔女教大罪司教『憤怒』担当、シリウス・ロマネコンティ。
プリシラが生け捕りにしたそれは、王国に対処を委ねるためラインハルトが王都へ移送し、騎士団に引き渡すこととなった。
だがその輝かしい戦果の反面、都市が受けた被害も甚大だった。
『色欲』の魔の手にかかり、姿を変えられた者たち。
例えば都市庁舎の生存者は、黒竜が一人と、蝿が数十人に。──都市全体となれば、どれほど被害が拡大したものか。
彼らは、元に戻す方法を探す時間が見つかるまでの間、エミリアが氷の中で眠らせることとなった。
『暴食』に喰われ、眠っている『名無し』。
『暴食』の犠牲者は、関係者の記憶から軒並み存在が消えてしまう。その上で当人も意識がない状態で発見されれば、素性を探る手掛かりなど皆無だ。制服や、周辺状況から場当たり的に被害を推測し、犠牲者の素性を理解した気になって、何とか自分たちを納得させる以外にない。
一人一人の手強さ、一つの大罪に三人の大罪司教がいたこと。そもそもの情報不足が、都市に多くの被害を出してしまったのだ。
そして、その被害者たちを救う方法を探すため、王選候補のうち二つの陣営が、新たに動くことも決まった。
「──てな感じで、『憤怒』の移送はラインハルトに任せて、アタシと三馬鹿はこっちに戻ってきた」
「そうでしたか」
ルグニカ王国南東部、ハクチュリ。
アストレア家の本邸にて、フェルトはプリステラでの出来事を報告する。
彼女の座るソファ、その隣にはアリーゼ、向かいにはテレシアとヴィルヘルムがいる。
「まずはお疲れ様でした。フェルト様を始め、王選陣営の皆がいたからこそ、プリステラを奪還できたのでしょう」
「ま、全部が全部ギリッギリだったからな。誰が欠けてもヤバかったろーぜ。そういう意味じゃ、アタシらがいる時期で良かったっちゃ良かったな」
フェルト自身も『暴食』との戦いに赴き、喰われかけたというのに。自分たちが居てよかったとあっけらかんと言ってみせる。
初対面のときから変わらない彼女の豪胆さに、アリーゼも頬を緩める。
「それでよ、さっきの……『暴食』について、一人だけ、例外がいたんだ」
「──?」
アリーゼたちが、たどたどしいフェルトの言葉に疑問符を浮かべる。
決定的な問いかけを、しなくてはならない。一度聞けば引き返せなくなる、取り返しがつかなくなる類の問いかけを。
フェルトはすると決めていた。プリステラを発つときから、アリーゼが彼のことを忘れていないか、確かめなければならないと。
「ユリウスが、喰われた。都市にいたほとんどの奴らは、アイツを憶えてねえ」
「──ユリウスが」
一瞬、アリーゼの瞳に激情が宿った。
向かいではテレシアが僅かな悲鳴を漏らし、ヴィルヘルムが眉間に深く皺を刻んでいた。
──彼らの反応に、フェルトは安堵した。
「憶えるんだな」
「ええ……ユリウスは、一年前のレムさんや、プリステラの『名無し』のように眠っているのですか?」
「いや、起きてる。それが例外なんだ──今までの『暴食』の被害者は、『名前』を喰われて眠ってる状態しか例がなかった」
「なのにユリウスは、意識が残っていると」
アリーゼは、隠しきれないほどの安堵を滲ませている。
彼女がこれほど余裕のない反応をするのは珍しい。この一年、フェルトの知る限りでは一度もなかったことだ。
さすが婚約者、想われてるな『最優』、と内心で茶化しながらも、フェルトは求められている事実を述べていく。
「ああ。それに憶えてる奴があの兄ちゃん以外にいるってのも、ユリウスのおかしなところだ」
一年前のレムのように、今回も例外的に『暴食』の被害に遭った相手をナツキ・スバルは忘れていない。
だがユリウスは、スバルだけでなく、フェルトにラインハルト、──そしてスバルが無理を言って対面させたことで、クルシュにも記憶が残っていることが確認された。
当人の意識が残っていることも含めて、例外に例外が重なっている。
「その辺りも含めて、『賢者』に聞きにいくのでしょうね」
「その『賢者』ってのも、怪しいとこだけどな」
『色欲』と『暴食』の被害者を救うため、エミリア陣営は『賢者』シャウラの知識を求めてプレアデス監視塔を目指す。
また、監視塔に辿り着くためにはアウグリア砂丘を乗り越えなくてはならない。その方法をアナスタシアが知っているとのことで、彼女とユリウスも同行するらしい。
「……アリーゼは」
「フェルト様?」
「アリーゼは、なんか不満とかないのかよ」
「ありますよ」
アリーゼは即答した。
プレアデス監視塔へ向かえば、往復と治療法の共有で、どれだけ少なく見積もっても2ヶ月は会えないだろう。これまでは月に1,2回は会っていたのに、それが唐突に、である。
それに、アウグリア砂丘はそもそもが危険な領域だ。婚約者がその攻略にかかるというのに、送り出しの一言も交わせず、他人から事後報告で知ることとなったのだ。
抽象的なフェルトの問いかけを、アリーゼが過不足なく理解できていたのは、彼女がその不満を抱えていたからだ。
率直に言えば、『賢者』とかどうでもいいから今すぐ会いに来いよと。そう思っていた。
「会うのが怖い、すべきことがある。ユリウスにも様々事情はあると思いますが、それは向こう側の話。私がユリウスを心配しているのも、待たされることにも変わりありません──ですよね、お祖母様?」
「そうね。どんな事情があれど、急にいなくなったり、約束を破られたら、悲しいし寂しいわよね」
そうして、続け様にテレシアにパスをすると、ヴィルヘルムが硬直し、決まり悪そうに目を逸らした。
──かつて一人の女を前に『待っていろ』と叫び、『お前から剣を奪ってやる』と宣言し……それきり二年も行方不明だった男には、発言すら許されない話題だった。
そうして祖父に可愛く八つ当たりして、感情にケリを付けたアリーゼは、フェルトに訊ねる。
「フェルト様はこれからどうなさいますか? 組んでいた予定を延期することも可能ですが」
三年で決着する予定の王選も一年が経過して、どの陣営も地盤固めは大詰めに差し掛かっている。それは『日陰者』とされる在野の人間を取り込み、他陣営ほど派閥に敏感ではないフェルト陣営も同様で。
プリステラ旅行の後には五大都市フランダースを始めとする王国南東部の諸侯たちとの会談が予定されていた。
「いや、組み直させるのもあれだし、予定通りでいい。日程自体は余裕持たせてたお陰で間に合うしな」
プリステラは王国南西部、ハクチュリは王国南東部。行って帰ってくるだけでもそれなりの日数を要するため、会談は余裕を持って組まれていた。
直近では明後日、移動も含めて明日の昼過ぎに屋敷を出れば間に合う計算だ。
「それに、どうせプリステラのことは広まってるだろーから、情報が新鮮なうちに詳しく話を回しといた方がいーだろ」
「フェルト様も、強かになられましたね」
「誰かさんのおかげでな」
アリーゼはこの一年、王選にも領地経営にもほとんど参加していないが、要所要所で手を貸し、顔を出している。
それを見ていたフェルトが、彼女を手本として成長するのも当然だった。
「ただまあ、今日だけは休ませてもらうぜ」
「はい。明日からまた忙しくなりますから、今日くらいは」
「じゃあ────ん」
労いを込めて微笑むアリーゼに、フェルトはお行儀よく座っていた体勢から横に向き、両手を広げた。
たったそれだけの不愛想な意思表示に、アリーゼは笑みを深め、同じように両手を広げて応じた。
フェルトが前に出て、広げる腕の中に飛び込む。背中に腕が回されたのを感じて、さらにその柔らかさに顔を埋める。
こうしてフェルトがアリーゼに抱き締められるのは、割とよくある光景だった。
最初の頃は嫌々だったのが、何となくして欲しいに変わり、理由を付けてさせるに変化し……最近では特に理由もなく、タイミングが合えばフェルトから要求していた。
今もテレシアやヴィルヘルムがいるのだが、50近く離れている相手に恥ずかしがるのも阿呆らしいと、フェルトは開き直っていた。なお、年下のフラム・グラシスを前にしては、さすがに自重している。
フェルトがそのままの体勢で、会話ができるよう顔だけ上げる。
「ラチンスたちは怪我して連れていけねーから……エッゾと、養成所の誰か護衛に借りてもいいか?」
「ええ、選任と調整はしておきます。それと、ラインハルトがいないですが、私やお祖父様は随行しますか?」
「いらねー。どうせ何回か会ってる相手だし、流れも大体掴めてるしな」
「そうですか」
この一年で慣れ親しんだ距離感で、二人は明日からの予定を確認し合うのだった。
◆
夕食と湯浴みを済ませたアリーゼは、自室にテレシアを招いていた。
だがそれは、就寝前のお喋りというには真剣が過ぎていた。
「それじゃあ私たちがユリウスを憶えているのは……」
「ええ。本人の意識が残ってる方は分かりませんが、記憶が残っているのは『夢の城』による繋がりのためかと」
テレシアの推測を、アリーゼが肯定する。
アリーゼの『夢の城』は、生者死者問わず、魂を引き込み、閉じ込めるチカラだ。そこに繋がりを持つ者たちは、間接的に魂が接触しているとも言える。
その魂の繋がりが、『暴食』による認識の消失に対して何らかの抵抗になったのだろう、と二人は結論付けた。
実際今アストレア邸にいる者では、アリーゼにテレシア、ヴィルヘルム、フラム・グラシスの姉妹。そしてこの一年で新たに繋がりを持ったフェルト。
プリステラの面々で言えば、ラインハルトにクルシュ。
彼らはユリウスを憶えており、今のところ反例は一人だけだ。
「アナがユリウスを憶えていないのは、彼女の中身が違うからでしょう」
「人工精霊、なのよね。アナスタシア様が、フェルト様にだけ共有していたっていう」
「ええ。私もあれがただの襟巻きではないとは察していましたが、まさか人工精霊。それも人間と意識を入れ替えられるなんて能力を持っているとは知りませんでした」
プリステラ攻防戦にて、最初に魔女教の要求が放送されたとき、フェルトはアナスタシアの秘密を打ち明けられていた。
自身の襟巻きが人工精霊である。これに対してフェルトは「言わなくていい」「どうせアナは本部から出られない」「いたずらに情報を増やすだけが最善じゃねえ」と、ベアトリスにのみ意識を向けさせた。
制御塔攻略の際も、有事の際には魔法による撃退が必要なため、人工精霊と入れ替わると伝えられていた。──その後に、何故か戻れなくなっていることも。
「それで、アリーゼはどうするの?」
テレシアの問い掛けは、確認の意味が強いものだった。
ラフな寝衣姿のテレシアと違い、アリーゼは外出用の服に身を包んでいる。
「クルシュのところへ向かいます。『色欲』の血に侵された身体も、私なら戻せる可能性はありますから」
一年前のレムの件では、実際に手出しはしなかったものの、『名前』だけなら戻すことが可能であった。
『暴食』の権能には干渉できたならば、『色欲』の効果にも干渉できるのでは。完全に別生物に作り変えられたならまだしも、血の呪い程度なら祓えるのでは、との想定だった。
「いいのね?」
「はい」
能力がバレてもいいのか。省略された問いに、アリーゼも言葉短く答えた。
これがクルシュでなければ、アリーゼはこれまで同様静観を貫いていただろう。だが『夢の城』に招くまでの親友が苦しんでいるのを見過ごせるほど、アリーゼは心が強くなかった。
「一応フェリスと会わないよう夜中を選びますが、万一のことがあれば切り札を使います」
「……なら、帰ってくるのは明日かしら」
「往復だけなら夜のうちに帰って来られますが、呪いを祓うのと『それ』は負担が分からないので……朝食までには、なんとか間に合うよう努力します」
「もし朝のうちに居なかったら、上手いこと誤魔化しておくわね」
「お願いします」
ハクチュリからプリステラまで、竜車なら10日はかかる距離だが、二人はそれを全く考慮していないかのように話を進める。
「アナスタシア様の方には行かないの?」
「アナはユリウスたちと行動しているそうですので……さすがに竜車で移動している一行に、秘密裏に会うのは難しいですね」
「そうね。どうやっても、誰かしらの目があるものね……」
「それに、アナの場合は人工精霊との入れ替わりによりマナを……最悪オドを使ってしまうだけですので。それならまた会えたときに、こっそり戻すことも可能です」
「本当に、反則みたいな力よね」
「魔女の力の残骸、理不尽そのものの力ですから」
『虚飾』の権能、事象の書き換え。
それは大罪司教と比べても、理不尽の一言に尽きる。
過去のアリーゼはテレシアの言いつけを守り、この権能に関して深く検証していた。
その末に彼女は、対象を書き換える強度や連続使用に限度はあるが、おそらくこの権能を行使することでの反動はないと結論付けていた。
「アリーゼ、気を付けなさいね」
「はい」
とはいえ、それはテレシアがアリーゼを、祖母が孫を心配しない理由にはならない。
テレシアは、『色欲』の呪いという未知に挑むアリーゼに、そう背中を押した。
「ではお祖母様、行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
アリーゼも出発の挨拶をすると、一つ深呼吸をして、
「『アリーゼ・アストレアがここにいるはずがない。私は今、プリステラで親友のクルシュ・カルステンを見舞っている』」
そう言い終えた瞬間、彼女の姿が忽然と消えた。
テレシアは孫娘とその親友の無事を祈りながら、夫の待つ寝室に戻った。