『虚飾』の権能。
15年前、アストレア領に戻った際に遭遇した魔女が有していたチカラ。
その権能の効果は「事象を思うままに書き換える」というもの。
例えば自身が殺されるような事があったとしても『見間違えだった』という事にして、死そのものを最初から無かったことにできる。
『この場にそんな人物は居なかった』という事にして、その人物が起こした事柄を綺麗さっぱり無かった事にしてしまう。
他の誰かを自身の姿に『見間違えさせる』事で同士討ちを誘うことすら可能。
などなど、自分の意思次第で好き勝手に事柄を決定できる、いわば万物の改竄能力である。
また、改竄されて無かったことになった部分は、周りの意識や事象が違和感のないように勝手に補完してしまう。
さらに改竄範囲は自由に指定することもでき、自分好みの事象は残し、都合の悪いものは消去することもできる。
応用として擬似的な洗脳・記憶操作までも可能であった。
ただ、何でもかんでも思い通りとはいかず、ある程度の制約がある、らしい。
本家本元である魔女でさえそうなのだ。それを引き千切り、奪い取ったアリーゼは、さらに制約が多い。
「──と、こんな感じかしらね」
布団の上で膝を突き合わせ、長い説明を終えたアリーゼは、その異常な能力とは裏腹にあっさりとして……あっさりとし過ぎていた。
クルシュはそれにツッコみたい気持ちを自覚しながらも、優先順位は間違わなかった。
「いくつか、問おう」
「何かしら?」
「その『虚飾』のチカラ──濫用はしていないのだな?」
「ええ。家族や友人関係はもちろん、領地経営にも使ったことはないし、そもそも使うこと自体が稀よ」
「その用途は?」
「偶に夜更かしした時に『私はしっかり寝た』ということにしたり、食べ過ぎた時に『食べてない』ことにしたり……あとは身体を酷使してしまった時に『しっかりと休んで回復した』ことにしたりね」
「……」
なんともまあ庶民的な使い方に、クルシュは肩透かしの気分を味わうことになる。世界の理すら書き換える権能を持ちながら、その実態は生活習慣の帳尻合わせ。
圧倒的権能の無駄遣い……とはいえ、あまり大っぴらに使われても困る。浮かんだ呆れは横に置いて、クルシュはさらに訊ねる。
「制約があると言っていたが、具体的には?」
「書き換える事象の強度……例えば、私は腹を掻っ捌かれたり、首を刎ねられたくらいでは死なないけれど、全身が潰されたら流石に死ぬと思うわ」
「……他には?」
「時間経過……クルシュの呪いも、多分あと一週間遅れていたら、私では元に戻せなかったわ」
「時間に強度。書き換えるのにも限度がある、か……例えばだが、此度の戦いでリカードが片腕を失ったらしいが、それは治せるのか?」
「……治さないわよ?」
「実際にしてくれと言うつもりはない。アリーゼが今まで秘してきた理由も、それなりに理解しているつもりだ」
「ならいいけど……直接見ていないから断言はできないけれど、多分無理ね」
「それは何か根拠があるのか?」
リカードは『暴食』との戦闘時、敵を退けたものの片腕をなくして帰還した。斬られた腕の回収は叶わず、結果、治癒魔法でもなくした腕は生え替わらない。
とはいえ、傷の深刻度──書き換えの強度としてはクルシュの呪いのほうが上のように思える。それを治す……戻せたのに何故。と考えるのも道理であった。
「具体的な線引きがあるわけではないの。一目見てできるものはできるし、できないものはどれだけ願ってもできない。リカードの件は、ただの経験からの勘……多分、呪いと違ってその状態で定着してしまうのでしょうね」
「なるほど」
書き換えるという権能と、一度定着した事象。
その二つは相性が悪いのだろう。クルシュはそう認識した。
また、経験からの勘。──つまり、未知の出来事に関しては権能が使えるかも不明であると。
アリーゼがクルシュを助けに来たのは、それが可能であると分かっていたからではない。徒労に終わり、かつ権能を知られるというリスクを背負っていたのだと、クルシュは正確に理解した。
「あとは先ほども言っていた、連続使用にも制限があると」
「ええ。マナも同じで、強い改変を連続で使い過ぎると、回復するまで時間がかかるのよ」
「そうか」
小さく吐息し、クルシュが一度目を瞑る。
「最後に一つ、問い質そう」
ゆっくりと目を開き、クルシュは指を一つ立てた。最後の問い掛け──アリーゼは何を問われるのか、ほぼ確信していた。
「アリーゼはその権能を奪い取ったと言っていたが、そんな規格外のチカラを持つ魔女からどうやってそれを為した?」
そしてそれは、外れているはずもなかった。
「そうね……」
アリーゼは、少しだけ目を伏せた。どう説明するか、彼女は悩み、そして微笑んだ。
「ねえ、クルシュ」
「なんだ」
「殿下に会いたいかしら?」
「……なに?」
あまりにも唐突で、予想外の言葉だった。クルシュは思わず目を瞬かせる。
殿下。二人の間に交わされるその言葉が指し示すのは、たった一人の人物。
故フーリエ・ルグニカ第四王子。二年前に死亡した、二人の幼馴染だ。
「……それが、今の問いへの答えになるのか?」
クルシュは、アリーゼの質問を一旦棚に上げた。
フーリエに会いたいかどうか。──会いたいに決まっている。
けれど、その想いで選択を間違えないために。
「ええ。私が魔女を殺せた理由も、フーリエ殿下に会える理由も──そしておそらく、私たちがユリウスを憶えている理由も、全て同じ。私の『夢の城』によるものよ」
「夢の城……?」
またしてもクルシュの知らない言葉。知らないチカラ。
クルシュはこれまで4人の大罪司教と出会っており、いずれも悪辣極まりない権能を有していた。が、話を聞く限り『虚飾の魔女』は彼らに引けを取らない……否、彼らをも上回るイレギュラーだ。
それを屠ることを可能にしたチカラ。
「……会わせてくれ」
クルシュは、説明を求めた。同時に、自身の願望も伝えた。
比率で言えば、おそらく後者のほうが多いそれに、アリーゼも頷いた。
アリーゼに促されるまま、二人は敷かれた布団に寝転がり、タオルケットをかける。
「これからどうするんだ?」
「二人で一緒に寝ましょう」
「……それだけか?」
「『夢の城』だもの。眠らなきゃ始まらないわ」
「……」
クルシュは何となく釈然としない気持ちを抱えながらも、反論できるだけの根拠もないため素直に受け入れる。
そんな彼女の様子に、アリーゼはコロコロと愉しそうに笑う。
「それじゃあ招待するわね。私の『夢の城』に──」
そう言うと、コツンとお互いの額を合わせた。
二人の意識が、緩やかに沈んでいった。
◆
沈んでいた意識が浮上すると、そこは草原であった。
足下には緑が、頭上には雲一つない青空が広がる。畳敷きの和室から一転、優しげな風に前髪を撫ぜられ、クルシュは驚きに喉が詰まる。
「おや、いらっしゃったのですね」
「おお、アリーゼ! 息災であったか? 余は元気であったぞ」
棒立ちになるクルシュに、声は背後からかけられた。
振り向けば、そこは小高い丘の上だ。丘には日除けのパラソルが立ち、日陰には白いテーブルと白い椅子──そして、椅子に座った少女と青年の姿がある。
「──ぁ」
クルシュの瞳が、その青年を捉えた。その青年しか、見えていなかった。
紅の瞳に、特徴的な八重歯。仕立てのいい衣装と、毛皮をあしらった豪奢なマントがやけに似合う美青年だ。
「外ではどのくらいの時間が経ったのだ?」
「外の世界では二週間ぶりです。殿下はいつもいつも元気ですね」
「そうであろう! 余は死して魂だけになろうと……む?」
その落ち着きのない青年にアリーゼが応じると、彼は流れるように会話を弾ませようとして、──輝く金色の隣に、美しい緑色を認めた。
「──クルシュ」
愛おしそうに名を呼ばれても、クルシュは声が出ない。
そんな彼女の反応に眉を顰め、青年はしばらくしてから合点がいったように頷く。
「ああ、そうか! 余としたことが、久しぶりの再会に相応しい凝った演出をすべきだったか!」
「殿下、多分それ違います」
「違うことなどあるものか! アリーゼ、クルシュが来るなら前以て言うべきであろう!」
「急に決まったんですよ。それに、殿下はいつもその格好でしょう?」
「外見だけでなく、心の準備もあるではないか!」
「それこそ大丈夫ですよ。殿下が殿下であるだけで、それは最高の再会になります」
「……そうか?」
「ええ。私が保証します」
「そうか! そなたがそう言うのであれば、信じよう!」
青年は高らかに頷くと、なおも驚愕に押し黙り続けるクルシュの前に立つ。
「久しぶりだな、クルシュ」
「──殿下」
「そうだ。よもや忘れてしまったのか? 余の姿は変わっていないはずだが」
「殿下のお姿を忘れるなど、あり得ません……」
「そうか、それは幸せなことだ。余は変わらぬが、そなたはまた美しくなったな」
「そう、でしょうか……」
「ああ。何度も思い描いていた。だが、記憶とは全く当てにならないものだ。今、目の前にいるそなたは、記憶にあるどのそなたよりも、可憐で愛おしい」
「っ……」
紡がれる言葉の数々に、クルシュの喉が微かな悲鳴を漏らす。
「……殿下」
掠れた、今にも消えてしまいそうな程の声で名前を呼んだ。
「なんだ、クルシュ」
青年も、いつもの快活さは鳴りを潜め、ゆっくりと問い返す。
「フーリエ、殿下……」
先程よりも強く名前を呼ばれて。
「そうだ。余はフーリエ・ルグニカ。ルグニカ王国の第四王子にして、そなたやアリーゼの友であった男よ」
返事をして。──クルシュが、崩れ落ちた。
もう、彼女の顔は見えない。泣き崩れて、顔を覆って、もはや会話ができる状態ではない。
フーリエは跪き、そんな彼女を緩く抱いた。
「……すまない、こんな状態のそなたに言うべきではないのだろうが、身勝手な余を許してくれ」
彼は優しく背中を撫でる。
「最期の時に、余は言ったであろう? そなたを后に迎えるつもりだと。その先の言葉を伝えられずに事切れたことを、ずっと悔いていたのだ」
彼はクルシュの背に腕を回し、そっと──堪えきれず力強く抱き締め、囁いた。
「余は、そなたを愛していた。初めて遠目に見たときからの一目惚れだ」
果たしてその声は届いたのか。クルシュは彼の腕の中で泣き続けている。
王選候補として、筆頭公爵家当主として。常日頃から肩書きに相応しい振る舞いをするクルシュ・カルステンは、どこにもいない。
ただ泣くことしかできない無力な少女が、そこにはいた。
「でん、か」
「ああ」
「わたしは、あれから、王になるために」
「アリーゼから聞いている。王選とやらが始まり、そなたはあの白鯨をも落としたのだろう」
「はい、でんかを、でんかが生きた証を守りたくて」
「余が見た夢を本物にするため。そなたの行いは、余に届いていたぞ」
「殿下……!」
『夢の城』は、アリーゼの世界。
アリーゼが創り、白金の魔女を引き摺り込み、フーリエを迎え、──そして今宵、クルシュを招いた。
けれど、今この瞬間、『夢の城』は二人だけの世界だった。
「こうしてまた会えたのだ。夜は……夢の時間は長い。そなたの口から、存分に聞かせてくれ」
◇◇◇
『夢の城』は、アリーゼの世界。
ただ魂が蒐集されているだけのそこは、アリーゼが訪れるときのみ世界が創られる。
その住人であるフーリエは、当然外界を知る術を持たない。アリーゼとの談笑にのみ、外の世界を知ることができる。
「──ふむ」
故に、フーリエ亡き後にクルシュが過ごしてきた二年間。伝聞でない本人の口から語られるそれは、彼にとってこの上なく新鮮な感情を与えた。
「大義であったぞクルシュ! そなたが生き、成し遂げたこと。その全てが尊きものである!」
「ありがとうございます、殿下」
先ほどは泣きじゃくっていたクルシュも、今は元に戻り、恭しく礼を述べている。
「──して、そこにいる少女のことだが」
そうしてクルシュは、一言目を無視されてから、ずっと空気を読んで黙っていた少女──白金色を纏う魔女に視線をやる。
「それが
クルシュは改めて、彼女を真正面に見る。
それは、震えが止まらなくなるほど、おぞましい美しさを持った人外の美貌だった。
長く透き通る白金の髪は陽光を具象化したように甘く輝き、細い肩を伝って背中へ光の滝を生んでいる。長い睫毛に縁取られる双眸は世界を閉じ込めた深い蒼で、整いすぎた顔貌はあらゆる人間が抱く『美』という概念への最適解だ。
小さく華奢な体は風に抱かれることすら危うげに思われ、身に纏った一枚の布だけが、その素肌に触れることを世界に許されたのだと納得させる儚さがあった。
「そうね。『虚飾の魔女』パンドラ、私の持つ『虚飾』の本家本元で、今はもう力のないただの少女よ……元々は人格破綻者だったけれど、力を失ったこととフーリエ殿下のお陰で、大分丸くなったわ」
「おや、随分と酷いことを仰るのですね」
鈴の音のように優しげな女性の声が、アリーゼの下した評価に割り込んだ。
「幼い貴女は、私のことをよく見て、よく学び、そしてよく真似ていたと記憶しているのですが」
「あれは私が貴族社会で生き抜く術を学ぶため。──美しさという武装を身につけるためです」
「それが今の貴女を形作っているのです。貴女が保有する『権能』だけでなく、私という存在は、死してなお貴女の中に生き続けているのですよ」
「……」
紡ぐ声音一つで、何気ない一瞥で、少女が己の時間を割いた事実だけで、あるいは常人であれば心の臓が止まりかねない多幸感を与えられる。
これが、今は何の力もない少女などと、誰も信じないであろう。──これは、この世にあってはならない危険な存在だと、クルシュは直感した。
対するアリーゼは、嫌そうに顔を顰めている。その様子に、クルシュも衝動から抜け出し、察することができた。
「あの跳ねっ返り娘だったアリーゼが、貴族令嬢の体現とまで言われるようになったのは、この魔女を真似てのことだったか」
「……そうね。社会に合うように再構成しているけれど、美しさを武器にすることに限っては、これの右に出る者はおそらくいないもの」
「……そうだな。これにはそれだけの力がある」
仮に、本当に仮の話だが、美しさが人を殺すとしたら、この魔女こそがその『美』だ。
アリーゼやクルシュなどでは到底及ばない『美』の極致が、彼女にはあった。
「アリーゼ、ここはなんだ。まさか死後の世界とやらなのか?」
クルシュはそう訊ねながら、改めて丘の周辺に目を向ける。
風のそよぐ草原は、丘を中心に果てなく続いている。四方、地平線の彼方まで何にも遮られない世界は開放感に満ち、いっそ幻想的ですらあった。
その現実感の乏しさが、死後の世界などという想像を彼女に与えていた。
「私たちが来れているから、半分だけ正解ね。ここは死者の魂を収めている領域。私たちは肉体ではなく、精神でこの城に招かれている。言ってみれば、私の夢の中よ」
「精神だけ……つまり私たちの体はあの宿で眠っている?」
「ええ」
「どうすればここから出られる?」
「クルシュは一時的に招待しただけだから、起きようと強く念じれば出られるわ。あとは外から起こされるのもあるわね」
「私は、というと……そこの二人は違うと?」
「ええ。二人は私が蒐集した魂、私の許可がない限り出られないわ。尤も、二人とも既に戻るべき肉体はないから、出たところでその魂は世界の中枢である『オド・ラグナ』に回収されることになるでしょうね」
人は死ねば、その魂はオド・ラグナに還り、それまでの人生で培った「記憶」や「経験」が魂から剥ぎ取られる。そうして完全に無の状態になった魂が、オド・ラグナによって再び世界へと還元、新たな生を受けるとされている。
クルシュはそんな言い伝えを軽く流し、その一歩先──アリーゼがどうやって『虚飾の魔女』を屠ったのか、一つの推論に至った。
「つまりこの『夢の城』は、死者の魂を蒐集し、さらに生者の魂までも引き摺り込める、と?」
「ええ。さすがクルシュね」
アリーゼはそれを肯定した。
「15年前、白鯨討伐の大遠征が中止になって、私がアストレア領に戻ったとき。突然パンドラが現れて、『剣聖』を狙っていたなんて言うものだから……怖くなってつい閉じ込めちゃったのよ」
つい、で済ませられる御業ではない。ないが、こんな見るからに危険な存在を目の前にして、幼子が反射的に動けるだけ称賛に値する。
「それで魂が抜けた死体をどうしようってなって、目の前にある奪えそうなナニカを奪って、それがたまたま『虚飾』だったの。その権能で死体をバラバラのグチャグチャにして、それを大瀑布に飛ばして、絶対に何があっても生き返らないようにって」
生き当たりばったりなそれに、上手くいったのは奇跡だと自覚しているのだろう。アリーゼは聞いてもないことまで喋り、その話し方も少し幼く戻っていた。
幸いクルシュは、それを追及するような意地の悪い性格はしていなかった。
「その髪は、『虚飾』を得た反動だったのだな。私はてっきり領地経営の苦労ゆえだと思っていたぞ」
「ああ、これね。勘違いなんだけど訂正するわけにもいかないし……ユリウスなんかは、未だに『貴女は頑張りすぎてしまう』みたいなこと言ってくるのよね」
むしろ最近は暇を謳歌しているのに、とアリーゼは決まり悪げだ。
「それだけの仕組みを作ったアリーゼの功績だ。誇ることはすれ、後ろめたく思う必要はない」
クルシュはそんな彼女を一言労い、最後の疑問を口にした。
「して、この『夢の城』はそもそも何だ? 殿下の魂を保存していられるのも、『虚飾の魔女』を閉じ込めていられるのも、一応の納得には至った。──だが、そもそもここは、何のためにある?」
『虚飾』とは違い、おそらく生来のチカラである『夢の城』。
それを問われ、アリーゼは穏やかに微笑んでみせた。
「クルシュには、分かっているんじゃないの?」
「────」
アリーゼの反問に息を詰め、クルシュはそんな自分の反応を怪訝に思った。
思い当たる節はない。そのはずだった。
「……アリーゼが心を許した者がいずれ死すとき、ここにたどり着く。彼らの生きた証を失わせない、そのために」
「ええ、その通りよ」
自然と口から流れた推論に、クルシュは驚くと同時に納得を得ていた。アリーゼなら……心優しい彼女故にこの世界を創ることができたのだと、心だけは理解していた。
おそらく『暴食』に喰われたユリウスをクルシュたちが憶えていられるのも、『夢の城』を介して魂が間接的に繋がっているからなのだろう。
「なんでこんなチカラがあるのかは分からない。でも、私はこのチカラを使うと決めた。──フーリエ殿下は、クルシュに最期の一言を伝えられずに逝ってしまった。お祖父様だって、20年以上お祖母様に『愛してる』を伝えられずにいた。その前にどちらかが死んでしまえば、それは一生の心残りになっていたはず。……それを少しでも無くすため。私は彼らの魂を保護している」
言葉通りのことが起きるなら、それは凄まじいことだ。
死は不可逆の、絶対の
しかし、そんな慈愛のチカラ──神の如き御業とは裏腹に、アリーゼは憂いを帯びた表情をしていた。
「……まだ何かあるのか?」
「少し、ね……」
アリーゼは躊躇いを見せていたが、それでも振り切って言葉を紡いだ。
「『夢の城』は、死した魂を蒐集するだけじゃない。パンドラのときのように、生者の魂も引き込むことができる。──そしてそれは、私の死と同時に強制的に発動するわ」
「それは、つまり……」
「私が死ねば、クルシュはもちろん、他の繋がりがある魂もここに喚ばれる。肉体も同時に大瀑布に飛ばすようにしているわ」
テレシア、ヴィルヘルム、ハインケルといった、アストレア家の家族。
ユリウス、グリム、キャロル、フラム、グラシスたち家族同然の皆。
クルシュ、フェルト、アナスタシア。アリーゼと仲が良い二人の令嬢。彼女が大切に想っている友人。
彼らの魂は、アリーゼの死をトリガーにして、自動的に招集される。その者たちの人生を、強制的に終わらせるのだ。
「私はもう、何も失わない」
それは、慈愛であると同時に、自愛のチカラだった。
「大切なものは全部抱えて、抱き締めて、そうやって死ぬ」
「皆には申し訳ないと思うけれど、悲しいのも、寂しいのも、嫌だもの」
「王国がどうなろうと、知ったことじゃない。むしろ二十に満たない人間がいなくなるだけで立ち行かなくなるなら、そんな国滅んだほうがいいのよ」
「もしそうなったら、四百年も『剣聖』をいいように使ってきた、ルグニカらしい最期だと思わない?」
アリーゼは罪を告白するように吐き出す。
「……幻滅、したかしら?」
そうして最後、幼子が叱られるのを恐れるように、泣きそうな声で、クルシュに訊ねた。
「……いや、アリーゼらしい」
クルシュはそれを、否定しなかった。
正しいとか。間違っているとか。そんな尺度は捨てた。
だって、正しくない。絶対に間違っている。アリーゼのしようとしている事は、人殺しと何ら変わらない。
それに、消える者が揃いも揃って重要人物だった。
近衛騎士の中でも序列の高い『最優の騎士』ユリウス。
クルシュにアナスタシア、フェルトと、王選候補が三人。
その他にも先代『剣聖』や『剣鬼』。アリーゼと仲がいい令嬢二人も、幼い頃王城に来られていた時点でルグニカの有力貴族である証だ。
彼らが失われれば、ルグニカ王国が受ける被害は甚大なものになるだろう。
けれど、それを否定する気には、なれなかった。
理由は言葉にできない。敢えて形にするなら、先ほど出た『アリーゼらしい』が最も近いのだろう。
クルシュにとって、始まりはフーリエであり、アリーゼだった。あの庭園で二人と出会えたから、彼女はクルシュ・カルステンでいることを選べた。
そのアリーゼが己を慕っている。死の先でも求められていることに、クルシュは理屈や倫理など捨ててしまえと、そう思ってしまった。
「だが、ラインハルトはどうなる?」
故にクルシュは、唯一の懸念を訊ねた。
アリーゼが弟を見捨てるはずもないが、あの世界最強、規格外の騎士まで引き込めるのかと。
「『夢の城』に収めること自体はできる。本人が抵抗しなければ、そのまま引き込めるわ」
「それは……」
かの『剣聖』は、世界最強であり、正しさの規範だ。ルグニカ王国を危機に晒すと分かっていながら、彼が死を選ぶとは思えない。
「大丈夫よ」
そんなクルシュの憂慮に、アリーゼは軽く笑った。
「私はラインハルトのお姉ちゃんよ。最初で最期の我儘くらい、通してみせるわ」
それは、理屈でも能力でもない。
彼女の死をラインハルトが見送るはずがないという、姉としての絶対的な自信だった。
釣られて、クルシュも笑った。その笑いが収まると、クルシュは真面目くさった顔で指を一つ立てた。
「一つ、勘違いを正そう」
首を傾げるアリーゼに、クルシュは意地悪く微笑んでみせ、
「最初の我儘なわけがないだろう。アリーゼが私を……私たちをどれだけ振り回してきたと思っている?」
アリーゼは虚を突かれて、無防備な表情を曝してしまった。クルシュはそれに笑みを深めると、「ですよね殿下」とフーリエにパスを回した。
「そうだな。余もクルシュも、そなたの腕白っぷりには苦労させられた」
「あー、そうゆうこと言う! そもそも殿下だって人のこと言えないじゃないですか!」
アリーゼがフーリエに噛み付き、その過去を掘り返す。フーリエも負けじとアリーゼの過去の仕出かしを暴露する。クルシュはそれを懐かしみ、知らなかった出来事には呆れる。
『虚飾の魔女』は聞き役に徹し、微笑みを浮かべては静かに相槌を打っていた。大人しくなったというアリーゼ評が相違ないのだとクルシュは理解した。
生者と死者。
三人は夜が明けるまでの間、昔話に花を咲かせるのだった。
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