アストレア家の長女   作:slo-pe

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本命

 

 

 ユリウスとアリーゼの再会は果たされた。

 人目も憚らず大泣きした彼を茶化す者はおらず、スバルでさえも素直に祝福した。

 

 そして現在、一行はアストレア邸の応接間に通され、アリーゼも着替えを済ませてからその席に着いていた。

 ──なお、ユリウスがアストレア邸を訪れた理由が、「アウグリア砂丘攻略という使命を前に婚約者に会いたい」ではなく、「アリーゼの力を借りたい」から。むしろ当人は会うのを避けるために監視塔攻略に同行していたと判明したことで、アリーゼは静かにキレていた。だが、こうして改めて対面するとその影響はなさそうだった。

 

「──なるほど、お話は理解しました」

 

 詳細な交渉内容を伝えたスバルに、アリーゼ・アストレアは一つ頷いた。

 

 会談の参加者はスバルを除き6名。

 ソファでスバルと相対するのはアリーゼのみ。

 一方、スバルの左右にはエミリアとベアトリスが、背後にはアナスタシアにユリウス、そして当事者であるラムがいる。メィリィは本人の意向により竜車でお留守番だ。

 多対一の交渉。一見するとスバル側の圧倒的優位なように見えるが、お願いする側はこちらだ。気が抜けるはずもない。

 

「アウグリア砂丘攻略に際して、ラムさんの治癒のため私に同行を願いたいと」

「ああ」

 

 スバルが彼女と交渉の場に着くのは、一年前の白鯨討伐以来二度目。

 前回は行き当たりばったりな部分が多く、甘く採点された交渉だった。今回はその反省を生かして入念に準備をしている。

 

「俺たちがまず提示するのは、コスツールで造られた魔造具。その流通経路を確保、融通すること」

 

 現ロズワール邸の住所は、ルグニカ王国に名高い工業都市コスツールのすぐ近く。五大都市の一つであるそこは、魔造具の生産を主な産業としていた。

 この旅程でレムを乗せている車椅子も、都市の職人たちの力を借りて、スバルの異世界知識を披露した成果の一つだった。

 

「先ほどいただいたこちらですね。我がアストレア領は王国南東部、西方のコスツールからは遠く、その交流も薄い。その都市の技術を活用できるのであれば、その利益は無視できないものになる……資料にあるすべての魔道具に目を通したわけではありませんが、当家にとって有用なことは確か。さすがはメイザース辺境伯と言えるでしょうね」

 

 アリーゼがテーブルに置かれた資料を一撫でして微笑む。

 

 ──スバルさんは、ひどく酷な事を言いますね

 

 幸福感すら与えられるその笑みに気が緩みそうになるも、そこから拒否の意を示されたことを思い出し、スバルはより一層気合いを入れた。

 現状は、提示した利益について理解されただけ。ここからが本番だった。

 

「私がラムさんに施した治療について、スバルさんたちはどのように理解していますか?」

「……ラムの身体を苛むマナ不足。その原因である折れた角の機能を、一時的かつ部分的に回復させるって話だと思ってる。治癒魔法とは違う、現存の魔法体系からは外れたチカラだって」

「そうですね。完治はできず、継続的な施術が必要という点でも。私も感覚で使っているだけの、理論では説明できないチカラという点でも。完璧な理解です」

「つまり、今回アリーゼさんが同行したとしても、それは公にされない。することができない。それに向かう場所も場所だ。アリーゼさんもすぐに頷くってわけにはいかない」

「ええ、アウグリア砂丘は危険極まりない領域ですから」

 

 それは避けることのできない、この交渉の肝になる問題だ。

 

 アリーゼは、不要な騒動を避け、アストレア家当主の責を果たすため、有用ではあるがよく分からないチカラを封印してきた。

 そのため今回の遠征では、アリーゼの関与は公にされない。フェルト陣営が関わった事実はないことになる。

 

 だが、エミリア陣営・アナスタシア陣営に恩は売れる。『恩に値札は付かない』とはアナスタシア御用達のホーシン語録からだが、その価値は異世界人であるスバルにとっても分かりやすい。

 過去にラムの治癒を為したのも、そのために種を蒔くつもりだったのだろう。

 

 スバルの中で、アリーゼは乗り気ではないが、かと言って後ろ向きではない。そんな読みでいた。

 

「エミリア陣営、並びにアナスタシア陣営が為そうとしている『賢者』への謁見、その価値と必要性は私も理解しています。クルシュを襲う呪いやユリウスの記憶に関しては私も他人事ではありませんし、私個人としては同行するのも吝かではありません」

「……つまり、アストレア家の当主としては、メリットが、そのデメリットに見合ってないと?」

 

 自身の予想よりもさらに上を行く好感触な返答に、前のめりになりそうなところをギリギリで堪え、スバルはその先を訊ねる。

 アリーゼはそれにまた一つ頷き、微笑んだ。

 

「ナツキ・スバルさん」

「なんだ」

「私は以前、スバルさんが語った理想に及第点を付けましたね」

「ああ」

「此度の交渉では、貴方はその反省を生かし、一年間の成長を見せている。辺境伯から提示された利益も、個人の貸し出しへの対価としては破格であり、現時点ではメリットがデメリットを上回るだけの価値を示している──ですので少しだけ、私の価値を吊り上げさせていただきます」

 

 スバルは思わず喉を鳴らし、その続きを待った。

 価値を吊り上げる。アリーゼが何を示してくるのか、それが砂丘攻略にどのように作用するのか。一言たりとも聞き逃さないために。

 

「ゲートへの干渉能力──人がマナを取り込む際、瘴気に汚染されたマナを取り込まないようにできるとしたら?」

「え……」

 

 それは、まるで話が変わってくる。

 

 瘴気とは汚染されたマナのこと。

 ゲートがマナを取り込むのは、生物が呼吸をするのと同じくらい自然なこと。息をずっと止められないように、瘴気を取り込むのも止められない。

 ゲートから延々取り込み続けると、心も体も汚染に呑み込まれる。身も心も蝕まれ、最終的には狂ってしまうのだ。

 そしてアウグリア砂丘は、その瘴気が世界で一番濃い。

 

 今回の旅でアリーゼが必要とされていたのは、あくまで「ラムの治療」要員としてだ。

 それが「ゲートへの干渉能力」として、アウグリア砂丘攻略における最大の難所を解消できるのなら、その価値は一気に跳ね上がる。

 ロズワールから念のためと、追加の対価も渡されてはいるが、とても金銭では釣り合わない。

 

「アウグリア砂丘を取り巻く最大の障害とされる瘴気。その対処ができる人材を、スバルさんはどれだけ高くに見積もっていただけますか?」

 

 絶句するスバルたちに向けて、アリーゼ・アストレアは変わらず淑やかに微笑み、己の価値を訊ねるのだった。

 

 

◆

 

 

 ロズワールはこの交渉に際して、その対価として五大都市コスツールの魔道具を提示した。

 そのあたりの数字に関して、スバルはロズワールの使者でしかない。下手に口出しすると、「じゃあ、その倍はやるよ!」とか言い出しかねないからだ。

 

 だが、提示された魔道具の価値は教えられた。

 スバルの感覚としては、日給百万を優に超える。危険手当込みでも破格と言える対価を、ロズワールはスバルに預けた。

 

 ロズワールは支払いを少なく済まそうとしたのではなく、治癒要員としてアリーゼの価値を十二分に測り、それを上回る対価を示した。万が一を想定し、追加分も用意していた。

 スバルも交渉人としては未熟かもしれないが、使者としては十分に役割を果たした。

 誰に落ち度があるわけでもない。ただ、開示されていた情報だけでは、その価値を正確に測りきれなかっただけの話。

 

「念のため断っておきますが」

 

 アリーゼが一言、そう前置きして、

 

「提示された以上の魔道具や金銭価値を求めているのではありません。アストレアは小さな領地ですし、これ以上は確実に持て余してしまいますから」

「……じゃあ、何を求めてるんだ?」

 

 それにより再起動したスバルの問い掛けに、アリーゼはこう切り返した。

 

「スバルさんから具体的な案が無いのであれば、私から提案させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 何を、が付いていないその申し出は、白紙委任状の要求と同義だ。

 それをスバルもすぐに理解した。しかし、理解したことと対処できることは全くの別問題。彼は恐る恐るという感じで頷いた。

 アリーゼは微笑みを浮かべたまま、スバルの隣、エミリアに視線を移した。

 

「エミリア様」

「……何でしょうか?」

「王選を、下りていただけますか?」

「……え?」

 

 一瞬、何を言われたのか、スバルは分からなかった。

 告げられた要求が、その親しげな笑みからあまりにかけ離れていたから。

 

「どうして……」

「エミリア様は銀髪のハーフエルフ。この世で最も忌避される『嫉妬の魔女』と同じ容姿をされております」

 

 アリーゼの口調に、エミリアへの差別的感情は見当たらない。彼女はただ、事実としてそれを並べているのだと分からされる。

 

「王族が健在だった過去から、その尽くが亡くなった現在まで、ルグニカ王国の政務は賢人会が主だって行われてきました。国王はその象徴であることが何より求められるのだと、亡くなった王族の一人も仰っていたくらいに」

「私じゃ、それができないってこと?」

「はい」

 

 アリーゼの論理は、以前スバルが説き伏せられた時と同じく、容易に反論できるものではなかった。

 

「エミリア様が素晴らしい国王であることと、銀髪のハーフエルフに対する偏見が無くなることは関係ありません。50年前には銀髪、ハーフエルフという枠を外れて亜人差別が起こり、内戦にまで発展。およそ10年に渡り続いたそれは、王国内に多大な被害をもたらしました」

 

「もし仮に、奇跡的に国民感情が『銀髪のハーフエルフ』を認めたとしても、周辺諸国がそれを認めないでしょう。本能的な忌避や、それこそルグニカに攻め入るための口実として、エミリア様の出自は負の方向に働きます」

 

「そうなった場合、また争いが起きる。その犠牲になるのは、民であり、最前線に立つ兵たちです。その兵を育てるアストレアの者として、エミリア様は国王になるべきではないと、そう思っていますよ」

 

 アリーゼは当人を前になんの躊躇いもなく、そう言い切った。

 

 以前のスバルなら、感情的に反発し、怒鳴り声を上げていただろう。

 だが彼女が本心から王選の辞退を求めていないことくらい、今のスバルには分かる。ある程度は本音が混ざっているだろうが、それでも吹っかけた要求であることには変わりない。

 エミリアだって、分かっているはずだ。

 

 試されている。

 王選候補として。自分が王になれば何が起きるのかを理解したうえで、それでも王を目指す覚悟があるのか。

 アウグリア砂丘を越える仲間として。非戦闘員である彼女が、エミリアたちに自身の命を預けられるのか。

 それに対するエミリアの答えは──

 

「私は、足りないところばかりの未熟な存在です。今の私が王選候補として、他の候補者と比べてそれほど劣っていないのはスバルのお陰で、私自身が何かを為したわけじゃない。知らないことばかりだし、学ばなければいけないことは山のようにある。それでも、目指すべき頂がわかっているから、努力を欠かそうとは思わない」

 

 エミリアは、アリーゼの言葉を否定しなかった。それどころか自分の足りないところは他にもあると、弱みになり得る発言までした。

 

「私の努力が玉座に見合うものかはわかりません。でも、そうあれるようにと努力し続ける気持ちは本物です。その思いだけは、他の候補者にだって負けたりしない」

 

 この一年、屋敷で勉学に励み、あらゆることに真剣に取り組む彼女を見てきた。だからスバルは、エミリアの言葉が真実であることを知っている。

 

「思いだけで、お願いしますと頭を下げれば、国が回ると?」

「それだけでは済まないのは分かっています。差別が続く可能性も、戦争になる可能性も、私が原因で人が傷つく可能性も。それでも、その責任から逃げるために王選を降りることはしない」

 

 一度だけ反問したアリーゼは、その答えを聞いて、静かにエミリアを見つめる。

 クルシュのような突き刺さる視線ではなく、アナスタシアのような値踏みする視線でもない。ただ穏やかなそれは、警戒心はおろか、意識しなければ気合いも抱かせない。

 強い言葉を発しているにも拘らず、幸福すらもたらすそれは、ある意味で一種の凶器だ。

 

 時間にすればほんの数秒──だが、強い意志で居続けたことで、ドッと体力が奪われるような時間が過ぎ去り、

 

「──そうですか」

 

 と、アリーゼはエミリアの発言に対し、敬意を示した。

 

「私の意見は先ほど述べた通りです。『嫉妬の魔女』を思わせる外見が国民に、そして周辺諸国に悪影響を及ぼすのは間違いありません。フェルト様の後ろ盾である事には関係なく、アストレア家がエミリア様を支持することはないでしょう」

 

 その敬意とは裏腹に紡がれる答えに、エミリアの紫紺の瞳がかすかに翳りを帯びる。

 

「ですが──」

 

 そのまま、アリーゼは言葉を継ぐ。

 

「貴女は、フェルト様やクルシュたちに劣らぬ覚悟を、この場で示してくださった。──交渉にかこつけて試すような物言いをしたこと。その非礼は謝罪いたします、エミリア様」

「──ううん、むしろ私の方こそありがとう。私の進む道の大変さが改めて確認できたのと、特別扱いしないでちゃんと言ってくれる人って、すごーく大切だと思うから」

 

 エミリアの瞳から翳りが失われ、認められた喜びに自然と表情が明るくなる。唇が弧を描き、花が咲いたような微笑が生まれた。

 

「──さて、脱線してしまいましたが、本題の交渉に戻りましょうか」

「本題の交渉ってーと……アリーゼさんが瘴気に対処できるなら、さっきの魔道具だけじゃ釣り合わなくなってるって話だよな?」

「そう評価していただけるなら、幸いです。……ただ、私からの提案を受け入れていただけるのなら、こちらの魔道具に関しては白紙に戻していただいて構いません」

「……聞かせてくれ」

 

 先ほどの吹っかけとは違い、今度は真面目な要求が来る。それがスバルに対処できる範囲であればいいのだが、そんな事を危惧していると、

 

「オットー・スーウェン」

「え?」

「エミリア陣営の武闘派内政官。彼を引き抜かせていただけますか?」

「……オットーを?」

「ええ。彼は我がアストレア領にとって、提示された数々の魔道具以上の価値があると。そう評価していますよ」

 

 オットーが聞いたら跳んで喜びそうな、絶大な評価。けれど、

 

「悪い、それはできない」

「何故、と伺っても?」

「あいつが俺の、友達だからだ」

 

 即答だった。考えるまでもなく、口から出ていた。

 

「……そうですか」

 

 その一言で意志の強さを感じ取ったのか、アリーゼは食い下がることはしなかったが、割と本気で残念そうにしていた。

 オットーが警戒していたアリーゼ本人からの超絶高評価。この旅程が終わったら直接言ってやろうと、スバルは心に決めた。

 

「とはいえ、お互いこれ以上の交渉手札はないよな。どうするか……」

「いえ、その心配はないかと」

「え?」

「アストレアが求め、エミリア陣営にも可能な事柄が一つだけありますから」

 

 もうエミリア陣営から差し出せる手札はなく、アリーゼから要求するものもないだろう。スバルはそう思ったのだが、アリーゼがそれを否定した。

 

「龍の血。二年後の王位決定、エミリア様がその座に就いた暁には、アストレア家にそれを分けていただきたく」

「龍の血……ルグニカ王国にある、なんかすげーアイテムって話だよな?」

「ええ。ルグニカ王家に神龍が授けた、三つの至宝の一つ──枯れた大地に豊穣を。刻まれた滅びに再生を。まつろわぬ病をたちどころに癒し、拭えぬ絶望を打ち払う光をもたらす。それこそが偉大なる龍、神龍の血潮」

 

 スバルの鼓膜に密やかな歌が飛び込んでくる。それはプリステラにて、リリアナが口ずさんだ歌と同じものだ。

 

「その龍の血を、アストレア家は必要としている……?」

 

 スバルが、その意図に思考を巡らせようとしたところで、

 

「──スバル」

 

 背後、ここまで交渉を静観していたユリウスから、咎めるような声が上がった。

 

「……なんだよ」

「あまり他家の事情を詮索するのは止したほうがいい」

「────」

 

 その剣幕に思わず絶句したスバルに、対面からアリーゼがそっと声を掛ける。

 

「大丈夫よ、ユリウス。別に隠しているわけでもないもの」

 

 それを要求した張本人は、スバルを重圧から解き放つように微笑む。そして、緩んだ彼の心に、優しく真実を流し込んだ。

 

「ルアンナ・アストレア──18年前から眠り続けている私たちのお母様。彼女を目覚めさせるため、龍の血を使いたいのですよ」

「18年……」

「はい。私が4つ、ラインハルトが2つの頃に」

 

 レムが『眠り姫』になってから、まだ一年だ。それがあと17年、スバルが生きてきた時間と同じだけ続いているという。

 

「正直なところ、私たち姉弟は、お母様のことをほとんど憶えていません。それでもお父様が想い続けている女性を目覚めさせたいと、そう思っていますから」

「────」

 

 スバルは思わず息を呑む。彼のレムへの想いは、誰かに負けているとは思わないし、そもそも比べるものでもない。

 けれどスバルは、会ったこともない二人の父親に、20年近く一人の女性を想い続ける男に、確かな尊敬の念を抱いた。

 

「改めて、ナツキ・スバルさん。此度の遠征の対価について、提示していただいた魔道具は、その二割で構いません。──龍の血の分譲のみ、お約束していただけますか?」

 

 スバルはここに来てようやく理解した。

 この交渉はアリーゼの思惑通り。彼女の要求を、拒否できない状況となった。

 

 彼女は魔道具なんて、さして必要としていない。二割というのは、形だけでも渡した方がお互い後腐れがないからだろう。

 オットーを欲していたのは本気っぽかったが、友人だからという交渉上の論理としてはこの上なく弱い理由にも、それを尊重して引いた。

 そして龍の血という本命を、お互いにこれ以上手札のない状態で切ってきた。

 

 彼女が瘴気に対処できるという情報を明かし、その価値を吊り上げたのは、魔道具というある種の金銭取引から抜け出すため。

 エミリアに王になる覚悟を問うた──その器があるか試したのも、龍の血の約束を交わすだけの展望が見えるか確かめるため。

 つまり今回の交渉で、アリーゼが手放さなかった本当の願いは、母親を目覚めさせること。

 

「────」

 

 スバルは、隣に座るエミリアと視線を合わせ、そして頷く。

 

「ああ、約束する」

 

 こうして、アリーゼ・アストレアのアウグリア砂丘同行が決定した。

 

 

◇◇◇

 

 

 交渉がまとまった応接間、盛大に肩の力を抜いた者が一人──他ならぬスバルだ。

 彼はソファの背もたれに身体を預けると、大袈裟に息をつく。

 

「スバル、お疲れ様なのよ」

「ああ、ベア子もちょくちょく手ぇ握ってくれてサンキューな」

「スバルがヘタらないよう見張っておくのは、ベティーの役目かしら。存分に感謝するといいのよ」

「わかってるわかってるって」

 

 ベアトリスを抱き上げ、自身の膝に座らせる。さすがに交渉中は自粛していたが、スバルたちにとってこの体勢が一番しっくりくる。

 そうして感謝の言葉を並べていると、ベアトリスもご機嫌さが増してくる。

 

 場が落ち着いたのを見計らって、アナスタシアが茶々を入れた。

 

「それにしても、アリーゼも強かやねぇ」

「アナスタシアさん? 何が強かなの?」

「ウチもおんなじこと、アリーゼと約束してるんよ。多分クルシュさんとこにも、話は通してるんやないかな」

「それって……」

 

 エミリアが問い掛けるような視線を向けると、アリーゼも微笑みにて頷いた。

 

「クルシュにアナ、フェルト様。そして此度のエミリア様。それぞれ経緯は異なりますが、アストレアが求めたものは同じ龍の血です」

「それだけお母さんを起こしてあげたいのね」

「はい」

 

 エミリアの感想は、皮肉でも何でもない本心だ。

 プリシラを除く王選候補全員に、王家の秘宝を譲り受けるだけの約束を取り付けたアリーゼの手腕には、考えが及んでいなかった。

 

 アリーゼはそれを欠点とは捉えなかった。

 トップが必ずしも優秀である必要はない。代々戦争下手、政には向かないと言われていたルグニカ王族が、400年以上王国を繁栄させたように。

 エミリアの持つ器は王座にも相応しいものであり、ナツキ・スバルという騎士の存在も含めて、王座に就く可能性は十分あると。アリーゼはそう判断した。

 

 ──此度の交渉で、アリーゼは龍の血の使用権利の約束を、四陣営に増やすことができた。

 

 アリーゼからすれば、四陣営のうち誰が王になってもいい。

 本音で言えば、アナスタシア。次点でフェルトが相応しいと思っている。

 クルシュは個人的にはその想いを応援しているが、ルグニカ貴族としては勝ち抜かないでほしいと思っていた。クルシュに王の器がないのではなく、あの広大なカルステン領をクルシュ以上に上手く治められる人物は、今のカルステン家にいないのだ。

 なお、プリシラだけは交渉の糸口すら掴めていないため、他の四陣営には気張ってほしいと。そんな利己的な動機で王選を見ていた。

 

 ──プレアデス監視塔での『賢者』への謁見も、正直どうでもよかった。

 

 アリーゼが守りたいと思うのは、家族や友人など『夢の城』に繋がる者のみ。アリーゼが責任を負うのは、アストレアの領民のみ。

 それ以外はどこで、誰が、何人死のうと。──プリステラの被害なんて、言ってしまえば関係ないことだ。

 

 クルシュを苛んでいた呪いは、既に治した。

 ユリウスの記憶に関しても、アリーゼ本人と、『夢の城』に繋がる十数人が憶えているのだから、そこまでの緊急性は感じていない。

 

 アナスタシアの身体は、これまでにも開かないはずのゲートを開いて、こっそりマナの補給をさせていたため、オドに手を付けるまではいっていない。

 後で二人で話し合い、ゲートを開くことの了承を取るつもりだ。

 人工精霊との入れ替わりは黙認した。親友の顔と声で、違う人物が存在しているのは業腹だが、命の危機でもないのに『虚飾』を使うのは躊躇われたのだ。

 

 それに彼女は、『夢の城』はもちろん、『虚飾』の権能も明かしていない。既に知られているラムの角の一時治癒に関連した「ゲートへの干渉」として、能力を誤魔化した。

 アウグリア砂丘でも、基本的にラムの治療と瘴気への対応以外はするつもりはない。

 それどころか、本当に危なくなれば、自身とアナスタシア、ユリウスの三人を『いなかった』ことにして逃げようとすら思っていた。

 

『剣聖』として都合よく使われてきた、国家に振り回されてきた祖母や弟。それに抗う父や祖父を見てきたからこそ至った思考。

 どこまでも自己中心的。自分と大切な者が守れればそれでいいと。アリーゼは心に決めていた。

 

 既にアストレア養成所が輩出した卒業生の総戦力は、歴代の平均的な『剣聖』を上回っている。

 歴代でも上澄みの全盛期テレシアや、人類の到達点であるラインハルトには届かないが、それでも当代のアストレア当主として、果たすべき役割は果たしたとアリーゼは自負している。

 

 だからこそ、最後には自分を優先する。

『英雄』などいらないと。『英雄』になどさせないと。

 そんなもの、やりたい奴にやらせればいいのだ。

 その考えを貫き通す。

 

 ルグニカの東にあるアウグリア砂丘──獰猛な魔獣の巣窟であると同時に、かつて『剣聖』ラインハルトが挑み、踏破できなかった本物の魔境。

 400年もの間、人類の攻略を許さなかった死地を前に、アリーゼ・アストレアは改めてそう決意を固めた。

 

 

 




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