──これは、ナツキ・スバルの死後にも世界が続いていた。
──そんなもしものお話。
「──ッは」
アウグリア砂丘から西に十キロほど離れた、ミルーラにもまだ数キロあるその場所で、アリーゼ・アストレアは砂に手を突き、荒く息を吐いた。
彼女は今、一度死んだ。
監視塔から飛んできた『何か』に、殺された。
気付いたのはたまたまだ。その事を誰かに伝える時間もなかった。
アリーゼに戦闘能力はなく、気配察知も素人に毛が生えたレベルでしかない。
だから、保険をかけていた。
傍にはユリウスとアナスタシアが倒れている。意識はないが、二人とも無傷だ。
二人は『あれ』を受けていない。ほんの誤差だろうが、その前にアリーゼが死に、掛けていた保険が連動してここに飛ばされたのだ。
意識がないのも、アリーゼがそうなるようにしていただけで、転移の後遺症というわけではない。
アリーゼの持つ『虚飾』の権能。その中で切り札と認識しているのは三つ。
一つが、フェリスに使った記憶改変。
一つが、アリーゼが本当に死んだ際、『夢の城』に魂が引き擦り込まれ、ぬけ殻となった身体の大瀑布転送。これは後処理に近いものであり、使うことは最期までない。
そして残る一つが、先掛けの緊急離脱。
不意打ちだろうとなんだろうと死んだ状態から蘇り、なおかつその場から逃げられる。
そんな反則級の御業を、アリーゼは保険として用意していた。
クルシュに説明したように、アリーゼ本人であればある程度の『死』は覆せる。
だが他人の、しかも不意打ちとなれば、アリーゼが彼らを守るにはこの切り札しかなかった。
この保険はリソースの掛け捨てだ。維持するだけで、アリーゼの持つ『虚飾』のほとんどを占有してしまう。あとはラムの治療や瘴気対策、その他にも
何より長続きしない、継続して掛け直す必要がある。そのために、本来なら丸一日は持つ「瘴気からのプロテクト」を、一日三回も掛け直す必要があることにして。
彼女は自身を含む三人に保険を掛け続けた。
とはいえ、アリーゼが『死』を直視したことには変わりない。
上手くいくとは理解していたものの、『死』を味わった苦痛は誤魔化せない。『虚飾』はそこまで万能ではない。
そしてアリーゼは、何度死を経験しても微笑みが崩れない『虚飾の魔女』のような精神異常者ではない。
──『死』を経験しても抗うなど、常人の在り方では不可能なのだ。
「……早く動かないと」
けれど、いつまでもこうしては居られない。
切り札は作動した。通常なら一度や二度殺されたくらいでは『虚飾』が使えなくなることはないが、この緊急回避は別。
発動した時点で、アリーゼはしばらく『虚飾』を使えなくなるのだ。
「おそらくエミリア様たちは死んでいる……アナはともかくユリウスは砂丘に戻ろうとするはず……でもユリウスたちは何が起こったのかきっと分かってない……他の皆も転移したかもってことで周囲を捜索する方向に……その間に『虚飾』を戻せばひとまずは安全……メィリィがいないからそもそも砂丘も越えられないし……情報だけ持ち帰って、あとは騎士団に任せる方向で」
意識のない二人を前に、アリーゼはしばらく独りごち、方針を固めた。
胸の前に手を合わせ、息を整え、目を瞑り、空想する。
──急に意識を失い、目が覚めれば砂丘の外、周りには二人しかいない
──ラムを失った、メィリィを失った、この旅路で距離が縮まった友人を失った
──仕方ない、何もしてないわけじゃない
──ラムの治療も、瘴気対策も、事前に与えられた役割はこなした
──ラムの『千里眼』も、花畑での花魁熊も、余ったリソースで、バレない程度に手助けした
──でもこれは、三人が限界だった、『虚飾』は何でもできるわけじゃない
──もうこれ以上、婚約者と親友、二人だけは失わない
『虚飾』ではなく自力で、感情を高めていく。あながち演技でもなく、視界が涙で滲んできたところで──
「ユリウス、アナ! お願い起きて!」
アリーゼ・アストレアは二人を起こすべく、その身体を揺すった。