ここは本当に生者の世界か。それすら怪しく思える、暗く、静かで、冷たい世界。
「風は……きてるような、きてないような」
「──。いいえ、きているわ。ただ、この分だと地上と通じているのはずっと先ね」
指の先を舌で湿らせ、風を感じようとするスバルにラムが薄紅の瞳を細める。
実際には見えていない。ただ不足した視覚情報を補おうと、声や今までの経験から脳が勝手に自身の指やラムの表情が見えていることにしているのだろう。──そんな益体のない思考に浸りながら、告げられた先の長さを思ってげんなりする。
服の中に入った砂による不快感、足元の砂による歩きづらさ。砂による二つの障害に苦心しながら砂の大空洞を歩き始めて小一時間が経過した。
砂の上の歩き方は、ここ数日の経験則で何とか支障はない。とはいえ、砂に体力を奪われるのは避けられず、定期的に休憩を挟んで、ラムの『千里眼』で仲間たちの居所を探る作業と並行して空白を埋めていた。
「──ダメね。知覚範囲に何もいない」
「魔獣の巣かもなんて警戒した割に、一匹も出くわさないな」
「それはラムも気になっていたわ」
足下の砂を蹴りつけ、そうこぼしたスバルにラムも同意する。
空洞を進み始めてしばらく。魔獣との遭遇がないだけでなく、ラムの『千里眼』にもそれらの存在が引っかからない。ひどく、嫌な予感がしてくる。
「まさか、本気でここが次元の狭間で、どことも繋がってないとか、ないよな?」
「それはないわね。ラムの千里眼も、次元を超えるなんて芸当はできないもの。少なくともエミリア様たちとは同じ空間にいるはずよ」
「それは何よりだ」
微かな朗報にも、スバルは大げさに安堵する。
終わりの見えない暗闇にも、終わりはあるはずだと、そうやって希望を持たなければ。
それを告げた凛々しい声と左手に繋いだ掌、そうやってラムの存在を確かめなければ。
不安に狂ってしまいそうで。
ベアトリスやエミリアとは違う、慣れない手の感触に縋りながら、スバルは歩みを再開した。
──きっと、ラムもそのことに気付いていたけれど、何も言わなかった。
「──道よ」
立ち止まったラムが端的に言った。
道と言われても、それ自体はここまでずっと続いてきていたはずだ。つまり、新しい情報としての道とは──、
「──分かれ道か」
「ええ。ご丁寧に、左右の道に極端な差はなく、勘以外に選ぶ余地がないように見えるわね」
「そりゃ悩みどころだが……俺の知識だと、こういうときは右を選べって孔明が言ってた」
行動学的に、人間は迷うと無意識に左を選びやすくなる的な話だったと覚えている。おそらく、利き目や利き腕、利き足などの複数の要因が絡んだ考えだとは思う。
あれこれと無駄知識を蓄えているスバルだが、これは有用な知識、な気がする。
「なんで、右の道を確かめたいってのが俺のジャスティスだ」
「ずいぶんと孔明を信用しているのね」
スバルの主張にラムが目を細める。
字面だけなら悪ふざけにも見えるやり取りだが、二人の表情は真剣そのものだ。
──暗闇では時間感覚も狂ってしまうため、正確な時間は分からない。だが、エミリアたちと逸れて随分経っていることは確かだ。
一度は落ち着けた心も、焦りと不安が強く波立たせてきた頃合いだ。そんな折、この分かれ道である。正直、逸る心を思えば、足を止めている時間が惜しい。
「決め手がないわね。それこそ、孔明頼りなのが癪だけど……」
ラムも、スバルの主張を覆すだけの根拠が示せない。そうして軍師孔明の教えに従い、二人は行軍を再開した。
進むは二股の道の右側、この選択の先に仲間がいると信じて。
そうして進んだ先に待ち受けていたのは──、
「──行き止まりね」
天井の高さと道幅いっぱい、完全に進路を塞ぐように作られた壁が、砂の通路を埋めるように現れた──らしい。
二人は壁のすぐ手前までいって、その様子をつぶさに観察する。
「この扉、壊せるか?」
「──。無理ね。鉄の壁にしか思えないけれど、おそらく魔法的な保護が掛かっているわ。強引には壊せそうにない。それと、バルス」
「うん?」
「どうして、これを扉なんて言うの? ラムは壁としか言っていないし、そもそもバルスは見えていないでしょう?」
コンコンと壁を叩きながら訊ねてきたラムに、スバルは「え」と息を詰める。
「いや、俺も理由はわからねぇよ。ただ、何となく扉って風に思って……」
二人からの指摘で、スバルは改めて鉄塊──否、鉄扉に目を向ける。
ラムに答えた以上の理由はない。ただ、スバルは自然と、これを扉と認識した。そして、その答えを手探りする思いで、そっと鉄扉に手で触れて──、
「──ぁ」
瞬間、スバルに触れられた扉が淡く光った。一瞬だけその全貌が、そして隣にいるラムが見えた。
かと思えば、まるで何事もなかったかのように再び暗闇に戻った。扉は消滅し、ラムの姿も見えない。
「バルス、何をしたの?」
「なんかって、触っただけだよ。何もしてねぇし、俺もわからねぇよ」
スバルは動揺しつつ応じる。実際、何が起きたのか全くわからなかった。あの扉はいったい、なんだったのか。
「──重要なのは、何が起きたかではないわ。ここからどうするかよ」
そのスバルの混乱に待ったをかけたのは、ラムの一声だった。彼女は鉄扉の消えた通路の先を見据えながら、
「道を塞ぐ壁……いえ、扉があった。そしてそれが開いた。その先も通路は続いている。進むか戻るか、さっきの分かれ道と同じ選択肢ね」
「────」
ラムの言葉と視線に、スバルは改めて鉄扉の消えた通路に目をやる。
スバルには見えないが、ラムの物言いから扉が消えたその先にも砂の迷宮は続いているのだろう。
だが──、
「空気が『重い』な」
「ここまでいくと、臭いとまで言えるわ」
触れた指先に光が生まれ、ほどけるように『扉』が掻き消えた。その直後から、塞がれていた道の先から溢れ出すのは、鼻を突く濃密な悪臭だった。
スバルは鼻面に皺を寄せ、その正体に思い至る。
「瘴気、それも段違いに濃いな」
「そうね。このまま進めば、ラムたちはきっと昨日のバルスのようになるでしょうね」
「──アリーゼさんのプロテクトが無かったら、か」
二人して言葉を交わして、現状を確認する。
この先に進んで無事で済むのは、アリーゼに瘴気へのプロテクトが効いている間だけ。ならば、進むしかない。
「何か意味があって扉があった。で、その扉がやっぱりなんかあって開いたんだ。──現状、『賢者』の監視塔への直行ルート以外に考えにくくないか?」
「それが正しいかはともかく、ラムも進むつもりよ。ここで戻っても、反対の道に同じ扉がないとも限らない」
「なら、先に開けてくれた方に招かれようってことか。同感だ」
前向き過ぎる解釈をしたスバルにラムの意見も加わり、前進が可決される。そのまま、スバルは「よし」と軽く気合いを入れ、正面、砂の通路へ足を進めた。
◆
終わりのない暗闇。幾度となく挫けかけた暗中模索の逃避行で、ようやく見つけた変化らしい変化。当てもなく、何時間も地中を彷徨い続けたスバルにとって、それだけが救い。
地獄から抜け出すための唯一の蜘蛛の糸を掴んだスバルは、いくらか気が楽になっていた。──そう考えなくてはやっていられなかった。
「そういや、今のラムってどのくらい戦えるんだ? あの光の迎撃からして、エミリアたんとユリウスより強そうだけど」
この質問は、目の前のことだけでなく、前のこと、そして先のことも考えられるようになった故のものだった。
「短期決戦なら、二人同時に相手をしても勝てるわ。それこそバルスが繋いだ手に欲情でもしたら、二秒で肉塊にできるわね」
「怖いこと言うのやめてもらえる?」
今のスバルは、この小さくてすべすべな手にしか縋れないのだ。
エミリア、レム、ベアトリスにパトラッシュ。スバルの心は既にいっぱいだが、吊り橋効果的な何かが起きないとも限らない。
それくらい、今のスバルはラムに寄りかかっていた。
そしてそれは、ラムも同じなのかもしれない。
いつもなら明かさない己の不調について、彼女は静かに語り始めた。
鬼族の角を失い、『ツノナシ』となったラムの肉体は日々、膨大な負荷に押し潰されそうになっていた。故に、ラムは自らの意識に枷を嵌めた。
通常、使用人として働くときには全ての枷をかけたままに。
有事となれば、魔法を用いて状況を打破しなくてはならないときもある。そんなときには枷を一つ外して、最低限の魔法の使用を自らに許す。
そして、それでも収まらない事態があれば二つ目の枷を外し、短期決戦ではあるが、本来のラムの性能の二割ほどは発揮できる状態にする、と。
約一年半前、『聖域』でガーフィールと一戦交えたとき。反動が来るまでは彼を圧倒していた実力が、ちょうどそのぐらいとのこと。
それが『ツノナシ』であるラムに出せる全力であり、それ以上は肉体が負荷に耐えかねて使い物にならなくなる。
そうでなくとも、戦いの反動が跳ね返れば、ラムの頭は割れるように痛み、鼻血や血涙がとめどなく流れ、しばらく体が動かせなくなる。
そんな諸刃の剣である枷は、今、アリーゼによって多少マシになっている。
「今のラムは、少し無理をするだけで二つ枷を外した状態に持っていけるわ。大人しくしていたら回復するという点も含めて、エミリア様たちに頼り切りにはならないはずよ」
「そりゃありがたいけど……あの白光を殴り飛ばした時はどんくらいだったんだ? 結構辛そうに見えたけど」
「あれはその先、三つ目の枷を外したのよ。避けるならともかく、殴り飛ばすには相応の力が必要だもの。ただ、あれは長くは保たないわね。一分もしないうちに限界がくるわ」
「それで頭を押さえてたのか……もし次も『賢者』と敵対したら、その三つ目の枷は外せそうか?」
「ラムを誰だと思っているの。次があれば……いえ、そんな時が来れば、『賢者』の次がないわ。一分も掛けずに縛り上げて、趣味の悪い罠を仕掛けたこと、攻撃したこと、その全てを後悔させる。それからラムたちの聞きたいことを聞き出すことになるわね」
「姉様の遺跡荒らしっぷりには言葉もねぇよ」
ラムの強い口ぶりには、彼女の揺るがぬ本気の覚悟が込められている。しかし、『賢者』に敵対的になる彼女の気持ちもわかろうというものだ。
「そういや、メィリィと……ラムもか? アリーゼさんと随分打ち解けたみたいだけど、竜車ん中で何話してるんだ?」
せっかく浮かんだ気持ちを沈めないために、スバルは話題を変えた。
「いやらしい」
「そういう意味じゃねぇよ。そもそもユリウスとラブラブだし、何より俺の一番と二番……あと三番と四番は埋まってんの」
「公然と四股宣言……これは駄目ね」
「うるせぇ。その分四倍皆のこと大好きだよ」
ノータイムで交わされる掛け合い。スバルも己の気の多さに思うところが無いでもないが、それはそれとして開き直っているので救えない。
「んで話を戻すけど、特にメィリィ、なんであんなに懐いてるんだ?」
「……」
「ラム?」
「……あれは麻薬ね」
「麻薬?」
「ええ。心に入り込んできて、そこにいてくれる。ラムも、ロズワール様と出会う前にアリーゼと会っていたら、きっと今ここにはいなかったでしょうね」
「ロズワール信者のお前が言うほどかよ」
ラムのロズワール絶対至上主義を知るからこそ、その言葉は重く意味を持つ。
かく言うスバルも、たった一度背中を叩かれただけで、こうも彼女に尊敬の念を抱いているのだ。もし異世界に来たばかりの路地裏で、エミリアではなくアリーゼに会っていたら……そんな想像も容易くできてしまう。
「ちなみに、メィリィだけど」
「うん?」
「加護で魔獣を寄せ付けないだけじゃなくて、竜車の傍……もっと言うと地下ね。そこに魔獣を控えさせていたらしいわよ」
「嘘だろ!?」
地下、つまりはあの砂蚯蚓だ。あんな巨体が、ずっと竜車の下にいたというのだ。
もしかしたら──何か一つでも掛け違えていたら、魔物に襲われないために同行を頼んだメィリィに裏切られる……彼女が使役された魔獣に襲われ、際限ない物量で押し切られるEndもあったのかもしれないのだ。
「いやほんと、あの人に足向けて寝られねぇわ」
何か起きたときに対処できるのと同じくらい、何も起こさないことが大切なのだと。
この旅路でスバルは改めて実感した。
◇◇◇
ようやく見えた希望に願い、進んでいくことしばらく。
「マジかよ……ここにきて嘘だろ」
弱々しく吐き捨て、スバルの靴の爪先が正面の鉄扉を蹴りつける。硬い感触、静かな地下だというのに音が響きもしない。材質も、単純な鉄とは思えなかった。
だが、それは何の慰めにもならない。行く手は、いよいよ遮られたのだ。
「三つ目の扉も素通りさせて、今さら過ぎんだろ……」
答えなど返さない鉄扉に、力なく拳を叩きつける。
──砂宮の三つ目の扉を乗り越え、四つ目へ差し掛かったところでの足止めだ。
変わることない暗闇と、それにより募る焦りと苛立ち、それでも扉が開かれるうちはよかった。その顔パスを取り上げられ、道程が無意味になった途端、希望は潰える。
何度も何度も、スバルは鉄扉に手をついて扉を開けようと必死になる。だが、それを嘲笑うように、冷たい鉄扉はスバルに何も返してはくれない。
それがスバルには、か細い希望の糸を容赦なく断ち切られたように思えて。
「……仕方ないわ。この道は間違いだった、瘴気を防いでいるうちに戻って、左の道に──」
だが、ラムが引き返そうと提案を言い終えるより早く、スバルの体が発光する。体のどこかからではなく、全部いっぺんに。
それを拒絶しようとしても、光の方は言うことを聞かない。不条理はいつだって、スバルの意見に耳を貸さず、一方的にそちらの事情を押し付けてくる。
「バルス!」
繋がれた手の先、ラムの姿が自身の光により鮮明に見えた。スバルは咄嗟に彼女を抱きかかえる。
そして、一際、光が強く瞬いた直後──
「は」
スバルたちは冷たい地下から解放されていた。
「────」
呆けた顔つきで、スバルは自分の両手を見下ろした。
砂が付着し、水分を失った手が見えていた。見える。当然だ。ここには光があった。色があった。自分の足下も変わらず砂であるが、目の前には石造りの巨大な扉があった。
「──スバル!」
「……エミリア?」
それが遠目に見えていたプレアデス監視塔のものだと、脳に染み渡るより早く、聞き慣れた少女の声にスバルは振り返った。
エミリアだけではない。スバルたちの下へ駆け寄ってくるのはベアトリスにユリウス、他にも旅路を共にした面々が揃っている。
「急に出てきてびっくりしちゃったけど、スバルもラムも無事でよかった。二人だけ逸れちゃって心配したんだから」
「エミ、リア」
「ん、二人とも大きなケガはないかしら。もしベティーのいない間に大ケガでもしてたら、おちおちトイレもいかせられなくなるのよ」
「ベアトリス」
その最前列で、スバルたちとの再会を喜んでくれる二人。
「──ッ」
「むぎゃ」
理解に及んだ瞬間、スバルはただ、目の前の──エミリアではなくベアトリスの──小さな体を抱きしめて、その存在がここにあることに感謝した。
──一歩先も見えないあの真っ暗な場所から生還し、こうしてまた会えたことに、感謝していた。
「よかった……マジでよかった。本当に心配したんだぞ」
「……それはベティーの台詞かしら。スバルや姉妹の姉がいなくて、ベティーたちの方がよっぽど肝を冷やしたのよ。生きた心地がしなかったかしら。……ホントに」
抱きしめられるベアトリスが、言葉の途中で顔を伏せる。そのまま、胸に額を擦りつけてくる少女の頭を撫で、無言で二人は再会を確かめ合った。
「ラム」
その隣では、アリーゼがラムを手招きしていた。
「ラムはバルスのように軟弱じゃないわよ」
「じゃあ私が心配だったのよ。──おいで」
毅然と見返してくるラムに、アリーゼは微笑みのまま手招きを続ける。
膠着状態に陥った二人、折れたのはラムだった。
「冷たいわね」
触れ合った温度に、アリーゼはそう零した。
「ずっと地下にいたもの」
「大変だったでしょう。それに、あと少しで角の治癒も切れるところだったもの。間に合ってよかったわ」
「ラムの聡明さと、バルスのよく分からない運のお陰ね」
「その辺りも含めて、水を飲んで、休憩しながら聞かせてちょうだい」
とんとんと背中を撫でてやり、最後にぎゅっと力を込めてアリーゼがラムを解放する。ベアトリスはすっきりした顔でスバルの胸から離れる。
「とにかくみんな無事でよかったわ。すこぉし休憩してから、『賢者』に会いにいこか」
笑顔のアナスタシアが胸の前に手を合わせ、そう再会を祝福するのだった。
◆
「──つーわけで、よく分からん扉に飛ばされて、ここに着いたってわけだ」
「なるほど。ラム女史の尽力とスバルの強運……言葉通りの行軍だったというわけか」
「その通りだけど、改めて口にされると悲しくなるな」
「恥じることはない。右の道を選んだのも、消えた扉も、突然の転移も、君の強運が引き寄せたものだ」
「そう言われても中々頷き難い……」
「スバルの面倒くさいところかしら」
ユリウス評に複雑な表情をするスバルに、ベアトリスが嘆息する。
そうやって一行が互いの状況を共有していたところ、場に変化が訪れた。
「────」
瞬間、スバルの全身の肌を粟立たせる異様なプレッシャーが発生、心胆が震え上がる。
それは目の前の扉、その向こうから感じられる圧倒的な存在感だ。石造りのそれはかなり強固なはずだが、プレッシャーは分厚い装甲をものともしない。
そのプレッシャーの塊に対して、スバルたちは果敢に挑むことを選択する。
おそらくは『賢者』。空間の裂け目に落ちる寸前、スバルたちを狙撃していたであろう存在。非友好的である可能性も考慮して、緊張が張り詰める。
そして、人間の十数倍もの大きさの扉が、ゆっくりと開かれる。
「──スバル」
傍らに寄り添ったベアトリスは、スバルの手を強く握り、真っ直ぐ、正面を見据えていた。
スバルも同じものを視界に捉える。──それは、あまりに鮮烈で、強烈な存在感を放つ、異質な人物だった。
「お前は……」
「────」
──掠れ声を出したスバルの視界、そこに佇むのは長身の女だった。
スバル的に言えば、ホットパンツに黒ビキニを着けてマントを羽織った痴女だ。
「……まさか、お前が『賢者』、なのか?」
「────」
無言のまま、女がゆっくりとスバルの方へ歩み寄ってくる。
自分を軽々と消し炭にできる存在、そんな相手の意図がわからないことは恐怖だ。しかし、スバルはベアトリスを引き寄せ、そのプレッシャーを正面から浴びる。
「……この状況で、俺たちを攻撃しない。なら、敵じゃないと……思っても、いいのか?」
「────」
「えっと、黙ってられると不安なんで、なんか言ってもらえると助かるんだが……」
「────」
スバルの言葉に一切答えず、推定『賢者』がスバルの真正面に辿り着いた。その、深緑の瞳がスバルを捉え、上から下までじろじろと値踏みする。
その値踏みの結果がスバルの命を、ひいては仲間たちの命を左右することになるのか。
──そんなスバルの不安は、不意に破られた。
「……三つ」
「え?」
「────」
ふと、スバルを見つめていた女がそう呟いた。
初めて聞いた女の声は、やや掠れたハスキーボイスだ。どこかミステリアスで、心情の読み取れない女の声にしては、少々可愛げがあるなとぼんやり思う。
と、そんな場違いな感想を抱くスバルの前で、女は静かに吐息して、
「……やっと、見つけた」
そう言って、スバルを見つめる女の表情が変化する。
それまで真剣に、スバルの全てを見透かさんとしていた機械的な眼差しが、ゆっくりと大きく、時間をかけて──笑顔と、そう呼ばれるものへ変わった。
満面の笑みで、女はスバルを見つめ、言った。
「──お師様」
「……は?」
「お師様ぁ! もうもうもう! 待ってたッスよ~!」
呆気に取られる暇もなかった。
目を丸くした次の瞬間、感極まった女に飛びつかれ、スバルは地面に押し倒される。その勢いに巻き込まれ、一緒に潰されるベアトリスが「むきゅー!」と叫んだ。
だが、女はそれに構いもしない。ただ全力で、スバルの胸に顔を押し付け、縋りつく。長いポニーテールを揺すりながら、女は何度も繰り返しスバルを呼んだ。
「お師様! お師様! 長かったッス! 寂しかったッス! もうずっと、このまま近付く奴らを狙撃するだけの人生かと思ったッス!」
「ま、待て! 待て待て! なんだ!? 何の話だ!?」
「なんだって、ひどいッスよぉ! お師様が命令したんじゃないッスかぁ。祠に近付く奴らの邪魔をしろって……方法はまぁ、あーしのオリジナルッスけど」
「じゃなくて、俺がお師様!? 何言ってやがる!?」
柔らかい女の肌と盛大に触れ合っているが、その役得を堪能する余裕がない。女の怪力にしがみつかれたまま、スバルは必死に身をよじり、逃れようとする。
しかし、女も女で言い分があるのか、スバルを決して離そうとしない。
結果、スバルと女は間にベアトリスを挟んだまま、砂の上でくんずほぐれつする。
「お前、とにかく、離れろ! 話にならねぇ……!」
「嫌ッス! 絶対に嫌ッス~! そんなこと言って、また目ぇ離した隙にいなくなるつもりに違いないッス! お師様、変わってなさすぎ! そこが愛しいッス!」
「知るかぁ──!!」
何のトラウマがあるのか、女は強情にも離れようとしない。その顔を掴んで引き剥がそうとしながら、スバルは噛みつくように叫ぶ。
「そもそも、お前は誰で! なんなんだ!」
「何を言ってるッスか! シャウラッス! プレアデス監視塔の星番! お師様の可愛い教え子のシャウラッスよぉ!」
「覚えがねぇ──!」
シャウラを名乗る女だが、その名前は塔で暮らす『賢者』の名前のはずだ。
スバルたちの旅の目的であり、全知と呼ばれた知恵者。その『賢者』がまさかこんなわけのわからない女のはずがない。断固、異議を申し立てる。
そうして、互いに一歩も譲らず、進展のないままもつれ合っていると──、
「スバル、あまり幻滅させないでくれ」
「少しはいいところもあると思ったけど、所詮、バルスはバルスね」
ユリウスとラム、二人から冷たい眼差しと厳しいコメントがスバルに向けられる。
「お前、いい加減に離れろ……! なんだ、この馬鹿力!?」
「いーぃやーぁッスーぅ!!」
そんな蔑視を浴びながら、当のスバルは腕にしがみつく半裸の美女──推定、シャウラを懸命に引き剥がそうとしている。会いたかった『賢者』に乱暴な対応だが、相手の方が礼儀を踏み躙ってきたのだからスバルも容赦はしない。
「けど、剥がせねぇ……! おい、見てないで誰か手ぇ貸してくれ!」
「鼻の下が伸びてるわよ、バルスケベ」
「伸びてねぇし、組み合わせるな! 応用すんな! エミリアたん助けて!」
と、スバルはラムに反論してから、傍らで固まっていたエミリアに助けを求めるように手を伸ばすが、
「痛い!? エミリアたん、髪の毛引っ張られてもあんまり助けにはならないかな!?」
「あ、ごめんね。全然、助けようとしたんじゃないの」
「そこ謝んだ!?」
強情なシャウラはスバルを放さず、エミリアはやけに無表情でスバルの髪の毛を引っ張ってくる。そして、ベアトリスはスバルと一緒にシャウラのもみくちゃに巻き込まれ、目を回して「きゅ~」と赤い顔で潰れていた。
「と・に・か・く! 全員落ち着け! 俺も落ち着け! ──話を、しよう!」
結局、スバルの必死の訴えも虚しく、アナスタシアとアリーゼが取りなしてくれるまで、プレアデス監視塔の『賢者』(仮)との押し合いへし合いもつれ合いは続いたのだった。
原作でも謎の残る転移、なぜここで発動したのか……長い道のりをショートカットするためです。
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