本編の裏話、第二弾。
シリーズ7話目『何もない自分』の裏話となっております。
再度読み直してから進んでいただけると幸いです。
それではどうぞ。
王選開始が宣言された王城からの帰路、フェルトは古巣の盗品蔵へ立ち寄った。
特に用があったわけではない。明日には王都からアストレア領に発つとのことで、思い出の地を辿りたかったのかもしれない。
「王城で疲れてたとはいえ、しくっちまったなぁ」
足を止めたフェルトは、自身の浅はかさを痛感していた。
「よお、お嬢ちゃん。少し俺らと遊んで行こうや」
視線の先には、路地を塞ぐように立ちはだかる人影があった。
三人。お世辞にも整っているといえない身なりに、育ちと性格の悪さがにじみ出たような典型的なチンピラ面。そして大中小と分かりやすい体格差。
その全てに対し、フェルトはどうしようもなく見覚えがあった。
「はぁ……」
「おいおい、そんな面していいのかよ」
「状況がわかってないんだろ。教えてやったらいいんじゃないか」
と、三人の男たちが下品な笑みを浮かべてフェルトを嘲笑する。
その男たちの姿を眺めて、フェルトはまるで滑稽な芝居を見せられているような心境でいた。
今のフェルトは、王城でのドレスからは着替えているが、それでも品のいい装いは崩れていない。そのため、おそらくこの三人組──ガストン、ラチンス、カンバリーは、目の前のお嬢様がフェルトだと認識していない。
「まあ仕方ねーか。おい、お前ら悪いことは言わねーから、とっとと帰った方がいいぞ」
「なに言ってんだ、お前。頭おかしいんじゃねえのか」
貧民街に、こんな良い格好で、女が一人。そんな逆役満。この状況は、フェルトにも責任がある。
そのため穏便に済まそうとしたのだが、男たちはそれを嘲弄する。
「お嬢ちゃん、とりあえず持ち物全部置いてけ。それで勘弁してやっから」
「そうだぞ。お嬢ちゃんはまだ若いし、初めてもまだだろうからな。オイラたちも金だけ置いてってくれれば見逃してやるよ」
「つーわけだ。賢いお嬢様なら、どうすべきか分かるよな?」
ガストン、カンバリー、そしてラチンス。
彼らの態度に、ラチンスが取り出した刃物に、フェルトは「あーあ」と乾いた笑いを漏らす。
「失礼」
紳士的な前置きが、上空から聞こえた。
その残滓が消えるより早く、チンピラ三人組は叩き伏せられた。
「ラインハルト、ご苦労さん」
「はっ」
ラインハルトと呼ばれた男。近衛騎士の象徴たる白い制服、アストレア家の象徴たる燃えるような赤い髪。
突然地面に転がされ、目を白黒させていた三人組は、彼が王国最強の『剣聖』であると理解した。──そして、自分たちが何に手を出したのかも。
一人でのんびり故郷回遊したいというフェルトの要望により、ラインハルトはフェルトの傍を離れていた。
だが、それは彼が主人の護衛を怠っているわけでは決してない。
今この瞬間、『剣聖』は空から降ってきた。
雲の上に立ち、遥か上空から主の安全を見守っていたのだ。
「フェルト様、ご足労をかけてしまい申し訳ありませんが、この三人を詰所に連行しますのでご同行願えますか? 貧民街の回遊は、明日の出発前に再度行うことも可能ですので」
本来なら三人はこのまま衛兵に突き出される。ただの恐喝ではなく、王選候補を脅したのだ。その罪は決して軽くはならないだろう。
「ラインハルト、ちょっと待て」
「フェルト様?」
だが、フェルトはそれに待ったをかけた。
ラインハルトが問い返したそれに──彼が呼んだその名前に、ラチンスたちはぎょっとした。
「フェ、フェルトだと!?」
「フェルトって、あのフェルトか?!」
「お前があの、手癖が最悪なフェルト!?」
「おう、その手癖が最悪で小汚えガキがアタシだ」
フェルトはラチンスたちの評価に、もう一つ情報を加えて肯定した。そして、「とりあえず寝てねーで座れよ」と促す。
そうして地べたに胡座をかいた三人に、フェルトはこう告げる。
「お前ら、アタシと一緒に屋敷に来ねーか?」
「はぁ? いきなり何言ってんだよ。しかもお前、屋敷って」
「色々あってな。アタシゃ今、アストレア家の厄介になってんだよ」
フェルトもここで全てを説明する気はない。
それ以上の説明はせず、先ほどと同じ要求を、いくらか噛み砕いた表現で伝える。
「アタシは今、やるって決めたことがある。お前らがそれを手伝ってくれんなら、屋敷に連れ帰って、面倒見てもらえるよう頼んでやる」
最後に「どうする?」と締めて、フェルトは三人を見渡す。
ラチンスがじっとフェルトを見つめ、ガストンとカンバリーはそんな彼を案じるような視線を送っている。
拒否した場合にどうなるか、フェルトは語らなかった。
そんな事も想像できない愚鈍は味方にいても邪魔なだけだ。理解したうえで断る──牢屋に繋がれ、一生臭い飯を食うくらいフェルトのことが信じられないなら、説得するつもりもなかった。
「……テメエについていけば、飯が食えんのか?」
「労働の対価だ。真面目にやんなきゃ飯はねーし、こりゃダメだってなったら放り出されるかもな──ただ、理不尽に買い叩かれたりはしねーよ」
理不尽に買い叩かれる。
それは貧民街の住民にとって、日常のことだ。もちろん外の世界でも理不尽はあるのだろうが、貧民街では常態化し過ぎている。
その理不尽が無くなる、努力と結果に正当な報酬が得られる。
それは本来当たり前であり、けれどこの上なく難しいこと。
「……わかった。屋敷に連れて行けよ」
その理不尽を味わい続けてきたラチンスは、低い声でそう答えを返すのだった。
◆
屋敷に戻り、アリーゼに事の経緯を説明してから、三人組にもフェルトの事情を説明する。
その後、とりあえず彼らは風呂場に放り込まれ、今は客室にいる。
「……わりーな、アリーゼ。無茶通しちまって」
「構いませんよ。王選候補として、フェルト様が選んだ第一歩ですから」
アリーゼの浮かべる、文句のつけようのない淑女の微笑みに、フェルトはひどく身体が強張っているのを感じた。
──選んだことは否定しない
──だが選んだ以上、責任が発生する
そんな無言の圧力が、フェルトを優しく包みこんでいた。
王城で見た王選候補、クルシュ、アナスタシア、プリシラ、エミリア。彼女たちのような存在感はない。
ただ穏やかなそれは、警戒心はおろか、意識しなければ気合いも抱かせない。ただ微笑むだけで幸福すらもたらすそれは、ある意味で一種の凶器だ。
フェルトは全力で、その責任を己の意識に刻み込んだ。
「……分かってんよ」
そうして漏れた呟きを、アリーゼは理解したのかしていないのか、問い返すことはしなかった。
「フェルト様も理解していると思いますが」
その代わり、『マシな平等』を掲げた王選候補に、諭すように語り出した。
「世の中には救いようのない者もいます。人の『優しさ』を『弱さ』に、『規律』を『無駄』に、『礼節』を『陳腐』と見る。奪うことに何の恥や罪悪感を持たない、人の皮を被った畜生未満も、残念ながら存在します」
「まあ、そーだな」
苛烈な言葉と穏やかな口調。
ひどく乖離したそれが事実であることは、フェルトもよく知っている。
──常識や品性は、無い者からすれば当然で、何の恥や躊躇いもなくそれをしてみせます
──ですが、有る者からすれば、気持ち悪いことこの上ないんです
以前、アリーゼから言われたこと。
着飾ったドレスも、身につけるべき作法も、それらは全て、フェルトが王選で自分の意思を伝え、勝ち残るために必要だからだと。
それと同じことを、別の観点から、フェルトは再度突きつけられている。
「きちんとした教育を受けていれば、良識は持てずともある程度の自重を覚えることで秩序が保たれます。ですが、教養のない者はそれがありません。そうなった場合、割を食うのは正しい者たちです。──想いやりを持ち、規律を守り、礼節を重んじる。そんな彼らが害されるのはあってはならないことだと、理解していますね?」
「ああ。その見極めは、アタシも怠るつもりはねーよ……ラチンスたちに関しては、大丈夫だと思うぜ」
あの場で了承したラチンスたちだが、おそらくそれはひっくり返るだろう。
聞いた話によれば、彼らは仕事でヘマをやらかして上役の怒りを買い、追っ手から逃げていたとのこと。
そんな切迫した状況で、まともな判断ができるはずもない。行き当たりばったりで選んだ道など、頭が冷えれば容易に変わる。
今晩か、明朝か、三人は逃げようとするだろう。それは構わない。
爺や、婆や、アリーゼの護衛。交代で警戒する彼らが、それを許さないだろう。三人が逃亡を諦めてから、明日の朝食後にでも、ゆっくり話し合いの機会を持てばいい。
だがそれ以上──例えば屋敷から何か盗んでいこうとするならば、フェルトも容赦するつもりはなかった。
盗みが良い悪いという観点ではなく、恩を仇で返すような奴は、味方になんてなり得ない。陣営にいても害にしかならない。
「明日の朝には、ちゃんと決着つけるさ」
だが、フェルトは話し合いができると──ラチンスたちが一線を越えないだろうと。そう想定していた。
三人への勧誘は偶然に為されたものだが、誰でもよかったわけでもない。
ガストン、ラチンス、カンバリー。
彼らは貧民街の住民らしく品もなく、育ちと性格の悪さが滲み出ている。行き当たりばったり過ぎる人生を歩んできた、向こう見ずで考えなし。
そんな三人を、フェルトが誘うに値すると決めた理由はたった一つ。
貧民街にありながら、義理人情を忘れていないということ。
大切にできている、ではない。貧民街では、そんな綺麗事ばかりでは食いものにされるだけで、生きていけない。
フェルトだって盗みで生計を立てていたのだから、偉そうに非難できる立場でもない。
けれど、彼らは義理人情を忘れているわけではない。
三人のうち誰かがポカをやらかして、周囲が敵だらけになったときでさえ、残りの二人が見捨てることはなかった。
絆か恩かは知らないが、彼らはそれを守り続けている。フェルトはその姿を、過去に何度か見ていた。
その一点において、まだ変われると。
フェルトが今こうして王選候補になっているように、『正しい努力の方向性』を知れば、真っ当に生きていけると。
彼女はそう思い、三人を誘ったのだ。
「ええ、お願いしますね」
アリーゼの微笑みは、変わらず穏やかなままだったが、フェルトは肩の力が抜けたのを感じた。ひとまず今回の選択に、一定の理解は得られたらしい。
安堵の息を漏らしたフェルトに、アリーゼの声が滑り込む。
「では夕飯にしましょうか。今日はお祝いと労いを込めて、婆やが腕によりをかけて作ってくれたそうですから」
「おう。婆ちゃんの最後の晩飯だ、腹いっぱい食わねーとな」
王選が始まったばかりの今日。様々な出来事に疲れたフェルトは、うまく話を切り上げられ、肩の力を抜かされていたことにも気づかず、ただ夕飯を楽しみにするのだった。