「いやぁ、よくよく考えたら俺の勘違いだったわ。寝起きの頭で考えんのはよくねぇな」
エミリアたちの会議を盗み聞き、『緑部屋』に戻ったスバルは、あっけらかんと言う。
彼女たちと話してきたにしては早すぎる帰還を誤魔化すには、そうするしかなかった。
そんなスバルに、アリーゼがくすりと笑った。
「アリーゼさん?」
「何か面白いことがあったかしらあ?」
スバルとメィリィが、同じように首を傾げる。
「ホウレンソウですよ、メィリィ」
「……あー、そおゆうことねえ」
未だ理解に至らないスバルとは対象的に、メィリィはその一言に納得を示した。
「ホウレンソウって、報告・連絡・相談ってあれか?」
「ええ」
異世界にもホウレンソウがあることに、スバルは妙な感心を覚えた。そしてそれが面白いに繋がった理由は、メィリィが説明してくれた。
「砂丘に入った日にお兄さんが言ってたのよお。『別に思いつきで喋っても怒らない、むしろそっから糸口が見つかるかもしれない。このことは自分の胸の中だけに仕舞っておこうなんて、それで状況が好転したことは一回もない』って」
「あ……」
穏やかに微笑むアリーゼと、大人っぽく意味深に笑うメィリィ。二人のそれは、スバルの嘘を優しく、けれども容赦なく暴いた。
「お、俺は……」
絞り出した声は、ひどく震えていた。
言わなくては、話さなくては。
だって、見抜かれているのだ。その上で隠し事をしてしまえば、彼女たちに信頼されることなんて──
「いいんですよ、スバルさん」
「え?」
取り繕う言葉を探すスバルに、アリーゼはそっと声を掛ける。
そして、スバルの心に根を張る強迫観念を吹き消すように微笑んだ。
「何かあったことは、分かります。その程度の嘘、見抜けないわけもありません」
驚き、口の塞がらないスバルにアリーゼは「ですが」と続ける。
「その嘘を暴こうとするつもりも、ありません。ここでくらい、のんびりしても大丈夫ですよ」
「ぁ──」
喉が詰まり、熱いものが込み上げてくるのをスバルは寸前で堪えた。
目頭を押さえて背を向け、震える口を大きく開くと、
「あー! やっぱり、ここは変な部屋してるなー!」
「はい、そうですね」
「これは男の子として、部屋の探検とかしないとなー。全然他の理由とかないけど、しばらく戻ってこないわー」
「いいと思いますよ」
涙を見られないように、スバルは虚勢を張り続ける。
そんなスバルの弱い強がりを、しかしアリーゼは優しく慈愛で包んで暴かない。
「じゃっ、ちょっくら歩き回ってくる……っ」
しゃくり上げそうになるのを必死に堪えて、スバルはその場を去った。アリーゼたちから離れ、室内を縦横無尽にのたくる蔦に、己を隠してもらいながら、
ナツキ・スバルは、声を上げず、ただ静かに涙を溢れさせた。
「スバルさん、蔦が付いていますよ」
『緑部屋』の奥に戻ると、アリーゼがそう言った。
「え、どこ?」
「いえ、そこではなく……失礼しますね」
あちこち髪を触るも外れているらしく、アリーゼはスバルの顔に手を伸ばした。
その手は、蔦を摘むことなく、スバルの眼前にかざされる。淡い青い光が発せられ、温かな何かが身体に染み入ってきた。
「はい、取れましたよ」
「これって……」
涙により腫れていた顔が治っている。感覚で分かるのだ、鏡を見ればその変化は一目瞭然だろう。
「治癒魔法、とかか?」
「ええ。僅かばかりですが」
つまり、さっきの蔦云々は方便だったと。スバルはその優しさに笑みが零れた。
「ごめんより、ありがとうだよな。こういうときは」
「どういたしまして、ですね」
「うん……メィリィも、ありがとな」
「どおいたしまして」
◆
一旦落ち着いたスバルは、どうすれば記憶を取り戻せるか相談した。
ここまではおおよそ予知夢で見た通りの進行。
ならばこの後は、エミリアたちが『緑部屋』に迎えに来て、三層『タイゲタ』の現場検証をするはず。結果、何から手を付けていいのか分からず、収穫もない。ただ魔獣の襲来を待つだけになってしまう。
未来を変えたいなら、今を変えるしかない。
魔獣の襲来は告げていない。
根拠を説明できないという事情もあるが、スバルではどうにもできない事態も『ナツキ・スバル』ならどうにかできるのではと思い、そちらを優先することにしたのだ。
「──『タイゲタ』の書庫にあるはずの、レイド・アストレアの本」
そして、予想外に答えが返ってきて、むしろ驚いてしまった。
「えっと、そのレイドってのは、二層の試験官で合ってるよな?」
「ええ。私たちの祖先である初代『剣聖』レイド・アストレア。その『死者の書』が、記憶喪失の原因である可能性が高いと思われます」
「理由を聞いてもいいか? あ、いや、本を探すのに反対っていうんじゃなくてだな、どうしてレイドの本を探すのか分からなくて。それに……」
「──そもそも、レイド・アストレアの本は本当にあの書庫にあるのか、ですか?」
スバルの疑問、その後半をアリーゼが引き継ぐ。
そのまま、アリーゼは長い睫毛に縁取られた瞳で頭上を仰ぐ。天井の向こう、その先にあるだろう二層を覗き見るように。
「信じ難いことですが、史実に名を残した英傑、レイド・アストレアは二層で『試験』と称して私たちを試しています。偽物という線もないでしょう。あれほどの剣力、ラインハルトを除き、見たことがありませんから」
「ラインハルトってーと?」
「私の弟で、当代の『剣聖』です。人類の到達点であり、世界最強の男ですよ」
「身内の贔屓ってわけじゃないんだよな?」
「ええ。アナやエミリア様に聞いても、同じ答えが返ってきますよ」
アリーゼの誇張し過ぎなほどの評価を、隣にいるメィリィも否定しない。そう言えば、『ナツキ・スバル』と共に無敵の『強欲』を倒したのがその弟だと思い出し、ひとまずの納得に至る。
となると、問題は最初に戻り、
「レイド・アストレアは確かに死んでるけど、二層にいる試験官も本物。そのカラクリを、アリーゼさんは分かってる?」
「あくまで予想ですが」
「じゃあ……!」
「それを話す前に」
前のめりになるスバルを、アリーゼが遮る。
「私の推論を聞いた場合、それをエミリア様たちに共有し、一人で『死者の書』を探さないと。約束していただけますか?」
「そりゃ、そうするけど……」
「そうですか」
「アリーゼ、今のは説明が必要よお。なんでお兄さんにそんな事言ったのお?」
変わらず、傍観者に徹する立場にあったメィリィがそう訊ねる。
「メィリィは、その理由がよく分かっていると思いますが」
「わたし? ……あー、そおゆうことねえ」
得心がいったというメィリィが、スバルに流し目を送ってくる。
「な、なんだよ」
「お兄さん、疑われてるのよお。私たちのこと、信じてないんじゃないかって」
「──っ」
その言葉の孕んだ毒に、スバルの喉が引き攣る。
「スバルさんも感じているかもしれませんが……」
そこに、アリーゼが優しく、目を逸らしていた事実を流し込んでくる。
「アナやユリウスたちは、スバルさんを完全に信じることはできません。今までの積み重ねを失った貴方を、信じる根拠がない──ですが、スバルさんだって、エミリア様やベアトリス様がどれだけ親身に接してくれても、それを信じ切れていないでしょう?」
つまり、そういう事だ。
エミリアやベアトリスがどれだけ優しく、スバルを想ってくれていても。
何か裏があるのではないか。『ナツキ・スバル』でない自分は、本来ならいないはずの自分は、いつか切られるのではないか。
そんな考えが脳裏を
「信じ切れないのはお互い様ってことか……」
「はい。私も、スバルさんが善良であることは疑っていませんが、信じているかと言われれば頷くのは難しいです」
「……なら、歩み寄って、信頼を積み重ねていくしかない」
そういう意味で、弱さを許され、涙を見ないふりされたスバルは、アリーゼとメィリィ──特にアリーゼに寄りかかり、信頼している。
面と向かって「信頼してない」と言われても、揺るがないほどに。
「できるのお、お兄さん?」
「やるよ。エミリアちゃんにベアトリス、ほかの皆にも、信じさせてやる」
「それならいいけどお」
年相応で可愛らしい容姿とは裏腹に、メィリィは大人っぽく笑う。
「メィリィ、スバルさんにばかり言っていますが、貴女もですよ」
「わたしい?」
「ええ。私だけでなく、エミリア様たちとも話してきなさい?」
「わたしは別に困ってないわよお?」
「今はそうでも、後に困りますよ。塔の攻略が終われば、エミリア陣営に戻るのでしょう?」
メィリィがあからさまに不機嫌な表情になる。ぷいっと目を逸らして足をパタつかせた。
「平気よお。私がいなかったら砂丘を越えられなかったんだしい、恩赦でアリーゼのところに行かせてもらうわあ」
「それは構いませんが、その場合アナやユリウスと仲良くする必要がありますよ」
「……騎士のお兄さんと商人のお姉さんだけよお」
不承不承ながら歩み寄りの姿勢を決めたメィリィ、その頭をアリーゼが撫でる。全力で「私不機嫌です」とアピールしている少女だが、それも長くは続かない。徐々に態度が軟化している。
アリーゼはその変化を微笑ましそうに、手を外す。またもやムッとするメィリィから、スバルに向き直った。
「話を戻しましょうか。レイド・アストレアの『死者の書』、スバルさんが記憶をなくした理由は幾つか考えられますが、その中ではこれが一番可能性が高いかと」
「聞かせてくれ」
予知夢では誰も辿り着かなかった、スバルの記憶喪失の原因。
スバルの要望に、アリーゼは「まず前提として」と始めた。
「スバルさんが倒れていたのが三層『タイゲタ』。記憶喪失は、その書庫が原因である可能性が高い。そして、さらに具体的に可能性を挙げていくと四つ」
アリーゼが人差し指を立てた。
「まずは私たちの知らない塔の罠があり、スバルさんが意図せずそれを踏んだ。もしこれだった場合、探しようがないため一旦除外します」
続いて中指を立てる。
「次に、魔女教の大罪司教、『暴食』に記憶を喰われた可能性。これも今までの被害者と症状が違うことと、記憶を喰った今も『暴食』が隠れる理由もないため除外」
薬指、
「三つ目が『死者の書』。スバルさんが偶々知り合いの本を読み、精神が耐えられずに崩壊、結果として記憶喪失になった。もしくはスバルさんの中で人格が乗っ取られそうになってるのを、失くした分の記憶が必死に食い止めてる最中など……これも可能性としてはありますが、調べる手掛かりがないため横に置きます」
そして最後、小指を立てた。
「そして最後、二層攻略に行き詰まっていたスバルさんが、その攻略のためにレイド・アストレアの『死者の書』を見つけ、その本の空白に
「記憶を落っことした……」
そのワンフレーズを繰り返すも、理解はできない。
理解が及ばなかったのはメィリィも同じなようで、「アリーゼ、説明」と微妙に拗ねた様子で袖を引っ張っている。
「この世界では、死んだ者の魂はオド・ラグナに還り、それまでの人生で培った『記憶』や『経験』が魂から剥ぎ取られる。そうして完全に無の状態になった魂が、オド・ラグナによって再び世界へと還元、新たな生を受けるとされています──ここまでは大丈夫ですか?」
「そうなんだとしか言えねぇけど、一応理解はした」
「私たちも言い伝えとしてしか知り得ませんから、問題ありませんよ。その仮説が正しいとして、剥ぎ取られた『記憶』や『経験』は何処に行くと思いますか?」
「──あ、そういう」
「メィリィ、分かったのか?」
「ええ」
思わせぶりに微笑むメィリィに釣られて、スバルは頭上を仰ぐ。
天井の向こう、その先にあるのは、レイドの待つ二層『エレクトラ』。そして死者の人生を追体験できる『死者の書』が蔵されている三層『タイゲタ』──
「──ぁ」
分かった。理解した。そういう事だったのだ。
「『死者の書』は、単に死者の人生を記録した本じゃなく、死者から剥ぎ取られた『記憶』や『経験』が書物として保存されたもの」
「ええ。そしてそれは、レイド・アストレアの正体に繋がる。二層にいる彼は生きた本人ではなく、『死者の書』に残された『記憶』や『経験』を元に作られた存在。そう考えれば、四百年前の人物が試験官として存在していることとも辻褄が合います」
「そんでその空白になった本の隙間に、俺が記憶を置き忘れたと」
「言い伝えに仮説を重ねた、あくまで可能性ですが」
念を押すアリーゼだが、これ以上の理論なんて思いつかない。何より手掛かりが全くなく、藁にもすがる思いだったスバルにとって、これ以上ない希望だった。
「よしっ、それじゃあ早速エミリアちゃんたちに話して、三層のタイゲタに──」
意気揚々と立ち上がり、このことを共有しようとしたスバルだったが──、
──唐突に、その意識が途絶えた。
「──困るんだよなァ。お前の所為で、ナツキ・スバルが絶望しないじゃないカ」
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