騎士宣言をしたナツキ・スバルは、『最優の騎士』ユリウス・ユークリウスによって完膚なきまでに言い負かされ、主であるはずのエミリアからも「私の従者ではない」と告げられた。
彼は騎士団長・マーコスの勧め──という名の助け舟により、退室した。
「それでは少々の騒ぎはありましたが、最後にフェルト様、貴女の主張と立場をお聞かせください」
「はい」
賢人会の代表、マイクロトフの要請に、フェルトが前に出る。ラインハルトも近衛騎士の列から歩み出し、その隣に並んだ。
だが、フェルトは口を開くことはせず、並び立った騎士ラインハルトに視線を向けていた。
「──」
彼女は声を発することなく、双眸に強い光をたたえて己の騎士を見詰めていた。礼儀のなっていない浮浪児ではない、お行儀のいいお嬢様でもない。強い意志を宿した顔だ。
ラインハルトの唇が意図せずほころび、目が親しみに細められた。
──姉上には怒られるかもしれない
──けれど、姉に似た強さを持つ彼女を、拒否することはできなかった。
「全ては我が主の御心のままに」
一切の計算も打算も忘れて、ラインハルトは笑顔で頷いた。
フェルトの唇が三日月に歪む。それは淑女としても笑みではなく、年相応の、悪ガキとしての笑みだった。
ドレスの裾を持ち上げ、ファサファサと数度揺らす。足を崩して、首筋に手を当てると、ゆっくりと首を回す。
「あー……やっぱ、堅苦しいのは苦手だ」
先程までの淑女然とした様子からは想像もつかない乱雑な口調に、広間が呆気にとられる。
呆気が過ぎ、嫌悪に変わる寸前、フェルトは腰に左手を当てて、口を開いた。
「わりーな、爺さんら。あんな堅苦しい喋り方じゃ、まともに話せねーもんで。楽にさせてもらうぜ」
「ふぅむ。確かに今のフェルト様の御心を聞くには、素の話し方のほうがよろしいでしょう」
「いいな、話が分かる爺ちゃんは嫌いじゃないぜ」
割とぎりぎりの態度と発言ではあるが、あのマイクロトフの好々爺とした笑みに、周囲の棘も抜かれていく。
フェルトはそうと意識してはいないが、浮浪児としての図々しさと貴族教育の品性が合わさり、適度な生意気さに進化を遂げていた。
「それでは改めて、フェルト様から何かありましたら」
「それじゃ、一個だけ」
フェルトは場内にいる顔ぶれを見渡す、その赤い瞳が
一息、それから彼女は言い放った。
「──アタシは貴族が嫌いだ」
爽やかな笑顔で、賢人会を示すように手を広げる。
「──アタシは騎士が嫌いだ」
その笑顔を維持したまま、今度は近衛騎士団を指し示す。
その態度に、再度広間の時間が停止する。
「──ただ」
観衆から怒鳴り声が上がる寸前、またもやフェルトが先んじて口を開いた。
「アタシらからすれば、偉そうにしてるだけのアンタらが……今日の飯のことしか考えられなかったアタシじゃ、想像もできねえくらい色んな事を考えて、やってきたんだって、少しは理解した」
しみじみとした声音に、そして「今日の飯」という言葉の重みに、観衆の口が縫いつけられた。
「だからアタシが作るのは、もう少し『マシな平等』だ」
「マシな平等、ですか。平等を作ろうとは仰らないのですね」
「何言ってんだアンタ」
マイクロトフの問い掛けを、フェルトは考える素振りも見せず一蹴した。
「ここにいるアンタら貴族が、アンタら騎士が、そして今のアタシが、不平等そのものだ。平等なんて作れるわけねえだろ」
それは、先ほどユリウスがスバルに語った『人は生まれながらに器がある』という論理とは全くの別物で。
けれど、不平等という現実から目を背けない点だけは、どこか似通っていた。
「アンタら上の奴らは、下の……貧民街の事なんてよく知らねえだろうし、何なら『怠けてる』とすら思ってるかもしんねえけど……アタシたちはアタシたちなりに、努力はしてるんだぜ?」
おそらくこの場では、フェルトにしか語れない真実だった。
「アタシらが出来るまっとうな仕事なんて、屠殺場の雑用か下水の掃除かそんくらいだ。しかも丸一日働いて、その日の飯が食える程度の金しかもらえねえ──だから、間違ってると分かってて、でも生きるために努力するんだ」
フェルトの台詞は、この場にいる殆どの者が理解できない。
「捕まらねえように盗みを働く努力、アイツは手ぇ出しちゃダメな奴だって見抜く能力、余所の縄張りに関わらない能力とか、色々な」
言葉の上では把握できても、彼らが積み上げてきた常識がそれを否定する。
「だからアタシは、それを壊してやる。上を目指す覚悟のあるヤツが、正しい努力の方向性を知れるように。正しい努力をしようとする奴らが、買い叩かれて、潰されねえように」
フェルトはそう言葉を切ると、視線を後ろに向ける。アナスタシアがはんなりと、穏和に笑う。
フェルトが視線を移す。白を基調とした制服の集団、近衛騎士の最前列でフェリスがひらひらと手を振って応じる。
フェルトが少しだけ視線をずらす。その先にいた一人の近衛騎士が、胸に手を当てて会釈した。
この場において、その言葉に理解ができる3人を、フェルトは順繰りに見た。
そしてまた、正面に向き直る。
「アタシはこの国に、少しだけ『マシな平等』を作ってやる。そんで足元見えてねえ節穴連中はまとめて叩き落として、少しは風通しを良くしてやろーじゃんか」
晴々しい顔つきでそう述べる彼女に、場内から反論の気配はない。先の候補者たちに劣らぬ器を見せつけたフェルトに、場内が静まり返る。
「ふぅむ。フェルト様のご意見は分かりました。では、騎士ラインハルト。御身からは何かありますかな」
マイクロトフは鷹揚と頷き、それから彼女の隣に立つ騎士へ水を向ける。
「フェルト様のお言葉は、残念ながら今はまだ個人の思想──夢物語の類です」
「おいこら」
「ですが、王国内でも少しずつ改革が進んでいるのも事実。我がアストレア領での育成施設や、マーコス団長による騎士団の実力主義、さらには近衛騎士初の平民登用など。その趨勢の中で、フェルト様が竜の巫女──王の資格を示した」
「それもまた、運命の導きであると」
ラインハルトの言葉を先んじて、マイクロトフは告げる。
「その通りでございます」
深々と腰を折って、揺るぎない態度で応じるラインハルト。その騎士の振る舞いを横目にしながら、フェルトは嫌そうに顔をしかめた。
「……お前は運命の奴隷かよ」
「いいえ、僕はフェルト様の騎士です」
「……なら、いーや。アタシの夢物語のために、こき使ってやるよ」
その受諾を以て、ここに王選候補者最後の主従の演説が終了した。
並び立つ王候補者たちを眩しげに見つめて、マイクロトフが静かに顎を引いた。
「では、改めて賢人会の同志に問いましょう」
瞑目するマイクロトフの雰囲気が変わる。老人の声色が、強い意志の力を帯びた。
「──此度の王選、これまでの五名の方々を候補者とし、開始を宣言されたし。同志たちの賛同を求めます」
「──賢人会の権限において、賛同いたします」
「同じく」
「同じく、賛同しよう」
マイクロトフの提言に賢人会の面々が頷きで応じ、それを見届けたマイクロトフが席から立ち上がった。そして彼は空の玉座のすぐ脇に立ち、目を見開いた。
「──では、これより王選のルールを提言する!」
「候補者はクルシュ・カルステン。プリシラ・バーリエル。アナスタシア・ホーシン。エミリア。フェルト。以上五名、いずれも竜の巫女の資格を持つ方々とする!」
「期限は三年後、竜との盟約が更新される、親竜儀の一ヶ月前である本日とする!」
「選出は全国民の総意をもって、竜珠の輝きと竜の導きによって定められる!」
「各人は王として即位される日まで、己の領分の及ぶ限り王国の維持に務まれること!」
「以上を最低限の条約として、王選の開始をここに宣言する──!」
マイクロトフが声を大にして叫び、広間がすさまじい熱に包まれる。
声はない。だが、誰もが心の叫びを抑えきれずにいる。
その熱の余波を背に受け、マイクロトフは折った腰を伸ばして口を大きく開き、
「これより──王選を開始する!!」
◇◇◇
王選開始の宣言後、フェルトは広間から会議室に場を移して今後の詳細な説明を受け、屋敷へと帰宅した。
だが、一仕事終えた彼らの表情は、決して晴れやかなものではなかった。
彼らは、練兵場にて行われる模擬戦──ナツキ・スバルが、ユリウス・ユークリウスにより打ちのめされる姿を見ていた。
「──そうですか」
全ての顛末を聞き終えたアリーゼは、短く頷いた。
「フェルト様、ラインハルト、お疲れ様でした。お父様は今日遅いようですし、少し早いですが夕食にしましょうか。婆やと一緒に、2人の好物を用意したんですよ」
暗い雰囲気を振り払うよう、アリーゼは穏やかに言う。
意気揚々とフェルトが立ち上がり、アリーゼもそれに続く。だが、ラインハルトは動かなかった。
「ラインハルト、どーしたよ」
訝しく思ったフェルトが問い掛ける。
「──」
ラインハルトは口を開いては閉じ、開いては閉じ、と2回繰り返して、ようやく声にすることができた。
「今日の決闘……スバルはフェリスの治療により完治したとはいえ重傷を負い、ユリウスもおそらく何らかの処分を受けるでしょう」
「そうだろーな」
「……ユリウスの行動は、仕方なかったと思います。経緯はどうあれ、スバルが騎士を侮る発言をした事実は消せない。ユリウスによる私闘がなければ最悪の事態もあり得たでしょう」
フェルトも『最優』の名にそぐわない私闘の意義を理解した。その隣ではアリーゼも無言で同意を示している。
「ですがスバルは……あの決闘で何も得ていない。ただ無為に傷付き、失っただけ」
言葉を切って、ラインハルトは小さく頭を振った。
「……あの時、僕は結局何もできなかった」
ラインハルトも分かってはいる。
あの状態で下手に手を出せば、決闘に水を差した、助けられた、とスバルの惨めさが加速するだけだ。
あの場における最善は、スバルの心が折れるか、体が折れるかで決着がつくことだ。
ラインハルトは正しいことをした。
けれど、結果はまるで正しくないように思えてしまう。
アリーゼとフェルトは顔を見合わせる。口を開いたのはフェルトだった。
「お前は本っ当に真面目の加減がヘタクソだな」
驚いて顔を上げるラインハルトに、フェルトは金髪を乱暴に掻き、腰に手を当てて言い放つ。
「兄ちゃんが勝手に自爆して、勝手に勘違いを叩き折られただけだ。お前が責任感じる必要なんて微塵もねえ」
「……」
「それに、あの決闘が罰になっただろうし、悪い事ばっかじゃねーよ」
「罰、ですか?」
「そーだ。兄ちゃんだって、売り言葉に買い言葉、引っ込みがつかなくなってたろ。そこまで行くと自分じゃ認められねーから、罰を受けてようやく止まれるんだよ」
「なるほど……」
深く、ゆっくりと、頷くラインハルト。
そこに、パチンと手を叩く音がした。
「お喋りはここまで。せっかくの料理が冷めてしまいますし、早く食堂へ向かいましょう」
アリーゼがそれまでの空気を一新し、フェルトはご機嫌に鼻を鳴らす。
その光景を見て、ラインハルトの表情からようやく影が消え、いつもの穏やかな『剣聖』の微笑みが戻るのだった。
フェルトとラインハルト、2人の好物が並んだ食卓。
「そーいやさ」
肉を咀嚼し終えたフェルトが言う。
「フェルト様、どうかなさいましたか?」
「演説ん時、あの3人はちゃんと反応してくれたぞ」
「それはよかったです」
フェルトが演説の際に目を合わせた3人。
最下層出身でありながら、その商才で数少ない好機を掴み、成り上がったアナスタシア。
貴族生まれだが、亜人の見た目から幼い頃は監禁生活であり、クルシュに救われたことで『青』にまで成長したフェリス。
アストレア家の騎士・衛兵養成所出身の、近衛騎士団初の平民登用された騎士。
そのいずれも、フェルトがアリーゼから伝えられていた成功者だ。
「彼らはフェルト様の仰る『マシな平等』の貴重さや難しさを、最も理解できる方々ですから」
「だろーな」
フェルトは、自分には他の候補者のような王の器は、少なくともまだないと思っている。
だからこそ、同じような環境から成功した彼らを利用させてもらった。
「フェルト様の主張は、その場にいた多くに爪痕を残したと思いますよ」
「だといいなー」
アリーゼの微笑みに、フェルトは軽く応じてから、目の前の肉に意識を戻した。
その後もラインハルトによる、王選の場でのフェルトの振る舞いへの賛辞。
アリーゼとロム爺からの称賛と労い。
夕食の席は、賑やかに進んだ。
そして、皆が食べ終える頃に、ラインハルトがこう切り出した。
「姉上」
「ラインハルト、どうしたの?」
「明日、少しだけ屋敷を外してもよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
「……まさかとは思うけど、慰めに行ったりはしねえよな?」
「スバルの所へは行くつもりですが、慰めはしませんよ。ただしばらく会えなくなる友人に、別れを告げてこようかと」
「それならいーけどよ」
「ラインハルト。私も朝食後ユリウスの所へ向かう予定だし、送ってもらえるかしら?」
「もちろんです」
「なんでアリーゼがあの騎士様に……て、そうか。婚約者か」
「ええ。悪い騎士様と、少しお話してきますね」
「いってらー」
ひらひらと手を振るフェルト。王選での疲れと解放感、そして食後というタイミングが合わさってか、ひどく眠そうだ。
「フェルト様も、
「おー……婆ちゃん、明日朝起こしてくれよ」
「かしこまりました」
「爺ちゃんも、明日は頼むぜ」
「──」
フェルトはアリーゼからの頼みに緩く答えて、爺や・婆やにそう頼んだ。