アストレア家の長女   作:slo-pe

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何もない自分

 

 

 王選開始の翌朝、婆やに起こされたフェルトは、身支度を終えて部屋を出る。普段なら食堂に向かうところだが、今日の彼女は屋敷の庭へと向かった。

 

 緑の芝生と色とりどりの花が咲いた花園、そんな和やかな雰囲気の庭の芝の上に、仲良く転がされて重なる3人の男の姿があった。

 あまりいい柄の風体ではない彼らは、目を回して轟沈している。そんな3人を、爺やが無表情に見下ろしていた。

 

「爺ちゃん、あんがとな。助かった」

 

 芝生を踏んで、三人組の傍に立ったフェルトが礼を言うと、爺やは深く頷いた。

 フェルトは爺やから三人組へ視線を移し、その表情に呆れを浮かべた。

 

「お前ら、朝飯も食ってねえのに、そんな焦って、爺さんに何度も転がされて、目え回んねーの?」

「う、うるせえ、馬鹿にしやがって……」

 

 と、フェルトの視線を受け、最初にそんな憎まれ口を叩いたのは目つきの鋭い男だ。

 芝生の上に転がった男たち、大・中・小の背丈が揃った三人のうち、中肉中背、一番の強い顔つきをした人物、その名前は──

 

「馬鹿にしちゃいねーよ、ラチンス。むしろちょっと感心した。そんだけ転がされてまだやろうって気概があるなんてな」

 

 褒めているのか貶しているのか微妙な台詞に、ラチンスは苦い表情になった。

 

「あ、あの爺さん、どうなってやがんだ。掴んだと思ったら目の前から消えてたぞ」

「オイラにゃ、ガストンが一人で飛び跳ねてすっ転んだように見えてたぜ?」

「そんな頭おかしいことするわけねえだろ……」

 

 力なく言葉を交わすのは、大男のガストンと小男のカンバリーだ。ラチンスと比べると血の気は薄いが、3人で揃えばちょうどいい塩梅といったところか。

 なんにせよ、彼らの反省会には大いにフェルトも頷ける点がある。

 

「わかるわかる。アタシも運動不足解消で鬼ごっこやらされたけど、爺ちゃんには散々やられたかんな。でも、勘違いすんなよ。あれで爺ちゃんが一番優しい。婆ちゃんとラインハルトの方がよっぽど容赦ねーよ。特にラインハルトの奴は最悪な。アイツ、人の心を折りにきやがるから」

「お、おう、そうか……」

 

 滔々と苦労話を語り始めるフェルト。

 

「……つか、テメエ、オレたちに文句とかねえのかよ」

 

 フェルトの顔を見上げながら、芝生に胡坐を掻くラチンスが聞いた。

 

「文句? アタシが? なんで?」

「なんでって……オレらは逃げようとしてんだぞ」

 

 バツの悪い顔をして、正直に話すラチンスにフェルトは苦笑した。

 

「お前らが逃げようとすんのは予想してたしな。アタシだって、まさか昨日のあんなみじけー話し合いでお前らと打ち解けたなんて思ってねーし」

 

 三人組の顔をそれぞれ眺めて、フェルトは細い肩をすくめた。

 

 ラチンスたち三人を陣営に迎え入れる。──それはフェルトが決断したものとしては、最初の一歩だ。

 昨日、王城からの帰路にて古巣の盗品蔵へ立ち寄ったフェルトは、その跡地で三人組と遭遇した。彼らはフェルトに刃物を突き付け、金を出せと脅してきたが、本当に相手が悪かった。

 その場にいたラインハルトに一瞬で叩き伏せられ、本来なら三人はそのまま衛兵に突き出されていただろう。それを止めて、フェルトは彼らに手を差し伸べたのだ。

 やむにやまれぬ事情があったとか、同情心からの行動だとかではない。王城で宣言した『マシな平等』の決意表明として彼らを誘っただけ。

 そのために彼らを屋敷へ連れ帰り、改めて事情を打ち明け、協力を約束させたのだが──

 

「頭が冷えたら考えだって変わんだろーよ。アタシだって貧民街育ちなんだぜ? あそこで暮らしてた奴らの性根なんて見え透いてるって」

「あれ? ひょっとしてオイラたち褒められてなくない?」

「ひょっとしなくても褒められてなんかねえよ。ざけやがって……」

「負けん気がつえーのはいいけど、どうせ逃げようとしたのも考えなしだろ? そもそもお前ら、昨日の感じだと誰かに追われてるみてーだったじゃんか」

「ぐ……っ!」

 

 仕事でヘマをやらかして上役の怒りを買った、確かそんな具合の話だったはずだ。

 つまり、フェルトの下から逃げ出したとしても、結局はそのケジメからも逃げ続ける必要があるので、根本的な解決には全くなっていない。

 

「ど、どうする?」

「どうにかなるとオイラは根拠もなく思ってた」

 

 やはり、当てはなかったらしい。

 そういう向こう見ずなところも実に貧民街の住人だ。その中でも、ちょっと考えなしがいきすぎている気はするが。

 

「アタシから言えることは多くねーよ。ただ、条件反射で逃げちまおうってするよりかはここの方がマシだぜ。別に、何でもかんでもアタシの言うこと聞けって言わねーし」

「……だけど、それじゃお前は損するばっかりじゃないか。お前が貧民街育ちだっていうんなら、それこそ見返りもないのに手を貸す理由が思いつかない」

「アタシが手ぇ貸す理由か」

 

 低い声でこぼして、ガストンがじっとフェルトを見つめる。ラチンスとカンバリーも同じようにフェルトを見ていて、その視線に彼女は頭を掻いた。

 

「ガストンの言う通りだ。何にも見返りがねえのに手ぇ貸すなんてありえねえ。そんなんで信用しろなんて言われて、捨て駒扱いされるって思わない奴がいるかよ」

「アレ? でも、昨日は信じてみてもいいかもってラチンス言ってなかったか?」

「ちょっと黙ってろ、カンバリー」

 

 余計なことを言ったカンバリーがガストンの掌に顔を掴まれる。強制的に黙らされるカンバリーを背後に、ラチンスはなおもフェルトを睨んで、

 

「テメエは何が目的だ? 本当のところ、オレたちに何させてえんだよ」

「……アタシが企んでんのは、昨日話したことが全部だよ」

 

 疑惑の眼差しに、フェルトは片目をつむった。

 昨夜、同じような質問をしてきたラチンスたちに、フェルトはやはり同じ答えを返した。真摯に訴えたわけではない。ただ、一緒にやらないかと誘っただけだ。

 

「王城で『マシな平等』って宣言したんだ。だから、その帰りに偶々因縁ふっかけられたお前らを誘ったんだ」

 

 ラインハルトに言わせるなら、運命の導き、というやつだ。フェルトはその言葉が嫌いなので絶対口にはしないが。

 

「それでお前らが不安なのは……自分の役目がわかんねーからか」

 

 その一言に、ラチンスの表情がさっと変わった。それを見て、ガストンとカンバリーがラチンスを案じるような視線を送る。

 おそらく、この三人組で何かを決断することが一番多いのはラチンスだ。ただ、一番揺れやすいのもラチンスで、あとの二人はそれをうまく支えている関係。

 そうして三人でやってきた彼らには、自信がないのだ。

 

 誘われた経緯はただの運で、絶対にお前たちが必要だと求められたわけでもない。ましてや貧民街で燻っていた日々がある。──彼らには、自分が選ばれる理由がわからない。

 自分たちに誇れるものがないと、誰より自分たちが理解しているから。

 

「安心しろよ。何していいのかわかってねーのはアタシもおんなじだから」

「あ?」

「言ったじゃねーか。アタシは貧民街育ちで、2ヶ月前いきなり王様候補ってことにされてんだぞ。これでやることなすこと全部決まってますなんて言ったら化け物じゃねーか。化け物なのはアタシの騎士で、アタシじゃねーの」

 

 そのラインハルトも、身体能力的には化け物だが、他の面は色々と頼りない。

 

「だから、お前らにいきなりビシバシ働けとか言えねーし、言わねーよ」

「じゃ、じゃあ、どうしようってんだよ」

「それをこれから考えよーぜって話。色々勉強しなきゃなんねーし、かったるいこと間違いねーけど……何にもない自分ってヤツは捨てられるかもしんねーぜ?」

 

 何もない。そんな自分を持て余すのはフェルトも同じだ。だからせいぜい、同じ悩みを抱えたもの同士、あーだこーだと言い合いながら進めればいい。

 八重歯を見せたフェルトの笑みに、ラチンスたちが呆然と顔を見合わせた。

 

「──とは言えな」

 

 短く、鋭い一言。

 未だ結論の出せない3人の意識が、強制的にフェルトに向けられる。

 

「アタシもお人好しじゃねーから、やる気の無い奴を引き留めるつもりはねえ。次逃げるんなら、勝手にすればいい。爺ちゃんには止めさせねえ──ここに残るってんなら、これで最後だ」

 

 フェルトは毅然とした態度で告げた。3人は仲間同士で顔を見合わせることすらせず、ただ彼女に惹かれていた。

 

「……オイラ、お嬢に付き合ってもいいな」

 

 意外なことに、最初にそう言ったのはカンバリーだった。ガストンに担がれていた彼は芝生の上に降ろされると、フェルトの前で拳を固める。

 

「難しいことはわかんねえよ。けど、どっちがわかりやすいかはわかった。こっから逃げたってヤバいのはヤバいんだし、だったらさ……」

 

 カンバリーが振り返り、ラチンスとガストンの二人に頷きかける。

 

「やっぱ、考え直そうぜ。ラッセルの奴に頭下げて許してもらっても、もう絶対に小間使いって立場は変わらねえんだし、な?」

「……まさか、お前に説得されるなんてな。そんなもん、路地でボロ雑巾みたいになってたラチンスを拾ってきたとき以来だぞ」

「うるせえな!」

 

 苦笑いしたガストンの言葉に、ラチンスが噛みつくように吠えた。しかし、それは二人が肩の力を抜いて、カンバリーに賛同したことの表れでもある。

 天秤は傾いた。それがどっちに傾いたかは、十分わかった。

 

「……言っとくけどな、風向きが悪くなったらオレたちはいつでも逃げっからな」

「金目のもんもちょろまかしていくからな!」

「ケツまくって逃げるんならオイラたちより上の奴はいないかんな!」

 

 3人はそれぞれ力強く息巻いて、今度こそ、陣営入りを自ら決断する。フェルトはその答えに頬を緩め、それから腕を組んだ。

 

「言っとくけど、そうやって油断させても爺ちゃんたちは容赦しねーかんな」

「そ、そんなことしねえ」

「するつもりもねえ!」

「ちょっとしかねえ!」

 

 喋るほどにボロが出る。これもまあ、貧民街育ちの分かりやすい欠点だと笑っておこう。

 

 ……どうせ、アリーゼとラインハルトに叩き直されるのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

 フェルト陣営に所属することとなったトン・チン・カンの3人は、まず食堂にてハインケルやアリーゼ、ラインハルトたちへ正式な挨拶を済ませた。

 

 もっとも、朝食を同じ席で取るほどの立場ではない。

 彼らは昨晩与えられた部屋へ戻り、そこで朝食を済ませることになる。

 

 そして食後。昨晩からの気疲れと今朝の逃走劇の疲労、さらに先行きへの期待と不安がごちゃ混ぜになった結果、3人はそれぞれソファやベッドに転がっていた。

 

 コンコン、と上品なノックの音が響いた。3人がびくりと肩を揺らした瞬間、返事も待たず声も掛けずに扉が開かれた。

 

「げ……」

 

 アリーゼ・アストレア。この家の実質的な当主の姿に、露骨に顔をしかめたのはラチンスだ。

 彼はすぐに我に返ったが、もう遅い。

 

「ガストン、カンバリー」

「な、なんだよ」

「これは命令ではないのですが、ラチンスと2人で話がしたいので、席を外してもらえますか?」

 

 アリーゼからの依頼に、ガストンとカンバリーは顔を見合わせ、暫し視線を交わす。

 2人がラチンスを見やると、頷きが返ってきた。そして。

 

「断る」「嫌だな」

「おい!」

「だってこいつ、絶対ラチンスのこと折檻するつもりだぜ。お前『げ……』って言ってたしよ」

「違えよ! つーかそれなら、今お前も『こいつ』っつったんだから同罪だ!」

「え……あ!」

 

 ラチンスの指摘で自分の迂闊な発言に気付いたカンバリーは真っ青になる。

 

「悪ぃが2人きりにさせるつもりはねえ……ないです。こいつは俺たちの中で一番頭がいいが、ただその分一番揺れやすいんだ…です」

 

 ガストンは慣れない敬語に苦心していたが、その意志の強さは本物だった。

 アリーゼは彼らに再び依頼するのではなく、ラチンスに視線を固定した。2人の視線が絡むこと数秒。

 

「チッ……好きにしろ」

 

 折れたのはラチンスだった。あからさまに舌打ちをして、アリーゼから視線を外した。

 

「いい仲間を持ちましたね、ラチンス」

 

 アリーゼはそんなラチンスを咎めることなく、穏やかに、嬉しそうに微笑んだ。

 

 アリーゼとラチンスがソファにて向かい合う。ガストンとカンバリーは、少し離れたベッドに腰掛け2人を見ている。

 

「では改めて……久しぶりですね、ラチンス」

「……ああ」

 

 ガストンとカンバリーが驚愕する。ラチンスがいいとこの出なのは察していたが、あの『剣聖』の家系、その実質的な当主と知り合いだとは思ってもみなかった。

 

「いつ気づいた」

「引っ掛かりを覚えたのは昨晩。名前を聞いて、もしかしてと思いましたが……確信を持ったのは先ほど貴方の顔を見たときですね」

「やっぱりか……」

 

 ラチンスは自身の失策を呪った。昨日は表情を作る余裕があったが、今日はそれがなかった。

 だがそもそもの原因は、心の準備をする間もなく入ってきたアリーゼだ。最初から掌の上だったのだろう。

 

「面識のないラインハルトはともかく、お父様も薄々察していると思いますよ」

「……やっぱあれ気付かれてたのか」

 

 先ほどの挨拶で、ラチンスの顔を見たハインケルは、ほんの僅かに目を細めていた。

 一瞬だったため気の所為だと思うことにしたが、やはり気付かれていたのだと理解した。

 

「彼らに、どこまで明かしても?」

「好きにしろ、どうせお前と関わりあるって時点で大して変わんねえ」

「そうですか──では、ラチンス・ホフマン。ルグニカ王国にて代々王族指南役を務めてきた名門・ホフマン家の嫡子である貴方に命令します」

 

 ガストンとカンバリーは、開いた口が塞がらなかった。ホフマン家を知らない2人だが、王族指南役の意味は分かる。

 

 王族指南役を父に持つラチンスは、時折王城に連れられることがあった。

 対するアリーゼは、幼い頃は家族揃って王都の屋敷に住んでおり、王城は「友達の家」「色んな子と遊べる場所」くらいの感覚だった。

 2人が顔を合わせたことも、片手には収まらない程度にはある。

 

「ここでは名門という出生も、貧民街から拾われた事実も、捨ててもらいます。驕りも、劣等感も、全て捨てて、王選に臨むフェルト様の従者として励みなさい」

「……それだけか?」

「染み付いた感性を捨てるのがどれだけ大変か、貴方なら理解できると思いますが」

「……そうだな」

 

 ラチンスはかつて、貴族同士の陰険で腹の探り合いばかりの世界が嫌になり、家を出奔した。身一つで生きていく覚悟を決めて、彼は王都の貧民街へと飛び込んだ。

 しかし、上流階級で育った彼の自信は、過酷な貧民街の現実にあっけなく打ち砕かれた。「家を出さえすれば自由になれる」という甘い見込みは、すぐに崩れ去ったのだ。

 

 驕りは、ない。

 そんなものは既に砕け散った。

 

 けれど、劣等感は、常に彼を苛んでいる。

 

「……お前は、良い方に変われたんだな」

「その分、失敗もたくさんしましたよ」

「……そうか」

 

 短く吐き出されたラチンスの言葉に、これ以上の棘は混ざっていなかった。

 

 目の前にいるのは、幼い頃で王城で声を掛けてきた、眩しすぎる令嬢だ。

 あの頃は喧しいくらいに活発だった彼女は、失敗もたくさんしたと、その綺麗な顔に年齢以上の苦みを浮かべていた。

 

「……アリーゼ。一つだけ、訊かせろ」

「何でしょう」

「オレがフェルトの……フェルト様の傍にいるのに、その『ホフマン』って肩書きは、必要だと思うか」

「いいえ」

「……だよな」

 

 短すぎる否定に、ラチンスはフッと、小さく自嘲気味に笑った。その瞳には、先ほどまで彼を苛んでいた暗い劣等感の影は、もう残っていなかった。

 

 ──分かりきっていた事だ

 ──けれど、その言葉が欲しかった

 

 ラチンスはゆっくりとソファから立ち上がり、ベッドに腰掛ける2人を振り返る。

 

「ガストン、カンバリー。さっきオレら、『風向きが悪くなったら逃げる』なんて言ってたよな」

「ラチンス……?」

「そ、そうだけどよ、それがオレたちの生き方だろ?」

 

 気まずそうに視線を泳がせる仲間に、ラチンスは。

 

「前言撤回だ。──オレはもう、逃げるのをやめる」

 

 その言葉は、2人に対してだけでなく、かつて家を飛び出して以来、ずっと現実から目を背け続けてきた自分自身への、明確な決別宣言だった。

 

「せっかくあのフェルトが、何もない自分を捨てさせてくれるってんだ。だったら、とことん付き合ってやろうじゃねえか」

「……いいぜ、お前がそう言うなら」

「やるだけやってやろうな!」

 

 ガストンが太い拳を握りしめ、カンバリーが声を張り上げる。3人の天秤は、今度こそ完全に、一つの未来へと傾いた。

 アリーゼは満足そうに微笑み、上品な所作で席を立つ。

 

「ア、アリーゼ……」

「なんでしょう」

「…………ありがとな」

「……ふふ」

 

 ラチンスの小さな小さな感謝に、アリーゼは可笑しそうに笑い、部屋を出ていった。

 

 ラチンスは閉まった扉を見つめ、それから小さく息を吐いた。

 その胸は、不思議と軽かった。

 

 

 

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