アストレア家の長女   作:slo-pe

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過去編。少し長めです。


14年前に

 

 

 その日、ユリウスは初めて王城を訪れた。

 水害で両親を失い、叔父であるアルビエロ・ユークリウスの養子となってから、まだ日も浅い。

 貴族の生活にも慣れないまま連れてこられた王城は、ユリウスの知るどんな建物よりも大きく、豪華で、そして落ち着かなかった。

 

「緊張しているのか?」

 

 隣を歩くアルビエロが苦笑する。

 

「いえ」

「そうか」

 

 短く答えたユリウスの頭を、大きな手が軽く撫でた。

 

 その仕草に少しだけ胸が温かくなる。

 まだ『父』と呼ぶことには慣れないし、貴族として期待を向けられるのは息苦しい。けれど、この人が悪い人ではないことはわかっていた。

 

 メイドに案内されて城内を歩くことしばらく、とある一室の前でアルビエロが足を止めた。

 

「国王陛下のご都合がつくまで、こちらの部屋でお待ちください」

「分かった」

 

 アルビエロが鷹揚にメイドに返事をするが、ユリウスの気分は決して良くなかった。

 大きな扉だ。おそらく室内もここまでと同じく、豪華で落ち着かないのだろう。

 

 少し前までのユリウスは、友人と野を駆け回っていた平民だ。それが急な貴族教育と、周囲からの期待に疲弊している。そんな中で、王城という雲の上の場所で少なくない時間拘束されるのだ。

 叔父のアルビエロは嫌いではないが、負の感情を吐き出せるほど打ち解けているわけではない。たくさん部屋あるみたいだし、せめて一人にしてくれないかな。そんな事を考えていると──

 

「あ、アルビエロさん!」

 

 元気な声が廊下に響いた。

 振り向けば、小さな少女がこちらへ駆け寄ってくる。

 

 鮮やかな金色の髪。愛らしい顔立ち。

 年齢は自分とそう変わらないはずなのに、不思議なほど堂々としていた。

 

「アリーゼか」

「はい、お久しぶりです」

 

 満面の笑みで頷く少女に、アルビエロも自然と表情を緩める。

 

「あ、そうだ見てください」

 

 アリーゼという少女は、そう言うと快活な表情を収め、穏やかな笑みへと移り変わった。

 両手でドレスを摘み、片足を斜め後ろに引き、背筋を伸ばしたままもう片方の膝を軽く曲げてお辞儀をした。

 

 貴族だ、貴族っぽい……とユリウスが少しの感動を覚えていると、アルビエロは別の意味で感心していた。

 

「ほう、しばらく見ないうちに上手くなったな」

「ほんとですか?」

「ああ、本当だ。アリーゼの頑張りと、テレシア様の教えのお陰だろう」

「えへへ」

 

 先ほどの一瞬、貴族そのものだった少女は、途端に表情を和らげて笑う。

 

「ちょうどいい。少しこの子の相手をしてやってくれないか」

「いいですよ」

 

 即答だった。まるで断るという選択肢そのものが存在しないように。

 そして少女はくるりとユリウスへ向き直る。

 

「えっと、貴方の名前は?」

「ユリウス…ユークリウスです」

「ユリウスね」

 

 名前を繰り返して、アリーゼはにこにこと笑った。アルビエロから養子に迎え入れたと説明されている間も、ずっと笑顔だ。

 何がそんなに愉快なのかわからない。だが、彼女は本当に楽しそうだった。

 

「じゃあ行こ」

「え?」

「王城案内してあげる」

 

 言うが早いか、アリーゼはユリウスの手を掴んだ。

 

「え、その、おじ……父上がこの部屋で待つと」

「アルビエロさん、ユリウス借りてもいいですか?」

「ああ。しばらくしたら戻っておいで」

「はーい」

 

 元気な返事だけを残し、少女はすたすたと歩き出した。

 

 ──王城は、まるで彼女の庭だった。

 

「こんにちはー」

 

 通りかかったメイドへ、にこにこと話し掛け。

 

「こんにちは、ゼノンさん」

「こんにちは、アリーゼ嬢」

 

 すれ違った騎士たちにカーテシーを披露し。

 

「この子はユリウス、アルビエロさんの養子になったので、陛下にご挨拶しに来たそうです」

 

 規律正しく立つ衛兵へ、ユリウスを紹介したり。

 

「今日は殿下は脱走してないんですね」

「ええ、なのでアリーゼ様も誘ったり、騒ぎすぎたりはしないでくださいね」

「はぁい」

 

 文官とはそんな会話を交わしていた。

 

 ユリウスは呆気に取られる。

 誰もが彼女を知っていた。彼女も彼らを知っていた。ここは王城、国で最も偉い人間が集まる場所なのに、馴染みの街で買い物するみたいな空気が漂っていた。

 

 ユリウスの緊張が解れて来た頃、アリーゼが急に立ち止まった。

 

「アリーゼ……?」

「──しっ」

 

 アリーゼが真剣な表情で人差し指を立てる。先ほどまでの朗らかな笑顔は跡形もなく消えていた。

 ユリウスが口を閉じて大人しくしていると、アリーゼは少しの間耳を澄ませて、それから周囲を見渡す。

 

「こっち」

 

 そして、近場の部屋にユリウスを引っ張っていった。扉を僅かに開けて息を潜めるアリーゼに、ユリウスも戸惑いながらそれに倣った。

 

「──白鯨討伐は……」

 

 少しすると、開けた扉の隙間から、通りがかる者たちの小声が聞こえてきた。

 

「ハインケル様が……」

「近衛騎士も出払っているのに……」

「可哀想に……」

 

 何を話しているのか、詳細は分からない。けれど、聞こえてくる単語だけでも十分過ぎるほどに驚愕をもたらした。

 

『白鯨』

 霧の魔獣と呼ばれ、400年もの間人類の脅威であり続けている災厄だ。

 

 それの討伐が成されれば、非常に大きな意味を持つ。国の総力を挙げて行うべき重大事項だ。

 けれど、先ほどの会話からは、そんな前向きな響きはなかった。

 

 同情、憐憫、そして諦め。

 扉越しでも、そんな感情がひしひしと伝わってきた。

 

 隣を見ると、アリーゼの表情が、色を失っていた。一瞬別人かと勘違いそうになるほど、瞳に輝きがなかった。

 

「あの、アリーゼ……?」

 

 呼びかけても返事はない。アリーゼは無言のまま、周囲に人がいないことを確認して部屋を出た。

 そのまま、場に沈黙が流れる。

 やがて彼女は振り返り、静かな声で言った。

 

「ユリウス、また今度遊ぼ」

「え?」

「ここからあっち行って、暫く真っ直ぐいって、そっち曲がって、またまっすぐ行けば元いた部屋に戻れるから」

 

 あまりにも適当な説明だった。だが本人は気にしていないらしい。

 

「じゃ」

 

 それだけ言って、アリーゼは歩き出す。さっきまでの散歩とは違う、目的地へ一直線に向かう足取りだった。

 ユリウスはその背中を見送る。

 見送って──。

 

 気付けば、後を追っていた。

 なぜなのか、自分でもわからない。

 ただ、あの一瞬で別人のようになった少女のことが、どうしようもなく気になった。

 

 アリーゼは迷いなく廊下を進み、やがて一つの大きな扉の前で立ち止まる。

 その前には衛兵が二人。

 どう見ても中に偉い人がいる、重要な部屋だった。

 

「こんにちは」

 

 アリーゼが小声で言う。

 

「こんにちは、アリーゼちゃん」

「今日も元気ですね」

 

 二人の衛兵は苦笑した。

 

「ねえねえ、衛兵さん」

 

 アリーゼが手招きする。

 

「ん?」

 

 二人がアリーゼの身長に合わせるよう身を屈める。アリーゼが内緒話をするように口元を手で隠すと、二人はさらに顔を寄せた。

 

 その瞬間。

 

 するり、と。アリーゼの小さな体が二人の間をすり抜けた。

 

「え、ちょ、ま……!」

 

 焦った衛兵が静止しようとするがもう遅い。

 アリーゼは勢いよく足を振り上げ、会議室の扉を蹴り開けた。

 

 

 

 

 その扉の向こうは、少女一人が飛び込んでいい場所ではない。けれど彼女は堂々と、扉を蹴飛ばしたとは思えないほど優雅に、そこへ入っていった。

 曲がり角からその様子を見ていたユリウスは、駆け足で会議室の方へ向かう。呆然とする衛兵を余所に中を覗いた。

 

 広い会議室だった。

 室内の広さに反して置かれたものは少なく、左右に5つずつと中央の奥に1つの椅子、さらに彼らの前の机があるのみ。

 室内の人数もそれに応じて少なく、11の椅子の数に加えて、左右机に挟まれた位置に白を基調とした制服に身を包み、騎士剣を腰に携える赤毛の騎士を含めた12人だけだ。

 

 彼らが突然の乱入者に目を丸くしているそこに。先ほどまで王城を案内していた少女は、ゆっくりと歩いていく。

 慌てる様子はない。むしろ堂々、部屋中の視線を浴びながら、真っ直ぐ、優雅に、歩いてゆく。

 

 ここは私の場所だと、私がここにいるのは当たり前なのだと、そう語る姿に、誰もアリーゼを止めない。

 アリーゼは赤毛の騎士の隣で立ち止まると、スカートを摘み、一礼した。

 

「国王陛下、賢人会の皆様。突然の来訪、誠に申し訳ありません。アストレア家長女、アリーゼ・アストレアと申します」

 

 そのカーテシーは、先ほどから何度か見たもので、しかしユリウスは全く異なる衝撃を受けた。

 

 綺麗だ、と。

 ルグニカ王国の重鎮たちを前にして、揺るがない声と姿勢を披露したアリーゼに、ユリウスは釘付けになっていた。

 

 静まり返った会議室、それを破ったのは最奥に座る、四十路前後の恰幅のいい男性。

 彼が誰なのか、ユリウスは知らない。知らないが、彼が誰なのかは一目でわかった。何故なら彼こそは、この会議室で、王城で、王都で、王国で最も尊き身分の人物──

 ランドハル・ルグニカ。ルグニカ王国第四十一代目国王その人だった。

 

「アリーゼ・アストレアよ」

「はい、陛下」

「よいよい、そう畏まるな。いつものように楽にするといい」

「ではお言葉に甘えて」

 

 アリーゼは即座にそれに応じた。姿勢を崩したわけでもないが、身に纏う雰囲気を軽くしたのが、背中越しにも分かった。

 

「して、そなたは何故にここへ参った」

「陛下、並びに賢人会の皆様にお願いがあり、不躾ながらこちらに押し掛けた次第です」

 

 この国の国王、ランドハル・ルグニカを前に、アリーゼは奇譚なくそれを告げた。

 

「アリーゼ、何を……!」

「ハインケル、構わぬ。そなたの娘は……まあ問題児ではあるが、それでも礼儀を無下にするような娘ではない。ここに来たのも、相応の理由があるのだろう」

 

 赤毛の騎士──アリーゼの父親であるハインケルが、彼女を窘めようとしたが、ランドハルがそれを遮った。

 

「アリーゼ、申すが良い」

「白鯨討伐についてです」

 

 空気が変わった。

 

「先ほど、城内で耳にしました……白鯨討伐の大遠征、その計画がお父様が率いるものとして進んでいると」

 

 賢人会の老人たちの表情が硬くなる。

 

「な……」

「まだ公表していないぞ」

「誰だ漏らしたのは」

 

 彼らがざわめき立つが、アリーゼは揺るがない。ただ真っすぐに正面を見据えている。

 一方でランドハルは困ったように笑った。

 

「それで」

 

 おおらかな声だった。

 

「その遠征について、そなたは何を言いに来たのか?」

 

 促されて、アリーゼは一度だけ息を吸った。

 

「白鯨討伐を、中止してください」

 

 静かな声だった。だが会議室は爆発した。

 

「何を言う!」

「400年だぞ!」

「ルグニカだけでない、大陸がどれだけの被害を受けてきたと思っている!」

「亜人戦争が終結し、国力も回復した! 今こそ好機なのだ!」

「この機会を逃せば次はない!」

 

 向けられる怒声に対して、アリーゼは微動だにしなかった。

 しばらく。本当にしばらく。全員が言いたいことを言い終わるまで。ただじっと待ち続けた。

 

「皆様」

 

 そして、老人たちへ、にこりと笑った。

 

「頭が悪いのですか?」

 

 沈黙。会議室が凍り付いた。賢人会の老人はもちろん、ハインケルやランドハルまで固まった。

 

「え?」

 

 誰かが間抜けな声を漏らす。

 

「白鯨が400年も討伐されなかったのは、強いからです。空を飛び、神出鬼没で、その霧はあらゆる点で私たちに不利に働くと」

 

 アリーゼは続けた。

 

「人類が400年勝てなかった相手です。それが、今の戦力で討伐できると本気で思っているのですか?」

 

 何人かの老人が顔をしかめる。

 

「兵力は揃っている」

「準備も整っている」

「好機ではある」

 

 そう言い返す者もいる。だが、勢いが弱い。

 

 そしてユリウスは気付く。

 10人いる賢人会のうち何人かは、本当は反対なのだ。けれど言えない。多数派に、大義名分に、逆らえない。そんな顔をしていた。

 アリーゼもそれを察していた。否、さらに深く見抜いていた。

 

「……お祖母様が寂しがっていました。ここ最近、お祖父様が非常に忙しくしていると。朝ご飯も、夜ご飯も、一緒に食べられていないと」

 

 戸惑う彼らに、アリーゼは続けた。

 

「フーリエ殿下が仰っていました。『余の従妹になる子が生まれた』と、『赤子というのは可愛いものだな』と──そして、『フィルオーレが体調を崩しているようで、最近は会えていない』と」

 

 老人たちの表情が強張った。言葉を発しようとした者もいたが、彼らは寸前で口を閉ざした。

 アリーゼからの暴露は続く。メイドの小さな愚痴、衛兵の動き、城内にいる騎士の多寡、それぞれはほんの僅かな違和感だが、彼女はそれを並び立ててゆく。

 

「本当に、兵力は足りているのですか? 400年続いた災厄を相手に、王国の力を使えるのですか?」

 

 アリーゼは静かに訊ねる。

 決して理性的ではない。怒りを堪えていることがありありと伝わる、静かすぎる声だった。

 

「……あーもう!」

 

 そして、黙りこくった老人たちを前に、ついに爆発した。

 

「フィルオーレ殿下が誘拐でもされたんでしょう! だから近衛騎士が出払っているんでしょう!」

 

 怒声が会議室に響いた。

 

「お父様が団を任されるくらいの戦力しかないんでしょう!? それなら絶対足りないって、上手くいかないなんて分かりきった事じゃない! それすらも分からない、分かっていても言えない、そんな老人なんて糞以下よ!」

 

 淑女も礼儀も消し飛ばして、彼女は叫んだ。

 

「陛下も何考えてるんですか! 姪御さんが誘拐されたのなら、白鯨なんて後回しにする一択でしょう! ボケるのはあと20年早いですよ!」

 

 賢人会が絶句する。

 ランドハルも絶句する。

 ハインケルや衛兵たちも絶句する。

 ユリウスも絶句する。

 

「肥料にもならない老害ならさっさと隠居しろポンコツ共!!」

 

 完全な静寂。誰も言葉を発せない。

 決して外部に知られてはならない王国の大失態が、一人の少女に暴かれたこと。

 会議室の空気は、完全に凍り付いていた。

 

 そして、それらを扉の影で窺っていたユリウスは、生まれて初めて胸が高鳴る感覚を知った。

 

 正しいとか。間違っているとか。そんなことはわからない。

 多分、正しい。多分、しちゃいけない。アリーゼのした事は、そういう類いのものだ。

 

 けれど、誰も言えなかったことをたった一人で言った。大人たちが黙ってしまったことを恐れず口にした。

 家族の、父親のために。

 

 その姿が、眩しかった。

 圧倒的に、眩しかった。

 貴族とは、騎士とは、()くあるべきだと、彼女の背中が語っていた。

 

「アリーゼ!!」

 

 そこに、聞いたこともない怒号が響く。

 思わず肩を震わせ、見上げたユリウスの視界に、白を基調とした制服に身を包む壮年の男性がいた。

 その隣には、赤い髪が揺れる美しい女性の姿があった。

 

 ユリウスはすぐに知ることになる。

 その二人が、当時のルグニカ王国騎士の最高峰、『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアと。

 亜人戦争を終結させた英雄、『剣聖』テレシア・ヴァン・アストレアであることを。

 

 

 

 

 白髪混じりの鋭い眼光の壮年の騎士が、会議室を歩く。彼が纏う剣呑な空気を前にして、その隣を進む赤毛の女性を除いて、誰一人動くことはできなかった。

 

「ハインケル、説明しろ」

「お、親父……?」

「私は、アリーゼが不敬を働いたと聞いて飛んできた。テレシアも同じだ。ここで何があったのか、説明しろ」

 

 壮年の騎士は、赤毛の騎士の父親、つまりアリーゼの祖父である。『剣鬼恋歌』で語られる英雄、『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアだと、ユリウスはそう理解した。

 そして赤毛の女性は、彼の妻であり、彼に剣を奪われた当代『剣聖』テレシア・ヴァン・アストレアであるとも。

 弾き語りの英雄譚が大好きだったユリウスは、憧れが目の前にいることに、場の異常さも忘れて高揚していた。

 

 そんなユリウスを余所に、ヴィルヘルムの要請にハインケルは気圧されながらも応えた。

 

「陛下と賢人会から、騎士団に任務が与えられようとしていた。俺は……俺はそれを率いる者として、ここに呼ばれていた」

「任務だと?」

 

 騎士団長であるヴィルヘルムは、それを聞かされていなかった。

 

「何の任務だ」

「……白鯨討伐の大遠征」

「この状況下で、白鯨だと?」

 

 ヴィルヘルムが低い声で問う。鋭く、研ぎ澄まされた剣気を間近で浴びて、ハインケルは身を硬くした。

 

「そこの老害たちが、陛下を焚きつけたんでしょ」

 

 そこに、アリーゼは悪びれもせず、暴言をかました。

 

 眉を顰めるヴィルヘルムに、元々その場の全員が頭を抱えそうな顔になった。

 ユリウスにも分かった。国王様も言っていたが、これはとんでもない問題児だ。

 

「アリーゼ、説明しなさい」

 

 赤毛の女性──テレシアが穏やかに促す。アリーゼは素直に頷いた。

 

「城の中で聞いたの、白鯨討伐の話が進んでて、お父様が団を率いるんだって。それで、フィルオーレ殿下が誘拐されて、近衛騎士が出払ってるのにそんな事するのはおかしいって私が言ったの」

 

 ヴィルヘルムとテレシアが固まる。何故それを知っているのかと、表情が物語っていた。

 

「近衛騎士団は誘拐事件で動けない」

「……そうだな」

「騎士団長もいない」

「……そうだな」

「なのに白鯨討伐するんだって」

 

 アリーゼは再度事実を並べる。そして、賢人会の老人たちを見渡す。その中の一人、禿頭の大柄な老人を指差した。

 

「特にあいつ。お祖父様の昔の上司だった人でしょ」

「アリーゼ」

「騎士団出身なのに戦力の計算もできないとか何のためにいるの?」

「アリーゼ……」

 

 ヴィルヘルムが額を押さえる。

 賢人会の一人、ボルドー・ツェルゲフ。かつての亜人戦争にて、ヴィルヘルムが失踪する前、彼が所属する隊の隊長だった男だ。

 

「そんな糞老害、いる意味ない」

「アリーゼ」

「カス」

「アリーゼ」

「ゴミ」

「アリーゼ」

「髪と一緒に脳みそまでなくなった」

 

 ぷっと。

 誰かが吹き出した。慌てて咳払いが続く。ユリウスも危うく笑いそうになった。ボルドー本人は真っ赤になって震えている。

 だが不思議と、先ほどまでの殺伐とした空気は薄れていた。当然アリーゼ本人は、笑わせる気など一切ない。本気で言っている。

 だから余計に酷かった。

 

「──アリーゼ」

 

 ヴィルヘルムも、笑いそうになった事を誤魔化すように、そして孫の過ちを咎めるため、強い剣気を発した。

 室内にいる誰もが、離れたところにいるユリウスですら身を硬くする剣気だ。それを向けられているアリーゼが受ける恐怖は想像を絶する。

 

「──なによ! 私間違った事言ってないじゃない!」

 

 けれど、彼女は歯を食いしばり、それに真っ向から歯向かった。

 

「お祖父様は勝てないって分かってて、わざわざ必要のない戦いを挑むの!? 白鯨討伐は確かに大事、でもそれは今じゃなくてもいいでしょう!? 殿下の捜索を止めて、白鯨に集中するならまだ分かる。でもどっち付かずなんて一番良くない! 騎士団にいたのにそんな事も分からないなんてポンコツじゃない!」

 

 捲し立てるようにそう叫ぶと、最後にはこう言い放った。

 

「剣しか振れないポンコツはお祖父様だけで十分なのよ!」

 

 誰もが唖然とする中、ヴィルヘルムの眉がぴくりと動いた。

 

「聞き捨てならんな」

「ほ、本当のことだもん!」

 

 再び、先ほどよりも濃密な剣気を浴びて、けれどもアリーゼは引かなかった。

 

「私のどこがポンコツだと言うのだ」

「ポンコツでしょう! 私知ってるんだから!」

「何をだ」

「お祖父様、今まで一回もお祖母様に『愛してる』って言ってないじゃない!」

 

 虚勢で胸を張るアリーゼが発した事実に、会議室全体が静まり返った。

 

 ランドハル、賢人会、衛兵、ハインケル、ユリウス、騒ぎを聞きつけ集まってきた者たち。この場にいる全員が信じられないものを見る目でヴィルヘルムを見ていた。

 まるで『嘘だろお前』と言いたげに。

 

「…………それは関係ないだろう。今は白鯨討伐、いやお前がしでかした事が問題なのだ」

 

 ヴィルヘルムが目を逸らし、ついでに話も逸らした。その瞬間、全員が察した。本当なのだ。

 

「ヴィルヘルム」

 

 ランドハルが口を開く。

 ヴィルヘルムのような剣気も、アリーゼのような声量もない、穏やかな声だった。けれど不思議と、場の全員の意識が彼に集められた。

 

「それは本当か?」

「いえ、それは……」

「本当です!」

 

 口籠るヴィルヘルムに、アリーゼが割り込んだ。

 

「お祖母様が『愛してるわ』って言っても!」

「アリーゼ」

「『あなたは?』『私のこと愛してる?』って聞いても!」

「アリーゼ!」

「うるさい! 目を逸らすか話逸らすか逃げるかチューして誤魔化すしかできないお祖父様は黙ってて!」

 

 今度こそ何人かが完全に吹き出した。必死に耐えていた賢人会の老人まで肩を震わせている。

 ヴィルヘルムが死んだ目をした。

 

「『剣聖』テレシア」

「は、はい」

「本当か?」

「……本当です」

 

 テレシアは少し困ったように笑みを浮かべ、しかし否定はできず、正直に答えた。

 

「ふむ」

 

 ランドハルは頷いた。そして椅子にもたれ掛かる。

 

「確かに戦力不足を懸念する声もあった」

 

 会議室が静まる。まさかという視線が、賢人会から向けられる。

 

「性急に事を進め、無為に兵を失う必要もない」

「陛下……」

「──何より」

 

 賢人会からの進言を遮り、ランドハルはヴィルヘルムを見る。

 

「騎士団長にはまだまだやるべきことがあるようだ」

 

 再び何人かが吹き出す。

 ヴィルヘルムは本気で逃げ出したそうな顔をしていた。

 

「ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアよ」

「──はっ」

「此度のことは、公にはできん。白鯨討伐の計画も、そなたの孫の推論や罵声も、全て無かったことだ」

「……寛大な御心、感謝致します」

 

 膝を付いて、腰につけた剣を床に置き、ヴィルヘルムは最敬礼を見せる。

 ランドハルはそれを鷹揚に受け取ると、最後にこう付け加えた。

 

「だが一つ、余が本当にボケる前に、余に『剣鬼恋歌』の見届人としての栄誉を与えてくれないか?」

 

 彼の顔は、一国の王としてのものではなく、英雄譚に憧れた、ただの少年としての笑みを浮かべていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「……お前、マジでやべえ事やってんな。アタシのこと言えねえじゃんか」

「昔の事です……それに、締まらない話だったでしょう? 子供の癇癪が、陛下の温情で見逃されただけの、面白みもない話です」

 

 ジト目で睨んでくるフェルトに、アリーゼはしれっと答える。けれど、普段よりいくらか早口なそれに、フェルトやアナスタシアは彼女が恥ずかしがっているのだと理解した。

 

「けど、その締まらない話のお陰で、賢人会のお爺ちゃんらも引き際を作れたんやし、結果オーライやん?」

「……そうですね。アナの言う通りかと」

 

 アナスタシアは、恥ずかしがるアリーゼに一言だけ刺すと、これで勘弁しとくとばかりに矛先を変えた。

 

「そんで? ウチの騎士様は、そこでアリーゼにベタ惚れして、猛アタックしたっちゅうことやんな」

「ええ。あれからアリーゼは、領地経営のためアストレア領に戻ってしまったため、貴族教育に励むことで父上を説得して、足繁く通っていました」

 

 ユリウスは懐かしむように笑みを浮かべた。

 

「領地経営って、そんときアリーゼはまだ7歳だろ? いくらなんでも早すぎねーか?」

「元々アストレア領の経営は、実質的にお祖母様が担っていたのですが、あの時期はそれが傾き始めていたんです。そこに、陛下から『お主ならできるのではないか』と言われまして、お祖母様と一緒に領地に戻ることになりました」

「体のいい厄介払いってやつか」

「そうでもないですよ。『余がボケる前に領地の立ち直しができた暁には、何でも一つお願いを聞いてやるぞ』と言われていましたので」

「怒ってるわけじゃなかったのか」

「ええ。それにお祖父様も、お祖母様の退役を求める際、当時の国王様──ジオニス・ルグニカ陛下の寝室に忍び込んだ前科があるそうで。遺伝だと笑っておられました」

「爺・孫、揃ってやべえのかよ」

 

 フェルトが心底呆れたように、乾いた笑みを漏らす。だが、アナスタシアは悪戯っぽく目を輝かせていた。

 

「なぁなぁ、それよりウチが一番気になっとるのはそこやないで? この後、『剣鬼恋歌』の後日談になる恋バナがあるんやろ?」

「そうですね。お祖父様がようやく、本当にようやく想いを口にした時の話ですが、気になりますか?」

「もちろん」

「意外だな。アナスタシアはもっと合理的っつーか、恋バナとか興味ないと思ってたぜ」

「そりゃあ赤の他人のやったらどうでもええけど、『剣鬼恋歌』は別や。最下層で貧乏だったときの楽しみは、うろ覚えの歌を聞いて、それで思いに耽るくらいしか無かったん。それが、誰も知らん後日談があるなんて聞いたら、我慢なんてできへんやろ」

 

 饒舌なアナスタシアに、アリーゼは微笑ましそうに目を細める。

 ユリウスとお互いにどちらが話すかと、目線で相談する。口を開いたのはユリウスだった。

 

「それでは『剣鬼恋歌』、決して語られることのない後日談を、どうぞお楽しみください」

 

 大仰な口調で語られるのは、14年前のあの会議室。直前の大騒動から、国王の粋な計らいによって張り詰めた空気が霧散した、その直後のこと──。

 

 

 

 

 静まり返った会議室にて、2人の男女が向き合っていた。

 つい先ほどまで白鯨討伐の是非で声を荒げていたアリーゼ・アストレアも、それを陰で見ていたユリウス・ユークリウスも。衛兵や賢人会、国王ですら、誰一人として言葉を発せずに2人を見つめていた。

 

 その中心にいるのは、『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。『剣聖』テレシア・ヴァン・アストレア。

 

「ヴィルヘルム」

 

 じっと無言で見つめられ、テレシアは困ったように笑った。

 

「無理にとは言わないわ」

「……」

「私は十分、伝わっているもの」

 

 その言葉に、ヴィルヘルムが苦しそうに目を閉じた。まるでその優しさが一番堪えるとでも言うように。

 

「あなたの目が、あなたの声が、あなたの態度が、あなたの行いが、ずっと」

 

 穏やかに、優しく、長い年月を慈しむように。テレシアは言葉を紡ぐ。

 

「あなたはずっと、言ってくれていたわ」

 

 ヴィルヘルムの肩が震えた。

 

「だから──」

「やめろ」

 

 低い声だった。しかし、その声には剣気も威圧もなかった。

 

「それ以上は……それ以上は、言うな」

 

 苦しげな声に、テレシアが目を丸くする。

 

 ヴィルヘルムは拳を握った。

 ぎり、と音がした。剣を握るよりも、魔獣に立ち向かうよりも、ずっと苦しそうに言葉を探していた。

 

「テレシア、私は……お前に、言わなくてはならないことが……ある」

「────」

「わ、私は口下手で、自分の考えもうまく伝えられず、お前にも苦労を……だから、二十年以上も、お前に一度も……」

「────」

「二十年、不安にさせたかもしれん。だが、私は……」

 

 上手く話せない不器用な『剣鬼』を、『剣聖』はただひたすらに待つ。

 言われなくとも伝わっていると、けれどやっぱり伝えてほしいと、そんな想いを秘めて愛しき人を見つめていた。

 

「テレシア、私は……」

 

『剣鬼』は言葉を探す。出会ってから数十年、それだけの想いを遡り、けれど見つからず。

 

「俺は……」

 

『剣鬼』は言葉を飾るのは辞めた。孫の言う通り、自分は剣しか振れないポンコツなのだと、そう認めた。

 

 だからこそ。

 

「俺はお前を、愛している──!」

 

 幾度となく伝えられ、けれども告げられなかった愛の言葉。その言葉を、『剣鬼』は数十年の時間を経てやっと口にしたのだった。

 

 

 





この「アストレア家の長女」シリーズを書く際に、一番書きたかったシーン。
ヴィルヘルムとテレシアの『剣鬼恋歌』後日談を、ようやく書くことができました。

原作の白鯨討伐や、後の屍兵テレシアとの再会がとても好きで、その組み合わせでの告白ですね。
ヴィルヘルムならこれくらいはっきり言ってくれるだろう、むしろ語彙を尽くして愛を語るよりも、最後は真っ直ぐ伝えるだろう。そんな解釈のもとで、今回のエピソードを書かせていただきました。

次回からは、アリーゼたちが領地へ戻ります。
一方で原作スバル側も、白鯨・怠惰討伐へ向けて動き出します。
クルシュ陣営にヴィルヘルムがいないため、少しずつ原作とは異なる展開になっていく予定です。

楽しんでいただけるよう、これからも頑張って書いていきたいと思います。

それではまた、次の機会に。
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