七つの大罪:暴食のヒナ   作:ていん?が〜

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前編です。
最後の大罪です。


第35話:正義のホルモン丼前編

 キヴォトス某所、地下深くに掘り抜かれた救急車両用の極秘シェルター。

 

 冷たいコンクリートの壁に囲まれた作戦室の中には、鼻をつく消毒液の匂いと、心電図モニターの規則的な電子音だけが虚しく反響していた。

 

 薄暗い天井の蛍光灯がチカチカと不気味に瞬く下、円卓を取り囲む少女たちの姿がある。

 かつてゲヘナの暴食魔王を急襲し、その理不尽極まりない怪力によって全身の骨を粉砕されて救急搬送された秘密結社『KMU』の幹部たちであった。

 

 首元に頸椎固定用コルセットを装着し、点滴スタンドを傍らに引き連れた救急医学部部長・氷室セナ。

 頭部に分厚い包帯を幾重にも巻き付け、右腕を純白のギプスでガチガチに固定した救護騎士団の団長・蒼森ミネ。

 そして、顔中に痛々しい湿布を貼り、松葉杖に体重を預ける救護騎士団の鷲見セリナと朝顔ハナエ。

 

 退院したばかりの彼女たちの顔色には、未だ死線をくぐり抜けてきた生々しい恐怖と、雪辱に燃える狂気が同居していた。

 

「生塩ノアがやられましたか…」

 

 セナが氷のように冷徹な瞳を細め、手元のタブレット端末に表示されたミレニアムの極秘医療ログを見つめながら低く呟いた。

 

「はい。大食い大会の直後、裏路地にて空崎ヒナと単独交戦。頸椎および肋骨多数の粉砕骨折を負い、一時的な神経遮断状態に陥った模様です。もっとも、あの女の異常な自己修復能力により、すでに骨格の再構成は完了しているようですが」

 

 セリナが淡々とカルテのページをめくりながら報告を重ねる。

 

「それだけならまだしも、対峙した志真コノカと阿慈谷ヒフミがあの害獣とつるむようになっています。単体よりも悪化してますね」

 

 ミネが忌々しそうに吐き捨て、唯一動く左手で円卓の天板を強く叩いた。鈍い衝撃音が室内に響き渡る。

 

「トリニティとヴァルキューレ、そしてミレニアムの特異戦力までもが、あの食欲の化身に籠絡され、あろうことか同じ卓を囲んで歓談しているという情報すら入っています。各学園のパワーバランスは完全に崩壊しました。あの肉食獣をこのまま野放しにすれば、キヴォトス全土の食料備蓄が食い尽くされるだけでなく、法と秩序そのものが胃袋へと消え去ることになるでしょう」

 

「ひえええええええぇぇぇ!!!! ど、どうするんですか!? 八囚人だけであの害獣を倒せますかね!? あの悪魔、戦車だろうが建物だろうが丸ごとバリボリ噛み砕いちゃうんですよぉ!?」

 

 ハナエが包帯まみれの頭を両手で抱え、悲鳴のような金切り声を上げてガタガタと震え上がった。

 

「『八囚人』…ですか」

 

 セリナが整った眉を僅かにひそめ、胸ポケットから1枚の指名手配書を取り出して円卓の中央へと滑らせた。

 そこには、とある少女の顔写真が印刷されていた。

 

「キヴォトスで最も有名な犯罪者…。奴が単独で『カイザーグループを壊滅させた』のは記憶に新しい」

 

 ミネが冷酷な眼差しを手配書へと落とし、重々しく告げる。

 

「左様。ヴァルキューレすらも再逮捕を諦めた怪物。そしてこれまでの怪物の中で『最も誘導しやすい』」

 

 セナが無機質な声で言葉を継ぎ、細い指先で手配書の少女の顔をコツリと叩いた。

 

「彼女の行動原理は極めて単純明快。その幼稚な誇りを僅かでも逆撫ですれば、瞬時にして国家転覆級の災厄へと変貌する。これほど扱いやすい起爆剤は他に存在しません」

 

「どんなに少なく見積もっても負けることはない。いや、むしろ……これまでの八囚人の行動パターンから考えれば、空崎ヒナを『餓死』させることすら可能でしょう」

 

「が、餓死ですか…!?」

 

 ハナエが目を白黒させ、顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けた。

 

「左様、直近では先生があの化け物の逆鱗に触れた結果……『1週間』飲まず食わず不眠不休で拘束され続け、何度も死に生き返ったそうです」

 

「ひいぃぃぃぃっ!!!!!」

 

 ハナエの喉から引きつった悲鳴が漏れる。先生の受難の凄惨さは、すでに全自治区の裏ネットワークで伝説として囁かれていた。

 

「先生の生き返り体質のおかげでその程度で済みましたが……格段に燃費の悪い空崎ヒナならどうでしょう?」

 

 セリナの天使のような可憐な貌に、見る者を震え上がらせるほどドス黒く邪悪な笑みが浮かんだ。

 

「奴の体内燃焼炉は、常に莫大なカロリーを消費し続けています。通常の生徒の数十倍、いや数百倍の代謝速度。もしも八囚人に捕まり、一切の食事を断たれた状態で48時間、あるいは72時間もの間、憤怒の嵐に晒され続けたら……?」

 

 ハナエの顔に歪んだ希望の光が灯る。

 

「さぁ…地獄はすぐそこまで迫ってますよ空崎ヒナ」

 

 セナが冷徹に瞳を光らせ、不気味に唇の端を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻。ゲヘナ学園本校舎最深部、風紀委員会執務室。

 

 平和そのもの――否、職務怠慢の極致とも言える光景がそこには広がっていた。

 

「オラァッ! このターンで『村』をプレイ! アクション権を2回分追加して、さらに『鍛冶屋』を発動! 山札からカードを3枚ドローッ!!」

 

 来賓用高級本革ソファーの上にあぐらをかいた志真コノカが、手札のカードをバシィン! と豪快に執務机の上に叩きつける。

 

「ひ、ひえぇぇ……! コノカさんのデッキ、アクションカードが無限に繋がって止まりませんよぉ……! こ、これじゃあ私の買った『堀』カードの防御がまるで役に立ちません…!!」

 

 涙目で手札のカードを扇状に広げ、ガタガタと震えながら縮こまる阿慈谷ヒフミ。

 

「ハッ、軟弱ねヒフミ。そんな紙切れ1枚の防御に頼るからいけないのよ。……私のターン、手札から『金貨』を3枚一斉プレイ。合計9コインを発生させて、勝利点カードの最高峰――『属州(6点)』を市場から力づくで買い占めるわ」

 

 気だるげに頬杖をつきながら、黒い手袋を嵌めた指先で悠然と高額カードを掠め取っていく空崎ヒナ。

 

 

 執務机の上に広げられているのは、キヴォトスでも大流行している世界的な名作デッキ構築型ボードゲーム『ドミニオン』であった。

 

 プレイヤーは自らの領土(ドミニオン)を発展させるため、初期の手札であるわずかな銅貨と貧相な屋敷からスタートし、市場に並んだ様々な王国カードを購入してデッキを強化し、最終的にデッキ内に含まれる勝利点の合計を競い合う知略のゲーム。

 アクション数を増やして手札を怒涛の勢いでドローするコンボ戦術や、相手の山札にマイナス点となる『呪い』をばら撒く妨害工作など、高度な駆け引きが要求される卓上競技である。

 

 

 先日の大食い大会が終わってからも毎日のようにヒフミがコノカに連れられて再びゲヘナへ入り浸り、サボり癖のついたヒナと共に、朝から延々とこのカードゲームに興じていたのだ。

 

「こらぁぁぁぁぁぁっ!! 委員長ーーーッ!! 本日の自治区内パトロールの巡回予定時刻を、とっくに2時間もオーバーしていますよッ!! いい加減にそのカードゲームを片付けなさい!!」

 

 部屋の隅、天井に届かんばかりの書類タワーに埋もれながら、天雨アコが青筋を立てて絶叫する。

 

 

 だがその日常に、今日は『決定的な1つの違い』があった。

 

 

「…………………………………」

 

 ヒナは苛々しながら、山札から引いたコインを乱暴に卓上へと叩きつける。

 

「あぁ、属州を購入するのですね」

 

 隣から聞こえた、鼓膜を優しく撫でるような澄んだ声を完全に無視するヒナ。

 

「ですが、先の展開を築くには2つ隣のこのカード――アクション権を消費せずにドローとコインを両立できる『研究所』を購入した方が効率が良かったと思いますが、ヒナちゃんはあえて違うカードを購入する、と。なるほど、長期的なデッキの圧縮よりも、目先の直接的な点数獲得による精神的優位性を好む傾向があるわけですね。ふふ、学習しました」

 

 耳元で囁くようにベラベラと分析結果を垂れ流すその声に、ついにヒナの眉間が引き攣り、限界突破の怒号が漏れ出た。

 

 

「…………なんで、お前がここにいるの『生塩ノア』」

 

 

 大食い大会から3日経った今日、全身の複雑骨折など跡形もないノアが、ヒナの左腕に触れそうなほどゼロ距離でベッタリと張り付いていた。

 

「? なぜって、ヒナちゃんのことをもっとよく知りたいからですよ」

 

 ノアは純真そのものの表情で不思議そうに首を傾げる。だが、その薄紫色の瞳の奥に宿る漆黒の強欲は、ヒナの顔面から1mmも離れようとしない。

 

「……コノカ、あんたもこいつがいると気味が悪くて胸糞悪いでしょ? 一緒に窓から放り投げて追い出しましょう」

 

 ヒナが助力を求めて視線を向ける。

 しかしコノカは、鼻の下を伸ばしながらヘラヘラと笑い飛ばした。

 

「いやぁ〜、話してみたらノアっちょは、そう悪い奴でもねぇしなぁ〜、なぁヒフミン」

 

 コノカの半ズボンのポケットからは、|トリニティ王室御用達の最高級金箔トリュフチョコレートの箱《露骨極まりない買収工作の品》が見え隠れしていた。コノカは機嫌よく隣のヒフミへと話を振る。

 

「そ、そうですよぉ! ノアさん、ルール説明もすっごく分かりやすいですし、拡張セットを自腹でたくさん買って持ってきてくれるしで、めちゃくちゃ良い人じゃないですか!」

 

 裏では、「ミレニアムの生徒会書記とも強固なパイプを築き、三大学園の最高権力層を完全に手中に収めて選ばれしエリートとして君臨したい」というドロドロの承認欲求と醜い野心にまみれたヒフミが、満面の営業スマイルで激しく頷く。

 

「ふふふ、お二人ともありがとうございます。今後とも仲良くしてくださいね」

 

 お淑やかに会釈するノア。だが、その視線は相変わらずヒナの皮膚の毛穴ひとつひとつを観察するかのように注がれ続けている。

 

 ヒナは耐えきれず、ガタッ! と音を立てて椅子を蹴り倒すように立ち上がった。

 

「……もういい。パトロールに行ってくる」

 

「おや? お出かけですか? それならお供しますよ。歩行時の重心移動と心拍数の変動データも収集したいですし」

 

「ついてくんな!!」

 

 

 ドガッ!!

 

 

 去り際に、ヒナの電光石火の左アッパーがノアの顎先を真下から撃ち抜いた。

 ノアの首が後ろに直角にへし折れ、天井の蛍光灯に激突する鈍い音が響く。

 しかしヒナは振り返りもせず、ズンズンと執務室の重厚な大扉を押し開けた。

 

「あ、委員長ーッ!! 定時までには絶対に戻ってきてくださいよーッ!! 未決裁の書類がエベレスト山脈を形成してますからねーーッ!!」

 

 背後から響くアコの血を吐くような叫びを完全に無視し、ヒナは廊下へと飛び出す。

 

 そして――扉が乱暴に閉められる直前。そのわずかな隙間から首の骨をゴキリと力づくで戻した生塩ノアが、まるで質量を持たない亡霊のように音もなく滑り出て、ヒナの背後へとピタリと追従していった。

 

 

 

 

 ゲヘナ自治区、陽光照りつけるメイン商店街。

 

 苛立ちを全身から黒いプラズマのように放ちながら、ヒナは大通りの中央をズンズンと大股で闊歩していた。

 

「チッ……殴っても殴っても笑顔でついてきやがって……。気味が悪いにも程があるわ」

 

 ヒナが放つ剥き出しの殺気を感じ取り、道行く一般生徒たちは悲鳴を呑み込んで建物の陰へと縮こまり、露店の店主たちは目を逸らしてカウンターの下へ潜り込む。

 当然、この失楽園(ゲヘナ自治区)でのスケバンやヘルメット団などの凶悪犯罪者との遭遇率は0%である。

 

 その時。

 

 

 ゴルルルルルルルルルルルル!!!!!

 

 

 大地を揺るがす地鳴りのような、凄まじい飢餓の咆哮がヒナの下腹部から轟いた。

 

「……そういえば、昼飯がまだだったわね」

 

 大食い大会の2tピザから数日。驚異的な代謝を誇るヒナの胃袋は、すでに完全なる空洞と化していた。

 いつものように近くの精肉店へ押し入り、店頭に吊るされた牛の丸焼きを骨ごと10頭ほど強奪して喰らおうと足を向けた――まさにその刹那。

 

 

 ジュワワワーーーーーーッッッ!!!!

 

 

 大気を震わせて耳朶を強烈にくすぐる、沸騰した油と肉汁が鉄板の上で弾け飛ぶ至高の炸裂音。

 それと同時にヒナの鋭敏な嗅覚を強襲したのは、ニンニクの強烈なパンチ、焦がし醤油の香ばしさ、そして熱せられた肉の濃厚極まりない動物性脂肪が放つ、抗いようのない暴虐の芳香であった。

 

「……っ! この匂いは……!」

 

 吸い寄せられるように路地裏の角を曲がるヒナ。

 

 その先、人通りのまばらな広場の片隅に、廃材を雑に組み上げた粗末な木造屋台が設営されていた。

 暖簾には手書きのマジックで『忍忍ホルモン丼』とデカデカと殴り書きされている。

 

「さぁさ! 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!! 忍忍ホルモン丼だよぉーーー!!! バズり間違いなし! 次世代を担ぐ新時代丼はいかがーーー!!!!」

 

 ハチマキをきつく締め、銀髪のタヌキ耳をぴこぴこと激しく動かしている少女が二刀流の鉄ベラを激しく振るっていた。

 

 

 ジャッ! ジャッ! ジュワァァァッ!

 

 

 鉄板の上では、脂の乗った極厚のシマチョウ、ぷりぷりのマルチョウ、コリコリとした食感のギアラやハチノスが、秘伝のドロリとした漆黒のタレと絡み合い、白い煙をモクモクと立ち上らせながら狂乱の乱舞を繰り広げている。

 

 ジュルリ、とヒナの口元から無意識に唾液が溢れ出した。

 その視線に気づいた少女が、顔を上げて満面の笑みを弾けさせる。

 

「あっ、お姉さん! ウチのホルモン丼はいかが? 今ならご飯大盛り無料で1杯たったの500クレジットだよ!」

 

 キラキラと無邪気な光を宿した瞳で呼びかける少女。彼女は屋台の支柱にガムテープで何重にも頑丈に固定された最新型スマートフォンへと、チラリと視線を投げかけた。

 

「みんなーー!! 記念すべき本日のお客さん第1号が来てくれたよ! ミチルっち特製丼、美味しいと思ってくれるといいな!」

 

 どうやら生配信を垂れ流しながらのゲリラ営業を行っているらしく、スマホの画面上には、ヒナの姿がフレームインした瞬間から、サーバーが軋むほどの超高速でコメントが滝のように流れ落ちてきた。

 

 

・『おい待て嘘だろ!? 画面に映ってんのゲヘナの風紀委員長じゃねえか!!』

 

・『【緊急警告】今すぐ土下座して逃げろ! そいつはキヴォトス最強の暴食魔王だぞ!!』

 

・『絶対に刺激するなよ!? ちょっとでも機嫌損ねたら屋台ごと更地にされるぞ!!』

 

・『ミチルっちVS暴食の魔王とか、キヴォトス滅亡の頂上決戦キタァァァッ!!』

 

・『【スーパーチャット:10,000クレジット】全面戦争の勃発に1万スパチャ! どっちが勝っても被害甚大不可避!!』

 

 

 画面を埋め尽くす狂乱の警告メッセージの数々を、ヒナは視界の端にすら留めず、尊大な足取りで屋台のカウンターへと詰め寄った。

 

「……配信? んなものどうでもいいから早くホルモン丼を作りなさい。腹が減って倒れそうなのよ」

 

 腕を組み、冷え切った声で命令を下すヒナ。

 

「あっはははは! お姉さんせっかちだね! ところでお姉さん、あの人だよね? あのゲヘナの風紀委員長の空崎ヒナさんだよね! 超有名人じゃん!」

 

 ぴょんぴょん跳ねながら、手際よく鉄板の上のホルモンをヘラでかき混ぜる少女。

 

「私、百鬼夜行連合学院、忍術研究部部長の千鳥ミチル! ねぇねぇこの後サインくれない? そして動画のゲストに出てくれない? 『風紀委員長に忍法・煙玉の術を教えてみた!』ってタイトルでコラボしようよ!」

 

 人懐っこい笑顔を浮かべ、ズイッと顔をカウンター越しに近づけてくるミチル。

 ヒナの額に、ピキリと青筋が走った。

 

「は? 黙れ。お前のその薄汚いタヌキ耳を引きちぎって、ホルモンと一緒に鉄板で炒められたくなかったらさっさと作れ」

 

「ちぇー、ケチくさー。有名人なんだから、ちょっとくらい愛想よくしてくれたって減るもんじゃないのにさー」

 

 ミチルはブータレながらも口を尖らせ、鉄板の上で炒められているホルモンの山へ、脇のボウルから『あるもの』を豪快に一掴みして放り込んだ。

 

「オイ」

 

「んー? なにー?」

 

 ヒナの全身から漏れ出す凶悪な殺気を感じ取っていないのか、ヘラを動かしながら呑気に振り返るミチル。

 

 ヒナの真紅の双眸が、血走った怒りによって細められる。

 

「お前……なぜ『野菜(ゴミ)』を入れた?」

 

 ヒナの目の前の鉄板。

 

 そこには、こんがりと焼けた極上のホルモンに混じって、シャキシャキの玉ねぎスライス、青々とした新鮮なニラ、そして大量のもやしが豪快にぶち撒けられ、特製タレをぐんぐんと吸い上げながらジュージューと音を立てて炒め合わされていた。

 

「ゴミー? あ、野菜のことか! やっぱ、ホルモン炒めには野菜がなきゃ始まらないっしょ! 脂っこさを野菜の甘みと水分で中和して、バランスよくシャキシャキ食べるのが真の美味しさなんだよ!」

 

 満面の笑みで胸を張るミチル。今にも世界を更地に変えそうな形相をした目の前の悪魔に向かって、悪びれる様子もなくペラペラと言葉を重ねる。

 

「あっ、もしかしてお姉さん、野菜が嫌いな感じ? ダメだよー、好き嫌いは! 身体に悪いんだから、ちゃんと緑黄色野菜も食べなきゃ大きくなれないよ? というか、あの泣く子も黙るゲヘナの風紀委員長様は、実はお子様舌の野菜嫌いだったんだ! みんなー! 大スクープだよーー!!」

 

 キャッキャと特ダネにはしゃぎ、スマホのカメラに向かって満面の笑顔でダブルピースを掲げるミチル。

 その瞬間、配信画面のコメント欄は、先ほどまでの熱狂を一瞬で通り越し、完全なる絶望と阿鼻叫喚の地獄絵図へと叩き落とされた。

 

 

・『ああああああああああああああああああああッッッ!!!!』

 

・『終わった……百鬼夜行とゲヘナの全面戦争確定だ……』

 

・『【南無阿弥陀仏】享年17歳、千鳥ミチル。安らかに眠れ。』

 

 

「…………もういいわ」

 

 絶対零度の声が、路地裏の空気を分子レベルで凍結させた。

 

 

 ガシッ!!!

 

 

 目にも留まらぬ神速の手刀。ヒナは熱せられた鉄板の熱気をものともせず、ミチルの制服の胸ぐらを左手で鷲掴みにすると、そのまま怪力で空中に引き上げ、自身の足元のアスファルトへと力任せに引きずり下ろした。

 

「うわああああああ!!!? ちょちょちょっ!!! 熱いよ危ないよお姉さん!! なにすんのさーー!!」

 

「黙れ、お前は我が法において万死に値する禁忌を犯した。罰として、屋台にある在庫のホルモンはすべて押収・徴収するわ」

 

 盗賊の極意を見せつける治安維持隊の王。

 法と正義を盾にした、純度100%の理不尽な横暴。諸君、これが弱肉強食の世の中だ。

 

「もぉー! 馬鹿にしたのは悪かったって! お詫びに野菜を全部抜いた、ホルモンだけの特製丼をイチから作り直すから地面に下ろしてよー!」

 

 ミチルは宙吊りにされたまま、手足をバタバタと激しく動かして喚き散らす。

 だが、そんな小動物の抵抗で空崎ヒナの氷の眼差しが揺らぐことなど微塵もなかった。

 

「もう遅い。王の執行は絶対よ。お前の作ったゴミは、この手で粉砕してあげるわ」

 

 ヒナの空いた右腕の拳が、ボキリ、ゴキリと鈍い音を立てて鳴り響く。

 

「それにしても配信? 『素人』が生意気に『タレントごっこ』してんじゃないわよ。はっきり言ってアンタ、何の『才能』もないわ。くだらないお遊戯を垂れ流して他人に迷惑をかけるくらいなら、これを機に田舎に帰ってママのおっぱいでもしゃぶってなさい」

 

 冷酷極まりない侮辱の言葉が放たれたその時ーーー。

 

 

 

 ピキリ。

 

 

 大気そのものに、目に見えない亀裂が入る音がした。

 

「あ?」

 

 ヒナは、手の中で暴れていたはずのミチルが、ピタリと動きを止め、1mmも揺らがなくなっていることに気づいた。

 

 ミチルの顔から、先ほどまでのふざけた笑顔が、まるで剥製のように完全に剥がれ落ちていた。

 瞳のハイライトは漆黒の闇に呑まれ、深淵のような絶対の虚無が宿っている。

 

 路地に転がった配信用スマートフォンからは、凄まじい速度で戦慄のコメントが殺到していた。

 

 

・『あーあ、言っちゃった……』

 

・『風紀委員長、完全に終わったな』

 

・『【速報】空崎ヒナ、即死トラップをフルコンボで踏み抜く』

 

・『素人、タレントごっこ、才能ない……全部ミチルっちの『NGワード』だぞ……』

 

・『南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……キヴォトスの皆様、今までありがとうございました』

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 

「誰が『タレントごっこ』の『才能』ない『素人』だああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 ドガアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!!

 

 

 千鳥ミチルの魂の咆哮が、商店街を揺るがして炸裂した。

 

「なっ…!?」

 

 震源地にいたヒナの身体が、暴風のような衝撃波によって後方へ吹き飛ばされそうになる。

 屋台の木組みはバキバキと音を立てて木っ端微塵に崩れ去り、鉄板が飴細工のようにへし曲がり、周囲のアスファルトとコンクリートが円形にめくれ上がって粉砕された。

 

 

 ガッ…!!!

 

 

「うぐっ…!!」

 

 時速300kmのダンプカーが正面衝突したかのような超質量の衝撃が、ヒナの鳩尾へと突き刺さった。

 息を詰まらせたヒナの身体が、グンッ!! と重力を無視して宙高くへと垂直に持ち上げられる。

 

「ふざけるなよ……」

 

 そこには、片手でヒナの分厚い軍服の胸ぐらを鷲掴みにし、軽々と頭上へ掲げているミチルの姿があった。

 その腕の筋肉は、鋼鉄のワイヤーのように軋み、全身から立ち上る深紅のオーラが周囲の空気を焼き焦がしていく。

 

「ふざけるなよお前……」

 

【八囚人:暴虐の銀狸】

 

  【も と い】

 

 

「ふざけるなああああああああああああ!!!!!!!! お前が馬鹿にした創作の苦しみが骨の髄までわかるまで……『1ヶ月』は絶対に離さないから覚悟しておけぇぇぇぇっっっ!!!!」

 

 

【七つの大罪:憤怒のミチル】

 

 最後の大罪、憤怒の魔獣による終わりのないアポカリプスが、今まさに幕を開けた。




次回、暴食 VS 憤怒。

このミチルっちについては、他作品の『少女忍法帖ミチルっち:忍法ブチギレの術』をご参照くださいませ。
https://syosetu.org/novel/407557/

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