葬送のプロファイラー 作:フィンチャー
1991年、4月。
カタ、と硬い音が鳴り、スライドプロジェクターの映像が切り替わる。
スクリーンに投影されたのは、アメリカの凄惨な殺人現場の写真。
そして、遺体に残された不可解な「犯行のサイン」を示す図解だった。
「……以上が、アメリカのFBI行動科学課が提唱する『
煙草の煙が充満する教壇に立っていたのは、どう見ても中学生にしか見えない異国の少女だった。
色素の抜け落ちたようなプラチナブロンドの髪。陶器のように血の気のない肌。
彼女——特別嘱託顧問のフリーレン・シュタイナー博士は、ずらりと並んだ日本のベテラン刑事たちを前に、一切の感情を含まない平坦な声で講義を続けていた。
「これまでの殺人事件は、金銭、
会議室には、苛立ちを含んだ舌打ちや、露骨な嘲笑が響いていた。
「アメリカのFBIはすでに、収監されている凶悪犯へのインタビューを通じ、彼らの行動を分類(プロファイリング)する研究を始めています。この国でも、近く必ず同じパターンの怪物が現れる。だから、過去の調書を分類し、データベースを構築する必要があるんです」
フリーレンは、苛立ちを隠そうともしない刑事たちを見渡し、淡々と問いかけた。
「殺人鬼は、生まれながらにしてそうなのか。それとも、環境が彼らを怪物に仕立て上げたのか。……もし後者なら、彼らの心理的『構造』を解き明かすことで、次の一手を予測することができるようになります」
部屋の最後列。壁際に立ち、その冷え切ったやり取りを静かに見つめていた男がいた。
国家公務員Ⅰ種試験をトップ合格したキャリア組の
◆◇◆
俺は一人、スクリーンに残された残像を見つめ、静かな興奮に包まれていた。
——犯罪者は、生まれながらにしてそうなのか。それとも後天的にそうなるのか。
俺には、他人の悲しみはあまりわからない。
だが、異常者の「狂気のロジック」だけは恐ろしい精度で同調し、理解できた。
俺は環境によって壊れたわけではない。
生まれながらにして、他者への共感が欠落した欠陥品なのだ。
ならば、俺自身のこの異常性も、彼女の言う「分類」に当てはまるのだろうか。
俺が現場で肌で感じてきた犯人の執着を、あの少女なら論理として解き明かせるのではないか。
「……もういいだろう、シュタイナー顧問殿」
最前列に座っていた捜査一課の幹部が、忌々しげに煙草をもみ消した。
「アメリカの変態どもの話はよくわかった。だがここは日本だ。犯人の自慢話を聞いて何になる? 我々は足で証拠を稼ぐ。机上の空論など、現場の邪魔だ。そんなガキのオカルト話に付き合っている暇はないんでね」
刑事たちが次々と席を立ち、嘲笑と共に会議室から出ていく。フリーレンは彼らを引き留めることもなく、ただ「そう」と短く呟き、退屈そうにプロジェクターの電源を切った。
「……おい、九条」
会議室を出ようとした俺の肩を、直属の管理官が乱暴に掴んだ。
その顔には、先ほどの講義に対する苛立ちと、俺に対する明確な嫌悪が浮かんでいた。
「お前、あの魔女の講義を熱心に聞いていたな」
「犯罪心理における非常に合理的な分析アプローチです。私自身も現場で、犯人が残す無意味な『サイン』を感じることが——」
「だからお前は気持ち悪いんだよ」
管理官は、俺の言葉を吐き捨てるように遮った。
「お前のその、まるで犯人の考えがわかっちまうような気味の悪い世迷言。現場じゃ誰も組みたがらない」
「…………」
「明日からあの魔女のいる『特例科学捜査班』に行け。地下のゴミ箱で、せいぜい変態どもの心理学でもやってろ」
宣告を受け、俺は無言で一礼した。
◆◇◆
そして俺は今、本庁舎の地下深く、雨音すら届かないカビ臭い廊下を歩いていた。
ドアの擦れたアクリル板には、『特例科学捜査班・資料室』とある。
俺はネクタイの結び目を直し、完璧な愛想笑いを顔に貼り付けて、ドアをノックした。
「失礼します。本日付けで配属されました、九条裕理です」
ドアを開けた先は、窓のない歪な空間だった。
無数の段ボールと、変色した調書の山。
その中央に置かれたデスクの上に、彼女はいた。
シュボッ、とマッチを擦る音が響く。
サイズの合わない古いトレンチコートを羽織り、黒いタートルネックを着込んだ少女が、死体写真の山の上で
「……」
細く吐き出された紫煙が、薄暗い部屋の空気を淀ませる。
彼女は俺を一瞥すると、デスクに置かれた青いボトルからラムネを数粒放り込み、奥歯で噛み砕いた。
「驚いてないね」
感情のない、平坦な声が俺の挨拶を遮った。
「他の刑事はここに来ると、怒るか、気味悪がって目を逸らすのに。君は『戸惑っている』という顔の筋肉を動かしているだけで、本当は、私が子供だろうが、ここに死体の写真が散らかっていようが、どうでもいいと思ってるでしょ」
俺の足が止まった。顔に貼り付けていた愛想笑いが、微かに引きつる。
「隠さなくていいよ。君が私に興味がないように、私も君の建前には興味がないから。……君、自分の中身が空っぽだから、他人の頭の中を覗き込んで、その狂気で隙間を埋めてるんだね。すごく燃費の悪い生き方だよ」
それは、大袈裟な推理ではなかった。
ただ、彼女の目に映った「九条裕理」という個体の構造を、淡々と描写しただけだった。誰も言語化できなかった俺の異常性を、この少女は出会って数十秒で、ただの事実として突きつけてきたのだ。
俺は手で顔を覆い、肩を震わせた。それは、俺が警察に入ってから初めて見せた、本物の反応だった。
「……あなたの前では、俺はマトモな人間のフリをしなくていいんですね」
俺は顔を上げ、憑き物が落ちたような暗い瞳で彼女を見下ろした。
無言でスーツの内ポケットから自分の煙草を取り出すと、火をつけ、深く煙を吸い込んだ。
肺を満たすニコチンが、俺の中の『演技』という重い枷を溶かしていく。
「九条裕理です。先ほどの非礼をお詫びします、シュタイナー先輩」
俺は紫煙を吐き出しながら、彼女の新緑の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そして、先ほどの講義の続きを。……異常者は生まれながらの怪物なのか、それとも作られるのか。俺自身がどちらに分類されるのかも含めて、あなたからじっくりと聞かせてほしい」
フリーレンは、煙草の煙の向こうで俺を一瞥した。
「好きにすればいいよ」
あと名前はフリーレンでいいと呟き、彼女は短くなった煙草を灰皿に押し付け、どこか遠くを見るような、底知れない瞳で俺を見つめ返した。
「私は、人間を知りたいんだ」
その言葉は、冷たい地下室の空気にひどく重く響いた。
「色々な時代で、色々な名前で生きてきたけどね。最近の人間は、昔よりずっと『複雑』になった。どうして自らの同族を、あんなにも無駄で非効率な方法で壊してしまうのか……それを前の席で眺めて、理解するには、警察が一番都合が良かった。ただそれだけだよ」
彼女は山積みの調書から一枚の写真を抜き出し、俺の胸元へと放り投げた。
それは、アメリカのFBI捜査官たちが刑務所で面会記録をとっている古い記録写真だった。
「私はずっと、収監されている凶悪犯へのインタビューを通じた行動科学の研究を、この国でもやろうと提案してきた。でも、日本の警察は頭が固くてね。私一人じゃ刑務所の面会室にすら入れてくれなかったんだよ」
フリーレンはデスクからふわりと降り、俺の胸ポケットに収まっている警察手帳を指差した。
「でも、君という『公的な手足』ができたなら話は別だ」
「……行こうか、裕理。紙の記録をいくら眺めても、彼らの狂気の『構造』はわからない。生身の怪物を、自分たちの目で見極めにいかなくちゃいけないからね」
1991年、春。
のちに彼らは、日本中の猟奇殺人犯を対話によって解剖し、この国に「プロファイリング」という概念を作り上げることになる。
最も冷酷で奇妙な二人組が、日の当たらない地下室で誕生した瞬間だった。