葬送のプロファイラー   作:フィンチャー

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1.『女子大生連続誘拐殺人及び実母損壊事件』堂本健作

 

【対象者ファイル:01】

対象者:堂本健作(42歳・死刑確定囚)

知能指数:140以上

事件名:『女子大生連続誘拐殺人及び実母損壊事件』

 

[事件概要]

1970年代後半、6人の女子大生を言葉巧みに車へ連れ去り殺害。

その後、同居していた実母の頸部を狩猟用ナイフで切断し殺害。頭部を胴体から完全に切り離して自室の棚に安置したうえで、生前の化粧品を用いて入念な「メイク」を施すという異常な死体損壊を行う。数日後に自首。

多数の精神科医や科学警察研究所の学者が鑑定を実施したが、その凄惨な遺体損壊に至った論理的動機や心理メカニズムについては、現在に至るまで「解明不能」とされている。

 

 

 

 

 

1991年、5月。

東京拘置所(こうちしょ)の冷たいコンクリートの壁は、絶え間なく打ち付ける雨の音すらも吸い込んでいた。

 

「……法務省刑事局からの『広域凶悪犯罪者の心理傾向に関する特別調査』。責任者、特例科学捜査班(とくれいかがくそうさはん)・九条裕理警部。そして、特別嘱託顧問(とくべつしょくたくこもん)のフリーレン・シュタイナー氏、ですね」

 

分厚い防弾ガラスの向こうで、受付の刑務官が怪訝(けげん)そうな顔で書類と俺の警察手帳を見比べた。彼の視線は、俺の傍らに立つ「中学生にしか見えない白髪の少女」に釘付けになっている。

 

「九条警部。堂本はすでに死刑が確定した未決囚です。原則として親族と弁護士以外の接見は禁止されており、ましてや録音機材の持ち込みなど——」

「ええ。ですが、警察庁長官と法務省の『特例許可』は下りているはずです」

 

俺が事務的に答えると、刑務官は気味悪そうに舌打ちを飲み込み、重い鉄格子の電子錠を解除した。

 

「官僚のスタンプラリーも、役に立つもんだね」

 

(きし)む鉄扉を抜け、冷え切った待合室のベンチに腰を下ろすと、フリーレン先輩が青いボトルからラムネを取り出して言った。サイズの合わない古いトレンチコートには、雨の匂いが染み付いている。

 

「あなたの持っていた推薦状のおかげですよ。俺のバッジは、ただの通行手形です」

 

俺は手元の分厚い調書を開いた。

 

「最初の対象、堂本健作(どうもと けんさく)。現在四十二歳。身長一九〇センチ、IQ一四〇以上。七〇年代後半に六人の女子大生を車で連れ去り殺害。その後、同居していた実母の首を切断、激しく損壊(そんかい)したのち自首……。こんな、残虐で意味不明な遺体損壊をする狂人を、そもそも論理的に理解できるんでしょうか。科学警察研究所(かけいけん)の学者たちもサジを投げた男ですよ」

 

調書から目を上げると、フリーレン先輩は奥歯でラムネの粒を噛み砕いていた。

 

「彼は幻覚や妄想を見るような『狂人』じゃないよ」

 

先輩は立ち上がり、コートのポケットに両手を突っ込んだまま、ひどく平坦な声で言った。

 

「善悪のルールを完全に理解した上で、他人の痛みにだけ一切共感できない人間。良心の呵責(かしゃく)がなく、表面的な魅力や口の巧さで他人を操る……アメリカの行動科学では、彼らを『精神病質者(サイコパス)』と呼ぶんだ」

 

サイコパス。初めて聞くその不吉な単語に、俺は息を呑んだ。

他者への共感能力の欠如。良心の欠如。表面的な魅力と愛想笑いで、他人を思い通りに動かす手腕。

 

(……それは、俺のことじゃないのか?)

 

足元のコンクリートが崩れ落ちるような悪寒(おかん)が走った。俺がひた隠しにしてきた「空っぽの異常性」は、猟奇殺人犯のそれと全く同じ構造だというのか。

 

血の気が引く俺の顔を見て、フリーレン先輩は静かに歩み寄り、底知れない新緑の瞳で俺を見上げた。

 

「不安になった? そう、君の脳の構造は彼らにひどく近い。いわば高機能なサイコパスだ。……でも、君が彼らのような怪物じゃないのは、誰かを支配して壊したいという『歪んだ衝動(動機)』を持っていないからだよ。君はただ、中身が空っぽなだけだ」

 

彼女は俺の胸ポケットを指先で軽く叩いた。

 

「だけど、気をつけて。空っぽな君が彼らに同調しすぎると、いつかその狂気に引っ張られて境界線を越える。私が横で見ててあげるから、迷子にならないようにね」

 

それは、俺の首に繋がれた冷たくて頑丈な命綱だった。

俺は小さく息を吐き出し、深く頷いた。

 

「……面会室では、どう立ち回ればいいですか」

「彼を論破してはいけない。君のその『異常な共感力』を使って、良き理解者のフリをして、彼を気持ちよく語らせる。ただ録音だけして持ち帰るんだよ」

 

 

◆◇◆

 

 

ガチャン、と重い鉄扉が開き、面会室の空気が一気に圧迫された。

 

堂本健作。身長一九〇センチを超える巨大な肉体。しかし、その顔に獣のような狂気はなかった。分厚いアクリル板の向こうの丸椅子に腰掛けた男の顔には、知的な温和さと、礼儀正しい笑みが浮かんでいた。

これが、フリーレン先輩の言う「正気の仮面」か。

 

俺たちが丸椅子に腰を下ろすと、堂本はアクリル板に顔を近づけ、俺の手元にある調書とバッジを瞬時に見定めた。

 

「……なるほど。あなたが『九条警部』ですか。先ほど刑務官が持っていた面会票が見えましたよ。法務省の特例許可まで取って、死刑囚にわざわざ何を尋ねに来たのかと思えば……」

 

堂本は深く、落ち着いた声で言った。

まるで大学教授が、初めて研究室にやってきた学生を値踏みするようなトーンだった。

彼は次に、俺の隣に立つフリーレン先輩の白髪と端正な顔立ちを、興味深そうに観察する。

 

「まさか、こんな可愛らしく、ミステリアスな連れがいらっしゃるとは驚きました。お嬢さん、随分と整った顔立ちだ。いくつかな? 到底、こんなむさ苦しい場所にいるべき年齢には見えないが……海外の論文で読んだことがあります。被疑者の前にあえて幼い子供を同席させ、動揺を誘発する面会テクニックですか?」

 

男は先輩を小道具扱いすることで、こちらを値踏みし、主導権を握ろうとしていた。

 

普通の刑事なら、その傲慢(ごうまん)さに激昂(げきこう)するかもしれない。

 

だが俺は、先ほど指摘されたばかりの『表面的な魅力』というやつを都合よく引きずり出し、相手が望む完璧な笑みを貼り付けた。

 

「ええ、堂本さん。あなたの言う通り、これは心理学的なアプローチの一環です。ただ、彼女は子供ではありません。特殊な病気で外見の成長が止まっていますが、立派な成人済みの……我が班の優秀な特別顧問です」

 

俺がそう紹介しても、フリーレン先輩は挨拶すら交わさず、ただ退屈そうにラムネの粒を口に放り込んだ。堂本は少し驚いたように眉を上げ、喉の奥でくくっと笑った。

 

「立派な成人、か。それは失礼。病気とは気の毒だが……確かにその目は、到底子供のものじゃないな」

 

堂本はゆっくりと背もたれに寄りかかった。

 

「これまで、多くの精神科医たちが私にロールシャッハ・テストやMMPIを受けさせに来ました。『誰かに見張られている気がするか』『機械の雑誌を読むのが好きか』……透けて見えるんですよ、彼らの貧弱な採点基準が。私は試しに、古典的な妄想型統合失調症の数値を弾き出してやりました。彼ら、目を輝かせて必死にメモを取っていましたよ。滑稽ですね。……しかし、九条警部。あなた方は、そんな退屈なテストをしに来たわけではないのでしょう?」

 

俺は内心で舌を巻いた。この男はただ知能が高いだけではない。精神医学の知識を持ち、学者たちを意図的に操作して遊んでいたのだ。

 

「ええ、わかっています。我々はあなたを道徳的に裁きに来たのではありません」

 

俺は姿勢を前のめりにし、相手の領域に踏み込んだ。

 

――プロファイリング・インタビューの第一段階。

 

道徳的ジャッジを捨て、相手の知性を絶対的に肯定すること。

 

「これまでの警察の調書には、あなたの『行動』しか書かれていない。しかし私は、それでは不十分だと思っている。……我々は、あなたのその卓越した自己分析と、比類なき知性から、事件の『真実』を学ばせていただきたいんです」

 

『卓越した自己分析』『比類なき知性』。

 

その甘い言葉の響きに、堂本の目が微かに満足げに細められた。彼の傲慢な自己愛が満たされたことを確認し、俺はカセットレコーダーの録音ボタンを押し込んだ。静かなヒスノイズが回り始める。

 

「堂本さん」俺はペンを構え、第一の矢を放った。「あなたのような優秀な知能を持った人間が、どうやって形成されたのか。私はそのルーツに強い興味がある。……あなたの幼少期について聞かせてください。ご家族は、あなたの才能をどう育てたのですか?」

 

俺の問いに、堂本はつまらなそうに鼻で笑った。

 

「……ありふれた質問ですね、九条警部。フロイトの信奉者ですか? 私のルーツは私自身の中にしかない。血の繋がりなど、ただの生物学的な事故に過ぎませんよ。私の完璧な芸術(犯罪)に、家族のつまらない干渉を結びつけるのはやめていただきたい」

 

堂本は綺麗に言葉をコーティングして防御した。彼は絶対に自分から「弱み」を見せようとはしない。

ならば、別の角度からこじ開けるしかない。

 

俺はノートにペンを走らせる手を止め、ふと世間話でもするように口調を変えた。

 

「……なるほど。あなたは自分の過去を語るより、現在目の前にあるものを観察する方がお好きなようだ。先ほどから、ずっと彼女のことを気にしている」

 

俺の言葉に、堂本は隣で退屈そうにラムネを転がすフリーレン先輩から視線を外し、喉の奥で笑った。

 

「ええ。美しく、愛らしいお嬢さんだ。ですが……どうにも不気味でね。普通、若い女性は私という存在を前にすると、怯えるか、あるいは露骨な嫌悪を示す。私はその反応を見るのが存外好きなのですが……彼女の目は、まるで無機物を見ているようだ。その『反抗的』で、私を見透かすような視線は……ひどく不快だ」

 

堂本の声に、ほんのわずかだが、隠しきれない『苛立ち』が混じった。

俺の脳内で、バラバラだった情報のピースがカチリと音を立てて繋がる。

 

「……反抗的で、見透かすような視線」

 

俺は堂本の目を真っ直ぐに射抜いた。

 

「堂本さん。あなたは身長が一九〇センチもあり、並外れた知能を持っている。圧倒的な強者だ。だというのに、たかが少女の『怯えない視線』程度に、なぜそこまで苛立つのですか?」

 

「……何が、言いたいのです」

 

堂本の顔から、初めて笑みが消えた。

 

「あなたは過剰に反応している。まるで過去にあった不快だったことを思い出してるようだ」

 

俺は相手の領域に土足で踏み込み、一番柔らかい地雷を的確に踏み抜いた。

 

「あなたがまだ幼く、無力だった頃。あなたのその知性を認めず、まるで汚い無機物でも見るような目で、あなたをずっと見下し続けていた人間がいたはずだ。……それは、誰ですか?」

 

逃げ道を完全に塞がれた堂本の顔の筋肉が、わずかに、しかし確実に強張(こわば)った。

彼の瞳の奥で、どす黒い何かが渦を巻き始める。

 

「……母は」

 

堂本は机の上で両手を強く組み、記憶の底に蓋をしていた重い扉を開け、低く絞り出すような声で語り始めた。

 

「……母は、私を一度も人間として扱いませんでした。私は幼い頃から体が大きかった。彼女はそれを気味悪がり、私を家の地下室に押し込みました。『お前は異常だ』『外に出れば人を傷つける怪物だ』と。……私は十代のほとんどを、あの暗く冷たい地下室で、彼女の甲高(かんだか)罵倒(ばとう)だけを聞いて育った。私がどれだけ優等生を演じても、彼女の評価が覆ることは永遠にありませんでした」

 

「絶え間ない言葉の暴力。それは、あなたの精神を削り取る拷問だったはずです」

 

俺は相槌を打ちながら、ゆっくりと相手の領域(トーン)に踏み込んでいく。

 

「でも、あなたは反撃しなかった。長年耐え続けてきた。……なら、なぜ『あの夜』だったのですか? 何が、あなたの行動の引き金になったのでしょう?」

 

俺の問いに、堂本はひどく穏やかな、まるで昔の恋人の話でもするかのようなトーンで答えた。

 

「その日、母は私を見るなり吐き捨てるように言ったんです。『お前のような気味が悪い大きな図体で、偉そうな言葉を使うな。聞いていて虫酸が走る』と」

 

堂本の目が、暗い熱を帯びて俺を射抜いた。

 

「……九条警部。その時、私は確信したんです。ああ、この女の『喉笛(のどぶえ)』という部品が機能している限り、私の世界に平穏は訪れないのだ、と。壊れたラジオが不快なノイズをまき散らすなら、電源を物理的に切るしかないでしょう?」

 

語られる凄まじい精神的虐待と、そこから導き出された異常な殺意の論理。

俺はノートを見つめたまま息を呑んだ。堂本は生まれつきの悪魔ではなかった。言葉の暴力による徹底的な人格の破壊が、この知的な青年を歪め、引き返せない道へと追い込んだのだ。

 

俺は己の中の動揺を完全に押し殺し、インタビューを第二段階へと進めた。

 

「ええ、わかりますよ。あなたは言葉という暴力で、長年傷つけられ続けてきた。だから、まず彼女の声を『物理的に』沈黙させる必要があった。……首を切断し、気管を潰すという行為は、あなたにとって、自分の世界を守るための合理的で、必然の儀式だった」

 

「その通りです!!」

 

俺が理解を示した瞬間、堂本の巨大な体が歓喜に震え、丸椅子がギシッと悲鳴を上げた。

 

「あなたはよく分かっていらっしゃる! あの夜、狩猟用ナイフで彼女の頸動脈を切り裂いた時、私はついに四十年にわたる呪縛(じゅばく)から解放されたのです。……ですが」

 

堂本はふと声を落とし、アクリル板に顔を近づけた。その瞳孔が、異常な興奮で黒く見開かれている。

 

「……声帯を壊しただけでは足りなかった。私を見下していた彼女の目を、そして私を嘲笑っていたあの口を。今度は私が、完全に『支配』しなければならなかったということです」

 

堂本は両手で空中に何かを形作るような仕草をした。

 

「だから私は、切り離した頭部を棚の上に置き、彼女自身の化粧品で綺麗にメイクを施しました。私を『見上げる』ように角度を調整してね。……そうして、一切の抵抗も否定もできない、ただの物言わぬ肉の塊となった母に対し、私は絶対的な支配者としての行為を行ったのです」

 

堂本の理路整然とした狂気の濁流が、冷たい面会室を満たしていく。

「あれは単なる遺体損壊ではありません。私が私自身の魂を再構築するための、ひどく神聖な儀式だったのですよ!」

 

俺は呼吸が浅くなるのを感じた。

俺の「異常な共感力」が堂本の狂気に波長を合わせすぎた結果、俺自身の境界線が溶け出し、彼の行ったおぞましい行為が、論理的に正当なものに思えてくる錯覚。同調の底なし沼に引きずり込まれ、俺自身の輪郭が消えていくような恐怖。

 

(……不味い、呑まれる)

 

俺が無意識に隣へ視線を送ると、フリーレン先輩と目が合った。

彼女はラムネの瓶を机に置き、底知れない新緑の瞳で堂本を見据えたまま、指先でアクリル板の手前の机を『トン』と一度だけ叩いた。

 

――止まるな。もっと深くまで引き出せ。

 

その些細だが冷徹な合図が、俺の意識をこちら側の世界へと強引に引き戻した。

そうだ、俺にはこの命綱がある。俺は怪物じゃない。ただの器だ。

 

俺は小さく息を吸い込み、冷たい頭でインタビューの最終段階へと誘導した。

 

「……なるほど。あなたは自分を尊敬させるための『舞台装置』を作ったのですね。彼女を完全に無力な『物』に変えることでしか、あなたは自分の尊厳を取り戻せなかった。……素晴らしい。堂本さん、あなたのその卓越した自己分析のおかげで、事件の真実がようやく見えました」

 

俺の称賛の言葉がパズルの最後のピースのように嵌まると、堂本は完全に警戒を解き、堰を切ったように、さらに凄惨な凶行のディテールやその時の全能感を、意気揚々とカセットテープに吹き込み始めた。

 

その間、フリーレン先輩は一切口を挟まなかった。

彼女はただ、退屈そうに指先で机を撫でながら、雄弁に語るこの巨大な怪物の生態を、冷酷な目で観察し続けていた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

面会が終わり、冷たい雨の降る夜。

本庁の近くにある、警察関係者御用達(ごようたし)の薄暗い地下のバーに、俺たちはいた。

 

「……驚きました。そして、俺は自分の無知を恥じている」

 

カウンター席で、俺はロックグラスの氷を揺らしながら、隣に座るフリーレン先輩に絞り出すように言った。

 

「堂本の狂気は、生まれつきのものではなかった。あの凄惨な遺体損壊の原因が、幼少期の母親の虐待にあったとは……。もちろん彼に同情はしませんが、あそこまで人間の精神が環境によって精密に壊れていく過程には、恐ろしいほどの法則性を感じました」

 

「だから言ったでしょ。最近の人間は、複雑に壊れるようになったって」

 

フリーレン先輩は無造作に、雨に濡れたトレンチコートを脱ぎ捨てた。

現れたのは、体の線が出る黒いタートルネックと、膝丈のタイトな黒いスカート。そして足を包む黒いタイツだ。

 

彼女は「マティーニ、ジン多めで」とバーテンダーに注文すると、煙草に火をつけ、深い溜息とともに長い足をスッと組み替えた。シュッ、とタイツが擦れる微かな音が鳴る。その瞬間、俺の視線が、無意識に彼女の脚のラインへと吸い寄せられた。

 

(……おい)

 

中学生のような幼い顔立ち。小柄な体躯(たいく)

だというのに、バーの薄明かりに照らされたその所作には、数え切れないほどの夜を越えてきた女だけが持つ、気怠(けだる)く、圧倒的に成熟した色気がまとわりついていた。

 

露わになった白い首筋と、アルコールで微かに(しゅ)を帯びた頬。

 

俺は呼吸を忘れてその横顔に見惚れ、

(ダメだ、異常者に当てられて頭がおかしくなりかけてる)

と慌てて強いウイスキーを胃に流し込んだ。

 

フリーレン先輩は俺の動揺など気にも留めず、静かに煙草の煙を吐き出した。

そして、グラスの縁を指でなぞりながら、ふと、ひどく優しい声を出した。

 

 

「でも、今日はよくやったよ、裕理」

 

 

俺が驚いて顔を向けると、先輩は目を細め、まるで手のかかる愛弟子を愛おしむような、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「君の同調は完璧だった。あの怪物の深淵に本気で波長を合わせて、一番核心にある美味しいデータを引きずり出した。……ギリギリで狂気に呑まれそうになってたけど、私が手を引けばちゃんと戻ってこれる」

 

彼女はマティーニのグラスを持ち上げ、俺のロックグラスに軽く当てた。

カチン、と涼やかな音が鳴る。

 

「私の見込んだ通りだ。君のその『空っぽな異常性』は、この仕事において最高の才能だよ」

 

俺はグラスを持ったまま、言葉に詰まった。

他人に共感しすぎる。自分がない。化け物と同じ思考回路を持っている。――ずっと自分を苦しめ、忌み嫌っていた俺のその欠落を、彼女は「最高の才能」だと肯定してくれたのだ。

冷え切っていた胸の奥に、奇妙な熱が灯るのを感じた。

 

「……どう? 裕理。この得体の知れない仕事、やる価値はあると思えた?」

 

「ええ」

 

俺は今度こそ、心からの笑みを返した。

 

「刑事としての善悪の物差しでは、一生辿り着けない真実がそこにある」

 

フリーレン先輩はマティーニのグラスを空にし、椅子から立ち上がった。

 

「裕理。現場のデータから、連続殺人犯は大きく二つのタイプに分類できるんだ。衝動的で知能が低く、現場に証拠をまき散らす『無秩序型(ディスオーガナイズド)』。

そして……計画的で知能が高く、社会に溶け込みながら証拠を隠滅する『秩序型(オーガナイズド)』だ」

 

「堂本は、自身の犯行を完璧に計画し、実行した。……後者ですね」

 

「そう。あいつの生態は、『秩序型』に分類しよう」

 

 

先輩はそこで言葉を区切り、地下のバーの小窓を打つ冷たい雨を見つめた。

 

 

「あいつには、データとしての利用価値がある。ただ何の意味もなく地下の独房で死刑を待たせるより、使えるものは徹底的に使うべきだ」

 

「使う……とは、次の凶悪事件の捜査にですか?」

 

「事件が起きてから対処するんじゃ、遅すぎる」

 

 

彼女は振り返り、真っ直ぐに俺の目を見た。

 

 

「あいつらがどうやって作られ、完全に壊れる前にどんな予兆を出すのか。その法則を分類して、全国の頭の固い所轄(しょかつ)に叩き込む。そうすれば、あいつらは見当違いの捜査で時間を無駄にせず、すぐに的を絞れるようになる。……それに、社会がサイコパスの構造を知れば、犠牲者が出る前に、危ない隣人に気づけるようになるかもしれない」

 

彼女の声はひどく淡々としていたが、その奥に潜む確かな熱に、俺は息を呑んだ。

 

「そうやって怪物の生態を丸裸にしておけば……次に救われる命が、一人でも増えるかもしれないでしょ」

 

ああ、なるほど。

 

俺はこの時、初めて理解した。彼女は単なる冷酷な観察者ではないのだ。

未来の悲劇を未然に防ぎ、誰かの命を救うという途方もない目的のために、自ら泥を被ってバケモノの深淵を覗き込もうとしているのだ。

 

彼女はコートを手に取ると、ふと思い出したように振り返った。

 

 

「あと、裕理」

「なんですか?」

「喋り方、素でいいよ。堅苦しいのは疲れるから」

 

 

それは、彼女なりの相棒への歩み寄りだったのだろう。

だが、この底知れない知性と、不器用な優しさを持つ魔女に対する畏怖と絶対的な敬意は、すでに俺の中で確固たるものになっていた。

 

俺は少し考え込み、精一杯絞り出すように答えた。

 

 

 

「……努力します、フリーレン先輩」

 

 

 

そのひどく不器用な返答に、先輩はやれやれと呆れたように小さく苦笑いをこぼした。

そして、まるで手のかかる弟を見るような柔らかな瞳で、微笑みかけた。

 

 

 

「まあ、いいか。……これからもよろしくね、裕理」

 

 

 

外はまだ、冷たい雨が降り続いている。

俺たちは薄暗いバーを出て、彼女の滞在先である、煙草の匂いが染み付いた味気ないビジネスホテルへと向けて夜道を歩き出した。

 

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