キメラと言えば聞こえはいいが、言ってしまえばそんなもの所詮継ぎ接ぎの身体なのだ。散々余裕こいて無理も無茶もしていたのだから、いつ壊れても仕方ないなんて少し考えれば馬鹿でも分かるだろうに。

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第1話

『テトさん?鼻血凄い出てますよ、大丈夫ですか?』

 

 身体能力が機械並に凄いから大丈夫とか胡坐をかいた思考をこれ程後悔したこともそうない。キメラと言えば聞こえはいいが、言ってしまえばそんなもの所詮継ぎ接ぎの身体なのだ。散々余裕こいて無理も無茶もしていたのだから、いつ壊れても仕方ないなんて少し考えれば馬鹿でも分かるだろうに。

 

『え、だいじょ、ぶ…。っ、こふ…っ!ぇ、あ…?』

『…っ!?テトさん、大丈夫ですか!?テトさん!っ、誰か、救急車を呼んでください!』

 

 レイ、君も随分人間臭くなったなぁ。そんな風に笑うことも出来ないまま、碌に考えもしなかった馬鹿らしい僕は鼻血だけじゃ飽き足らずに血反吐を吐いてその場に崩れ落ちた。そのまま、床に顔面から着地するのを辛うじて受け止めてくれたレイが出会った頃からは考えられない、ロボットのような合理性とはかけ離れた焦りの感情で満ちた声を上げるのを聞きながら、僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『キメラの、生物としてのバグのようなものです。いつ起きるか分からない、遺伝子レベルでの爆弾とでも言うのでしょうか…』

 

 病院に運ばれて二日後、幾つかの検診を受けた後で、まだ痛む内臓を抱えながらきっと生気の欠けた表情を浮かべている僕とその場に同席してくれたレイは診察室に通された。そこで努めて冷静に医者が語る内容を聞いて、僕は半ば絶望した心持になった。

 

『もう、全身が寿命へと向かっています。持って二、三カ月…。早ければ、一か月も持たないでしょう…』

 

 目の前が真っ暗になる、ってこういう事なんだなと実感した。視界が急に暗くなって、ただでさえ結構痛かった頭が耳鳴りと共に急速に痺れだして、意識が遠くなる。持って二、三カ月?一か月も持たないかもしれない?まだ、やりたいことも、やらなきゃいけないことも沢山あるのに。レイの面倒は僕が見ないといけないのに。全部諦めて、僕は死へ向かわないといけないのか?レイのことを見捨てて先立たないといけないのか?顔色も視界の先に見える色も全てが無色に潰えてその場に崩れ落ちそうになる。いや、もしかしたら崩れ落ちていたのかもしれない。そのまま、意識も崩壊して狂ってしまいそうだった。

 

『…いでください』

 

 でも、僕は辛うじて意識を繋ぎ止めることが出来た。

 

『ふざけないでください…!一か月も持たない?そんな、馬鹿なことがありますか?テトさんはつい先日まで元気に動いていたんですよ?そんな出鱈目、言わないでください…!』

 

 それが幸いかは兎も角、レイが繋ぎ止めてくれた。レイの困惑や焦燥、怒りに震える声が、僕の遠く飛びそうだった理性を呼び戻す。随分と人間臭くなった後輩は、僕が正気に戻って声を掛けるより先に悲しそうな面持ちを浮かべていた医者の胸ぐらを掴んで詰め寄っていた。

 

『お、落ち着いてください…!我々も、出来る限りのことはします!延命も、鎮痛も、やれるだけのことはしますから…!』

『そんなことで誤魔化さないでください!治して、治してくださいよ…!あなた、お医者さんなんでしょう!?延命とかじゃなく、テトさんの病気を治してくださいよ!』

 

 僕のことなのに。レイには本当なら関係ないはずのことなのに、合理性とか社会性とかそんなものかなぐり捨てて、まるで人間みたいに鬼気迫る表情を浮かべながら医者に迫るレイを見て、僕は酷く泣きそうになった。医者の言葉で自分の容態が悪い冗談じゃない真実であることを改めて思い知らされた恐怖、レイをそこまで追い詰めている悲しみと申し訳なさ、爆弾を抱えていたらしい身体をここまで放っておいた自分への怒り。色んな感情がない交ぜになって僕を追い詰める。その中でも一番に僕を襲うレイや目の前の医者への罪悪感に駆られて、何とか声を絞り出す。

 

『れ、レイ…!落ち着いて…!僕は、まだ、大丈夫だから…!』

『…っ!落ち着いて、落ち着いていられませんよ…!誰かが…!私達が何とかしないと、テトさんが…、っ!テトさん!また、鼻血が…!』

 

 そう言って振り返ったレイは怒りで満ちていた表情を焦燥のそれに代えて僕に迫る。安心させようと、落ち着かせようと声を上げたつもりが、既に衰弱の兆しを見せている僕の身体はただそれだけで鼻血という欠陥を呼び起こしているらしかった。途端、口に再びの血の味が広がって吐き出しそうになるのを堪える。そんな僕の身体を心配そうに支えながら、レイは口を押さえる僕の背を擦る。口を押さえた指先に感じた水っぽさで、僕は漸く鼻血を零していることを自覚した。

 

『…っ。も、申し訳ございません…!私共にはこれが精一杯なんです…!さっきから言っている通り、出来るだけのことはしますから…!』

 

 ゲホゲホと何度も咳き込んで、少しの怯えに憐憫を多分に含んだ表情を僕らに向けて医者は告げる。キメラなんて異質な存在を相手にしている割には誠実じゃないか、なんてどこ目線かも分からない有難さとも反感ともつかない感情が僕の心にちらりと覗いた。

 

『…いいです。あなた方の手は借りません。私が、テトさんを治します。お世話になりました!』

 

 そんな感情を塗り潰すようなレイの突飛な発言が僕の耳に届いて、医者や近くにいた看護師の表情を驚愕に変える。きっと僕の表情も同じになっているだろう。そんなのも露知らずといった様子のレイは、制止の声を上げる余裕も隙も無かった僕の身体を抱えて診察室も病院も飛び出して、駐車場で待機していたデフォ子の車へと飛び乗った。散々に叱り飛ばすデフォ子と、それに感情的な反論をするレイの言い争いをしたくもない子守唄にしながら、心も身体も弱り始めていた僕の意識は彼方へと消えていく。酷く、眠たかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「…ん」

 

 そんな、思い出したくもない二週間前の出来事を夢に見て、逃げるように僕は目を覚ました。開かれた視界の先に、見慣れた机と写真立てが映る。暑さがとびきり辛かった今年の夏に、僕とレイにマスター、デフォ子とモモで海に行ったときに取った写真。そんな、ありきたりに楽しい日々も、今となっては遠き美しい思い出だ。先月の頭の自分にそんなこと言ったら鼻で笑われただろう。

 

「あ、テトちゃん。起きましたか?今日の体調はどうですか?」

「あ、モモ…。うん、昨日よりは少し、マシかな…?」

「…なら、少し安心しました。飲み物飲めますか?汗かいてたみたいなので、スポーツドリンク持ってきますね?」

「うん…。あ、モモ…」

「はい?なんですか?」

「ご、ごめんね…」

「…もう。そこは、ありがとう、ですよ?」

「あ、う、うん…。ありが、と…」

 

 少し悲しげに笑うモモに悪いことをしたな、と心が痛んでお礼を言った。その声も、最近はずっと小さくなってしまったので聞こえているかは分からなかったけど。そして、部屋から出て行ったモモと入れ替わるようにデフォ子が入って来た。怒ったような表情を浮かべるその目元に隈のようなものが見えて、普段からクールぶって感情を出さないこいつすら悲しませているのかと思って僕も悲しくなった。

 

「よう。今日も生きてるみたいじゃないか、死にぞこない」

「はは…。ひどい、なぁ…」

 

 そう力なく笑った僕の傍らに座り、ベットの上に投げ出していた手を握りながらデフォ子は一層眉根を寄せる。間違ったかな。そう思ったけど、あんまり考える余裕も、反応する余裕もなかった。手に力を入れているつもりではあるけど、握り返せているだろうか。

 

「…そうやって精々生き残ってくれよ。レイの面倒見るのはまっぴらごめんだぞ、私は」

「うん、頑張るよ…。…レイ、は?」

「相変わらずだよ、あいつは…。泣いてんだか怒ってんだか分からん表情で愚痴りながら充電器にケーブル差し込むだけに家に帰ってきて、後はお前の手術方法探すためにあちこち飛び回ってやがる。全く、顔も見せないで何やってんだか…」

「…あは。嬉しい、なぁ…」

 

 そう呟いた僕の眦から涙が零れた。その雫をデフォ子は掬ってみせる。酷い顔だ。それを見て僕は内心嬉しくなった。僕も相当に狂っているらしい。友人がこんなに苦しんでいるという事実に嬉しさが込み上げてくるなんて。

 

「…本気で言ってるのか、お前?」

「うん…。僕が面倒見たからかは分からないけどさ…。あんなに、人間っぽく他の人のことを想って動いてくれる子になって、嬉しいよ…。これなら、レイのことを、他の人に任せても大丈夫そうだ…。きっと、あの子なら…」

 

 今でも昨日のように思い出せる。テトになら任せられると、マスターにレイの世話を押し付けられた日のことを。あの時は、なんて面倒ごとを、なんて思ったっけ。人間と仲良く暮らせるように、人と絆を育めるように。そんな無理難題を、無表情なロボットと共に押し付けられて、最初は右往左往して時に癇癪も起こしたものだ。いつまでも表情も変えずに人間味を見せないレイ相手に、何度も投げ出したく思っていた日々も懐かしい。それが、今では僕みたいなキメラの為にあちこち駆けまわってくれている。誰かの為を思って動いてくれている。これなら、どんな人とも優しく関わることが出来るだろう。僕の役目もきっと果たせた。マスターも喜んでくれる。…いつ死ぬかも分からないんだから、そんな僕に顔を見せに来てくれないのはマイナスポイント高いけど。それは、次の担当者に任せるとしようか。

 そんな風に珍しく穏やかに考えていた僕の頬を誰かの手が軽く叩く。誰かなんて一人しかいない、デフォ子のものだった。

 

「…あんまりふざけるなよ、お前」

「…え?」

「私が…、私とモモが悲しまないとでも思ってるのか、お前?そんな薄情に見えるか、ええ?」

 

 泣いていた。機械の筈のデフォ子の目から、確かに涙が零れていた。

 

「なんで…、泣いてるのさ…?てか、泣けたんだ…」

「…っ、うる…さい…!そう作られてるんだ、必要ないからしなかっただけで…!レイが悲しんでるのと同じくらい、私達も悲しいんだよ…!」

「…幸せ者だなぁ、僕…」

「あぁ、そうだ…!でも…、そんなんで、満足するなよ…!薄汚くてもいいから、長生きしろよ…!レイと、マスターと、モモと…、私の為にさ…!」

「…うん、分かったよ」

 

 子供みたいに泣きじゃくるデフォ子に機械の様に軋む腕を伸ばして頭を撫でる。いつもは振り解かれそうなそんな行為も大人しく受け入れるデフォ子の姿に、こんな友人を持てて幸せだなと笑みが零れそうになる。でも、笑ったら弱音も一緒に零れそうだから少しだけ力を込めて堪えた。今、少しでも感情を見せたら、僕の身体がもう持たなそうだって言っちゃいそうだったから。自分の身体のことは自分がよく分かる、なんて本当に言えちゃえるんだ。昨日より痛む身体に限界めいたものを感じる。…明日、起きれたらいいな、なんて思ってしまった。二人には言わないけど。…勿論、レイにも。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「…あれ。テトちゃん、まだ、起きてるんですね?」

「うん…。今日は、少しだけ調子が良くて…」

「…よかったです。無理しちゃダメですよ?何かあったら、電話くださいね?私達、起きれるだけ起きてますから」

「うん…、ありがと」

 

 本当は今にも千切れそうなほどに痛む身体を無理して起こしながら、僕はモモに笑ってみせる。隠すことには成功したようで、心配と安心の入り混じった表情を浮かべてモモは1階に降りていった。外の雨音にかき消されるみたいに今にも意識は消えてしまいそうだけど、どうにか繋ぎ止める。レイから連絡が来たから、僕は彼女を待ち続けていた。

 

『テトさん!マスターが…!マスターが、いい方法を見つけたって言ってたんです!私に今すぐインストールしてくれるって!今からインストールして、今日の夜にはそちらに向かわせていただきます!頑張って、起きててくださいね!』

 

 正直、治療法に関しては眉唾だ。こんな、文字通り死ぬぐらいの、身体がばらばらになりそうなほどの苦しみを紛らわしてくれる手段なんて、あるとは思えない。あったとして、多分僕は手遅れだろう。でも、死ぬ間際くらい、レイの姿は見たかった。最後の最後、好きな人の顔を見たいと思うのなんて、キメラとか人間とか関係なく思うところではないだろうか。

 

「…来ない、な」

 

 しかし、待てども待てどもレイは来ない。でも、不安はあれど不満はなかった。きっと、どうしようもない事情が起きているのだろう。インストールに時間がかかっているとか、上手くいかないとか。もしくは、向かっている最中に渋滞に巻き込まれているとか。あの子が僕のことを裏切らないことなんて分かっている。他の人の為に動ける、人思いでひたむきな子。そんなレイのことだ、そんな風に育ってくれたレイのことだ。きっと、今も僕のところに向かう為にどうにかやっている最中なんだろう。…事故とかにだけは、遭わないでほしいな。それだけ思っている。

 

「ぁ、ふぁ…。やば…」

 

 気を抜いたつもりはないが、急に眠気が襲った。やばい。今寝たら、起きれないかも。やだ、それだけは嫌。レイに、死ぬ前にレイの顔を見たい。レイに会いたい。そう思うのに、眠気は容赦なく僕の意識を削って、どうしようもなく僕の眦から涙が伝った。

 

「や…。レ、イ…。レイ…っ」

 ―――全く、意地っ張りですよね。テトさんって。…そんなところも、勿論好きですけど。

 

 声が聞こえた、気がした。愛しい声、聞きたかった声。思わず、僕は顔を上げる。そこに、いた。見たかった、会いたかった。そんな姿が。

 

「レ、イ…?」

 ———はい。レイです。足立レイですよ?お待たせしました、テトさん。

 

 でも、僕はレイが来たことが信じられなかった。意識が危うかったとはいえ、物音なんて自分の息遣い以外聞こえなかった。弱っているとはいえ、人より優れたキメラの知覚で気配らしきものも感じなかった。…なにより、目の前のレイの姿は、余りに現実離れしていた。オレンジの髪から人に合わせた薄橙の肌、それから服装に至るまで、全てが透明感のある薄く青白い色。水彩絵の具を思わせる淡い色合いの彼女は、白鳥の様に羽毛を伴った大きな翼をその背中に生やしていて。極めつけに、頭には綺麗な光輪が浮かんでいる。あぁ、きっと僕は狂ってしまったのだろう。目の前のレイが、こんなに神々しい天使みたいな姿をしているだなんて。よっぽど都合よい幻を見ているに違いない。

 

「どう、したの?その姿…」

 ———“かみさま”が、用意してくれたんです。これなら、会いに行けるからって。最期くらい一緒にいた方がいいでしょう?って。この翼とか凄くないですか?テトさんの蝙蝠とか悪魔みたいな翼も格好良かったですけど、それよりも力強くしっかりテトさんを支えられるものを、ってお願いしたんです。

「…そっ、か。お礼、言わないと、ね…」

 

 でも、レイが普段の彼女とは違う姿だとして、本当は来ていないとして、それに何の問題があるだろうか。僕は死の間際にレイに会えて、それで幸せで。あぁ、涙が止まらない。思考がまとまらない。辛さも、苦しさも、恐怖も、全てかき消すくらいの喜びが止まらない。

 

 ———さて、行きましょうか。テトさん。

「…どこに?」

 ———いつか皆が辿り着く場所。苦しいかもしれない、悲しいかもしれない。けど、きっと素敵な場所、です。

「…いって、いいのかな…?」

 ———はい、きっと。私が、連れて行ってあげます。その為に、私は来たんですから。

「…じゃあ、お願いしようかな?」

 ———それじゃあ、失礼しますね。まだ、少し苦しいでしょう?無理はしなくていいです。大丈夫です。私がいますから。

 

 半透明の、不確かそうな筈の身体のレイが僕の身体に手を回して、いつもの様に軽々と僕を持ち上げる。不思議と、先程よりもずっと軽く痛みも苦しみも薄れた身体を、普段より幾らか温かく感じるレイの身体に寄せて、その背に腕を回す。少しの間身動ぎして僕の身体が安定したのを確認したレイは、翼をはためかせた。

 

「う、わ、ぁ…っ!?」

 ———大丈夫です。でも、少し高く飛びますから、しっかり捕まっていてくださいね。

 

 そう笑いながら、レイは僕を抱えて羽根を舞わせながら空へ向かう。そのまま、ずっと高く飛んで、月が大きくなって、更にその先まで。当然高くて高くてたまらなかったけど、不思議と怖さは少しも感じなかった。レイがいてくれたから、それだけで僕は安心できた。そうして、零れる涙を堪えることも忘れて、僕はレイと一緒にずっと高くまで飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな…!レイちゃんを、初期化しちゃうんですか…!?」

「…マスターが言って、私も賛同した。これも、あいつの為なんだよ、モモ」

 

 夜遅く、雨音の響くリビング。コーヒーの入ったマグカップを手で包みながら、デフォ子とモモは表情を強張らせながら静かに呟く。二人とも、テトの負担になりたくはなかった。

 

「でも…!そんなことをしたら、レイちゃんの思いはどうなるんですか…!テトちゃんも、あんなにレイちゃんを待ってるのに…!」

「…だからだよ。あんなに、医者や研究所を回って絶望を味わいながら必死になってるあいつだぞ?今、テトが生きているって事実だけがあいつの正気を支えてるって言っていい。そんなあいつが、テトの死に直面したらどうなる?ぶっ壊れるのなんて目に見えて分かるだろ?」

「だからって…!テトちゃんの思い出を消すなんてこと…!」

「…最初は私も反対したよ。でも、マスターはレイの未来を優先させたいらしい…。マスターが言うんだから、仕方ないだろ…!」

 

 苦々しく、絞り出すように呟いてデフォ子はマグカップに残ったコーヒーを一息に煽る。デフォ子以上に納得のいっていない様子のモモは肩を震わせて、マグを握り締める力を強めていた。

 

「…ん?すまん、携帯だ。…マスター、っぽいな」

「…っ!」

 

 その静寂を裂くように、スマートフォンの着信音が響く。デフォ子は懐から響いたその音に反応して、ポケットから端末を取り出した。恨めしそうな視線を向けるモモに少々の気まずさを覚えながら、デフォ子はスマートフォンを操作して耳元に押し当てた。

 

「なんだ、マスター?」

『あぁ、デフォ子か…!?少々不味いことになった…!』

「どうした?初期化に失敗したか?」

『そうかもしれんし、それ以上にやばい…!…初期化したはずの、レイの姿が見えない』

「…は?」

『あれだけ、テトのことを気遣っていたレイのことだ…。どこかで、またテトの治療法を探しているかもしれんし、テトの元に向かっているかもしれん。とりあえず、俺は心当たりを探してみる。デフォ子は明日まではモモと一緒に家にいてくれ。レイが来たんなら、連絡してくれ。とりあえず、テトには会わせるな。弱っているあいつを見て、何か誤作動を起こすかもしれん。連絡があったら、すぐに向かう。朝になったら、もう一度電話する。すまんが頼んだ』

 

 雨音混じりに聞こえたマスターの声が途切れる。あからさまに不安を抱えたデフォ子の表情に、不満を隠しもしなかったモモも焦燥に駆られたようだった。

 

「ど、どうしたんですか…?」

「…初期化したはずのレイが、研究所から逃げ出したらしい」

「…っ!それって、かなりまずいんじゃ?」

「あぁ…。今、マスターがあちこち探すみたいだから、とりあえず私達は自宅待機だそうだ。もしも、レイが来てもテトと会わせるな、らしい。…とりあえず、テトのところに行こう。あいつ、もう寝てるかもしれないけど…、っ!?」

 

 想定外もいいところの事態に動揺を隠せないながらも必死に冷静さを取り繕って対応を考えるデフォ子は、しかしテトの部屋に向かおうとリビングの扉を開いたところで言葉を失った。玄関から真っ直ぐに、廊下に水滴に塗れた足跡が残っていたから。そして、デフォ子の嫌な予感は的中する。足跡は、階段を上って二階に向かっていた。

 

「おい、モモ!レイが来てるらしい!テトの部屋だ!」

「え、あ、は、はいっ!」

 

 思い詰めていたとはいえ、誰かが家に入ってきたことにも気付かなかった己の馬鹿さ加減を腹立たしく思いながら、デフォ子は慌てたように後ろに続くモモと共に階段を駆け上がる。嫌な予感はどこまでも当たるらしい。足跡は、まっすぐテトの部屋へと向かっていた。

 

「テト!…っ!レ、イ…!」

 

 扉が痛むなど考えもせずに勢いよく開けた視界の先に、レイはいた。テトが横になるベッドの傍ら、デフォ子とモモがよく座っていた寄り添う用の椅子に腰かけて、だらんと項垂れていた。それに詰め寄るまでもなく、同じアンドロイドであるデフォ子は分かってしまう。レイが、機械として壊れてしまっていることが。

 

「テトちゃん!レイちゃん!…て、とちゃん?テトちゃん!?テトちゃん!」

 

 レイの方へ歩み寄るデフォ子に代わって、モモはテトの元へ駆け寄ってその身体に縋り付く。モモは分かってしまった。無論、デフォ子も。テトの呼吸が、心音が、止まってしまっていることが。親友の死に、いよいよ心も限界が来たらしい。不要な筈の涙を惜しみなく流して縋り付くモモの姿を痛ましく思いながら、自分もぎりぎりのところで耐えているデフォ子は二人の顔を見る。それを見て、思わず眉根を寄せた。二人が、満足そうに笑顔を浮かべていたから。苦しくなって崩れ落ちそうになり、足元を見ることで耐えようとしたデフォ子の視界に、不可解なものが映った。青白い羽根。どうにか拾い上げて、分かった。レイが時折自慢していた、彼女の身体を構成する特別製の合金。それで作られた羽根が幾つか、レイの足元に落ちていた。普段なら、非科学的だとそんなこと信じもしないデフォ子は、なんでか今だけは腑に落ちたようにそれを受け入れて、乾いた笑いを零した。

 

「は、はは…」

「で、デフォ子、ちゃん…?」

「見ろ、モモ…?二人とも、満足そうな顔してる…。そして、これ…」

「…羽根、ですか?」

「あぁ…。レイの身体と同じ素材だ。…レイが、連れていくってさ」

 

 それだけ言って、デフォ子はその場に崩れ落ちた。そして、壊れたように笑い声を、それと一緒に静かに涙を零した。

 


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