救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
エリシアたちの一行は、
ゲリラのアジト内、作戦会議室にいた。
湿った空気が部屋に沈んでいる。
誰もが、
あの“キィィィィィン”という音を忘れられずにいた。
ゲリラの代表格の男が、
皆が席に着いたことを確認し、ゆっくりと口を開いた。
「……まず、聞いてもらいてぇ」
低く掠れた声だった。
「この山で、何が起きてるのかを」
エリシアは真っ直ぐ頷く。
「お願いします」
男はしばらくエリシアを見つめ、
やがて静かに言った。
「……最近、この辺じゃ噂になってる」
“アルディア王家の生き残りがいる”ってな」
作戦室の空気がわずかに張る。
ミレイユの目が細くなった。
だが、男は構わず続けた。
「正直、本物かどうかなんざ分からねぇ」
ローデンが眉をひそめる。
「無礼だぞ」
「疑うなって方が無理だ」
男は即座に返した。
「俺たちは何度も騙されてきた。
“帝国に逆らえる”って話に乗せられて、
死んだ奴もいた」
静寂。
その中で、エリシアは静かに口を開く。
「……当然です」
男が少しだけ目を細める。
「私は、まだ何も成し遂げていません。
信じてもらえるだけのものを、何一つ」
その声に、虚勢はなかった。
ただ、真っ直ぐな悔しさだけがあった。
男は小さく息を吐く。
「……だがよ」
拳を握り締める。
「もう、後がねぇんだ」
「村は削られ続けてる。
食い物も、家畜も、冬を越す蓄えも、
全部持っていかれる」
男の声が少し震えた。
「子どもは、あの音を聞くだけで泣く」
キィィィィィィィィィィィィン……
遼の脳裏に、あの耳障りな音が蘇る。
「逆らった村は焼かれた。
連れていかれた奴もいる」
男は奥歯を噛み締めた。
「このままじゃ、どうせ全員死ぬ」
そして、
真っ直ぐエリシアを見る。
「だから賭ける。
“王家の生き残り”って噂に」
男が、そう言い切ると、
作戦室にはシン…とした静寂が訪れる。
エリシアは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく。
だが力強く頷く。
ゆっくりと、言葉を発した。
「……必ず、
あなたたちを見捨てません」
男はしばらく黙って、エリシアを見つめた。
王女だとか姫だとか、そういう話ではなかった。
ただ、あの村の子どもにしがみついていた目を、思い出していた。
「……いいぜ」
ため息のような声だった。
「どうせ俺たちは後がねぇ。
あんたみたいな目の人間に賭けるのが、
一番マシな死に方かもしれねぇ」
男は、一度深く息を吸う。
そして、机の上に古びた地図を広げた。
その動きに、遼たちも、地図に視線を集中させた。
「……俺たちは、奴らの弱点を探り続けてきた。
次に聞いてほしいのは──奴らの“命綱”だ。」
一斉に、息を呑む音が聞こえる。
エリシアの目も、思わず開いていた。
男は地図の一点──
“落燕谷”と呼ばれる、U字渓谷地帯を指で叩いた。
「この先には、開けた土地になっている。
そこに、奴らの補給基地がある。
燃料も食糧も、全部ここに集まる」
ローデンが地図を凝視しながら、
低く答える。
「……やはり、そこか。
王国軍も、そこで……」
男は頷き、続けた。
「連中、空を飛んでいる時は神様気取りだが……。
飛行部隊は、燃費が悪い。
補給を断てば、奴らは空を飛べねぇ。
つまり──“勝てる”。」
俄かに、部屋の空気の温度が上がる。
エリシアは、少し興奮した面持ちで、顔を上げた。
「では……!」
「だが」
男の声が重く落ちた。
「ここは“処刑場”だ」
「……どういうことでしょうか」
再び、部屋の空気が重くなる。
剣呑な言葉に、ミレイユが疑問を口にした。
ミレイユの言葉に、男は答えた。
「落燕谷に入った地上軍は、
側面を崖に囲まれて、逃げ場がねぇ。
翼槍隊に、上から一方的に狩られるだけだ。
今まで何度も、挑んだ連中がいた」
男は、奥歯を噛みしめ、肩を震わせながら、
絞り出すように言った。
「……全員死んだ」
その言葉に、またしても、
水をうったような静寂が、部屋を満たした。
突破口はある。
しかし、決して届かない。
もどかしい静寂の中、遼が静かに口を開いた。
「……他に。
他になにか、“有益なこと”はないか?」
「谷が危険だってこと以外……
特に、思いつかねぇな」
弱弱しい、否定の声。
遼は、ゲリラたちの顔を順に見たが、
皆、表情は、暗い。
――ふと。
窓の外を、ツバメが一羽、低く横切った。
「……あれ」
若いゲリラが、何気なく呟く。
「ツバメが低く飛んでる」
「夜明け前にツバメが低く飛ぶ日は……
霧が裂けるんだよな。
昔からそう言うだろ?」
別のゲリラが笑った。
「そんなの迷信だ迷信。
年寄の言うことなんざ、今は気にしてる場合じゃねぇよ」
「だよな……でも、なんか気味悪くてさ」
高地に住む人々の、ただの迷信じみた話。
誰も気に留めたりはしない。
だが──
遼だけが、動きを止めた。
窓の外のツバメを、目で追う。
低い。やけに低い。
地面を舐めるように飛んでいる。
なぜ低く飛ぶのか。
脳裏で、昨日のガルドの軌道が蘇った。
谷を切り裂くように、あの男は飛んでいた。
迷いなく。速く。まるで空に「道」があるかのように。
「……待て」
遼の呟きに、
全員の視線が集まった。
「……そういうことか」
エリシアが不安そうに声をかけた。
「リョウ……?」
遼は地図の一点を指で叩く。
「……普通なら、無理だ。
でも──。
もしかしたら、勝てるかもしれない」
一気に空気が張り詰める。
「本当に……?」
「ああ。
ただし──」
遼の拳が強く握られる。
「一歩間違えれば、
谷の中で全員死ぬ」
誰も声を出せなかった。
それでも遼は、
地図から目を離さない。
「……だけど、
やれる、かもしれない」
断言ではなかった。
確信でもなかった。
それでも、
その目だけは、何かを捉えていた。
エリシアが、息を呑む音がした。
ミレイユは遼を見ていた。
いつもの、評価するような目つきではなく、
何かを確かめるような目だった。
**
部屋の外では、
冷えた夜風が山を撫でていた。
遠く、
落燕谷の方角では、
霧が静かに流れている。
そして空では、
何羽ものツバメが、
低く、
低く飛んでいた。