救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
ガルド出撃から、時間を遡る。
ゲリラのアジト内、
作戦室には、重たい沈黙が残っていた。
卓上の地図。揺れる蝋燭。湿った空気。
その中央で、
遼は落燕谷を見つめ続けていた。
誰も、軽々しく口を開けなかった。
つい先ほどまで、“空の死神”は絶対だった。
だが今、遼だけが違う景色を見ている。
「……リョウ」
エリシアが静かに呼ぶ。
「本当に……
勝てるのですか?」
遼はすぐには答えなかった。
視線を地図に落としたまま、ゆっくりと口を開く。
「……条件付きだ」
ローデンが眉をひそめる。
「条件?」
「ああ。
全部揃わなきゃ成立しない」
遼は地図上の落燕谷を指でなぞる。
「まず前提として、
ガルドの飛行部隊は“地形を利用してる”」
ゲリラたちが顔を見合わせた。
「利用……?」
「谷の気流だよ」
遼は指先を滑らせる。
「この谷は深い。
しかも、夜は冷気が沈む。
さっき、ツバメの話があっただろ?
アレは迷信なんかじゃない。
霧の前兆を察知したツバメは、
エサとなる虫を食べるために、
低く飛ぶことはあるんだ」
ミレイユが小さく頷く。
「……確かに、
山の夜気は谷底へ落ちますね」
「そう。
で、夜が明けると、
一気に空気が動き始める」
遼は落燕谷の中央を軽く叩いた。
「本来なら……
谷の風はある程度“流れが固定”されているんだ。
だから、ガルドたちは飛べる」
ローデンが得心のいったように、大きく頷いた。
「……なるほど。
連中は“風を道”として使っているのか」
「そういうことだ」
作戦室に静かな緊張が走る。
ゲリラの若者が不安げに口を開いた。
「でも……それなら余計無理じゃねぇか?
あいつら、その谷を庭みてぇに飛んでるんだぞ。
こっちは地面這うしかねぇのに……」
遼は静かに頷いた。
「ああ。
普通に突っ込めば全滅する」
「だったら……!」
「でも、
その“流れ”自体を壊せるなら?」
空気が止まった。
エリシアが息を呑む。
「壊す……?」
遼は地図の崖部分を指差した。
「落燕谷は、両側の崖で空気の流れが固定されてる。
逆に言えば──」
その指先が止まる。
「どこか一点でも崩れれば、風は乱れる」
ローデンの目が鋭くなった。
「……待て。お主」
皆が、まさか、といった表情で遼を見る。
遼は視線を受け止め、言った。
「──崖を、爆破する」
バンッ!
遼の発言に、ゲリラの一人が、
思わず机を大きく叩き、立ち上がった。
「ば、馬鹿言うな!!
そんなことしたら、谷の中にいる奴も巻き込まれる!」
「だからタイミングが必要なんだ」
遼は即答した。
「翼槍隊を、谷の奥まで引き込んで、
そこで崖を崩す」
ミレイユが険しい顔になる。
「ですが……
それで本当に翼槍隊だけが崩れる保証は……」
「ない。
それに、もう一つ問題がある」
不安を煽る内容に、ゲリラの一人が呻く。
「まだあるのかよ…」
遼は少しだけ眉をひそめ、低く続けた。
「崖を崩せたとしても、風の流れを変えられるのは、
せいぜい数分から数十分程度なんだ。
風が壊れている、ほんの一瞬だけが勝負になる」
「つまり、その僅かな時間で、
勝負を決める必要がある、ということですか」
エリシアの問いに、遼は無言で頷いた。
再び、重苦しい沈黙が、作戦室を満たす。
誰も、
簡単には頷けない。
成功すれば、空の死神を墜とせる。
だが失敗すれば──
逃げ場の無い谷底で、獲物として狩り殺される。
薄暗い部屋を照らす、蝋燭の明かりが揺らめく。
ポトリ、と蝋が落ちたとき。
ゲリラの代表格の男が、
ゆっくりと、口を開いた。
「……それでも、やるしかねぇ」
男は拳を握った。
「このままでも、どうせ村は死ぬ。
食い物も尽きる。
冬も越せねぇ。
子どもは怯えて泣き続ける」
奥歯を噛み締める。
「だったら、一度くらい賭けてみてぇ。
空の化け物を、
地面に引きずり下ろせる可能性にな」
周囲のゲリラたちも、
静かに頷いていた。
主戦論に傾きつつある空気の中、
努めて冷静に、ミレイユが指摘を口にした。
「……ですが、まだ問題があります」
全員の視線が向く。
「どうやって、
ガルドを落燕谷の奥まで誘い込むのですか?
途中で危険を察知されれば、
彼らは即座に上空へ逃げるでしょう」
ローデンも頷く。
「確かに。谷へ入れただけでは足りん」
遼は地図を見つめたまま、静かに言った。
「だったら、奴らが飛びつく
“エサ”を見せる必要がある」
「……“エサ”、とは?」
「ああ」
遼の指が、落燕谷の奥を叩く。
「霧夜が明ける前、王国軍の旗を掲げて、
補給拠点を狙うように進軍するんだ。
連中から見れば、“処刑場”にノコノコ入った獲物だ。
見逃す訳が無い」
ゲリラの若者が顔を上げた。
「……なら、俺たちも動ける。
夜明け前なら、主峰周辺で散発的に攻撃できる」
代表格の男も続く。
「いつもやってる嫌がらせだ。
連中も慣れてるだろうから、
本気の出撃だと思わねぇはずだ」
遼が頷き、地図をなぞる。
「その陽動で、警戒を北側へ向けさせる。
そして、その間に主攻部隊が落燕谷へ入る」
ローデンが低く問う。
「……崖の爆破は?」
「ゲリラのみんなに協力してもらおう」
代表格の男に目をやりながら、遼は答える。
「谷の地形を一番知ってるのは、この人たちだ」
その視線に、
代表格の男が、力強く頷いた。
「この辺りは、採掘場もある。
だから、爆薬の調達も、崩れやすい崖のポイントも、
こちらで準備出来るぜ。
だが──」
男の目が、一段と細くなる。
「押す瞬間だけは、絶対に間違えられねぇ」
押す瞬間。
正否――いや、生死の分かれ目。
再び、空気が重く沈む。
エリシアは、一度だけ目を閉じた。
ほんの一瞬。
地図。遼。ゲリラの代表。ミレイユ。ローデン。
皆を見渡す。
恐怖を飲み込むように、唾を飲み込んだ後、
静かに、決意を口にした。
「……分かりました。
それでは、私が主攻部隊を率います」
ミレイユが即座に振り返る。
「お嬢様!?」
「敵から見ても、
“本命”だと思わせる必要があります」
エリシアは真っ直ぐ言った。
「ならば、私自身が旗を掲げるべきです」
「なりません!!」
ミレイユが強く声を上げた。
「もし爆破のタイミングがズレれば、
谷の中に取り残されるんですよ!?
そんな危険を、
お嬢様に背負わせるなど──!」
だが、
エリシアは静かだった。
「ミレイユ」
「ですが……!」
「聞いてください」
その声に、
ミレイユが言葉を止める。
「もし、私が戻れなかった時は──」
作戦室の空気が凍る。
エリシアは、
静かにミレイユを見る。
「あなたに、皆を託します」
ミレイユの瞳が大きく揺れる。
「お嬢様……!」
「王国を。民を。
生き残った人たちを」
そしてエリシアは、
ゆっくりと遼へ視線を向けた。
「リョウ」
遼は顔を上げる。
「爆破の判断は、あなたに任せます」
その瞬間、
遼の呼吸が止まった。
「……っ」
「私は、あなたを信じます」
エリシアは、ただ真っ直ぐ、
遼を見つめていた。
**
遼の脳裏に、白銀の記憶が蘇る。
降りしきる雪の中、
遭難した家族を救出するための任務。
救えた娘の命。
救えなかった父親の命。
(また──)
胸の奥が、冷たく軋む。
(また、俺が背負うのか……?)
だが。
遼は、
ゆっくり拳を握った。
逃げ場はない。
もう、
誰も止まれない。
[時系列確認]
- 夜間~未明:ゲリラ北側攻撃(陽動)
- 夜間~未明:爆薬準備完了
- 夜明け直前:王国軍主攻隊が落燕谷進入