救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第十四章 青旗の向く先

落燕谷での戦いから一週間が経った。

 

王国軍は、

高地帯の砦群を次々に制圧していた。

 

崖沿いに築かれた簡素な防壁。

帝国軍の見張り櫓。

放棄された補給箱。

 

かつて帝国側の監視拠点だった場所には、

今、青い旗が翻っている。

 

「……信じられねぇな」

 砦の外壁へ腰掛けながら、ゲリラ兵が呟いた。

 

「ついこの前まで、

 俺たちゃ谷を越えることすら出来なかったんだぜ」

「でも勝った」

「ああ。……俺たちは、勝ったんだ」

 

笑い声。

空気は、明るかった。

 

兵たちの顔から、

長く張り付いていた“敗残兵の顔”が消え始めていた。

 

だが。

山の向こうから、分厚い雲が流れてくる。

もうじき、雨が降りそうだった。

 

**

 

「……浮かれてばかりでは、おれませぬ」

 

低い声が、その空気を断ち切る。

ローデンだった。

 

遼たちは、古砦の一室で、地図と書類を囲んでいた。

地図には、勝利を示す×マークが、あちこちに付いている。

 

破竹の勢い、に見えた。

実際、ガルド撃破の報せを受け、

エリシアに合流する者も、続々と現れている。

 

後背の懸念も解消し、拠点攻略も順調。

兵力も拡大し、順風満帆に見える。

 

しかし。

 

「食糧が足りません」

眉を寄せながら、ローデンが続ける。

「矢も、薬も、馬の飼葉も不足しております」

 

兵站。

規模が拡大すれば、その問題にぶつかるのは、

必然だった。

 

ミレイユも、

その言葉に、俯きながら答えた。

「……はい。

 負傷した方の手当については……。

 傷口の化膿を止めたいのですが、薬草も不足しています」

 

ミレイユの言葉を受け、ローデンは続ける。

「我々は現在、シュヴァルツ高地周辺の協力者から、

 補給しておりますが……長くは持たないでしょう」

「もともと、余力も無さそうだったからな…」

 

翼槍隊の徴発を思い出しながら、

遼は頭を掻いた。

 

遼の呟きに、ローデンも眉を下げながら言う。

「一部、合流する者の中には、

 食料や物資を調達する者もおります。

 ……ですが、いつまでも、それを当てには出来ますまい」

「つまり、このままじゃ、

 戦う前に飢え死にする、ってことか?」

 

遼の確認に、

ローデンは重々しく頷いた。

 

天幕の中へ、深い沈黙が落ちる。

埃っぽい空気が、遼の肺に満ちた。

 

翼槍隊は倒した。

空の死神を墜とし、奇跡を起こした。

 

だが、

戦争は終わっていない。

 

むしろ、

ここからが本番だった。

 

ここまで、話を聞いていたエリシアが、

静かに、ローデンへ問いかける。

「……ローデン。

 何か、当てはあるのでしょうか?」

 

その問いに小さく頷くと、

ローデンの指が、ある一点を指す。

 

「……ルヴァン水城塞」 

エリシアが、地図に書いてある名を読み上げた。

 

帝国北方戦線最大級の物流拠点。

複数の河川が交差し、水運の交差点として、

莫大な物資が集まる要衝。

 

そこを押さえれば、

王国軍は初めて“継戦能力”を得る。

 

逆に言えば。 

取れなければ、いずれ詰む。

 

「……だが、当然帝国も理解しているでしょう」

ローデンは、地図に視線を落とし、

困ったように言った。

 

「敵将は?」

ガルドの様な猛将は、そうそう居て欲しくない。

そんなことを頭に浮かべながら、遼が問う。

 

遼の問いに、ローデンは僅かに顔を曇らせた。

「レクトール・ハーゼ。

 確か、帝国軍務局直轄の将だった、かと」

 

その名に、数人の古参兵が目を背ける。

 

「知っているのか?」

「詳しくはありませぬ。

 私は所詮、元伝令ですのでな」

 

ローデンはそう前置きし、ゆっくり続ける。

「ただ……

 昔の王国兵たちの間では、

 妙に嫌がられておりました」

「嫌がられてた?」

「ええ。

 ガルドのような猛将ではない。

 苛烈な攻撃も、鉄壁の守りも、

 どちらも彼の将は持ち合わせておりませぬ」

  

そこまで言って、

ローデンは僅かに俯いた。

「……ですが、崩れない。

 気付けば、戦線がじわじわ後退していく、と」

 

部屋の空気が静かに重くなる。

窓から差し込む日光が、宙に浮かぶ埃を映した。

 

「派手な戦には、ならないのです。

 大勝も無い。代わりに大敗もない。

 なのに――気づけば、少しずつ押し潰されていく」

 

ローデンは、一段低い声で呟いた。

「まるで、真綿で首を締められるようだ、と」

 

遼は再び、地図へ視線を落とす。

河川。補給路。輸送網。

派手な強さではない。

 

だが、こういう“後ろを回す相手”が厄介なのは、

なんとなく理解できた。

「……嫌なタイプだな」

自然と、そんな言葉が漏れた。

 

「ですが、避けては通れません」

 

エリシアの瞳が、

地図上の水城塞を見据える。

そして、静かに指を添えた。

 

「私たちが生き残るためにも。

 王国を取り戻すためにも」

 

指し示す先に、異議を唱える者はいなかった。

 

皆が指先に視線を集中する中、

ミレイユだけが、エリシアの顔を、じっと見つめていた。

 

その横顔が、

どこか遠くなっていくような気がして。

彼女はそっと、視線を窓の外に向けた。

 

窓の外では、雨が降り始めていた。

遠く、帝都から流れてきた様な、冷たい雨だった。

 

**

 

帝都オルドハルト・黒曜宮。

 

長い大理石の謁見廊を抜けた、その最奥。

玉座の間には、重苦しい沈黙が落ちていた。

 

机上へ置かれているのは、

一枚の報告書。

――シュヴァルツ高地失陥。

――翼槍隊壊滅。

――ガルド戦死。

 

帝国では、本来あり得ない報告だった。

 

「……ガルドが、死んだか」

低い声。

皇帝は、静かに報告書を閉じた。

 

怒声はない。

激情もない。

 

だが、

その場の空気そのものが、重く沈んでいた。

 

玉座を挟んで、左右には、

二人の将軍が立っている。

 

一人は、白銀の軍装を纏った女将。

セリア・ヴァルステッド。

 

もう一人は、

黒い軍服姿の痩身の男。

レクトール・ハーゼ。

 

レクトールは、皇帝に頭を垂れながら、

けれど淡々と、感情の見えない声で意見を述べる。

「落燕谷の地形では、

 本来あり得ない敗北です」

「だが、実際に起きたことだ」

 

皇帝の問いに、レクトールは僅かに沈黙した。

一拍の後。

もどかしそうに、考えを述べた。

「……詳細は不足しております。

 ただ、地形そのものへ何らかの干渉が行われた可能性があります」

 

セリアが静かに目を細める。

「谷風を崩した、と?」

「推測です」

即答。感情の無い声。

 

レクトールにとって、事実と推測は、

絶対に切り離すべきものだった。

 

セリアに視線を向け、言葉を続けた。

「ですが。

 ……翼槍隊が制御を失ったという報告とは、

 一致します」

 

玉座の間に、沈黙が落ちる。

巨大な窓の外では、

夜の雨が、静かに降っていた。

 

やがて、

皇帝がゆっくり口を開いた。

「反乱軍は、次に何を狙う」

「ルヴァン水城塞です」

淀みない返事。

 

「反乱軍は現在、高地を押さえています。

 しかし、所詮“継ぎ接ぎの軍勢”です。

 補給線も、輸送能力も脆弱。

 いずれ、兵站の限界に直面するでしょう。

 それを解決するには――」

 

その言葉を、

セリアが静かに引き継いだ。

 

「物資の集積拠点である、

 ルヴァンを狙うはず、ということですか。

 ……妥当ですね」

「依然として弱小勢力ですが、放置すれば、

 影響が帝国全域へ波及する懸念があります。

 ――ゆえに」

 

レクトールの指が、河川地帯へ触れた。

「ここで止めます」

 

感情は無い。

 

だが、

その声音には、

絶対的な確信だけが存在していた。

 

「可能か」

玉座からの声。

 

それに対しても、

レクトールは、一切迷わず答える。

「はい。

 既に、必要戦力の再配置を開始しております」

 

淡々と。

事務的に。

「敵軍は、局地的勝利によって士気が高揚しております。

 故に、次戦では前進を優先する」

 

一度、言葉を区切り、続ける。

「そこを、補給線と河川輸送で拘束します。

 前進はさせず、さりとて後退もさせず。

 補給不足により、自滅させます」

 

まるで、

最初から結果が決まっているかのような口調だった。

 

その横で、

セリアは静かにレクトールを見ていた。

 

彼の言葉は、常に正しい。

無駄がない。破綻もない。

だからこそ、兵たちは彼を恐れる。

 

戦場で勝っている感覚がないまま、

気付けば全てを削り取られていくからだ。

 

「……相手はガルドを破っています。

 油断は禁物です」

 

セリアの忠告。

 

それに対しても、

感情の無い声が返ってきた。

 

「ご忠告、ありがとうございます。

 ですが、問題はありません。

 ガルド将軍を破ったことは意外ではありましたが……」

 

レクトールは一瞬だけ、地図に視線を落とす。

まるで、途中式を確認するかのように。

 

そして、断言した。

 

「ーー感情論や勢いでは、ルヴァンは落ちません」

 

セリアは、

ほんの僅かだけ目を伏せた。

 

“感情を排除する”。

 

その言葉が、

どこか引っかかった。

 

**

 

窓の外では、相変わらず雨が降っている。

雨が止む気配は、未だ感じられなかった。

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