救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第十五章 静寂の陣

 灰色の空の下。

 巨大な河川地帯が、視界の果てまで広がっている。

 ザァァ…という、大きな音が、遼の耳に入った

 

 幾重にも分かれた水路。

 水上を行き交う輸送船。

 河岸へ積み上げられた物資の山。

 

 そして、その中心。

 幾重もの石壁と水門によって築かれた巨大要塞――

 ルヴァン水城塞。

 

「……デカすぎるだろ」

 

 遼が思わず呟く。

 その横で、兵たちも息を呑んでいた。

 

「聞いてねぇぞ……」

「補給拠点ってレベルじゃねぇ……」

 

 視線の先では、

 巨大な水門がゆっくりと開閉している。

 

 船が入る。

 荷が降ろされる。

 兵が動く。

 

 そこには、

 戦場というより、

 巨大な“機構”のような不気味さがあった。

 

**

 

 水城塞から少し離れた、平原地帯。

 王国軍は、そこに陣を張っていた。

 

 天幕の中、

 エリシアは、静かに地図を広げる。

「ここを押さえなければ、

 私たちは長く戦えません」

 

 その声に、

 場の空気が引き締まる。 

 

 食糧。矢。薬。馬の飼葉。

 全てが足りない。

 

 今の王国軍は、

 勝っているのではない。

 まだ、“倒れていない”だけだ。

 

「しかし……」

 ローデンが、

 城塞前方へ目を向けた。

 

「妙ですな」

「妙?」

「敵が静かすぎます」

 

 平野部には、隠れる場所が無い。

 奇襲も伏兵も難しい、開けた河川地帯。

 

 にもかかわらず、

 帝国側は奇妙なほど、

 動きを見せていなかった。

 

**

 

 ゴォォォォ……

 

 低い角笛が、

 河川地帯へ響き渡る。

 

 ルヴァン水城塞の正門が、

 ゆっくりと開いた。

 

 現れたのは、

 整然と並ぶ帝国軍。

 

 槍兵。盾兵。弓兵。

 無駄のない隊列。

 

 鬨の声も無い。

 威圧も無い。

 

 ただ、

 静かに並んでいる。

 

 その異様な統制に、

 兵たちの顔色が変わった。

 

「……なんだ、あれ」

「今までの帝国軍とは、

 空気が違ぇ……」

 

** 

 

 一方。

 

 帝国軍列の中央では、

 一人の副官が、

 馬上の男へ報告を上げていた。

 

「反乱軍、

 予定地点へ到達。

 兵数は事前予測の範囲内です」

 

 黒馬の上。

 痩身の男――レクトールは、

 静かに報告を聞いている。

 

 黒い軍服に、乱れのない襟元。

 きちんと整った軍服は、

 軍人というより、官僚のような印象を抱かせる。

 灰色の瞳には、ほとんど感情が映っていない。

 

 副官は続けた。

「敵軍の到着は、事前予想より早い時間です。

 今なら、行軍の疲れがあるかと――」

 

「“疲れがあるかと”?」 

 レクトールは、

 僅かに眉根を寄せた。

 

「……失礼しました」

「確実な情報以外、報告は不要です」

 

 責める口調ではない。

 だが、

 その静かな声音の方が、

 かえって空気を冷やした。

 

「……失礼しました。

 敵軍、行軍速度に上昇傾向。

 それに伴い、物資の消費量も

 増加しています」

「それで十分です」

 

 レクトールは、

 淡々と前線を見渡す。

 

「河川封鎖は継続。

 輸送路へは、監視部隊を追加してください」

「突出部隊が出た場合は?」

「包囲は不要です」

 即答だった。

 

「退路のみ制限してください。

 消耗を優先します」

 

 まるで、

 既に結果の決まった盤面を確認するように。

 

 レクトールは淡々と、

 戦場を見つめていた。

 

**

 

 帝国軍は、

 静かに並んでいた。

 

 ただ、そこに在る。

 まるで、

 巨大な壁のように。

 

「……っ」

 

 エリシアは、

 無意識に息を詰めていた。

 

 嫌な感覚だった。

 ガルドのような、

 圧倒的暴威ではない。

 

 なのに。

 目の前の軍勢からは、

 妙な“揺るがなさ”が伝わってくる。

 

 崩れる姿が、想像できない。

(……なに、これ……)

 

 得体のしれない不安に、胸の奥がざわつく。

 だが、ここで動揺を見せれば、

 兵たちはもっと不安になる。

 

 エリシアは、

 震えを押し込むように、拳を握る。

 一呼吸の後、

 帝国の隊列を睨みつけ、命令した。

「前進してください。

 ――ここで止まれば、

 私たちに未来はありません」

 

 兵たちが顔を見合わせる。

 不安。緊張。

 それでも、

 エリシアは前を向いた。

 

「大丈夫です」 

 自分へ言い聞かせるように。

 

「敵も、

 無敵ではありません」

 

 旗を向ける。

 青い旗が、戦場にはためいた。

 

「全軍――前へ!!」 

「おおおおおおおっ!!」

 

 王国軍が前進する。

 泥を蹴り、

 鬨の声を上げながら。

 

 その先で。

 帝国軍は、

 静かに槍を構えた。

 

 まるで、

 押し寄せる波を待つ防波堤のように。

 

**

 

 ゴォォン!!

 

 金属同士の衝突する鈍い音が、

 河川地帯へ響いた。

 

「押せぇぇぇぇ!!」

 

 王国軍の先鋒が、

 帝国軍の盾列へ激突する。

 

 槍がぶつかる。

 盾が軋む。

 泥が跳ねる。

 

「……っ!?」

 

 兵士の顔が引き攣った。

 

 重い。

 帝国軍の陣が、

 異様なほど崩れない。

 

 押している実感はある。

 なのに、盾列が岩盤のように動かない。

 

 少し押し込めたーーそう思うと。

 

 次の瞬間、

 帝国軍の後列が淀みなく前進する。

 疲弊した前列と、

 寸分違わず入れ替わる。

 

「な……」

 

 兵の一人が息を呑む。

 崩れない。

 押しても。

 削っても。

 

 目の前の壁が、

 少しも乱れない。

 

「右から回れ!!側面を崩すのだ!!」

 ローデンが指示を飛ばす。

 

 王国軍の別働隊が、

 河岸側から回り込む。

 

 今度こそ崩せる。

 そう思った瞬間。

 

 ヒュォォォォッ!!

 

「ぐぁっ!?」

「っ、伏せろ!!」

 

 正確だった。

 狙い澄ましたように、

 回り込み部隊だけへ矢が降り注ぐ。

 隊列が乱れる。

 

 そこへ。

 ズズッ――

 帝国軍が、

 静かに前へ出た。

 

 たった一歩。

 だがその一歩が、

 異様な圧迫感を生む。

 

「……なんだよ、これ」

 

 遼が呟く。

 派手さは無い。

 強烈な突破力も、

 圧倒的武勇も無い。

 

 なのに。

 噛み合わない。

 

 こちらの動きだけが、

 少しずつ潰されていく。

 

「押してる……よな?」

 

 若い兵の一人が、

 不安そうに呟く。

 

 事実として、少しずつだが、

 戦線は押し上げられている。

 

 なのに。

 進んでいる感覚が、

 まるで無かった。

 

 エリシアの握る拳に、汗がにじむ。

(崩れない……)

 

 何度も揺さぶっている。

 側面も突いている。

 

 なのに。

 帝国軍の陣形は、

 まるで最初から決まった形を保ち続けるように、

 静かにそこに在り続けていた。

 

 嫌な感覚だった。

 まるで、底の見えない泥沼へ、

 少しずつ沈んでいくような。

 

**

 

「第二列、前へ」

「槍列、一歩前進」

「弓兵、三列」

 

 帝国軍の陣地の中で、

 レクトールは冷静に命令を出していた。

 視線には、怒りも、高揚も無い。

 

「左翼、

 押し返され始めています」

 副官が報告する。

 

「想定範囲内です」

 動じない。即答だった。

 

「第三補助線へ後退。

 隊列密度を維持してください」

「……敵中央は、やや突出傾向がありますが」

「問題ありません」

 

 レクトールは、あくまで淡々と答える。

「敵は前進を成功と誤認しています。

 そのまま、前へ出させなさい」

 

 感情の無い声だった。

 

**

 

 戦いが始まってから、数時間。

 

 気付けば。

 王国軍の兵たちは、

 皆、荒い息を吐いていた。

 

 汗がぐっしょりと肌にべたつく。

 足を泥に取られ、

 槍を握る手は鉛の様に重い。

 

 だが。

 帝国軍は、まだ崩れない。

 

 静かに。

 ただ静かに、そこに立ち続けていた。

 

「……限界だ」

 遼が重々しく呟く。

 

「エリシア、これ以上攻めても奴らは崩せない。

 いったん、退くしかない」

 

 エリシアは悔しそうに唇を噛む。

 頭では理解している。

 

 これ以上攻めても、

 兵が消耗するだけだ。

 

 頭では、分かっていた。

 それでも、どこかがまだ、諦めたくなかった。

 もう一度だけ、もう一度だけ押せれば、と。

 

「……お嬢様」

 背後からの声に、振り返る。

 ミレイユが、

 心配そうな表情でエリシアの顔を見つめていた。

 

 エリシアは深く、

 ため息をつくように息を吐くと、

 震える声で号令をかけた。

 

「……全軍、退いてください」

 

**

 

 夕焼けの湿地帯。

 

 王国軍が、平原部に向けて、

 ゆっくりと後退していく。

 

 乱れた足並み。

 疲弊した兵たち。

 

 それを、

 レクトールは静かに眺めていた。

 

「追撃は」

 部下が問う。

 

「不要です」

 即答だった。

 

「反乱軍は既に消耗しています。

 無理に圧迫する必要はありません」

 

 淡々とした声。

 まるで、

 既に解けている計算問題を答えるように。

 

「ですが、

 今なら戦果を拡大できるかと――」

 

「“できるかと”ではなく、

 根拠を述べてください」

 

 部下の言葉が止まる。

 

 レクトールは、

 僅かに眉間を押さえた。

「推測を重ねても、

 精度は上がりません」

 

 静かな声だった。

 だが、

 その空気は冷たい。

 

「反乱軍は兵站に問題を抱えています。

 兵の動きには、焦燥も見られる。

 ならば、

 時間経過だけで戦況はこちらに傾きます」

 

 視線を、

 遠ざかる青い旗へ向ける。

 

「無理に崩す必要はありません。

 ただ、崩れる形に誘導すればいい」

 

 言い切ると、背を向ける。

 河川を渡る風が、

 黒い外套を揺らした。

 

**

 

 一方。

 

 退却する軍の最後尾で、

 エリシアは一度だけ振り返る。

 

 遠い平野。

 灰色の空の下、

 帝国軍はまだ整然と並んでいた。

 

 追ってこない。

 ただ、

 静かにそこに在る。

 

 その光景が、

 かえって不気味だった。

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