救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第二章 辺境の村で

二人との邂逅から一夜明けた朝。

遼は井戸の前で、桶に水を汲んでいた。

冷たい井戸水が手に触れるたび、

昨夜の出来事が現実として胸に沈んでいく。

 

ここはレムル。

森を抜けた先にある、山間の小さな村。

だが、村と呼ぶには、あまりに痩せていた。

 

石積みの壁の一部は剥がれ落ちており、

藁葺きの屋根には、雨漏りの後が残っている。

村に唯一ある古井戸は、底が見えそうなくらい水は浅く、

畑にある作物は、間隔が広い。

  

この村に来て、遼が最初に気づいたのは、

子供たちの足音が軽すぎることだった。

走るというより、地面を滑るような足取り。

栄養が足りていないのだと、すぐに分かった。

 

噂では、帝国がまた戦争の準備をしているという。

備蓄も人手も足りないこの寒村では、次の徴発に耐えられない。

 

皆、不安を押し殺しながら、日々を過ごしていた。

 

**

 

遼が村に入って、何日かが過ぎた。

 

その間、手持ち無沙汰だった遼は、

村の修繕を手伝い、壊れた柵を直し、井戸の滑車を調べ、

何かと手を動かしていた。

 

遼はもとより、饒舌ではない。

それに、黙々と手を動かしている間は、

鬱屈としたことを考えずに済んだ。 

 

最初は距離を取っていた子供たちも、

いつの間にか遼の後ろをついて回るようになっていた。

 

子供たちだけでなく、村の大人たちも、

黙々と村のために働く遼の姿に、少しずつ心を開いていった。

 

**

 

遼は、エリシアたちと水汲みをしていた。

 

水を運んでいると、村の老人がエリシアに深く頭を下げた。

「姫……いえ、エリシア様。いつもありがとうございます」

「い、いえ……そんな、頭を上げてください」

エリシアは慌てて手を振った。

村人は恐縮したように去っていく。

 

遼はそのやり取りを見て首を傾げる。

「……なんであんなに丁寧なんだ?」

 

「お嬢様は昔から、そういう扱いを受ける方なんです」

ミレイユが当然のように言った。

しゃっきりと姿勢良く立ちながら、視線だけを遼に向ける。

 

「幼いころから、周りの子よりずっと“特別”でした。

 私は物心ついた頃からお嬢様のお世話をしてきましたから、

 姉妹のようなものです」

「ミレイユ……そんな言い方しなくても」

「事実です。

 お嬢様は隠すのが下手で、すぐに周りに気づかれてしまうんです」

 エリシアは頬を赤らめ、困ったように笑った。

 

「……ミレイユは、私のことを何でも知っているんです。良いところも、悪いところも」

「悪いところの方が多いです」

「ミレイユ!」

そのやり取りは、主従というより本当に姉妹のようだった。

 

この時、遼はその光景を見て、“ただの村娘じゃないな”くらいにしか思わなかった。

 

**

 

ある日。

村長の家に、帝国の使者からの手紙が届いた。

 

封書を見た瞬間、

嫌な予感が、遼の背筋を冷たく撫でた。

 

エリシアと遼は村長に呼ばれ、

古びた机の上に置かれた封書を見つめた。

 

「どのような内容だったのですか?」

エリシアが静かに問う。

 

村長は唇を震わせながら答えた。

「……三日後、食料と若者を徴発する、とのことじゃ」

「無理だ」

遼は即答した。

「そんなことをしたら、この村は滅びる」

 

エリシアが眉根を寄せながら、村長に尋ねる。

「近くの村に、助けてもらうことは出来ないのですか?」

「今から相談したところで、どうせ間に合わん。

 ……それに、今は、どの村も余裕なぞあるまいて」

「なら、断るしかない」

 遼が言葉を重ねる。

「……拒めば、帝国軍に滅ぼされる」

 村長は一度言葉を切り、乾いた唇を舐めた。

 

「隣の村はな……同じように断ったそうじゃ」

 薪のはぜる音だけが、やけに大きく響いた。

 

「……翌日には、焼かれておったと」

 村長は視線を落としたまま、

 最後だけ小さく吐き捨てるように言った。

 

「……わしらも、同じじゃろうな」

 その声は、諦めというより“覚悟”に近かった。

 弱者が踏み潰される未来を、当然のように受け入れる覚悟だった。

 

**

 

エリシアは、ゆっくりと立ち上がった。

「私が話します」

 

その瞬間、ミレイユの顔色が変わった。

「お嬢様、それは危険です」

 

「だからこそ、私が行きます。

 ……誰かが、言わなければいけないから」

「話が通じるとは思えません」

「けれど、話さなければ何も変わりません。

 そうしなければ、この村は終わりです」

 

ミレイユは言い返そうとして、言葉を失った。

理屈では止めるべきだと分かっている。

 

だが、エリシアは昔からこうだった。

人より不器用で、そのくせ頑固で、

だけど、誰よりも優しい。

誰かが泣いている場所へ、自分から歩いて行ってしまう。

 

こうなったエリシアは止まらない。

ミレイユは深く息を吐き、観念したように言った。

 

「……承知しました。ですが、お嬢様。

 少しでも危険だと判断した場合、私は貴女を担いででも逃がします」

「その時はお願いします。……担がれるのは嫌ですけどね」

エリシアは困ったように笑ったが、その笑みは震えていた。

怖いのだ。

当然だ。

 

遼はエリシアの横顔を見た。

恐怖を飲み込み、

誰かのために立ち向かおうとする顔だった。

 

無謀だ、と遼は思った。

言うべき言葉は、分かっている。

止めるべきだと、判断もしている。

 

何より、そういう人間から先に壊れていくことを、

遼は誰よりも知っていた。

 

――だけど。

彼女の、その勇気に満ちた横顔を見て。

自分が失った「何か」を感じた。

 

遼は、何か言いかけて、

しかし、ゆっくりと口を閉じた。

 

胸の奥が、鈍く痛んだ。

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