救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

21 / 30
第十九章 合理の果て

 帝国軍司令幕舎。

 混乱は、いまだ続いていた。

 

「左翼が崩れた!」

「違う、押されたんじゃない!

 自分から下がってる!」

 

 伝令の叫びに、

 レクトールが顔を上げる。

 

「理由は?」

 

「属州兵部隊です!

 本国兵側との接触回避命令を、

 現場が“後退優先”と解釈――」

 

「そこへ敵騎兵が突入!」

 

 レクトールは、

 一瞬だけ目を閉じた。

 

 ――遅い。

 

 既に、

 戦場が命令より先に動き始めている。

 

**

 

 一方。

 

 河岸前線。

 

 遼の目が、崩れた一角を捉えた。

「……今だ」

 

 低い声。

 

 ローデンが即座に振り返る。

 

「中央第三隊!

 突出部へ突撃準備!」

「騎兵、湿地側から回り込め!」

 

 号令が飛ぶ。

 王国軍が、一斉に動き始めた。

 

**

 

 帝国軍左翼。

 

 カイラスは、

 迫ってくる敵影を見て息を呑む。

 

「敵襲!!」

 

 誰かが叫ぶ。

 だが、返る指示が揃わない。

 

「迎撃しろ!」

「いや、隊列維持だ!」

「後退命令じゃなかったのか!?」

 

 混乱の中、

 槍列が噛み合わない。

 

 本来なら、

 一瞬で組まれるはずの迎撃陣形。

 

 だが今は、

 誰もが隣を信用できなくなっていた。

 

 容赦なく、王国軍の騎兵が、

 裂け目へ突入する。

 

 泥を跳ね上げ、

 槍衾へ楔のように食い込んだ。

 

「う、うわああっ!!」

 

 崩れる。

 

 ほんの小さな綻びだったものが、

 一気に戦列全体へ広がっていく。

 

 それを見た本国兵側が、

 さらに警戒を強める。

 

「属州兵が下がったぞ!」

「やはり裏切ったのか!?」

「違う!! 違うんだ!!」

 

 叫びは、もう届かない。

 

**

 

 丘の上。

 

 エリシアは、

 その光景を苦しげに見つめていた。

 

「……こんな」

 

 彼女の声は、

 微かに震えていた。

 

 故郷を思い出させる。

 

 ただ、

 それだけだった。

 

 なのに。

 

 人の心は、

 ここまで戦場を変えてしまう。

 

 ミレイユが、視線を裂けた属州旗に向ける。

 ――その先にある、遠くの“何か”を、

 見つめている様だった。

 

「……消えていなかったんです」

 

 それきり、何も言わなかった。

 ただ、その目だけが、かすかに濡れていた。

 

 

 

 だが、遼だけは、

 険しい顔を崩さない。

 

「……まだ終わってない」

 

 レクトールは、

 必ず修正してくる。

 

 これほどの将が、

 この程度で崩壊するはずがない。

 

 その予感は、正しかった。

 

**

 

 帝国軍司令幕舎。

 

「全部隊へ通達します」

 

 レクトールの声は、

 依然として冷静だった。

 

「湿地側戦線を放棄」

「中央密集陣形へ再編」

「遅れた部隊は切り捨てます」

 

 側近たちが息を呑む。

 

 だが、

 それは正しい。

 

 最小損耗で、

 戦線全体を維持する最適解。

 

 実際、

 その指示を受けた一部部隊は、

 即座に立て直しを始めていた。

 

 混乱の中でも、

 正確に動ける兵はいる。

 

 だから本来なら、

 まだ帝国軍は崩れない。

 

 ――崩れない、

 はずだった。

 

**

 

「湿地側放棄だと!?」

 

 前線では、

 別の意味に受け取られていた。

 

「俺たちを見捨てる気か!?」

「違う!再編命令だ!」

「ならなぜ、援軍が来ない!?」

 

 疑念が、疑念を呼ぶ。

 

 合理的で、正確すぎる命令。

 だからこそ、

 現場は“補足”を始めてしまう。

 

 ――自分なりの“解釈”。

 ――自分なりの“恐怖”。

 ――自分なりの“感情”。

 

 そしてついに。

 

 帝国軍中央第三列。

 一隊が、命令系統を無視して後退した。

 

 それを見た隣接部隊も、

 連鎖的に動揺する。

 

「下がってるぞ!」

「中央が崩れた!」

「撤退だ!!」

 

 違う。

 本当は、まだ崩れていない。

 

 だが。

 

 一度“崩れたように見えた”戦場は、

 もう止まらなかった。

 

**

 

 レクトールは、

 静かに戦場を見つめていた。

 

 命令は正しい。

 

 配置も、判断も、

 間違っていない。

 

 なのに。

 

 兵士たちは、

 もう以前のようには動かない。

 

「……理解不能です」

 

 誰に言うでもなく、

 彼は呟いた。

 

 人間は、

 もっと合理的なはずだった。

 

 少なくとも、

 戦場においては。

 

 だが現実は、

 違った。

 

 誇り。疑念。郷愁。怒り。

 

 そんな“不合理”が、

 完璧だった軍勢を、

 内側から壊していく。

 

 初めて。

 レクトールは、

 自分の積み上げた理論では測れないものを見ていた。

 

「司令線、後退を開始しますか?」

 

 側近の問いに、

 レクトールは沈黙した。

 

 視線の先では、

 中央戦線が連鎖的に崩れ始めている。

 

 撤退。

 それが、最も合理的だった。

 

 戦力を温存し、再編すれば、

 まだ次がある。

 

 だが。

 

 レクトールは、

 静かに首を横へ振った。

 

「……もう遅い」

 

 撤退命令すら、

 今の戦場では別の意味に変わる。

 

 秩序が壊れた軍に、

 撤退という「最も正しい秩序」が出来ないことは、

 彼の明晰な頭脳は理解してしまった。

 

 次の瞬間。

 

「敵騎兵!!

 司令線へ接近!!」

 

 伝令の悲鳴。

 

 湿地側を突破した王国軍騎兵が、

 ついに本陣へ到達していた。

 

「迎撃!!」

 

 護衛部隊が動く。

 

 だが、遅い。 

 隊列形成が、一瞬噛み合わない。

 

 その“一瞬”を、

 遼は見逃さなかった。

 

「――行くぞ!!」

 

 泥を跳ね上げ、

 騎兵隊が突撃する。

 

 帝国本陣。

 

 最後の防衛線へ、

 楔のように食い込んだ。

 

 剣戟。怒号。

 泥と血飛沫。

 

 その中心で、

 レクトールは、静かに座っていた。

 

 狼狽は無い。

 恐怖も無い。

 

 ただ、

 現実を観測するような目だけがあった。

 

「……なるほど」

 

 遼と視線が交差する。

 

「あなたが、

 “不合理”を持ち込んだのですね」

 

 遼は答えない。

 

「人間とは、

 ここまで非効率なものであることを、

 あなたは知っていたのですか」

 

「……違う」

 

 遼が、低く返す。

 

「人間は、

 最初からそういうもんだ」

 

 少し遅れて、

 幕舎の布が大きく裂け、

 エリシアとミレイユが駆け込んでくる。

 

 護衛兵たちが剣を向けるが、

 レクトールは片手で制した。

 

「下がりなさい」

 

 静かな声。

 だが逆らえぬ響きだった。

 

 レクトールの視線が、

 ゆっくりとミレイユへ向く。

 

 一瞬。

 その目が細まった。

 

「……なるほど」

 

 小さな呟き。

 

「属州文化への理解。

 旗の選定。

 感情誘導」

 

「今回の作戦の核は、

 ――あなたでしたか」

 

 ミレイユが息を呑む。

 

 ここまで来てなお、

 この男は戦場を解析している。

 

「西方属州出身。

 しかも、土地の習俗に深く接している。

 祭礼旗を選んだ理由も、

 兵士層への効果も理解できました」

 

 レクトールは、淡々と続ける。

 

「軍旗ではなく、“郷愁”を選んだ。

 だから、兵士たちは止まった」

 

 ミレイユは、

 小さく拳を握った。

 

 人の記憶も、故郷も、

 この男には解析対象にしか見えていない。

 

「……あなたは」

 

 ミレイユが低く呟く。

 

「最後まで、

 そうやって人を見るんですね」

「分析は理解の最短距離です」

 

 即答だった。

 

 だが。

 

「違います」

 

 エリシアが、静かに言った。

 

 無機質な視線が、

 今度は彼女へ向く。

 

 熱を持った視線が、

 真っ直ぐ見返した。

 

「あなたは、

 間違っていたわけじゃない。

 合理も、秩序も、

 きっと多くの人を救ってきた」

 

 それは、

 敗者への慰めではなかった。

 

 本心だった。

 

 だからこそ、

 レクトールは僅かに目を見開く。

 

「ですが」

 

 エリシアは、

 静かに続けた。

 

「人の心は、

 切り捨てても消えません」

 

「故郷も。誇りも。悲しみも。

 見えなくなっていただけで、

 ずっと残っていたんです」

 

 その言葉に、

 レクトールは、しばらく沈黙していた。

 

 幕舎の外からは、

 怒号と歓声が入り混じっている。

 

 金属同士のぶつかる音と、

 兵士たちの叫び声だけが、

 幕舎を満たしていた。

 

 レクトールは、一瞬だけ目を伏せる。

 

 そして。

 

 ふっ、と。

 わずかに口角を寄せた。

 

 ――彼が最期に見せた、

 初めての人間らしい笑みだった。

 

「……やはり、理解できませんね」

 

 その声には、

 怒りも悔恨も無かった。

 

**

 

 一発の銃声が、

 幕舎内から鳴り響く。

 

 その瞬間。

 

 戦場のざわめきが、

 ほんの僅かに止まった。

 

 誰もが、息を呑む。

 

 やがて。

 

 帝国軍司令幕舎の上へ、

 二つの旗が高々と掲げられた。

 

 ひとつは、王国の青い旗。

 

第十九章 合理の果て

 

 帝国軍司令幕舎。

 混乱は、いまだ続いていた。

 

「左翼が崩れた!」

「違う、押されたんじゃない!

 自分から下がってる!」

 

 伝令の叫びに、

 レクトールが顔を上げる。

 

「理由は?」

 

「属州兵部隊です!

 本国兵側との接触回避命令を、

 現場が“後退優先”と解釈――」

 

「そこへ敵騎兵が突入!」

 

 レクトールは、

 一瞬だけ目を閉じた。

 

 ――遅い。

 

 既に、

 戦場が命令より先に動き始めている。

 

**

 

 一方。

 

 河岸前線。

 

 遼の目が、崩れた一角を捉えた。

「……今だ」

 

 低い声。

 

 ローデンが即座に振り返る。

 

「中央第三隊!

 突出部へ突撃準備!」

「騎兵、湿地側から回り込め!」

 

 号令が飛ぶ。

 王国軍が、一斉に動き始めた。

 

**

 

 帝国軍左翼。

 

 カイラスは、

 迫ってくる敵影を見て息を呑む。

 

「敵襲!!」

 

 誰かが叫ぶ。

 だが、返る指示が揃わない。

 

「迎撃しろ!」

「いや、隊列維持だ!」

「後退命令じゃなかったのか!?」

 

 混乱の中、

 槍列が噛み合わない。

 

 本来なら、

 一瞬で組まれるはずの迎撃陣形。

 

 だが今は、

 誰もが隣を信用できなくなっていた。

 

 容赦なく、王国軍の騎兵が、

 裂け目へ突入する。

 

 泥を跳ね上げ、

 槍衾へ楔のように食い込んだ。

 

「う、うわああっ!!」

 

 崩れる。

 

 ほんの小さな綻びだったものが、

 一気に戦列全体へ広がっていく。

 

 それを見た本国兵側が、

 さらに警戒を強める。

 

「属州兵が下がったぞ!」

「やはり裏切ったのか!?」

「違う!! 違うんだ!!」

 

 叫びは、もう届かない。

 

**

 

 丘の上。

 

 エリシアは、

 その光景を苦しげに見つめていた。

 

「……こんな」

 

 彼女の声は、

 微かに震えていた。

 

 故郷を思い出させる。

 

 ただ、

 それだけだった。

 

 なのに。

 

 人の心は、

 ここまで戦場を変えてしまう。

 

 ミレイユが、視線を裂けた属州旗に向ける。

 ――その先にある、遠くの“何か”を、

 見つめている様だった。

 

「……消えていなかったんです」

 

 それきり、何も言わなかった。

 ただ、その目だけが、かすかに濡れていた。

 

 

 

 だが、遼だけは、

 険しい顔を崩さない。

 

「……まだ終わってない」

 

 レクトールは、

 必ず修正してくる。

 

 これほどの将が、

 この程度で崩壊するはずがない。

 

 その予感は、正しかった。

 

**

 

 帝国軍司令幕舎。

 

「全部隊へ通達します」

 

 レクトールの声は、

 依然として冷静だった。

 

「湿地側戦線を放棄」

「中央密集陣形へ再編」

「遅れた部隊は切り捨てます」

 

 側近たちが息を呑む。

 

 だが、

 それは正しい。

 

 最小損耗で、

 戦線全体を維持する最適解。

 

 実際、

 その指示を受けた一部部隊は、

 即座に立て直しを始めていた。

 

 混乱の中でも、

 正確に動ける兵はいる。

 

 だから本来なら、

 まだ帝国軍は崩れない。

 

 ――崩れない、

 はずだった。

 

**

 

「湿地側放棄だと!?」

 

 前線では、

 別の意味に受け取られていた。

 

「俺たちを見捨てる気か!?」

「違う!再編命令だ!」

「ならなぜ、援軍が来ない!?」

 

 疑念が、疑念を呼ぶ。

 

 合理的で、正確すぎる命令。

 だからこそ、

 現場は“補足”を始めてしまう。

 

 ――自分なりの“解釈”。

 ――自分なりの“恐怖”。

 ――自分なりの“感情”。

 

 そしてついに。

 

 帝国軍中央第三列。

 一隊が、命令系統を無視して後退した。

 

 それを見た隣接部隊も、

 連鎖的に動揺する。

 

「下がってるぞ!」

「中央が崩れた!」

「撤退だ!!」

 

 違う。

 本当は、まだ崩れていない。

 

 だが。

 

 一度“崩れたように見えた”戦場は、

 もう止まらなかった。

 

**

 

 レクトールは、

 静かに戦場を見つめていた。

 

 命令は正しい。

 

 配置も、判断も、

 間違っていない。

 

 なのに。

 

 兵士たちは、

 もう以前のようには動かない。

 

「……理解不能です」

 

 誰に言うでもなく、

 彼は呟いた。

 

 人間は、

 もっと合理的なはずだった。

 

 少なくとも、

 戦場においては。

 

 だが現実は、

 違った。

 

 誇り。疑念。郷愁。怒り。

 

 そんな“不合理”が、

 完璧だった軍勢を、

 内側から壊していく。

 

 初めて。

 レクトールは、

 自分の積み上げた理論では測れないものを見ていた。

 

「司令線、後退を開始しますか?」

 

 側近の問いに、

 レクトールは沈黙した。

 

 視線の先では、

 中央戦線が連鎖的に崩れ始めている。

 

 撤退。

 それが、最も合理的だった。

 

 戦力を温存し、再編すれば、

 まだ次がある。

 

 だが。

 

 レクトールは、

 静かに首を横へ振った。

 

「……もう遅い」

 

 撤退命令すら、

 今の戦場では別の意味に変わる。

 

 秩序が壊れた軍に、

 撤退という「最も正しい秩序」が出来ないことは、

 彼の明晰な頭脳は理解してしまった。

 

 次の瞬間。

 

「敵騎兵!!

 司令線へ接近!!」

 

 伝令の悲鳴。

 

 湿地側を突破した王国軍騎兵が、

 ついに本陣へ到達していた。

 

「迎撃!!」

 

 護衛部隊が動く。

 

 だが、遅い。 

 隊列形成が、一瞬噛み合わない。

 

 その“一瞬”を、

 遼は見逃さなかった。

 

「――行くぞ!!」

 

 泥を跳ね上げ、

 騎兵隊が突撃する。

 

 帝国本陣。

 

 最後の防衛線へ、

 楔のように食い込んだ。

 

 剣戟。怒号。

 泥と血飛沫。

 

 その中心で、

 レクトールは、静かに座っていた。

 

 狼狽は無い。

 恐怖も無い。

 

 ただ、

 現実を観測するような目だけがあった。

 

「……なるほど」

 

 遼と視線が交差する。

 

「あなたが、

 “不合理”を持ち込んだのですね」

 

 遼は答えない。

 

「人間とは、

 ここまで非効率なものであることを、

 あなたは知っていたのですか」

 

「……違う」

 

 遼が、低く返す。

 

「人間は、

 最初からそういうもんだ」

 

 少し遅れて、

 幕舎の布が大きく裂け、

 エリシアとミレイユが駆け込んでくる。

 

 護衛兵たちが剣を向けるが、

 レクトールは片手で制した。

 

「下がりなさい」

 

 静かな声。

 だが逆らえぬ響きだった。

 

 レクトールの視線が、

 ゆっくりとミレイユへ向く。

 

 一瞬。

 その目が細まった。

 

「……なるほど」

 

 小さな呟き。

 

「属州文化への理解。

 旗の選定。

 感情誘導」

 

「今回の作戦の核は、

 ――あなたでしたか」

 

 ミレイユが息を呑む。

 

 ここまで来てなお、

 この男は戦場を解析している。

 

「西方属州出身。

 しかも、土地の習俗に深く接している。

 祭礼旗を選んだ理由も、

 兵士層への効果も理解できました」

 

 レクトールは、淡々と続ける。

 

「軍旗ではなく、“郷愁”を選んだ。

 だから、兵士たちは止まった」

 

 ミレイユは、

 小さく拳を握った。

 

 人の記憶も、故郷も、

 この男には解析対象にしか見えていない。

 

「……あなたは」

 

 ミレイユが低く呟く。

 

「最後まで、

 そうやって人を見るんですね」

「分析は理解の最短距離です」

 

 即答だった。

 

 だが。

 

「違います」

 

 エリシアが、静かに言った。

 

 無機質な視線が、

 今度は彼女へ向く。

 

 熱を持った視線が、

 真っ直ぐ見返した。

 

「あなたは、

 間違っていたわけじゃない。

 合理も、秩序も、

 きっと多くの人を救ってきた」

 

 それは、

 敗者への慰めではなかった。

 

 本心だった。

 

 だからこそ、

 レクトールは僅かに目を見開く。

 

「ですが」

 

 エリシアは、

 静かに続けた。

 

「人の心は、

 切り捨てても消えません」

 

「故郷も。誇りも。悲しみも。

 見えなくなっていただけで、

 ずっと残っていたんです」

 

 その言葉に、

 レクトールは、しばらく沈黙していた。

 

 幕舎の外からは、

 怒号と歓声が入り混じっている。

 

 金属同士のぶつかる音と、

 兵士たちの叫び声だけが、

 幕舎を満たしていた。

 

 レクトールは、一瞬だけ目を伏せる。

 

 そして。

 

 ふっ、と。

 わずかに口角を寄せた。

 

 ――彼が最期に見せた、

 初めての人間らしい笑みだった。

 

「……やはり、理解できませんね」

 

 その声には、

 怒りも悔恨も無かった。

 

**

 

 一発の銃声が、

 幕舎内から鳴り響く。

 

 誰も、動かなかった。

 

 その瞬間、

 

 戦場のざわめきが、

 ほんの僅かに止まった。

 

 やがて。

 帝国軍司令幕舎の上へ、

 二つの旗が高々と掲げられた。

 

 ひとつは、王国の青い旗。

 

 そしてもうひとつは、

 戦場に落ちていた、ラウスの古旗だった。

 

 引き裂かれ、穴が開き、ボロボロな状態で――

 それでも、力強く風にたなびいていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。