救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
ルヴァン水城塞は、
戦の後とは思えないほど慌ただしかった。
補給隊が荷を運び、
伝令が廊下を駆け抜け、
兵士たちは壊れた装備を修理し、
医務室では負傷兵の声が絶えない。
その中心で、
遼は今日も走り回っていた。
「第三倉庫の薬品、湿気避けろ!
あと保存食は南棟へ回せ!」
「工兵隊、
城壁補修を優先!
崩れた見張り台は後回しでいい!」
遼が指示を飛ばすごとに、
兵士たちが次々に動いていく。
「了解です!」
「リョウさん!
負傷兵の搬送、終わりました!」
「北側見回り隊、配置完了!」
作業完了の報告。
そして次の指示に向けて、
兵士たちの視線が、遼に集まる。
期待を込めた眼差し。
信頼の眼差し。
これ以上は勘弁してほしい、という眼差し。
兵士たちの目は様々な感情を映していた。
そして。
その全てが、遼に向けられていた。
**
一通りの指示を出し終え、
廊下を曲がった瞬間、老兵の声が飛んだ。
「リョウ」
振り返ると、
ローデンが腕を組んで立っていた。
「少し休め」
「無理だろ。
今めちゃくちゃなんだから」
「お主が倒れた方が、もっと面倒じゃ」
遼は、小さく苦笑する。
「……俺、
そんな柄じゃないんだけどな」
「何がじゃ?」
「こういうの」
遼は、
少し視線を逸らした。
「皆が、俺を見てるのは分かってる。
でも……俺でいいのか、って。
まだ分からねぇ」
ローデンは、ぽかんとした表情で、
しばらく黙っていた。
やがて、低く笑う。
「今さら何を言っとる。
皆、お主を見て動いておるわい。
ガルドの時も、レクトールの時も、
お主がいればこそ、勝てたもんじゃからな」
その言葉に、
遼は一瞬だけ黙り込む。
(……柄じゃねぇっての)
むずがゆさから、思わず頭を
ガシガシと掻いてしまう。
こちらの世界に来る前なら、
そんなもの、絶対に背負わなかった。
失いたくない。
それだけだったから。
――なのに、今は。
気づけば、
人が、自分を見ている。
その変化に、
遼自身が一番戸惑っていた。
「……でも」
ぽつりと、遼が呟く。
「悪くない、
のかもしれない」
ローデンが、片眉を上げた。
「ほう?」
「いや、
まだよく分かんねぇけど」
遼は再び頭を掻く。
「前よりは、少しだけ。
前向いて歩けてる気はする」
その言葉は、不器用だった。
けれど、確かに本音だった。
ローデンは、何も言わない。
ただ、
どこか安心したように、
小さく鼻を鳴らした。
**
一方。
廊下の陰。
エリシアとミレイユは、
二人の会話を静かに見ていた。
「……変わりましたね」
ミレイユが小さく呟く。
エリシアも、静かに頷いた。
「うん」
最初の頃の遼は、
もっと危うかった。
身体は誰かを助けているのに、
心は懺悔をしている罪人のような、
言葉に出来ない、ちぐはぐさを感じていた。
けれど、今は違う。
迷いながらでも、
人の中へ入ろうとしている。
それが、
どこか眩しく見えた。
その時。
遼が偶然こちらを振り向いた。
首を傾げながら、問いかけてくる。
「……なんで隠れてんだ?」
「っ!?」
エリシアが僅かに肩を跳ねさせる。
ミレイユは、
平静を装って咳払いした。
「別に、隠れてはいません」
「絶対見てただろ」
「見てません」
「いや見てたって」
訝し気な遼。
澄ました顔のミレイユ。
苦笑するエリシア。
肩を竦めるローデン。
慌しい城塞の中で、
ゆっくりとした時間が流れていた。
やがて。
バタバタバタッ!!
足音に振り向くと、
レムル村からの古参の一人が、
慌てた様子で遼に報告した。
「リョウさん!
また荷車が壊れました!!」
「またかよ!?昨日から三台目だぞ!?
……仕方ない、じゃあ、ちょっと行ってくるな」
そう言い残し、
また慌しく、遼は駆けだして行く。
その背中を、
エリシアとミレイユは見つめていた。
エリシアの瞳には、温かさがあった。
遼が“前へ進もうとしている”ことへの喜びだった。
ただ、なぜこんなに眩しく見えるのか、
エリシア自身にも、まだ分からなかった。
ミレイユの瞳は、静かに揺れていた。
嬉しいとは思う。確かに思う。
だが、遼が"変わっていく"ほど、
自分が何者でいられるのかが、分からなくなっていく気がした。
どちらも同じ背中を見ているのに、
感じる温度は違っていた。
遼は、二人の視線に気づかない。
その背中に、二つの視線が重なっていることも知らないまま、
ただ、忙しさに追われて前だけを見ていた。