救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
ルヴァン攻略。
その一報は、帝国に激震を走らせた。
勝利。
それは、人を集める。
噂を呼び、
期待を呼び、
そして――欲望も呼ぶ。
**
ルヴァン城塞外郭。
石畳の広場には、
いつの間にか大勢の民衆が集まっていた。
難民。
商人。
巡礼者。
そして、
熱に浮かされたような目をした者たち。
「エリシア殿下万歳!!」
「王国再興を!!」
「聖女殿下に祝福を!!」
歓声が上がる。
その中心に立つ男は、
柔らかく微笑んでいた。
白い法衣。
砂埃を被った巡礼装束。
手には古びた祈祷書。
そして、
人の不安を包み込むような声。
「皆さん。
恐れる必要はありません」
静かな声だった。
だが、不思議と広場全体へ染み渡る。
「姫殿下は、民を見捨てません。
この勝利は、終わりではなく始まりです」
人々が、息を呑む。
男は、穏やかに両手を広げた。
「飢える者には食を。
傷ついた者には癒やしを。
失った者には、再び立ち上がる希望を。
――エリシア殿下のもと、我々は共に歩むのです」
歓声。拍手。熱狂。
まるで、
最初からそこに“導く者”が必要だったかのように。
**
「……誰だ、あれ」
城壁上から見下ろしながら、
遼が眉をひそめる。
隣では、
渋い顔でローデンが腕を組んでいた。
「巡礼司祭らしい。
名は――オルウェン・ラザリオ。
各地で避難民支援をしとったとかで、
民からの人気は、かなり高いそうじゃ」
遼は、広場を見下ろしたまま黙る。
確かに。
民衆の空気が変わっていた。
疲弊していた兵士たちにも、
僅かに活気が戻っている。
オルウェンが来てからは、
配給も整理され始め、
炊き出しも妙に手際がいい。
正直、助かってはいた。
だが。
(……なんか胡散臭ぇ)
理由は分からない。
けれど、胸の奥に小さな違和感が残る。
「……ああいう方、少し苦手です」
その言葉に、
遼は思わずミレイユの方へ向き直る。
ミレイユが他人に対して、
ここまで強い感情を口にするのは、
初めてのことかもしれない。
「へぇ。
お前がそういうこと言うの、
なんか意外だな」
ミレイユは、
少しだけ困ったように目を伏せた。
「自分でも、上手く説明できないのです。
ただ……」
一瞬、広場の熱狂へ視線を向ける。
「人の心へ入るのが、
あまりにも上手すぎる気がします」
遼は、再びオルウェンを見る。
民衆は笑い、
兵士たちは安堵し、
空気は確かに良くなっている。
間違いなく、
“良いこと”をしていた。
なのに。
(……なんだろう)
胸の奥に、
形容しがたい違和感だけが残った。
その時。
広場の中央で、
オルウェンがゆっくり顔を上げた。
そして、
まるで最初から気づいていたかのように、
城壁上の遼へ微笑みかける。
「おや」
柔らかな声。
「あなたが、リョウ殿ですね」
その目は笑っている。
だが、何かを測るような視線が、
一瞬だけ遼の奥まで届いた気がした。
拝礼とともに、オルウェンは挨拶を続けた。
「お噂は、かねがね伺っております。
猛将ガルドを倒し、
知将レクトールをも退けた英雄とか。
こうしてお会いできたことを、
神に感謝いたします」
遼は、僅かに目を逸らす。
英雄。
その言葉が、遼にはどうしても
居心地が悪かった。
遼の様子をよそに、
オルウェンは改めて一礼した。
「どうか今後とも、
民のためにお力添えをお願いします。
我々は皆、
姫殿下の理想のためにおりますので」
完璧だった。
礼儀も。笑顔も。言葉も。
――あまりにも完璧すぎて、どこか、
作り物めいている様に感じた。
「そして、あなたはミレイユ様ですね?
あなたのお噂も、当然、伺っております。
姫殿下をお支えするものとして、
今後はぜひ、ご協力させてください」
ミレイユに対する態度も完璧だ。
ただのメイドに対しても、礼儀が行き届いている。
「こちらこそ、オルウェン様」
恭しく返礼するミレイユ。
優雅で洗練された動作には、
一見、特に問題は見られない。
だが、遼は気づいた。
彼女の動作が、普段より、
ほんの少しだけ、ぎこちないことを。
その直後だった。
「リョウ!」
聞き慣れた声。
振り返ると、少し息を切らしたエリシアが、
城壁階段を上がってくるところだった。
「ここにいたのですね」
エリシアは、
広場の熱気を見下ろし、
少し驚いたように目を瞬かせた。
「……すごい人」
「勝った直後だからな」
遼が肩を竦める。
「希望に飢えてた連中も多いんだろ」
すると、
下から穏やかな声が届いた。
「おお。姫殿下」
オルウェンだった。
彼は胸へ手を当て、深く一礼する。
「このような場へお姿を見せてくださるとは。
民もきっと喜びます」
エリシアは、
少し戸惑ったように視線を揺らした。
「え、ええ……」
民衆の歓声が、
一気に大きくなる。
「姫殿下だ!!」
「聖女殿下万歳!!」
「王国に祝福を!!」
熱狂。
その勢いに、
エリシアは僅かに息を呑んだ。
ミレイユが、そっと一歩前へ出る。
「お嬢様、下がった方が」
だが。
「ご安心を」
オルウェンが、柔らかく微笑む。
「皆、姫殿下を慕っているだけです」
その声には、
不思議な安心感があった。
実際、民衆も暴れてはいない。
むしろ、救われたような顔で、
エリシアを見上げている。
遼は、その光景を黙って見つめた。
(……悪い奴、ってわけじゃねぇんだよな)
少なくとも今は。
実際、オルウェンのお陰で、
救われている部分はある。
だからこそ、余計に判断しづらい。
困惑するエリシアの様子を見てなのか、
オルウェンは、再び群衆へ向き直った。
「皆さん。
姫殿下は、お疲れのご様子。
今日のところは、どうか祝福だけを」
その一言だけで、
熱狂しかけていた空気が、すっと整う。
前へ出ようとしていた者たちも、
自然と足を止めた。
遼は、思わず眉を上げる。
(……統率、上手すぎるだろ)
怒鳴っていない。
脅してもいない。
なのに、人が動く。
まるで、
空気そのものを誘導しているみたいだった。
ローデンも、難しい顔で髭を撫でる。
「民を扱うのに、慣れとるな」
「……だな」
遼は短く返す。
その時。
オルウェンが、
ふとエリシアへ視線を向けた。
「姫殿下。
お疲れのところ恐縮なのですが……。
皆へ、一言だけ、お言葉を頂けますか?」
柔らかな声音。
断りづらい空気。
エリシアは、一瞬だけ迷った後、
静かに前へ出た。
夕日を受けた髪がきらめき、
民衆の視線を奪う。
エリシアは、
一挙手一投足に向けられる視線に、
戸惑いながらも、声をかけた。
「皆さん……ありがとうございます。
皆さんの顔を、こうして見られることが……、
私には、何よりの力になります」
その言葉に、また、民衆が湧く。
夕日が、城塞外郭を赤く染める。
ヒュゥゥ、と、一陣の風が吹いた。
遼は、胸の中に残る違和感を抱えながら、
エリシアの横顔を見る。
民衆の声と、
風を受けてたなびくエリシアの髪は、
美しく輝いて見える。
なのに遼は、
その輝きを素直に見ていられなかった。