救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

24 / 29
第二十一章 善意の檻

 オルウェンが合流してから二週間。

 城塞内部の空気は、以前とは明らかに変わっていた。

 

 その中心にいるのは、

 言うまでもなく、

 オルウェンだった。

 

**

 

 ルヴァン近くの野営地。

 

 やや湿っぽい平原の上で、

 王国軍は、避難民の対応を行っていた。

 

「配給列はこちらです!押し合わないでください!」

「ケガした人はこっち!薬草は、まだありますから!」

「聖女殿下への献花は、あちらの列です!順番に並んでください!」

 

 慌しい声を聞きながら、

 遼は、書類とにらめっこしていた。

 

 すると、不意に、

 背後から柔らかい声が響いた。

 

「リョウ殿。

 ……お忙しいところ、失礼いたします」

 

 振り向くと、オルウェンの顔があった。

 

「オルウェン司祭か。

 何か、あったのか?」

「いえ。

 頼まれていた件について、ご報告に参りました。

 南区画の避難民名簿ですが」

「ああ……。

 ありがとう、後で目を通しておくよ」

「食料配分は、こちらで調整しておきました。

 兵站負担も軽くなるかと」

「……助かる」

 

 遼は、

 書類を受け取りながら短く返す。

 

 実際、助かっていた。

 

 旗揚げの時とは違い、今や一大勢力だ。

 やらなければならないことは、山の様に多い。

 

 避難民の整理や炊き出し。

 兵士たちの物資管理。

 不安におびえる民衆への対応。

 

 どれも、

 今までなら現場が疲弊していた部分だ。

 

 だがオルウェンが来てから、

 驚くほど流れが良くなっていた。

 

 兵士たちの顔色も、

 以前よりマシになっている。

 

(文句つけづれぇんだよな……)

 

 遼は、

 小さく眉間を揉んだ。

 

**

 

 一方。

 城塞中央区画。

 

 かつてより豪奢になった一室で、

 エリシアは静かに食卓を見つめていた。

 

 白い皿に、スープが湯気を立てている。

 焼き立ての肉料理は芳醇な香りをあげ、

 彩り豊かな果物は、目にも鮮やかだ。

 

 豪華だった。

 

 だが。

 

「……」

 

 エリシアは、

 小さく視線を落とす。

 

 本当は。

 もっと簡素なものを、

 皆で囲むだけでよかった。

 

 ミレイユが作る素朴な焼き菓子を、

 笑いながら食べたり。

 

 忙しい合間に、

 慌てて用意した温かいスープを、

 遼たちと一緒にかきこんだり。

 

 そういうものの方が、

 ずっと落ち着いた。

 

 だが。

 

「姫殿下、

 本日の献立は、栄養面を重視しております」

 

 穏やかな声と共に、男は一礼する。

 オルウェンが、エリシアのために用意した、

 腕利きの料理人だった。

 

 料理の腕だけではなく、

 人柄も重視されて選抜された、誠実な男だ。

 

 彼は、姫殿下へ腕を振るうことに、

 意欲を燃やしていた。

 

「これから先、

 皆の希望であり続けるには、

 まずお身体を整えねばなりません」

 

「……ええ」

 

 エリシアは、小さく頷く。

 

 彼の言うことは、正しい。

 彼の気持ちも、嘘ではない。

 

 だから、

 

 否定できない。

 

**

 

 エリシアの部屋の外。

 

 ミレイユは、

 静かに立ち尽くしていた。

 

 その手には、

 小さな包み。

 

 まだ温かい焼き菓子。

 

 本来なら、

 今日のお茶の時間に出す予定だったもの。

 

 けれど。

 

「申し訳ありません。

 現在、姫殿下のお食事の管理は、

 専任が担当しておりますので」

 

 丁寧な侍女の声。

 責める響きは、一切ない。

 

「ミレイユ様のお気持ちは、

 姫殿下もきっと喜ばれます」

 

 にこやかな笑顔。

 礼儀正しい対応。

 何一つ、間違っていない。

 

 チラリと、一度だけ、

 部屋の方へ目線を向けて。

 

 ミレイユは、とぼとぼと引き返した。

 

 手の中の焼き菓子は、冷めてしまっていた。

 

**

 

 夜。

 エリシアの自室前。

 

 ミレイユは、護衛のためにエリシアの部屋を訪れていた。

 

 だが。

 

「姫殿下の護衛は、我々騎士団が引き継いでおります」

「ミレイユ様も、お疲れでしょう。

 ここは我々に任せて、ゆっくりとお身体をお休めください」

 

 エリシアの護衛は、オルウェンが用意した騎士たちが、

 二十四時間体制で付いていた。

 

 見知らぬものたちが護衛に付くことに、

 ミレイユも最初は難色を示したが、

 オルウェンの人選は、完璧だった。

 

「ご不安に思われるお気持ちは、理解できます。

 ですが、姫殿下の安全は、命に代えても守ります。

 どうか、私たちを信用してください」

 

 頭を下げる騎士たち。

 彼らは、心の底から職務に励んでいた。

 

 そう言われてしまっては、これ以上、

 ミレイユが迷惑をかける訳にはいかない。

 

 ミレイユは、騎士たちに一言だけ礼を言い、

 逃げるように立ち去った。

 

 夜の廊下を一人で歩きながら、

 一瞬だけ、エリシアの部屋の方を見た。

 

 まだ、灯りが付いていた。

 人影の様子では、侍女が髪をほどいている様に見える。

 

 エリシアの食事を用意する。

 エリシアの護衛をする。

 エリシアの服を整える。

 ――エリシアの、髪を結う。

 

 気づけば、

 どれもミレイユの仕事ではなくなった。

 

「私は、何のためにいるのでしょうか」

 

 ひとり、ミレイユは呟く。

 その言葉に返事をする者は、誰もいなかった。

 

**

 

 「……ミレイユ」

 

 騎士たちに頭を下げ、帰っていく様子を、

 エリシアは自室の窓から見つめていた。

 

 呼べば、届く。

 声を出せば、きっと振り返る。

 

 それなのに。

 

 窓一枚を隔てた、そう遠くない距離が、

 まるで別の世界のように、果てしなく遠く感じられた。

 

**

 

 夜の廊下を、遼は歩いていた。

 

 結局。

 避難民の対応に追われ、

 部隊の再編は手つかずになってしまった。

 

 少しだけ伸びをすると、一言呟いた。

 

「……疲れた」

 

「お疲れですね」

 

 振り向くと、

 ミレイユがぽつんと立っていた。

 

「ミレイユか。一人なのか?」

 

 何気ない返事。

 

 だが、ミレイユは、

 遼の言葉に、少しだけ、身体を強張らせた。

 

 遼は、その様子に、

 僅かな違和感を覚え、問いかける。

 

「……どうした?」

 

「え?」

 

「いや、

 なんか……元気ないぞ」

 

 ミレイユは、

 驚いたように目を瞬かせた後、

 ほんの少しだけ、肩を落とし、

 自信無さげに目を伏せた。

 

 そして、自嘲するように

 小さく笑う。

 

「そんなこと、ありません」

 

 嘘だ。

 

 付き合いの長い遼には、

 それくらい分かった。

 

 だが、

 無理に聞く空気でもない。

 

 少しだけ沈黙が落ちる。

 

 その時だった。

 

「リョウ殿」

 

 二人の間へ、

 柔らかな声が滑り込んだ。

 

 オルウェンだった。

 

「夜分遅くに、申し訳ありません。

 姫殿下の予定について、急ぎ確認したく……」

 

 申し訳なさそうな声。

 そこに、嘘の様子はない。

 

「明後日の午後、

 避難民の慰問へ向かわれるのですが…。

 警備の配置について、確認をお願いできますか?」

「ああ、分かった。

 明日の午前中までに返事をするよ」

「ご協力、痛み入ります」

 

 遼は反射的に返事をし、

 オルウェンは頭を下げる。

 

 そして、オルウェンは、

 今度はミレイユへ微笑んだ。

 

「ミレイユ様も、どうかお休みください。

 最近は専門侍女も増えましたし、

 もう、お一人で抱え込む必要はありませんよ」

 

 優しい言葉。

 気遣いすら感じる声。

 

 だが。

 

 ミレイユの指先が、

 僅かに強く握られる。

 

「……ありがとうございます」

 

 丁寧に頭を下げる。

 

 その横顔を見ながら、

 遼の胸にまた、

 あの説明できない違和感が刺さった。

 

**

 

 遼とミレイユとの会話から、

 少し後。

 

 静まり返った礼拝室で、

 オルウェンは一人、

 窓の外を見下ろしていた。

 

 眼下では、

 未だ民衆が祈りを捧げている。

 

「亡国の王女。民を見捨てない姫。

 実に、美しい。

 

 ――そう、哀れなほどに」

 

 口角が吊り上がる。

 

 この戦乱の時代、

 民は象徴を求める。

 

 エリシアの美しさは、

 “人々の希望”として、まさにうってつけだった。

 

 地方の不満。敗戦続きの前線。

 帝国の支配は陰りつつある。

 

 これからは間違いなく、

 エリシアの時代になるだろう。

 

 ――その時代が幕を開けた時。

 隣に立っているのは、自分だ。

  

 オルウェンは、そう遠くない未来に思いを馳せ、

 ほくそ笑む。

 

 礼拝堂にある、大きな窓に、

 オルウェンの顔が映り込む。

 

 窓の中の顔は、

 柔和な笑顔をしていた。

 

 しかし。目だけは。

 

 聖職者にふさわしくない、

 野心に満ちた、危険な光があった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。