救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第二十二章 届かない視線

 アイゲンシルト城塞。

 

 帝都を守る最後の関門であり、

 帝国が「最も信頼できる将」を置く要衝。

 

 その防衛を任されているのが、

 

 セリア・ヴァルステッドだった。

 

**

 

 朝霧の中、

 整然と並ぶ帝国軍の槍列。

 

 兵たちは静かだった。

 無駄口はない。怒号もない。

 恐怖すら薄い。

 

 ただ、決められた位置へ、

 決められた動きで立っている。

 

 それは、

 盲目的な統率ではない。

 

 この陣形にいれば無駄死にはしない。

 この将の指示なら、命を賭けられる。

 

 そんな確信が、

 兵たちの沈黙に滲んでいた。

 

 その中央。

 

 白銀の軍装を纏った女将が、

 戦場を見下ろし、遠く平野の向かい側、

 ――青い旗を、眺めていた。

 

 セリアが旗に目を向けていると、

 背後から、声がかかった。

  

「セリア将軍、報告いたします。

 第三補給線、本日中に再編完了の予定です」

「負傷兵の後送は?」

「既に手配済みです」

「抜かりは無いようですね。

 いいでしょう。兵を無駄に疲弊させないように」

 

 打てば響く、淀みないやりとり。

 将と兵の間に、確かな信頼関係があることを感じさせた。

 

**

 

 ルヴァン水城塞、作戦会議室。

 

 長机の上には、

 アイゲンシルト周辺の地図が広げられていた。

 

 赤い駒が帝国軍。

 青い駒がエリシア陣営。

 

 その配置を見ただけでも、

 この戦いが容易ではないことは理解できる。

 

「……正面突破は厳しいな」

 

 遼が腕を組みながら唸る。

 

「道幅が絞られすぎてる。

 たとえ、大軍で押したとしても、

 隊列が伸びたところを上から叩かれる」

「うむ」

 

 ローデンも深く頷いた。

 

「昔から、あの場所は“帝都の盾”と、呼ばれておる。

 正攻法では、簡単に落ちるとは到底思えんわい。

 せめて、迂回路でもあれば良いんじゃが……」

 

 軍議へ参加している他の者たちも、

 難しい顔で唸る。

 

 誰もが、真正面から挑めば、

 大量の犠牲が出ると理解していた。

  

「ですが」

 

 不意に、静かな声が発せられる。

 発言したのは、エリシア護衛騎士団の一人だった。

 

「アイゲンシルト周辺では、

 未だ帝国支配に苦しむ民も多いと聞きます」

 

 まだ若い騎士だ。

 真面目そうな顔立ち。

 声にも、悪意はない。

 

「長期戦になれば、

 こちらの軍も、避難民の負担も、増え続けるでしょう。

 ならば、多少の損害を覚悟してでも、

 迅速に突破すべきでは?」

 

 室内が、少し静かになる。

 

 遼は眉をひそめた。

 間違ったことは、言っていない。

 だが。

 

「……いや、

 “多少”で済む相手ではないぞ」

 

 ローデンが低く返す。

 

「真正面から兵を突っ込ませれば、

 どれほどの死傷者が出るか。

 ……想像もしたくないわい」

「ですが、姫殿下は民を救いたいと願っておられます」

 

 ローデンの言葉にも怯まず、

 騎士は、ただ真っ直ぐ答えた。

 

「ここで時間をかければ、

 帝国側も防備を固めるでしょう。

 それこそ、より多くの者が苦しむことになるのでは?」

 

 また、空気が揺れる。

 

「……それは、

 そうかもしれんが」

 

 勢いに押され、ローデンが歯切れ悪く答える。

 すると、別の騎士たちも口を開く。

 

「現在、周辺の支持は我々へ傾いています」

「ええ。

 逆に、ここで勢いを止めれば、

 失望を招く可能性もあります」

「姫殿下の理想を示すためにも、

 前進すべきではないでしょうか?」

 

 誰も、怒鳴っていない。

 圧をかけてもいない。

 

 なのに、気づけば、

 部屋の流れがじわじわとそちらへ傾いていた。

 

(……なんだ、この感じ)

 遼は、言いようのない息苦しさを覚えた。

 

 まだ自衛隊にいた頃。

 災害派遣だったか、訓練だったのか、

 細かい記憶は曖昧だ。

 

 ただ、実感として、

 ひとつだけ確かに覚えていることがある。

 

 それは、現場より、

 “上の都合”が優先され始めた時、

 大抵、ろくなことにならないということだ。

 

 誰かが無理をしたり、声を我慢したり。

 そうやって無茶を積み重ねて、

 ――最後には“こんなはずじゃなかった”と裏切られる。

 

 今の空気が、それに似ている気がした。

 ――気がする、だけかもしれない。

 そもそも、そうだったとして。

 どうすれば良いのか、今の遼は、

 答えを持ち合わせていなかった。

 

「……リョウ殿?」

 

 声をかけられ、遼は我に返る。

 見れば、オルウェンが穏やかに微笑んでいた。

 

「何か、気になる点でも?」

「いや……」

 

 遼は、一瞬だけ言葉に詰まる。

 違和感はある。

 だけど、説明できない。

 

「……別に」

 

 結局、

 そう返すしかなかった。

 

 オルウェンは、柔らかく微笑む。

 

「ご安心ください。

 彼らとて、

 無意味な犠牲を望んでいるわけではないでしょう」

 

 その言葉に、騎士たちも真剣に頷いた。

 本当に、そう思っているのだろう。

 

 だから余計に、

 遼の不安はますます大きくなった。

 

**

 

 軍議は続いている。

 

 誰かが発言し、誰かが頷き、

 次々と話が進行していく。

 

 だが、エリシアの耳には、

 その内容が半分も入っていなかった。

 

 両脇には護衛騎士たちが控え、固められている。

 背後には侍従が控え、エリシアの言葉ひとつで、

 なんでも用意してくれる。

  

 けれど。

 

 ――自分の意思を言おうとして、

 言葉が出る前に、隣の騎士が頷く。

 

 ――休憩を入れようとすると、

 先に侍女たちが気を利かせ、皆に茶を差し出す。

 

 彼らに、悪意はない。

 真剣に、自分のために働いてくれている。

 

 気がつけば。

 

 エリシアは、

 ただ、座っているだけだった。

 

 居心地の悪さを紛らわせるように、

 エリシアは、ミレイユへと目を向ける。

 

 だが。

 

「……」

 

 ミレイユはずっと俯いたままだった。

  

 以前なら。

 迷った時、不安な時、

 ミレイユは、必ず気づいてくれた。

 

 小さく頷くだけでも、

 それだけで安心できた。

 

 なのに、今は。

 視線が、合わない。

 

「……姫殿下?

 どうなさいました?」

「……え?」

 

 かけられた声に、思考を戻す。

 すると、皆の視線が、自分に集まっていた。

 どうやら、

 重要なことを聞き逃してしまっていたようだ。

 

「……どうやら姫殿下は、たいへんお疲れのご様子。

 本日はここまでで切り上げた方がよろしいかと」

 

 オルウェンが柔和に微笑み、提案する。

 

 エリシアは、気まずそうに俯き、

 絞り出すように言った。

 

「……申し訳、ありません」

「とんでもございません。

 姫殿下のお身体以上に優先されるべきことなど、

 あろうはずがございませんから」

 

 微笑みのまま、安心させるように、

 オルウェンが返礼を返した。

 

「では、皆さま。

 いったん、解散といたしましょう」

 

 オルウェンの言葉に、会議は解散となる。

 

 後ろ髪を引かれるように、

 エリシアは、もう一度ミレイユの方を見る。

 

 けれど。

 未だ、俯いたまま、

 エプロンの裾を、ぎゅっと握りしめていた。

 

 ――結局、たった一度も、

 ミレイユの目を見ることは出来なかった。

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