救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第二十四章 閉ざされた門

 アイゲンシルト城塞前の開けた平野。

 城塞攻略のため、王国軍はそこに軍を進めていた。

 

 そびえ立つ城塞を前に、

 エリシアは、静かに見上げていた。

 

「……」

 

 兵士たちの声がする。

 馬の息遣い。旗が風を打つ音。

 

 ローデンも、遼も、ミレイユも、

 確かに同じ場所に立っている。

 

 それなのに、声が届かなかった。

 

**

 

 遼は、城塞を観察していた。

 

 岩壁。道幅の絞り込み。

 意図的に折り曲げられた街道。

 高さのある防壁。

 

 それだけでは、ない。

 

 第二防壁。第三防壁。

 奥へ進むほど、

 道は狭く、先が見えなくなる。

 

 確認するほどに、分かる。

 これは、侵入者を決して逃さない、

 "拒絶"の要塞だ。

 

「事前に、地図で確認はしていたが……。

 こんなの、

 力押しでどうにかなる場所じゃない。

 もし、無理にでも、攻め入ろうものなら――」

  

 遼は、そこで言葉を区切る。

 その先は、言いたくなかった。

 

 隣に立つローデンも、低く唸る。

 

「……“帝都の盾”。

 その通り名は、

 やはり伊達では無い、ということじゃな」

 

 難攻不落の要塞を前に、

 遼は、声をかけようと、

 エリシアの姿を探す。

 

 だが、

 騎士たちに囲まれているのか、

 エリシアの姿は見当たらなかった。

 

「……参ったな」

 

 遼は無意識のまま、首に手を添える。

 

 今まで、こんなことは無かった。

 同じ戦場に立っている。なのに。

 

 エリシアの声は、聞こえなかった。

 

**

 

 一方。

 

 ミレイユは、

 エリシアを見ていた。

 

 呼べば届く距離。

 だが。

 

 エリシアが、あの日、遼に向けていた視線。

 遼の、あの腕の温もり。

 

 強烈に刻まれた記憶が、

 頭の中で残響する。

 

 それを思い出す度、

 ミレイユは、

 エリシアに踏み出すことが出来なくなっていた。

 

 それを伝えてしまえば、楽になれる。

 けれど――

 きっと、もう後戻り出来なくなる。

 

 そう思うと、足が竦み、

 何も言えなかった。

 

**

 

 頭の中から、あの光景が離れない。

 

 夕陽が差し込む部屋。 

 涙を流すミレイユ。

 それを抱きしめる、遼。

 

 思考が、ぐるぐると回り、

 いつまでも、心がざわめく。

 

 思考の泥沼から、抜け出せない。

 

**

 

 王国軍先鋒。

 

 一部の騎士たちの中に、

 血気に逸る者たちが居た。

 

「聖女殿下のため……

 命など、惜しくはない!」

「これは、聖戦である!

 我々の屍が、皆の明日の礎になるのだ!!」

 

 異様な熱気とともに、

 ガチャガチャという鎧の音と、

 馬たちの蹄音が鳴り響く。

 

 彼らの耳には、

 誰の声も、届いていなかった。

 

**

 

 パカラッ、パカラッ!

 不意に、蹄の音が背後から響く。

 

 エリシアが振り返ると、

 びっしょりと額に汗をかいた兵士が、

 慌てた様子で報告した。

 

「報告します!

 先鋒部隊の一部、突出しました!」

「……え?」

 

 一瞬、意味を理解できなかった。

 

 視線を上げる。

 細く曲がった街道の先、

 一部の部隊が、戦端を開いていた。

 

「待って――

 止まりなさい!」

 

 声を張る。

 

「戻りなさい!!」

 

 命令だった。

 そのはずだった。

 

 だが。

 

「聖女様のためにッ!!」

「姫殿下のためにッ!!」

 

 歓声が、上がる。

 止まらない。

 むしろ、加速する。

 

 叫びが、重なり、膨れ上がり、

 エリシアの言葉を、塗り潰していく。

 

「違う……!

 違います、戻って……!」

 

 届かない。

 勢いのまま、

 誰一人として、振り返らない。

 

 その瞬間。

 空気が、裂けた。

 

 ――放て。

 

 見えないはずの上空から、

 弾丸と矢が、驟雨のごとく降り注いだ。

 

 石が落ちる。

 悲鳴が、弾ける。

 

「っ……!」

 

 足を止めた兵が、最初に崩れる。

 続いて、密集した列が、まとめて薙がれる。

 

 逃げ場は、ない。

 道は狭く、退くことも出来ない。

 

「姫殿下のためにッ!!」

 

 それでも。

 彼らは、前に出る。

 

 叫びながら。笑いながら。

 ――倒れていく。

 

**

 

「……くそっ!」

 

 遼が歯噛みする。

 

「ローデン!救援出すぞ!」

「分かっておる!」

 

 判断は一瞬だった。

 遼とローデンの部隊が、前へ出る。

 

 崩れかけた前線に、無理やり割って入る。

 

「引け!下がれ!!」

 

 誰かの怒鳴り声に、

 ようやく止まる。

 

 だがそれは、

 エリシアの命令ではなかった。

 

**

 

 高所。

 白銀の将が、戦場を静かに見下ろしていた。

 

「反乱軍の突出部隊、壊滅状態です。

 ただ、後続部隊が合流し、

 混乱は収まりつつあるようです」

 

 報告に、わずかに頷く。

 

「……十分です」

 

 押しつぶされた兵たちへ、

 一瞬だけ視線が落ちる。

 

 だが次の瞬間、もう見ていなかった。

 

「下がりなさい」

 

 静かな命令。

 帝国軍は、一糸乱れず動いた。

 

 矢と銃弾の雨が止み、投石が止まる。

 部隊は、崩れないまま、後退を開始する。

 

 乱れない。迷わない。

 誰一人として、取り残されない。

 

 堂々とした、後退だった。

 

**

 

 一方で。

 

「聖女様のために……!」

 

 未だ、倒れた兵たちは、

 聖女と口にしていた。

 

 血に濡れながら。

 なお、理想を叫びながら。

 

 陣は、整わない。

 命令は、揃わない。

 

 皆、同じ方向を見ているのに、

 誰一人として、同じ動きをしていなかった。

 

 エリシアは、

 足並みが揃わない自軍の姿も、

 整然と撤退するセリア軍の姿も、

 

 その全てを、ただ見ていた。

 

**

 

 アイゲンシルトからの追撃は無かった。 

 

 戦いの後、いったん後退したものの、

 エリシアの天幕内には、重苦しい沈黙が漂っていた。

 

「………」

 

 エリシアは、ただ、黙って俯いている。

 遼や他の者も、みな、何も言えずにいた。

 

 バサッ! 

 不意に、天幕がめくられる。

 

 伝令の一人が、

 帝国軍からの使者の到来を伝えた。

 

 困惑しつつ通すと、

 使者は淀みなく、要件を伝えた。

 

「セリア将軍からの伝言です。

 負傷兵や遺体を故郷に返すため、

 一時停戦したい、との申し入れです。

 もし受け入れてくださるなら、

 明日の正午、会談を設けたい、とのことです。

 ――色よい返事を期待しています」

  

 遼とローデンは、

 眉根を寄せつつ、顔を見合わせた。

 

「……罠だと思うか?」

「むぅ。なんとも言えん所じゃが……。

 敵方は、現状のままでも、絶対に負けん。

 わざわざ、危険を冒してまで、

 罠を仕掛けるとは、考えにくいのじゃが…」

 

 遼とローデンの様子に、使者が声をかける。

 よく通る声だった。

 

「そのような手段は、我が部隊の方針に反します。

 それに……。

 

 セリア閣下は、

 卑劣な罠も、無駄な死も、好みません」

 

 使者の言葉には、

 上官への信頼が滲んでいた。

 

 ――聖女様のために!!

 叫びながら、死んでいった兵士。

 

 対照的に、使者ですら信頼を滲ませ、

 あの整然とした撤退を成し遂げた、

 セリアという人物。

 

 エリシアは、その答えに縋るように、

 セリアの話を聞いてみたくなった。

 

「……わかりました。

 セリア将軍に、お話を受け入れるよう、

 お伝えください」

 

 凛とした声。

 だが、少しだけ、震えていた。

 

 また、

 その瞳は、どこか縋るように揺れていた。

 

**

 

 戦いの熱が冷めやらぬ荒野に、

 一陣の風が吹いている。

 

 戦場に、奇妙な静寂が戻っていた。

 

 その中で。

 白銀の軍装が、

 ゆっくりと歩み寄ってくる。

 

 護衛は最小限。

 だが、誰も近づけない空気。

 

 セリア・ヴァルステッド。

 

 帝国の女将軍が、

 エリシアの前で、足を止めた。

 

「……」

 

 お互い、

 言葉はすぐに発せられない。

 

 先に口を開いたのは、セリアだった。

 

「先ずは、礼を。

 一時停戦を受け入れて頂き、感謝します」

 

 堂々とした礼。

 誠実な人柄が、伝わってくる。

 

「いえ……」

 

 エリシアは、

 否定とも肯定ともつかない、

 言葉を出すので精いっぱいだった。

 

 セリアは、

 平野に横たわる兵たちへ一瞬だけ目をやると、

 ぽつりと、零した。

 

「無理な攻撃でしたね」

 

 淡々と。

 事実だけを置くように。

 

「……っ」

 

 エリシアの喉が詰まる。

 

「この城塞の守りは鉄壁です。

 どんな勇者だろうと、

 ここの守りの前には、その手足を失います」

 

 一歩、視線をずらす。

 倒れている兵たちへ。

 

「……ですが」

 

 一拍。

 

「あなたの兵たちは、よく戦っていました」

 

 その言葉に、

 エリシアの肩が、震えた。

 

 慰めではない。

 評価でもない。

 

「……どうして」

 

 絞り出すような声。

 

「どうして、あんなに……」

 

 言葉にならない。

 

 セリアは、少しだけ目を細めた。

 

「信じているのでしょう」

「……え?」

「あなたを」

 

 即答だった。

 

「だから、止まらない」

 

 静かに、続ける。

 

「統制ではなく、感情で動く軍は、

 ――いずれ、止められなくなります」

 

 断言だった。

 エリシアの視界が、揺れる。

 

「きっと、あなたは優しいのでしょうね」

 

 唐突に投げられた、肯定的な言葉。

 その言葉に、わずかに救われそうになる。

 

 だが。

 

「だからこそ、

 多くを抱えすぎる」

 

 逃げ道が、潰される。

 

「すべてを救おうとすれば、

 すべてが崩れます」

「……では。

 セリア将軍は、どう、されるのですか……?」

「選びます」

 

 静かに。

 

 命令ではなく、

 “当然の前提”として。

 

「何を捨てるのか」

 

 風が、吹いた。

 血の匂いを運ぶ風。

 

「……私は」

 

 セリアは、ほんのわずかに視線を落とす。

 

「もう、選び終えました」

 

 それ以上、エリシアに向けて、

 言葉を発することは無かった。

 

 背を向けると、帝国兵に命令した。

 

「――撤収します」

 

 その一言で、

 帝国軍は、一糸乱れず動き出す。

 

 エリシアは、

 帝国軍の背中を、

 ただ呆然と眺めることしか出来なかった。

 

**

 

 帝国軍の撤収は、手際よく終わった。

 

 閑散とする平野で、

 エリシアは、アイゲンシルト城塞を見上げていた。

 

 門は、いまだ、

 固く閉ざされている。

 

「姫殿下、そろそろ」

 

 護衛騎士の声に、振り向く。

 

 そこには、

 遼も、ミレイユも、いない。

 

 あるのは、

 戦場を吹く乾いた風と、

 エリシアを盲信する、騎士たちの姿だけだった。

 

 ――エリシアは、どうすればいいか、分からなかった。

 

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