救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
アイゲンシルト城塞前の開けた平野。
城塞攻略のため、王国軍はそこに軍を進めていた。
そびえ立つ城塞を前に、
エリシアは、静かに見上げていた。
「……」
兵士たちの声がする。
馬の息遣い。旗が風を打つ音。
ローデンも、遼も、ミレイユも、
確かに同じ場所に立っている。
それなのに、声が届かなかった。
**
遼は、城塞を観察していた。
岩壁。道幅の絞り込み。
意図的に折り曲げられた街道。
高さのある防壁。
それだけでは、ない。
第二防壁。第三防壁。
奥へ進むほど、
道は狭く、先が見えなくなる。
確認するほどに、分かる。
これは、侵入者を決して逃さない、
"拒絶"の要塞だ。
「事前に、地図で確認はしていたが……。
こんなの、
力押しでどうにかなる場所じゃない。
もし、無理にでも、攻め入ろうものなら――」
遼は、そこで言葉を区切る。
その先は、言いたくなかった。
隣に立つローデンも、低く唸る。
「……“帝都の盾”。
その通り名は、
やはり伊達では無い、ということじゃな」
難攻不落の要塞を前に、
遼は、声をかけようと、
エリシアの姿を探す。
だが、
騎士たちに囲まれているのか、
エリシアの姿は見当たらなかった。
「……参ったな」
遼は無意識のまま、首に手を添える。
今まで、こんなことは無かった。
同じ戦場に立っている。なのに。
エリシアの声は、聞こえなかった。
**
一方。
ミレイユは、
エリシアを見ていた。
呼べば届く距離。
だが。
エリシアが、あの日、遼に向けていた視線。
遼の、あの腕の温もり。
強烈に刻まれた記憶が、
頭の中で残響する。
それを思い出す度、
ミレイユは、
エリシアに踏み出すことが出来なくなっていた。
それを伝えてしまえば、楽になれる。
けれど――
きっと、もう後戻り出来なくなる。
そう思うと、足が竦み、
何も言えなかった。
**
頭の中から、あの光景が離れない。
夕陽が差し込む部屋。
涙を流すミレイユ。
それを抱きしめる、遼。
思考が、ぐるぐると回り、
いつまでも、心がざわめく。
思考の泥沼から、抜け出せない。
**
王国軍先鋒。
一部の騎士たちの中に、
血気に逸る者たちが居た。
「聖女殿下のため……
命など、惜しくはない!」
「これは、聖戦である!
我々の屍が、皆の明日の礎になるのだ!!」
異様な熱気とともに、
ガチャガチャという鎧の音と、
馬たちの蹄音が鳴り響く。
彼らの耳には、
誰の声も、届いていなかった。
**
パカラッ、パカラッ!
不意に、蹄の音が背後から響く。
エリシアが振り返ると、
びっしょりと額に汗をかいた兵士が、
慌てた様子で報告した。
「報告します!
先鋒部隊の一部、突出しました!」
「……え?」
一瞬、意味を理解できなかった。
視線を上げる。
細く曲がった街道の先、
一部の部隊が、戦端を開いていた。
「待って――
止まりなさい!」
声を張る。
「戻りなさい!!」
命令だった。
そのはずだった。
だが。
「聖女様のためにッ!!」
「姫殿下のためにッ!!」
歓声が、上がる。
止まらない。
むしろ、加速する。
叫びが、重なり、膨れ上がり、
エリシアの言葉を、塗り潰していく。
「違う……!
違います、戻って……!」
届かない。
勢いのまま、
誰一人として、振り返らない。
その瞬間。
空気が、裂けた。
――放て。
見えないはずの上空から、
弾丸と矢が、驟雨のごとく降り注いだ。
石が落ちる。
悲鳴が、弾ける。
「っ……!」
足を止めた兵が、最初に崩れる。
続いて、密集した列が、まとめて薙がれる。
逃げ場は、ない。
道は狭く、退くことも出来ない。
「姫殿下のためにッ!!」
それでも。
彼らは、前に出る。
叫びながら。笑いながら。
――倒れていく。
**
「……くそっ!」
遼が歯噛みする。
「ローデン!救援出すぞ!」
「分かっておる!」
判断は一瞬だった。
遼とローデンの部隊が、前へ出る。
崩れかけた前線に、無理やり割って入る。
「引け!下がれ!!」
誰かの怒鳴り声に、
ようやく止まる。
だがそれは、
エリシアの命令ではなかった。
**
高所。
白銀の将が、戦場を静かに見下ろしていた。
「反乱軍の突出部隊、壊滅状態です。
ただ、後続部隊が合流し、
混乱は収まりつつあるようです」
報告に、わずかに頷く。
「……十分です」
押しつぶされた兵たちへ、
一瞬だけ視線が落ちる。
だが次の瞬間、もう見ていなかった。
「下がりなさい」
静かな命令。
帝国軍は、一糸乱れず動いた。
矢と銃弾の雨が止み、投石が止まる。
部隊は、崩れないまま、後退を開始する。
乱れない。迷わない。
誰一人として、取り残されない。
堂々とした、後退だった。
**
一方で。
「聖女様のために……!」
未だ、倒れた兵たちは、
聖女と口にしていた。
血に濡れながら。
なお、理想を叫びながら。
陣は、整わない。
命令は、揃わない。
皆、同じ方向を見ているのに、
誰一人として、同じ動きをしていなかった。
エリシアは、
足並みが揃わない自軍の姿も、
整然と撤退するセリア軍の姿も、
その全てを、ただ見ていた。
**
アイゲンシルトからの追撃は無かった。
戦いの後、いったん後退したものの、
エリシアの天幕内には、重苦しい沈黙が漂っていた。
「………」
エリシアは、ただ、黙って俯いている。
遼や他の者も、みな、何も言えずにいた。
バサッ!
不意に、天幕がめくられる。
伝令の一人が、
帝国軍からの使者の到来を伝えた。
困惑しつつ通すと、
使者は淀みなく、要件を伝えた。
「セリア将軍からの伝言です。
負傷兵や遺体を故郷に返すため、
一時停戦したい、との申し入れです。
もし受け入れてくださるなら、
明日の正午、会談を設けたい、とのことです。
――色よい返事を期待しています」
遼とローデンは、
眉根を寄せつつ、顔を見合わせた。
「……罠だと思うか?」
「むぅ。なんとも言えん所じゃが……。
敵方は、現状のままでも、絶対に負けん。
わざわざ、危険を冒してまで、
罠を仕掛けるとは、考えにくいのじゃが…」
遼とローデンの様子に、使者が声をかける。
よく通る声だった。
「そのような手段は、我が部隊の方針に反します。
それに……。
セリア閣下は、
卑劣な罠も、無駄な死も、好みません」
使者の言葉には、
上官への信頼が滲んでいた。
――聖女様のために!!
叫びながら、死んでいった兵士。
対照的に、使者ですら信頼を滲ませ、
あの整然とした撤退を成し遂げた、
セリアという人物。
エリシアは、その答えに縋るように、
セリアの話を聞いてみたくなった。
「……わかりました。
セリア将軍に、お話を受け入れるよう、
お伝えください」
凛とした声。
だが、少しだけ、震えていた。
また、
その瞳は、どこか縋るように揺れていた。
**
戦いの熱が冷めやらぬ荒野に、
一陣の風が吹いている。
戦場に、奇妙な静寂が戻っていた。
その中で。
白銀の軍装が、
ゆっくりと歩み寄ってくる。
護衛は最小限。
だが、誰も近づけない空気。
セリア・ヴァルステッド。
帝国の女将軍が、
エリシアの前で、足を止めた。
「……」
お互い、
言葉はすぐに発せられない。
先に口を開いたのは、セリアだった。
「先ずは、礼を。
一時停戦を受け入れて頂き、感謝します」
堂々とした礼。
誠実な人柄が、伝わってくる。
「いえ……」
エリシアは、
否定とも肯定ともつかない、
言葉を出すので精いっぱいだった。
セリアは、
平野に横たわる兵たちへ一瞬だけ目をやると、
ぽつりと、零した。
「無理な攻撃でしたね」
淡々と。
事実だけを置くように。
「……っ」
エリシアの喉が詰まる。
「この城塞の守りは鉄壁です。
どんな勇者だろうと、
ここの守りの前には、その手足を失います」
一歩、視線をずらす。
倒れている兵たちへ。
「……ですが」
一拍。
「あなたの兵たちは、よく戦っていました」
その言葉に、
エリシアの肩が、震えた。
慰めではない。
評価でもない。
「……どうして」
絞り出すような声。
「どうして、あんなに……」
言葉にならない。
セリアは、少しだけ目を細めた。
「信じているのでしょう」
「……え?」
「あなたを」
即答だった。
「だから、止まらない」
静かに、続ける。
「統制ではなく、感情で動く軍は、
――いずれ、止められなくなります」
断言だった。
エリシアの視界が、揺れる。
「きっと、あなたは優しいのでしょうね」
唐突に投げられた、肯定的な言葉。
その言葉に、わずかに救われそうになる。
だが。
「だからこそ、
多くを抱えすぎる」
逃げ道が、潰される。
「すべてを救おうとすれば、
すべてが崩れます」
「……では。
セリア将軍は、どう、されるのですか……?」
「選びます」
静かに。
命令ではなく、
“当然の前提”として。
「何を捨てるのか」
風が、吹いた。
血の匂いを運ぶ風。
「……私は」
セリアは、ほんのわずかに視線を落とす。
「もう、選び終えました」
それ以上、エリシアに向けて、
言葉を発することは無かった。
背を向けると、帝国兵に命令した。
「――撤収します」
その一言で、
帝国軍は、一糸乱れず動き出す。
エリシアは、
帝国軍の背中を、
ただ呆然と眺めることしか出来なかった。
**
帝国軍の撤収は、手際よく終わった。
閑散とする平野で、
エリシアは、アイゲンシルト城塞を見上げていた。
門は、いまだ、
固く閉ざされている。
「姫殿下、そろそろ」
護衛騎士の声に、振り向く。
そこには、
遼も、ミレイユも、いない。
あるのは、
戦場を吹く乾いた風と、
エリシアを盲信する、騎士たちの姿だけだった。
――エリシアは、どうすればいいか、分からなかった。