救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
セリアとの会談から翌日。
エリシアは、
自分の天幕の中で、
ただ座って、乾いた地面を見つめていた。
「……私は」
『選びます』
『何を捨てるのか』
セリアの言葉が、頭から離れない。
**
「――ッ、――――!」
「――は、――――さい!」
不意に、
天幕の外から、誰かの大声が聞こえてきた。
騒然とした雰囲気に、
エリシアは、護衛騎士の一人へ問いを投げた。
「外が、騒がしい様ですが……。
なにか、あったのですか?」
「民衆の一部が、姫殿下に一言、物申したい、と。
……いま、別の騎士が対応しています。
すぐに下がらせますので、姫殿下はお気になさらず」
気まずそうに、騎士が答える。
「……いえ。
民の声は、無視できません。
すぐに案内してください」
まだ、セリアの問いに対する答えは、
出せていない。
それでも、民の声を聞くぐらいなら、
今の自分でも出来るはずだ。
エリシアは、
生真面目にもそう考え、天幕の外に歩み出た。
布をめくりあげた瞬間。
視線と声が、堰を切ったように押し寄せた。
「姫殿下、これはどういうことなのですか!」
「期待していたのに!」
「私の息子を、返してください…!」
「聖女なんて嘘だったのか!」
人々の視線と声が、
エリシアに注がれる。
姫殿下。聖女。
様々な呼び名が、自分を糾弾する。
「……」
息が、詰まる。
そして。
気づいてしまった。
――誰一人として、
エリシア、と呼ぶ者が、
居ない。
「……ごめんなさい」
ただ、頭を下げる。
それしか、言えなかった。
何に対しての謝罪すら、
もう、分からなかった。
**
一方、野営陣地。
先の敗戦について、
話し合いの場が設けられていた。
だが。
「ふざけるなッ!!」
怒号が、空気を切り裂く。
ローデンと新参の騎士たちが、睨み合っていた。
「なぜあの時、勝手に突出した!!」
「姫殿下のためだ!!」
「あれでは、皆が死ぬと分かっておったのか!!」
「姫殿下のために戦って死ぬのは本望だ!!」
「たわけ!!そういう話ではないわ!!」
怒声がぶつかり合い、
無造作に置かれた書類が、微かに震える。
殴り合い寸前の空気に、
遼が、割って入った。
「やめろッ!!」
遼の、滅多に無い怒鳴り声に、
一瞬だけ、空気が止まる。
しかし。
「リョウは怒らんのか!!こやつらのことを!!!」
「英雄殿、これは我々の問題です!!」
火は消えない。
むしろ、
さらに燃え広がろうとしていた。
言い争いについて、
伝令から報告があったのか、
エリシアが困惑した表情で、野営陣地に訪れた。
「おふたりとも、何ごとですか?」
エリシアからの質問に、
ローデンが鼻息荒く言い放つ。
「前の戦いについて、
こやつらのせいで、余計な被害が出た件ですじゃ。
分かっておらぬようじゃったから、
説教をしてやったのです」
「いいえ、姫殿下。
私たちは、あなたのために命を懸けています。
……どうやら、ローデン殿は、そうではないらしいですが」
売り言葉に買い言葉。
騎士は、皮肉を言い放つ。
「なんじゃと!!!」
「図星ですか!?浅ましい!!!」
火は、更に勢いを増した。
「いい加減にしろよお前ら!!」
遼も怒声を発するが、
頭に血の昇った彼らに、届かない。
「やめてください!!
……お願い、もう、やめて……!」
縋りつくような声で、静止を呼びかける。
だが、少女の悲痛な声を、
誰も、聞かない。
誰一人として。
その声は、もう“命令”ではなかった。
ただの、弱弱しい、願いだった。
「……姫殿下の前で、争うのはやめましょう。」
静かな声が落ちた。
その瞬間。
空気が、凍りついた。
騎士たちが、一斉に頭を下げる。
ローデンも、歯噛みしながら、沈黙する。
オルウェンだった。
「……」
エリシアは、
その光景を見ていた。
自分の声では止まらなかった争いが、
彼の一言で、止まった。
「姫殿下。大丈夫ですか?」
礼儀正しく、心配を口にする。
「…………」
エリシアは、何も言えなかった。
胸の奥に、
言葉にならない痛みが走る。
「姫殿下。それに、ローデン殿。
間もなく、作戦会議の時間です。
大変恐れ入りますが、ご参集願えますかな?」
深々と頭を下げ、参加を呼び掛ける。
ローデンも、不服そうながら、拳を下した。
その様子に一息つくと、
今度は、遼に声を掛けた。
「リョウ殿は、
このあと、ミレイユ殿と負傷兵の様子を見る予定でしたね?」
ミレイユ。
その名前が出るたび、エリシアの胸がざわめく。
「……ああ。
ローデン、会議の結果は、後で教えてくれ」
「……あい、わかったわい」
(なんとか、発火せずに済んだか。けど……)
遼は、深々と息を吐く。
一度だけ不安そうに振り返ったが、
持ち場へと移動をはじめた。
去り際に、ちらりと、
エリシアの方も見やる。
だが、俯いたままの彼女に、
遼は、声をかけることを躊躇ってしまった。
**
エリシアの天幕。
外の篝火が炎を燻ぶらせる中、
作戦会議が始まった。
相変わらず、最悪の空気の中で、
口火を切ったのは、あの柔らかな声色だった。
「まず最初に。
今回の出来事は、たいへん痛ましい出来事でした。
この場をお借りして、散っていった勇者たちに、
哀悼の祈りを捧げさせてください」
目を伏せ、本当に痛ましそうに、十字を切る。
その姿は、敬虔な宗教家に見えた。
いくら暴走していたとはいえ、
自軍の死者に対する黙祷に対し、
がなりたてるほど、弁えていないものは、
この場には居なかった。
しばらくして、黙祷が終わり。
ローデンは、フンと鼻を鳴らした。
「じゃが、
今回の件は、大きな問題と考えておる。
……また暴走されては、勝てるものも勝てんわい」
嘲るような言葉に、
騎士たちの何人かの椅子から、
低い軋みが漏れる。
その瞬間。
オルウェンは、サッと、手で制止した。
「おやめください、ローデン殿。
……今回の件、私は、
誰の責任でも無い、と考えます」
「なんじゃと?」
胡乱げに、ローデンが聞き返す。
「彼らが暴走したのは事実です。
ですが、それは姫殿下への忠誠があってのこと。
……彼らも、必死だったのです。
それを、ご理解いただきたい、ローデン殿」
オルウェンは丁寧に頭を下げる。
最敬礼だった。
そこまでされては、
ローデンといえど、矛を収めざるを得ない。
しぶしぶながらも、続きを促した。
「じゃが……、勝手に行動をされては、
こっちとしては堪らん。
軍の規律も、保てんぞ。
オルウェン、お主は、
どう落とし前をつけるつもりなんじゃ?」
ローデンの試すような目線が、オルウェンに刺さる。
それにも、オルウェンは涼やかに返した。
「はい。
ローデン殿のご意見は、まさに仰る通りかと。
今後は、
このような悲劇を未然に防ぐことが肝要です」
一拍。
前置きをした上で、オルウェンは意見を述べた。
「では、
私の考えを述べさせて頂きます。
まず、姫殿下は、今回の件で、
たいへん、心を痛めておられているご様子。
今後は、二度と起こしてはなりません」
勿体ぶった言い回しに、
ローデンが突っ込む。
「御託はいい。さっさと結論を申せ」
ぞんざいな言いざまに、何人かが眉を顰める。
だが、オルウェンはあくまで涼し気な笑顔を崩さない。
「此度の件。
先ほども申し上げた通り、姫殿下への忠誠から、
起きてしまったものと考えております。
――なので。
姫殿下に対し、最も古くから、最も支えてきた、
そういった人物の言葉ならば、止まったかもしれません」
オルウェンは、そこで言葉を区切る。
沈黙。
燭台の灯りが、小さく揺れる。
ローデンが、悩まし気に口を開いた。
「リョウを前線に出せ、と言うことか…?
……むぅ。
確かに、リョウならば上手くやるじゃろうが…」
正論だった。
エリシアの胸が、痛む。
無意識に、唇を噛んでいた。
「旗揚げから、姫殿下をお支え続けてこられた、
ローデン様のご判断ならば、皆様も安心でしょう」
オルウェンも、柔らかく同意する。
皆を安心させる。
正しい。他の騎士も、頷いている。
「……」
ますます、
唇を噛む力が強くなる。
彼らの言う通り、遼ならば、
上手く統率してくれるだろう。
ミレイユも付ければ、より万全だ。
事実、落燕谷でも、あの絶望的な戦いを、
乗り越えた実績も、ある。
従うべきだ。
理性は、そう告げている。
だが。
あの、夕陽に染まる部屋。
遼の腕の中で、泣きじゃくるミレイユ。
余人には、立ち入れない雰囲気。
ここで、今の提案を認めてしまえば。
私は。
『姫殿下のために!』
『聖女なんて嘘だったのか!』
私を、ただのエリシアと。
そう、呼んでくれる、あの二人と。
『何を捨てるのか』
二度と、向き合えない。
「……その提案は」
絞り出した声。
皆の注目が、一斉にエリシアへ向く。
「受け入れられません。」
エリシアの一言に、部屋中の時間が止まった。
「……姫殿下?なにを」
辛うじて、オルウェンが、
疑問を呈する。
しかし。
「私は……嫌です」
バンッ!
机を叩く鋭い音が、場の空気を裂いた。
皆が唖然とするなか、
衝動のまま、決然と、エリシアは言った。
「リョウと、ミレイユに、会ってきます。
……誰も、ついてこないでください」
「姫殿下!?…何を、言って?」
両脇に控える騎士も、困惑を隠せない。
だが、もはや、
余人の言葉など、今のエリシアの耳には入っていなかった。
**
(……あの表情)
笑顔の裏で、オルウェンは考える。
あの表情は、見覚えがある。
――何かしら、覚悟を決めた者の顔だ。
(世間知らずの子どもだと思っていたが。
……急ぎすぎたか?)
これからの対応について、考える。
――リョウを排除する?
いや、それは無理だ。
エリシアが勢力を伸ばせたのは、
あの男の手腕に他ならない。
ただでさえ劣勢の今、奴を失えば、
この軍は本当に終る。
――ミレイユを消す?
それは一見、妙案に思える。
だが、あのメイドを失ったと知った時。
エリシアの心が折れてしまうかもしれない。
エリシアが“聖女”として振舞えなくなった時、
自身もまた、引きずり落ちてしまう。
リスクは、リターンに合っているとは言い難い。
今は、様子見だ。
二人を遠ざけられなかったのは遺憾ではあるが、
最終的に、私が倒れていなければ問題ない。
柔和な笑顔は維持したまま、
脳内で答えを出し。
そんな打算的な考えは露にもださず、
一礼した。
「……姫殿下の、御心のままに」
**
背後では、なにやらまた言い争いが始まっていた。
だが、エリシアの耳には入っていない。
「私の意思で……二人に」
二人に、会わなければ。
「……会って、伝えなきゃ」
エリシアの思考は、たったひとつだった。