救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第二十五章 名を呼ぶために

 セリアとの会談から翌日。

 

 エリシアは、

 自分の天幕の中で、

 ただ座って、乾いた地面を見つめていた。

 

「……私は」

 

『選びます』

『何を捨てるのか』

 

 セリアの言葉が、頭から離れない。

 

**

 

「――ッ、――――!」

「――は、――――さい!」

 

 不意に、

 天幕の外から、誰かの大声が聞こえてきた。

 

 騒然とした雰囲気に、

 エリシアは、護衛騎士の一人へ問いを投げた。

  

「外が、騒がしい様ですが……。

 なにか、あったのですか?」

「民衆の一部が、姫殿下に一言、物申したい、と。

 ……いま、別の騎士が対応しています。

 すぐに下がらせますので、姫殿下はお気になさらず」

 

 気まずそうに、騎士が答える。

 

「……いえ。

 民の声は、無視できません。

 すぐに案内してください」

 

 まだ、セリアの問いに対する答えは、

 出せていない。

 

 それでも、民の声を聞くぐらいなら、

 今の自分でも出来るはずだ。

 

 エリシアは、

 生真面目にもそう考え、天幕の外に歩み出た。

 

 布をめくりあげた瞬間。

 視線と声が、堰を切ったように押し寄せた。

 

「姫殿下、これはどういうことなのですか!」

「期待していたのに!」

「私の息子を、返してください…!」

「聖女なんて嘘だったのか!」

 

 人々の視線と声が、

 エリシアに注がれる。

 

 姫殿下。聖女。

 様々な呼び名が、自分を糾弾する。

 

「……」

 

 息が、詰まる。

 

 そして。

 気づいてしまった。

 

 ――誰一人として、

 エリシア、と呼ぶ者が、

 居ない。

 

「……ごめんなさい」

 

 ただ、頭を下げる。

 それしか、言えなかった。

 

 何に対しての謝罪すら、

 もう、分からなかった。

 

**

 

 一方、野営陣地。

 

 先の敗戦について、

 話し合いの場が設けられていた。

 

 だが。

 

「ふざけるなッ!!」

 

 怒号が、空気を切り裂く。

 ローデンと新参の騎士たちが、睨み合っていた。

 

「なぜあの時、勝手に突出した!!」

「姫殿下のためだ!!」

「あれでは、皆が死ぬと分かっておったのか!!」

「姫殿下のために戦って死ぬのは本望だ!!」

「たわけ!!そういう話ではないわ!!」

 

 怒声がぶつかり合い、

 無造作に置かれた書類が、微かに震える。

 

 殴り合い寸前の空気に、

 遼が、割って入った。

 

「やめろッ!!」

 

 遼の、滅多に無い怒鳴り声に、

 一瞬だけ、空気が止まる。

 

 しかし。

 

「リョウは怒らんのか!!こやつらのことを!!!」

「英雄殿、これは我々の問題です!!」

 

 火は消えない。

 むしろ、

 さらに燃え広がろうとしていた。

 

 言い争いについて、 

 伝令から報告があったのか、

 エリシアが困惑した表情で、野営陣地に訪れた。

 

「おふたりとも、何ごとですか?」

 

 エリシアからの質問に、

 ローデンが鼻息荒く言い放つ。

 

「前の戦いについて、

 こやつらのせいで、余計な被害が出た件ですじゃ。

 分かっておらぬようじゃったから、

 説教をしてやったのです」

「いいえ、姫殿下。

 私たちは、あなたのために命を懸けています。

 ……どうやら、ローデン殿は、そうではないらしいですが」

 

 売り言葉に買い言葉。

 騎士は、皮肉を言い放つ。

 

「なんじゃと!!!」

「図星ですか!?浅ましい!!!」

 

 火は、更に勢いを増した。

 

「いい加減にしろよお前ら!!」

 

 遼も怒声を発するが、

 頭に血の昇った彼らに、届かない。

 

「やめてください!!

 ……お願い、もう、やめて……!」

 

 縋りつくような声で、静止を呼びかける。

  

 だが、少女の悲痛な声を、

 誰も、聞かない。

 

 誰一人として。

 

 その声は、もう“命令”ではなかった。

 ただの、弱弱しい、願いだった。

 

「……姫殿下の前で、争うのはやめましょう。」

 

 静かな声が落ちた。

 その瞬間。

 

 空気が、凍りついた。

 騎士たちが、一斉に頭を下げる。

 ローデンも、歯噛みしながら、沈黙する。

 

 オルウェンだった。

 

「……」

 

 エリシアは、

 その光景を見ていた。

 

 自分の声では止まらなかった争いが、

 彼の一言で、止まった。

 

「姫殿下。大丈夫ですか?」

 

 礼儀正しく、心配を口にする。

 

「…………」

 

 エリシアは、何も言えなかった。

 胸の奥に、

 言葉にならない痛みが走る。

 

「姫殿下。それに、ローデン殿。

 間もなく、作戦会議の時間です。

 大変恐れ入りますが、ご参集願えますかな?」

 

 深々と頭を下げ、参加を呼び掛ける。

 ローデンも、不服そうながら、拳を下した。

 

 その様子に一息つくと、

 今度は、遼に声を掛けた。

 

「リョウ殿は、

 このあと、ミレイユ殿と負傷兵の様子を見る予定でしたね?」

 

 ミレイユ。

 その名前が出るたび、エリシアの胸がざわめく。

 

「……ああ。

 ローデン、会議の結果は、後で教えてくれ」

「……あい、わかったわい」

 

(なんとか、発火せずに済んだか。けど……)

 

 遼は、深々と息を吐く。

 一度だけ不安そうに振り返ったが、

 持ち場へと移動をはじめた。

 

 去り際に、ちらりと、

 エリシアの方も見やる。

 

 だが、俯いたままの彼女に、

 遼は、声をかけることを躊躇ってしまった。

 

**

 

 エリシアの天幕。

 

 外の篝火が炎を燻ぶらせる中、

 作戦会議が始まった。

 

 相変わらず、最悪の空気の中で、

 口火を切ったのは、あの柔らかな声色だった。

 

「まず最初に。

 今回の出来事は、たいへん痛ましい出来事でした。

 この場をお借りして、散っていった勇者たちに、

 哀悼の祈りを捧げさせてください」

 

 目を伏せ、本当に痛ましそうに、十字を切る。

 その姿は、敬虔な宗教家に見えた。

 

 いくら暴走していたとはいえ、

 自軍の死者に対する黙祷に対し、

 がなりたてるほど、弁えていないものは、

 この場には居なかった。

 

 しばらくして、黙祷が終わり。

 ローデンは、フンと鼻を鳴らした。

 

「じゃが、

 今回の件は、大きな問題と考えておる。 

 ……また暴走されては、勝てるものも勝てんわい」

 

 嘲るような言葉に、

 騎士たちの何人かの椅子から、

 低い軋みが漏れる。

 

 その瞬間。

 オルウェンは、サッと、手で制止した。

 

「おやめください、ローデン殿。

 ……今回の件、私は、

 誰の責任でも無い、と考えます」

「なんじゃと?」

 

 胡乱げに、ローデンが聞き返す。

 

「彼らが暴走したのは事実です。

 ですが、それは姫殿下への忠誠があってのこと。

 ……彼らも、必死だったのです。

 それを、ご理解いただきたい、ローデン殿」

 

 オルウェンは丁寧に頭を下げる。

 最敬礼だった。

 

 そこまでされては、

 ローデンといえど、矛を収めざるを得ない。

 

 しぶしぶながらも、続きを促した。

 

「じゃが……、勝手に行動をされては、

 こっちとしては堪らん。

 軍の規律も、保てんぞ。

 オルウェン、お主は、

 どう落とし前をつけるつもりなんじゃ?」

 

 ローデンの試すような目線が、オルウェンに刺さる。

 それにも、オルウェンは涼やかに返した。

 

「はい。

 ローデン殿のご意見は、まさに仰る通りかと。

 今後は、

 このような悲劇を未然に防ぐことが肝要です」

 

 一拍。

 前置きをした上で、オルウェンは意見を述べた。

 

「では、

 私の考えを述べさせて頂きます。

 まず、姫殿下は、今回の件で、

 たいへん、心を痛めておられているご様子。

 今後は、二度と起こしてはなりません」

 

 勿体ぶった言い回しに、

 ローデンが突っ込む。

 

「御託はいい。さっさと結論を申せ」

 

 ぞんざいな言いざまに、何人かが眉を顰める。

 だが、オルウェンはあくまで涼し気な笑顔を崩さない。

 

「此度の件。

 先ほども申し上げた通り、姫殿下への忠誠から、

 起きてしまったものと考えております。

 ――なので。

 姫殿下に対し、最も古くから、最も支えてきた、

 そういった人物の言葉ならば、止まったかもしれません」

 

 オルウェンは、そこで言葉を区切る。

 

 沈黙。

 燭台の灯りが、小さく揺れる。

 

 ローデンが、悩まし気に口を開いた。

 

「リョウを前線に出せ、と言うことか…?

 ……むぅ。

 確かに、リョウならば上手くやるじゃろうが…」

 

 正論だった。

  

 エリシアの胸が、痛む。

 無意識に、唇を噛んでいた。

 

「旗揚げから、姫殿下をお支え続けてこられた、

 ローデン様のご判断ならば、皆様も安心でしょう」

 

 オルウェンも、柔らかく同意する。

 

 皆を安心させる。

 正しい。他の騎士も、頷いている。

 

 「……」

 

 ますます、

 唇を噛む力が強くなる。

 

 彼らの言う通り、遼ならば、

 上手く統率してくれるだろう。

 

 ミレイユも付ければ、より万全だ。

 事実、落燕谷でも、あの絶望的な戦いを、

 乗り越えた実績も、ある。

 

 従うべきだ。

 理性は、そう告げている。

 

 だが。

 

 あの、夕陽に染まる部屋。

 遼の腕の中で、泣きじゃくるミレイユ。

 余人には、立ち入れない雰囲気。

 

 ここで、今の提案を認めてしまえば。

 私は。

 

 『姫殿下のために!』

 『聖女なんて嘘だったのか!』

 

 私を、ただのエリシアと。

 そう、呼んでくれる、あの二人と。

 

 『何を捨てるのか』

 

 二度と、向き合えない。

 

「……その提案は」

 

 絞り出した声。

 皆の注目が、一斉にエリシアへ向く。

 

「受け入れられません。」

 

 エリシアの一言に、部屋中の時間が止まった。

 

「……姫殿下?なにを」

 

 辛うじて、オルウェンが、

 疑問を呈する。

 

 しかし。

 

「私は……嫌です」

 

 バンッ!

 机を叩く鋭い音が、場の空気を裂いた。

 

 皆が唖然とするなか、

 衝動のまま、決然と、エリシアは言った。

 

「リョウと、ミレイユに、会ってきます。

 ……誰も、ついてこないでください」

「姫殿下!?…何を、言って?」

 

 両脇に控える騎士も、困惑を隠せない。

 

 だが、もはや、

 余人の言葉など、今のエリシアの耳には入っていなかった。

  

**

 

(……あの表情)

 

 笑顔の裏で、オルウェンは考える。

 

 あの表情は、見覚えがある。

 ――何かしら、覚悟を決めた者の顔だ。

 

(世間知らずの子どもだと思っていたが。

 ……急ぎすぎたか?)

 

 これからの対応について、考える。

 

 ――リョウを排除する?

 いや、それは無理だ。

 

 エリシアが勢力を伸ばせたのは、

 あの男の手腕に他ならない。

 

 ただでさえ劣勢の今、奴を失えば、

 この軍は本当に終る。

 

 ――ミレイユを消す?

 それは一見、妙案に思える。

 

 だが、あのメイドを失ったと知った時。

 エリシアの心が折れてしまうかもしれない。

 

 エリシアが“聖女”として振舞えなくなった時、

 自身もまた、引きずり落ちてしまう。

 リスクは、リターンに合っているとは言い難い。

 

 今は、様子見だ。

 二人を遠ざけられなかったのは遺憾ではあるが、

 最終的に、私が倒れていなければ問題ない。

 

 柔和な笑顔は維持したまま、

 脳内で答えを出し。

 

 そんな打算的な考えは露にもださず、

 一礼した。

 

「……姫殿下の、御心のままに」

 

**

 

 背後では、なにやらまた言い争いが始まっていた。

 だが、エリシアの耳には入っていない。

 

「私の意思で……二人に」

 

 二人に、会わなければ。

 

「……会って、伝えなきゃ」

 

 エリシアの思考は、たったひとつだった。

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