救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
三日後。
村の入り口に、聞き慣れない靴音が近づいてきた。
乾いた土を踏みしめる、乱れた足並み。
酒の匂いが風に乗って漂ってくる。
辺境守備隊――そう名乗ってはいるが、
その実態は帝国の正規軍とは程遠かった。
**
部隊が村の入り口に到着すると、隊長が鷹揚に口を開いた。
「我々は帝国軍の辺境守備隊である。村の代表を連れてこい」
遼は黙ったまま、兵士たちを見ていた。
穴だらけの鎧。
ひび割れた銃床。
帝国軍の主力は槍盾歩兵だと聞いていた。
銃は量産できても、精度が低く主力にはなれない。
そのため、訓練を積んだ兵が槍列に組み込まれ、
そうでない者に銃が渡る――この帝国では、それが常識だと聞いた。
隊列は乱れ、兵士たちは目の下に隈を作り、
そのくせ、酒だけはしっかり飲んでいる。
絵に描いたような、烏合の衆だった。
「代表はここにいます。私です」
エリシアが一歩前に出る。
その姿勢は、村娘とは思えないほど凛としていた。
隊長は一瞬だけ目を細めた。
“何か”を感じ取ったように。
だがすぐに仏頂面に戻り、手短に言う。
「三日前に通達した通り、徴発品を受け取りに来た。
こちらも忙しい身だ、さっさと出すものを出せ」
「この村には余剰の食料はありません。
若者を連れて行けば、来季の耕作も立ち行かなくなります」
「何が言いたい」
「……差し出せるものは、何もありません。
せめて、来年までお待ちいただけないでしょうか」
「知ったことか」
隊長は面倒くさそうに吐き捨てた。
「命令だ。帝国軍への供出。拒めば反乱扱いだ」
「反乱ではありません。生存の訴えです」
「言葉遊びは宮廷でやれ、お嬢さん」
その一言に、遼は気づいた。
――この男、エリシアの“育ち”に違和感を覚えている。
エリシアの震える手が、腰の銃へ伸びかけた。
仕立ての良い銃。
村の誰も持っていないような、精巧な造り。
だが、先に引き金を引けば、
"徴発する対象"から"駆逐する対象"に変わる。
遼は咄嗟にエリシアの手首を押さえた。
エリシアは唇を噛み、震える指を止めた。
**
応酬は、その後も続いた。
村人たちは息を殺し、兵士は銃を握り、見守っていた。
エリシアは一歩も引かない。
しかし、隊長の言い様には、未だとりつくしまもない。
終わりの見えないやりとりに、
村人の不安と、兵士の苛立ちが募っていく。
――このままでは。
エリシアの表情にも焦りが見え始める。
そのときだった。
張りつめた空気の中、
遼は、村人たちの端に、ひとりの少年を見つけた。
父親が昨年の徴収で帰らなかった子だ。
小さな手に、石ころが握られていた。
――まずい。
遼が動くより早く、石は飛んだ。
**
石は隊長の頬をかすめ、
後ろの兵士の胸当てに当たり、
カラン、と乾いた音を響かせた。
「父ちゃんを、返せよ……!」
震える声。
怒りと恐怖が混ざった顔。
兵士の一人が、反射的に銃へ手を伸ばした。
「このクソガキが!!」
もとより低い規律。
酒による、鈍った思考。
村人たちの敵意を宿す瞳。
「よせ!発砲は許可していな——」
隊長の制止より早く、
バァン!
銃声が村を裂いた。
**
村は、一瞬で混乱に飲まれた。
兵士が叫び、村人が逃げ惑う。
遼の身体は、考えるより先に動いていた。
少年を抱え、遮蔽物へ転がり込む。
次弾を避け、出血部位を押さえる。
視界の端で、誰かが崩れ落ちた。
少年の母親だった。
その隣に、老人が倒れていた。
遼は、少年から目を離せなかった。
血の匂い。
土の匂い。
少年の出血が、止まった。
遼は、ゆっくりと顔を上げる。
母親は、もう、動いていなかった。
**
エリシアは、必死に声を張り上げた。
「やめてください!抵抗の意思はありません!!」
「お嬢様!!そんなことを言っている場合ではありません!!」
庇うように、ミレイユが覆いかぶさる。
エリシアの叫びは、銃声にかき消された。
騒乱の中、隊長が怒鳴った。
「バカ野郎が……!
おかげで面倒なことになった。
反乱分子として処理するしかなくなったじゃねぇか。
撤退するぞ!」
「先にやったのは村のガキだろうが!!
このままナメられっぱなしで帰れるかよ!!」
「黙れ!!命令に逆らえば俺たちも切り捨てられるんだ!!
わかったらさっさと撤退の準備をしろ!!」
隊長の有無を言わせぬ剣幕に、
兵士たちは憤懣やるかたない、といった様子で撤退を始めた。
「待ってください!本当に反乱するつもりはないんです!!」
エリシアは必死に叫んだ。
このまま帰してしまうと――
村は、“反乱村”として焼かれる。
「知ったことか!恨むなら、あのガキを恨め!!」
悲痛な呼びかけも虚しく、辺境守備隊は去っていった。
**
残されたのは、血の匂いと、
倒れた母親と老人の亡骸。
さっきまでの喧騒が嘘のような静寂の中、
エリシアは、呆然と、地面を見ていた。
少年が投げた、あの石ころが、まだそこにあった。
拾えば、何かが変わる気がした。
でも、手が動かなかった。
たった一つの石。
たった一発の銃弾。
それだけで、全てが壊れた。
遼は声をかけられなかった。
――また、救えなかった。
その言葉だけが、胸の奥で重く沈んでいた。