救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第三十二章 崩れ行く背中

 皇帝との会談から、一週間が経過した。

 

 王国軍の士気は、依然として高い。

 

 ひとたび決断を下せば、

 兵たちは帝都へ雪崩れ込み、

 オルドハルトは陥落する。

 

 だが。

 

 それは、そこに居る人々を、

 “敵”として踏み潰すことになる。

 

 この一週間の間。

 

 エリシアは、

 クラウスから渡された親書を、

 開き、閉じることを繰り返していた。

 

**

 

 エリシアの天幕の中。

 

 ルヴァンに居た頃に比べると、

 装飾が減り、より生活感がある。

 

 飾り物は削られ、その代わりに、

 保存食やインク壺のような、

 生活に必要な物が置かれている。

 

 エリシアは、

 小さなベッドの上で、ずっと考えていた。

 

『だからこそ、余は選ぶ』

『奪う先を。捨てる者を』

 

 耳にはまだ、

 皇帝の言葉がこびりついている。

 

(きっと、正しい。

 ……だけど、私は)

 

「……お嬢様」

 

 エリシアは、

 ベッド脇に置いた、丸椅子の方を見る。

 

 そこには、

 ミレイユが座っていた。

  

「……少しだけ、お話しても良いですか」

 

 エリシアは首肯し、続きを促した。

 

「皇帝との会談。

 ……私も、この一週間。

 ずっと、考えていました」

 

 ミレイユは、

 言葉を探すよう、

 たどたどしく続けた。

 

「きっと、彼の言うことは正しい。

 ですが、それが。

 ……私と、お嬢様の故郷を焼いた」

「……はい」

「だけど、皇帝の言った、

 全部を救えない、というのも。

 きっと、本当なのだと。

 そう、思いました」

 

 ミレイユは、目を伏せ、

 幕舎の絨毯に視線を落とした。

 

「……でも。

 彼の言葉が正しければ」

 

 そこで、言葉を区切る。

 

 ゆっくりと顔を上げ、

 エリシアの方を、真っ直ぐ向いた。

 

「私は。

 いま、ここに居ません」

 

 エリシアは、息を呑む。

 

「お嬢様が、どの様な答えを出すか。

 それは、分かりません。

 ……ですが、どんな答えだろうと、

 私は、ずっとおそばに居ます」

 

 言い切った。

 

 エリシアは、

 ゆっくりと自身の胸に手を当て。

 

「……ありがとう」

 

 瞳に涙を湛えながら

 ミレイユに感謝を告げた。

 

「それは、こちらのセリフですよ。お嬢様」

 

 ミレイユは、うっすらと微笑んだ。

 

**

 

 王国軍の前衛陣地。

 

 帝都外周の草原地帯に位置するそこには、

 緊張と倦怠が奇妙に混ざった空気が漂っていた。

 

 王国軍の中央部から外れ、

 軍事的に重要性が低い部隊。

 

 ここに、

 ルヴァン戦後、勝ち馬に乗る様に合流した者たちが、

 くだをまいていた。

 

「もう、終わった戦だろ」

「帝都は目前なのに、いつまで待たせる気だ?」

「降伏の準備でもしているんじゃないのか」

 

 笑い混じりの声。

 緊張は薄れ、代わりに“余裕”が生まれている。

 

 それは、油断だった。

 そして同時に、侮りでもあった。

 

 そこへ。

 帝国軍の荷車が、目の前を横切った。

 

 エリシアと、

 帝国との調整はまだ続いている。

 

 一時的な停戦状態であると言え、

 当然、お互いの部隊への攻撃は禁止されていた。

 

 だが。

 

「おい、負け犬ども。

 そこを通るんじゃないぞ?

 貴様らが通った後、掃除するのは俺たちなんだからな」

 

 王国軍の兵士の一人が、

 荷車を指差して嗤う。

 

「ああ。お前達の代わりに、

 俺たちが景観を維持してやってるからな」

「負け犬の匂いが道に染み付いてるから、

 こっちは苦労してばかりだけどな!」

 

 同調するように、

 他の兵士たちもニタニタと笑い始める。

 

「なんだとーー!」

「堪えろ。

 ……お目溢し、感謝する」

 

 帝国軍の兵士が、咄嗟に拳を振り上げる。

 

 だが、部隊長は、冷静にそれを静止すると、

 顔が歪むのを必死に耐えながら、硬い声で感謝を述べた。

 

「ハッ。

 負け犬は負け犬らしく、

 頭を下げてりゃいいんだよ」

 

 嘲る言葉。

 

 部隊長は、唇を固く結びながら、

 罵声の雨が止むのを待った。

 

「帝国の連中なんて腰抜けばかりだ。

 ……死んだ連中も、間抜けだったんだろ」

「そう考えると、部隊長殿は賢いぜ!

 お勤め、ご苦労様です!ってかぁ?」

 

 部隊長には、友人がいた。

 その友人は、先の戦いで命を落としていた。

 

 彼は、それほど優秀ではなかったが。

 ーー断じて。

 

 断じて、嘲られるような人間では無い。

 

 次の瞬間。

 

 バキッ!!

 

 拳が、飛んだ。

 

**

 

 王国軍の野営地から少し外れた、小さな草原。

 

 戦闘も無く、

 少しだけ暇を見つけた遼は、

 ひとり、草原に寝そべっていた。

 

 夕暮れにはまだ早い時間。

 

 風が草原をそよぐ音と、

 木に繋いだ馬が、時折嘶く声だけが、

 遼の耳に入る。

 

 眼下には、帝都の鮮やかな白が映る。

 恐ろしいまでの均質さは、

 無言の圧力となって、遼の胸に圧し掛かっていた。

 

(……俺は)

 

 仰向けになりながら、手を伸ばす。

 

 けれど、雲に手は届くはずもなく。

 青い空を、いたずらに掴むばかりだった。

 

**

 

 不意に。

 前線の一部から、煙が上がる。

 

 ーー夕食の時間には、まだ早い。

 

 違和感を覚えた遼は、

 跳ね起きると、馬に乗り、前線に戻る。

 

 小さな煙は、

 遼が戻る頃には、黒煙となって立ち昇っていた。

 

**

 

「いったい、何があった!?」

 

 焦燥を含んだ、遼の声。

 それに答えたのは、ローデンだった。

 

「リョウ!

 前衛で揉め事が起きた!

 帝国側の荷車に、火が出ておる!」

「王国軍がやったのか!?」

「……断定はできん。

 じゃが、状況からすると」

 

 ローデンは、そこで言葉を濁した。

 

「……停戦は、どうなってるんだ」

 

 遼は、煙を見た。

 風が、東へ向いていた。

 

(東には、負傷者の幕舎がある)

(南の補給部隊も、今頃混乱しているはずだ)

 

 いま、決断すれば。

 どちらかは、助かる。

 

『奪う先を。捨てる者を』

『それが統治だ』

 

 皇帝の言葉が、脳裏に蘇る。

 

(……違うッ!俺は……)

 

 振り払うように、大きく頭を振る。

 努めて冷静に、ローデンへ質問した。

 

「ローデン。いま動かせる部隊は?」

「……多くない。

 皆、準備など、しておらぬわ……」

 

 ローデンは、

 無念そうに下を向いた。

 

 補給部隊を失えば、

 駐留を続けることが難しくなる。

 最悪、交渉も打ち切られてしまいかねない。

 

 だが。

 負傷者の命もまた、戻らない。

 

(……どちらかしか、無いのか)

 

 喉が、焼けるようにカラカラだった。

 それなのに、胃の奥が急速に冷えていった。

 

 気づけば。

 

 ローデンも、周りの兵士たちも。

 遼の指示を待っていた。

 

(俺は……俺は……)

 

 俯きかけた瞬間。

 

 ドォン!!

 

 爆音らしき音とともに、

 黒煙の勢いが増す。

 

「マズい!あっちの方は、

 補給部隊のすぐ近くじゃ!」

 

 ローデンの焦った声が、遼の決断を急がせる。

 最早、一刻の猶予すら無い。

 

(……ごめん)

 

 遼は、心の内で謝罪すると。

 

「……南へ、向かってーー」

 

 言いかけた。

 

 その瞬間だった。

 

「ーー双方、矛を納めなさい」

 

 白刃が、舞い降りた。

 

**

 

 停戦の間、

 手持ち無沙汰だったセリアは、

 監視役として、両軍の見回りをしていた。

 

 部下の報告から、

 いち早く騒ぎを聞きつけたセリアは、直ちに行動した。

 

 自分の目で状況を確認するため、

 まずは帝国側の方へ馬を進めた。

 

 到着したセリアが目にしたのは、

 激怒する帝国の兵士と、それを宥める部下の姿。

 

 そして、

 拳を握りしめ、下を向く、部隊長だった。

 

 セリアは、

 静かに部隊長へ言葉をかけた。

 

「……損害は」

「荷車、二台。

 物資の一部が燃えました」

「負傷者は」

「軽傷が、三名」

 

 先に手を出したのは、自分の部下だ。

 それは、分かっていた。

 

 下を向きながら、それでも、

 部隊長は震え声でセリアに返す。

 

「……閣下。

 挑発したのは、向こうです」

「知っています」

 

 セリアは、短く遮った。

 

「ですが、先に拳を出したのは、帝国側です。

 ……それも、知っていますね」

 

 部隊長は、答えなかった。

 答えられなかった。

 

「引いてください。

 後の処理は、私がします」

 

 セリアの言葉に、

 部隊長は、力無く頷いた。

 

**

 

 次に、セリアは王国側へ向かった。

 

 先ほどまで嗤っていた兵士たちが、

 まだ、そこで屯していた。

 

 セリアの姿を見つけた彼らは、

 軽薄な笑みを浮かべながら、好き放題に喋り始めた。

 

「セリア将軍。

 先に手を出したのは、帝国ですぜ」

「俺たちは、被害者ってことさぁ」

「アンタの身内が問題を起こしたんだ。

 どう、責任を取るんだろうなぁ?」

 

 嘲りの声が、連鎖する。

 

 しかし。

 

「黙りなさい」

 

 セリアが柳眉を逆立て、

 兵士たちを睨みつけた。

 

 それだけで。

 

 笑いが、消えた。

 一人が、目を逸らした。

 また一人が、後ずさった。

 

「あなた方の軽率な発言が原因になったことは、

 既に把握しています」

 

 断言する。

 抗議の声が、すぐに上がった。

 

「俺たちが悪いって言うのかよ!?」

「所詮、帝国の裏切り者だろうが!」

 

 セリアが、

 もう一度強く睨みつける。

 

「……ッ!?」

 

 抗議の声は収まった。

 静まりかえった空気の中。

 

「不服ですか。

 ……ならば、今ここで」

 

 腰の剣に手をかけ、言い放つ。

 

「私と、戦いますか」

 

 誰も、答えなかった。

 答えられる者が、いなかった。

 

 風だけが、草原を渡った。

 

 セリアは、それ以上何も言わず。

 そのまま、馬首を返していった。

 

**

 

 一方。

 

「リョウの旦那。

 補給部隊の方は俺たちで面倒を見る。

 負傷兵側の対応は、そっちに任せてもいいな?」

 

 遼の元には、

 レオンハルトが伝令として寄こされていた。

 

 彼の言葉通り、

 みるみるうちに南の混乱は収まっている。

 

「……感謝する。

 みんな、聞いていたな。

 俺たちは、負傷者の幕舎へ向かう。

 ローデンもついてきてくれ」

「承知したわい。

 レオンハルト殿、重ねて、ご助力を感謝するぞ」

「いいってことよ。

 ……身内の不始末に付き合わせちまって、悪かったな」

 

 レオンハルトは、

 ひらひらと手を振ると、セリアの元へ戻っていった。

 

 遼は、その背中を軽く見送ると、

 気を取り直す。

 

「……みんな、移動しよう」

 

 皆が、一斉に頷くと、

 そのまま、駆け出した。

 

**

 

 騒ぎが収まった頃。

 

 遼は、

 エリシアの天幕で報告をしていた。

 

「……幸い、被害は大きくなかった。

 セリア将軍のおかげ、だな」

「そうですか……。

 改めて、お礼をしないといけませんね」

 

 エリシアは、手を合わせると、

 目を閉じ、ほっと一息ついた。

 

「リョウも、お疲れ様でした。

 ……リョウ?」

 

 遼の様子がおかしい。

 目線が合わないし、それに。

 

 話しているのに、

 どこか、自分を遠ざけているような。

 誰かとの対話に、怯えているような。

 

 まるで。

 

(初めて会った時……)

 

「リョウ。

 今日は、早めに休んだ方がいいでしょう。

 ……お嬢様の方は、私に任せてください」

 

 ミレイユからの声で、エリシアは意識を戻す。

 彼女の言葉にも、気遣いの色があった。

 

 だが。

 

「ああ。そうさせてもらう」

 

 返ってきたのは、硬い声色だった。

 

 それだけ言い切ると、

 遼は、背中を返す。

 

 エリシアとミレイユには、

 その背中が、やけに小さく見えた。

 

**

 

 夜。

 帝都オルドハルト、皇帝の離宮。 

 

 帝都の中心部にあるそこで、

 皇帝は、報告書を眺めていた。

 

 停戦中の小競り合い。

 王国軍内の統制の乱れ。

 セリアの介入による収束。

 

 皇帝は、それを読み終えると、

 静かに折り畳む。

 

 その目に、感情の色は無い。

 

 そこへ。

 コンコン。

 

 礼儀正しいノックの音が響く。

 

「……入ってよい」

 

 皇帝は、入室の許可を降ろす。

 

 重厚なドアがギィィ、と音を立てると、

 そこには、クラウスの姿があった。

 手には、数枚の羊皮紙を持っている。

 

「お休みのところ、大変失礼致します。

 緊急で報告すべきかと思い、参りました」

「謝罪は良い。要件を申してみよ」

「はっ。

 ラウスを含む西方三州にて、

 税収拒否の動きが確認されております。

 現地駐留部隊では、対応が困難な状況です」

 

 皇帝は、答えなかった。

 

「あの姫の影響か」

「関連は、しているかと」

 

 クラウスの声は硬い。

 

「……陛下」

「ラウスには、帝都の指揮官から何人か見繕い、

 まとめられる者を向かわせろ。

 貴様も、もう下がってよい」

「かしこまりました」

 

 クラウスは、一礼し退出する。

 

 バタン、とドアが閉じる音とともに、

 部屋には静寂が戻った。

 

 皇帝は、ふと、

 視線を窓の外へ向ける。

 

 帝都の灯りは、

 いつも通り、規則正しく並んでいた。

 

 かつて。

 この灯りを夢見た時があった。

 

 誰も飢えない街。

 誰も理不尽に死なない秩序。

 

 それを作るために、

 何を捨てたか。

 

 皇帝は、その問いを、

 もう何年も、立てていなかった。

 

「……まだ、諦めていないか」

 

 いつか、決着をつける必要がある。

 自分の手で。

 

 皇帝は、

 窓の外を見たまま、

 静かに目を閉じた。

 

**

 

 エリシアの天幕を出た遼は、

 外の風に当たっていた。

 

 外はもう、暗くなっていた。

 夜風が、やけに冷たく感じられる。

 

(俺は……あの時……)

 

 切り捨てることを、選んだ。

 

(これじゃあ、まるで……)

 

 また、記憶が甦る。

 救えなった過去。

 上官の命令。

 

(俺は、あの上官と……)

 

 違う、と叫びたかった。

 なのに、現実は。

 

 何も、出来なかった。

 ただ、見ているだけだった。

 助けられた側だった。

 

 不意に、吐き気が込み上げる。

 口を抑え、背中を震わせながら、

 自分の天幕に、ひとり、戻っていった。

 

 辺りには、風に撫でられる草の音と、

 松明のパチパチとした、小さな音だけが響く。

 

 その中で。

 

『だからこそ、余は選ぶ』

『奪う先を。捨てる者を』

 

 皇帝の声だけが、

 遼の頭に響いていた。

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