救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
皇帝との会談から、一週間が経過した。
王国軍の士気は、依然として高い。
ひとたび決断を下せば、
兵たちは帝都へ雪崩れ込み、
オルドハルトは陥落する。
だが。
それは、そこに居る人々を、
“敵”として踏み潰すことになる。
この一週間の間。
エリシアは、
クラウスから渡された親書を、
開き、閉じることを繰り返していた。
**
エリシアの天幕の中。
ルヴァンに居た頃に比べると、
装飾が減り、より生活感がある。
飾り物は削られ、その代わりに、
保存食やインク壺のような、
生活に必要な物が置かれている。
エリシアは、
小さなベッドの上で、ずっと考えていた。
『だからこそ、余は選ぶ』
『奪う先を。捨てる者を』
耳にはまだ、
皇帝の言葉がこびりついている。
(きっと、正しい。
……だけど、私は)
「……お嬢様」
エリシアは、
ベッド脇に置いた、丸椅子の方を見る。
そこには、
ミレイユが座っていた。
「……少しだけ、お話しても良いですか」
エリシアは首肯し、続きを促した。
「皇帝との会談。
……私も、この一週間。
ずっと、考えていました」
ミレイユは、
言葉を探すよう、
たどたどしく続けた。
「きっと、彼の言うことは正しい。
ですが、それが。
……私と、お嬢様の故郷を焼いた」
「……はい」
「だけど、皇帝の言った、
全部を救えない、というのも。
きっと、本当なのだと。
そう、思いました」
ミレイユは、目を伏せ、
幕舎の絨毯に視線を落とした。
「……でも。
彼の言葉が正しければ」
そこで、言葉を区切る。
ゆっくりと顔を上げ、
エリシアの方を、真っ直ぐ向いた。
「私は。
いま、ここに居ません」
エリシアは、息を呑む。
「お嬢様が、どの様な答えを出すか。
それは、分かりません。
……ですが、どんな答えだろうと、
私は、ずっとおそばに居ます」
言い切った。
エリシアは、
ゆっくりと自身の胸に手を当て。
「……ありがとう」
瞳に涙を湛えながら
ミレイユに感謝を告げた。
「それは、こちらのセリフですよ。お嬢様」
ミレイユは、うっすらと微笑んだ。
**
王国軍の前衛陣地。
帝都外周の草原地帯に位置するそこには、
緊張と倦怠が奇妙に混ざった空気が漂っていた。
王国軍の中央部から外れ、
軍事的に重要性が低い部隊。
ここに、
ルヴァン戦後、勝ち馬に乗る様に合流した者たちが、
くだをまいていた。
「もう、終わった戦だろ」
「帝都は目前なのに、いつまで待たせる気だ?」
「降伏の準備でもしているんじゃないのか」
笑い混じりの声。
緊張は薄れ、代わりに“余裕”が生まれている。
それは、油断だった。
そして同時に、侮りでもあった。
そこへ。
帝国軍の荷車が、目の前を横切った。
エリシアと、
帝国との調整はまだ続いている。
一時的な停戦状態であると言え、
当然、お互いの部隊への攻撃は禁止されていた。
だが。
「おい、負け犬ども。
そこを通るんじゃないぞ?
貴様らが通った後、掃除するのは俺たちなんだからな」
王国軍の兵士の一人が、
荷車を指差して嗤う。
「ああ。お前達の代わりに、
俺たちが景観を維持してやってるからな」
「負け犬の匂いが道に染み付いてるから、
こっちは苦労してばかりだけどな!」
同調するように、
他の兵士たちもニタニタと笑い始める。
「なんだとーー!」
「堪えろ。
……お目溢し、感謝する」
帝国軍の兵士が、咄嗟に拳を振り上げる。
だが、部隊長は、冷静にそれを静止すると、
顔が歪むのを必死に耐えながら、硬い声で感謝を述べた。
「ハッ。
負け犬は負け犬らしく、
頭を下げてりゃいいんだよ」
嘲る言葉。
部隊長は、唇を固く結びながら、
罵声の雨が止むのを待った。
「帝国の連中なんて腰抜けばかりだ。
……死んだ連中も、間抜けだったんだろ」
「そう考えると、部隊長殿は賢いぜ!
お勤め、ご苦労様です!ってかぁ?」
部隊長には、友人がいた。
その友人は、先の戦いで命を落としていた。
彼は、それほど優秀ではなかったが。
ーー断じて。
断じて、嘲られるような人間では無い。
次の瞬間。
バキッ!!
拳が、飛んだ。
**
王国軍の野営地から少し外れた、小さな草原。
戦闘も無く、
少しだけ暇を見つけた遼は、
ひとり、草原に寝そべっていた。
夕暮れにはまだ早い時間。
風が草原をそよぐ音と、
木に繋いだ馬が、時折嘶く声だけが、
遼の耳に入る。
眼下には、帝都の鮮やかな白が映る。
恐ろしいまでの均質さは、
無言の圧力となって、遼の胸に圧し掛かっていた。
(……俺は)
仰向けになりながら、手を伸ばす。
けれど、雲に手は届くはずもなく。
青い空を、いたずらに掴むばかりだった。
**
不意に。
前線の一部から、煙が上がる。
ーー夕食の時間には、まだ早い。
違和感を覚えた遼は、
跳ね起きると、馬に乗り、前線に戻る。
小さな煙は、
遼が戻る頃には、黒煙となって立ち昇っていた。
**
「いったい、何があった!?」
焦燥を含んだ、遼の声。
それに答えたのは、ローデンだった。
「リョウ!
前衛で揉め事が起きた!
帝国側の荷車に、火が出ておる!」
「王国軍がやったのか!?」
「……断定はできん。
じゃが、状況からすると」
ローデンは、そこで言葉を濁した。
「……停戦は、どうなってるんだ」
遼は、煙を見た。
風が、東へ向いていた。
(東には、負傷者の幕舎がある)
(南の補給部隊も、今頃混乱しているはずだ)
いま、決断すれば。
どちらかは、助かる。
『奪う先を。捨てる者を』
『それが統治だ』
皇帝の言葉が、脳裏に蘇る。
(……違うッ!俺は……)
振り払うように、大きく頭を振る。
努めて冷静に、ローデンへ質問した。
「ローデン。いま動かせる部隊は?」
「……多くない。
皆、準備など、しておらぬわ……」
ローデンは、
無念そうに下を向いた。
補給部隊を失えば、
駐留を続けることが難しくなる。
最悪、交渉も打ち切られてしまいかねない。
だが。
負傷者の命もまた、戻らない。
(……どちらかしか、無いのか)
喉が、焼けるようにカラカラだった。
それなのに、胃の奥が急速に冷えていった。
気づけば。
ローデンも、周りの兵士たちも。
遼の指示を待っていた。
(俺は……俺は……)
俯きかけた瞬間。
ドォン!!
爆音らしき音とともに、
黒煙の勢いが増す。
「マズい!あっちの方は、
補給部隊のすぐ近くじゃ!」
ローデンの焦った声が、遼の決断を急がせる。
最早、一刻の猶予すら無い。
(……ごめん)
遼は、心の内で謝罪すると。
「……南へ、向かってーー」
言いかけた。
その瞬間だった。
「ーー双方、矛を納めなさい」
白刃が、舞い降りた。
**
停戦の間、
手持ち無沙汰だったセリアは、
監視役として、両軍の見回りをしていた。
部下の報告から、
いち早く騒ぎを聞きつけたセリアは、直ちに行動した。
自分の目で状況を確認するため、
まずは帝国側の方へ馬を進めた。
到着したセリアが目にしたのは、
激怒する帝国の兵士と、それを宥める部下の姿。
そして、
拳を握りしめ、下を向く、部隊長だった。
セリアは、
静かに部隊長へ言葉をかけた。
「……損害は」
「荷車、二台。
物資の一部が燃えました」
「負傷者は」
「軽傷が、三名」
先に手を出したのは、自分の部下だ。
それは、分かっていた。
下を向きながら、それでも、
部隊長は震え声でセリアに返す。
「……閣下。
挑発したのは、向こうです」
「知っています」
セリアは、短く遮った。
「ですが、先に拳を出したのは、帝国側です。
……それも、知っていますね」
部隊長は、答えなかった。
答えられなかった。
「引いてください。
後の処理は、私がします」
セリアの言葉に、
部隊長は、力無く頷いた。
**
次に、セリアは王国側へ向かった。
先ほどまで嗤っていた兵士たちが、
まだ、そこで屯していた。
セリアの姿を見つけた彼らは、
軽薄な笑みを浮かべながら、好き放題に喋り始めた。
「セリア将軍。
先に手を出したのは、帝国ですぜ」
「俺たちは、被害者ってことさぁ」
「アンタの身内が問題を起こしたんだ。
どう、責任を取るんだろうなぁ?」
嘲りの声が、連鎖する。
しかし。
「黙りなさい」
セリアが柳眉を逆立て、
兵士たちを睨みつけた。
それだけで。
笑いが、消えた。
一人が、目を逸らした。
また一人が、後ずさった。
「あなた方の軽率な発言が原因になったことは、
既に把握しています」
断言する。
抗議の声が、すぐに上がった。
「俺たちが悪いって言うのかよ!?」
「所詮、帝国の裏切り者だろうが!」
セリアが、
もう一度強く睨みつける。
「……ッ!?」
抗議の声は収まった。
静まりかえった空気の中。
「不服ですか。
……ならば、今ここで」
腰の剣に手をかけ、言い放つ。
「私と、戦いますか」
誰も、答えなかった。
答えられる者が、いなかった。
風だけが、草原を渡った。
セリアは、それ以上何も言わず。
そのまま、馬首を返していった。
**
一方。
「リョウの旦那。
補給部隊の方は俺たちで面倒を見る。
負傷兵側の対応は、そっちに任せてもいいな?」
遼の元には、
レオンハルトが伝令として寄こされていた。
彼の言葉通り、
みるみるうちに南の混乱は収まっている。
「……感謝する。
みんな、聞いていたな。
俺たちは、負傷者の幕舎へ向かう。
ローデンもついてきてくれ」
「承知したわい。
レオンハルト殿、重ねて、ご助力を感謝するぞ」
「いいってことよ。
……身内の不始末に付き合わせちまって、悪かったな」
レオンハルトは、
ひらひらと手を振ると、セリアの元へ戻っていった。
遼は、その背中を軽く見送ると、
気を取り直す。
「……みんな、移動しよう」
皆が、一斉に頷くと、
そのまま、駆け出した。
**
騒ぎが収まった頃。
遼は、
エリシアの天幕で報告をしていた。
「……幸い、被害は大きくなかった。
セリア将軍のおかげ、だな」
「そうですか……。
改めて、お礼をしないといけませんね」
エリシアは、手を合わせると、
目を閉じ、ほっと一息ついた。
「リョウも、お疲れ様でした。
……リョウ?」
遼の様子がおかしい。
目線が合わないし、それに。
話しているのに、
どこか、自分を遠ざけているような。
誰かとの対話に、怯えているような。
まるで。
(初めて会った時……)
「リョウ。
今日は、早めに休んだ方がいいでしょう。
……お嬢様の方は、私に任せてください」
ミレイユからの声で、エリシアは意識を戻す。
彼女の言葉にも、気遣いの色があった。
だが。
「ああ。そうさせてもらう」
返ってきたのは、硬い声色だった。
それだけ言い切ると、
遼は、背中を返す。
エリシアとミレイユには、
その背中が、やけに小さく見えた。
**
夜。
帝都オルドハルト、皇帝の離宮。
帝都の中心部にあるそこで、
皇帝は、報告書を眺めていた。
停戦中の小競り合い。
王国軍内の統制の乱れ。
セリアの介入による収束。
皇帝は、それを読み終えると、
静かに折り畳む。
その目に、感情の色は無い。
そこへ。
コンコン。
礼儀正しいノックの音が響く。
「……入ってよい」
皇帝は、入室の許可を降ろす。
重厚なドアがギィィ、と音を立てると、
そこには、クラウスの姿があった。
手には、数枚の羊皮紙を持っている。
「お休みのところ、大変失礼致します。
緊急で報告すべきかと思い、参りました」
「謝罪は良い。要件を申してみよ」
「はっ。
ラウスを含む西方三州にて、
税収拒否の動きが確認されております。
現地駐留部隊では、対応が困難な状況です」
皇帝は、答えなかった。
「あの姫の影響か」
「関連は、しているかと」
クラウスの声は硬い。
「……陛下」
「ラウスには、帝都の指揮官から何人か見繕い、
まとめられる者を向かわせろ。
貴様も、もう下がってよい」
「かしこまりました」
クラウスは、一礼し退出する。
バタン、とドアが閉じる音とともに、
部屋には静寂が戻った。
皇帝は、ふと、
視線を窓の外へ向ける。
帝都の灯りは、
いつも通り、規則正しく並んでいた。
かつて。
この灯りを夢見た時があった。
誰も飢えない街。
誰も理不尽に死なない秩序。
それを作るために、
何を捨てたか。
皇帝は、その問いを、
もう何年も、立てていなかった。
「……まだ、諦めていないか」
いつか、決着をつける必要がある。
自分の手で。
皇帝は、
窓の外を見たまま、
静かに目を閉じた。
**
エリシアの天幕を出た遼は、
外の風に当たっていた。
外はもう、暗くなっていた。
夜風が、やけに冷たく感じられる。
(俺は……あの時……)
切り捨てることを、選んだ。
(これじゃあ、まるで……)
また、記憶が甦る。
救えなった過去。
上官の命令。
(俺は、あの上官と……)
違う、と叫びたかった。
なのに、現実は。
何も、出来なかった。
ただ、見ているだけだった。
助けられた側だった。
不意に、吐き気が込み上げる。
口を抑え、背中を震わせながら、
自分の天幕に、ひとり、戻っていった。
辺りには、風に撫でられる草の音と、
松明のパチパチとした、小さな音だけが響く。
その中で。
『だからこそ、余は選ぶ』
『奪う先を。捨てる者を』
皇帝の声だけが、
遼の頭に響いていた。