救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第三十五章 それぞれの戦い

 

 帝都、皇帝の離宮。

 

 決戦を前に、

 皇帝はひとり、窓の外を眺めていた。

 

 少し高い場所にある離宮からは、

 三層の城壁と、そこに暮らす人々の暮らしが見える。

 

 時間がある時。

 彼はこうして、帝都に流れる時間を、

 じっと眺めることが癖になっていた。

 

「……」

 

 第一、第二層では、

 開戦に向けて、制服を着た者たちが、

 慌しく走り回っている。

 

 第三層では、

 市民たちの避難列が、規則正しく動いていた。

 

 ひとしきり、その様子を眺め終えた後。

 皇帝は、室内に視線を戻す。

 

 皇帝の寝室と言うには、

 あまり豪華な印象は無い。

 

 質の良い家具が規則正しく置かれ、

 余計な装飾品は、省かれていた。

 

 その中で。

 ひとつだけ、異質な存在が、

 壁に飾られている。

 

 女性の肖像画。

 皇帝の、姉の絵だった。

 

『みんなが笑って暮らせる国にしたいの!』

 

(姉上……)

 

 それが、彼女の口癖だった。

 

 15年前。

 政略結婚として他国に嫁ぎ、

 くだらない政争に巻き込まれ、凶刃に命を奪われた。

 

 そこから、事実として。

 

 帝国の急速な領土拡大や、

 帝都の発展が進んだ。

 

 コンコン。

 

 礼儀正しいノックの音に、

 皇帝は意識を戻す。

 

「入ってよい」

 

 促すと、ドアが軽く軋む音ともに、

 クラウスの姿が見えた。

 

 クラウスは一礼し、報告を始める。

 

「親衛隊の配置について、完了いたしました。

 帝都警備隊の方も、避難誘導をする部隊を除き、

 全員が待機完了しています」

「市民の避難は」

「おおむね、予定通りでございます。

 特に問題が起きなければ、

 明日の朝には戦闘を開始できます」

 

 クラウスの言葉に頷くと、

 皇帝は一瞬だけ、姉の絵に視線を向ける。

 

 クラウスもつられる様に絵を見ると、

 複雑そうな表情で、皇帝に声を掛けた。

 

「……陛下」

「よい。……もう、過ぎたことだ」

 

 短いやりとり。

 一瞬、風がカーテンを揺らし、

 すぐに収まった。

 

「……陛下の、御心のままに」

 

 再度、クラウスは恭しく一礼し、

 部屋を退出する。

 

 それを見送った後。

 

 皇帝は、もう、

 肖像画に視線を向けていなかった。

 

**

 

 夜。王国軍の野営地。

 

 そこには、避難民たちが、

 兵士に詰め寄る姿があった。

 

「なにやら、兵士の皆さんが慌しいようですが……」

「俺たちは、戦いが嫌で逃げてきたのに……」

「ここも戦場になるのか!?」

 

 不安は、伝播する。

 誰かの声が、誰かの胸へ。

 

「おかあさん……また、戦争になるの?」

「まさか、俺たちまで戦えって言うんじゃないんだろうな!?」

 

 連鎖し、増幅されるように。

 だんだんと、声が大きくなっていく。

 

 兵士が宥めるように、

 声を張った。

 

「そんなことはありませんから!」

「本当かよ!

 じゃあ、帝国軍には絶対勝てるんだろうな!?」

「それは……」

「ほら見たことか!

 やっぱり、いざって時は盾にするつもりじゃないのか!?」

 

 言い淀む兵の言葉を、避難民が組み敷く。

 

 その様子に、

 対応した兵士だけでなく、周りに兵士の顔も、

 下を向き始めた。

 

 そこへ。

 

「皆さま。落ち着いてください」

 

 柔らかな声色が、空気を揺らした。

 

「ですが、オルウェン司祭……!」

「決戦の前に、不安になったり、

 気持ちが昂るのは、私も同じです」

 

 微笑みながら、続ける。

 

「ですが、皆さま。

 兵士の方々のお邪魔になってはなりません。

 ……あちらへ。

 僭越ながら、祈りの場を設けておきました。

 どうか、私めと一緒に、

 姫殿下への祈りをお願い出来ませんか?」

 

 オルウェンは深く頭を下げ、

 民の皆に頼み込んだ。

 

「……オルウェン様の言うことなら」

 

 避難民たちは、不安を飲み込んだ。

 

**

 

 急拵えの祭祀場。

 篝火が焚かれ、避難民たちは皆、

 うずくまって祈りを捧げている。

 

(今。

 王国軍の状況は良くない。

 だが、帝国もまた、リスクを抱えている)

 

 完璧な祈りの裏で、

 法衣の男は、冷静に計算する。

 

『私は……嫌です』

 

 オルウェンの脳裏に一瞬、

 エリシアの眼差しが蘇る。

 あの、何か、可能性を感じる眼差し。

 

(まだ、結論を出す必要は無い、か)

 

 オルウェンはいったん、

 考えを保留した。

 

 避難民の一人が持っていたペンダントが、

 篝火に照らされ、オルウェンの表情を映す。

 

 しかし、炎が揺らめき、

 その表情は、見えなかった。

 

**

 

 朝。

 

 王国軍と帝国軍は、

 平野に整列していた。

 

 吹き抜ける風が、

 青い旗と、赤い旗を、美しく靡かせる。

 

 青い旗のすぐ下に。

 エリシアは立っていた。

 

「皆さん。

 まずは、心よりの感謝を。

 ここまで来られたのは、リョウやミレイユをはじめ、

 私を支えてくださった方々のお陰です」

 

 エリシアはまず、頭を下げる。

 すぐ後ろに立つ遼は、むず痒そうに頭を掻いた。

 

「……私は、皆が安心して暮らせる場所を守りたい。

 その思いで、この旗を取りました」

 

 一瞬だけ振り返り、旗を見上げる。

 

「……その思いは、今。

 皆が笑って暮らせる場所を、

 私自身の手で作りたい。

 その願いに、変わりました」

 

 真剣な表情で、続ける。

 

「ですが。

 その場所には、皆が居て欲しい。

 皆の居ない、その場所に。

 私は、価値を感じません」

 

 一度、息を吸うと、

 少し俯き、続けた。

 

「戦いを命じながら、

 都合の良いことを言っている、と。

 私自身、理解しています」

 

 エリシアは、目を伏せる。

 水をうったような沈黙が落ちた。

 

「だけど」

 

「私は、一人では何も出来ない、

 弱くてちっぽけな人間です。

 だから……。

 だから、これからも。

 リョウも、ミレイユも、ローデンも。

 オルウェン司祭も、セリア将軍も。

 皆の力を、これからも必要としています」

 

 一人一人に、視線を移し。

 そして、前を向き。

 

「だから、私から命じることは、

 たった一つだけです。

 ーー必ず、生き残りましょう!!」

 

 言い切り、旗を掲げた。

 

「うおおおおおおおっっ!!」

 

 その旗に呼応する様に。

 兵士たちが、歓声を上げた。

 

(お嬢様……本当に、大きくなられた)

 

 ミレイユは、エリシアの後ろから。

 その様子を、誇らしげに見つめていた。

 

 小さな頃から見慣れた背中は、

 少しだけ滲んで見える。

 けれど、その背中は、

 いつの間にか大きくなっていた。

 

**

 

 激しくぶつかり合う両軍。

 

 遼たちは、王国軍の奮闘を、

 歯を食いしばり、眺めていた。

 

 帝国軍は強い。

 ぶつかり合うごとに、血が飛び、

 誰かの命が落ちていく。

 

 何度も、助けようとした。

 

 けれど、

 エリシアが。ミレイユが。

 身体を震わせながら、必死に耐える。

 

 信じること。

 それだけが、勝機に繋がる唯一の道だった。

 

**

 

 老兵の部隊は、必死に耐えるも、徐々に押し込まれる。

 

 年寄の冷や水と嘲笑されながら、

 ローデンの戦意は衰えない。

 

 親衛隊の放った矢が、ローデンの片目に突き刺さる。

 激痛に落馬するローデン。

 

 あわや、というところで、あの喧嘩をした騎士が割って入る。

 

 やはりこの程度。生きて帰るという約束を果たさないのか。

 罵声に似た叱咤に、ローデンの心は燃え上がる。

 

 息を吹き返した王国軍に、親衛隊は虚を突かれる形で、

 戦いは乱戦にもつれこむ。

 

**

 

 陣形が崩れた瞬間。

 遼は叫ぶ。今しかない。

 

 エリシアが、騎兵隊をついに動かす。

 

 青い旗が、本陣に向かい、

 一陣の風となって走り出す。

 

 ローデン隊の決死の足止めにより、

 遼達はついに皇帝の本陣に駆け込めた。

 

**

 

「アルディアの娘よ。

 余は言ったはずだ。

 誰かの皿は、必ず空になる。

 それを理解せぬものに、統治はさせぬ、と」

 

 本陣に攻め込まれているというのに、

 落ち着き払った様子を崩さない。

 

「それとも」

 

 皇帝は、嗤う。

 

「余の玉座を、流血を対価に購うか」

 

 遼の背筋が、凍りついた。

 

 皇帝は、笑っている。

 だというのに。

 凄まじい、怒気を発しているように感じた。

 

 それを受けたエリシアは。

 

「いいえ」

 

 一歩も、退かなかった。

 

「私は、そのどちらも選びません」

 

 皇帝はつまらなさそうに、

 エリシアに目線を向ける。

 

「……まだ、理解しておらぬのか」

「それも、違います」

「この期に及んで、問答をするつもりは無い。

 余を愚弄するか」

「そうでもありません。

 ……私は」

 

 一瞬、言葉を切って。

 遼と、ミレイユは、エリシアに頷いた。

 

「私は、手を伸ばし続けます。

 偽善であっても、救えない現実があろうと。

 答えは、無いのかもしれない」

 

「それでも。

 ……願いだけは、何があっても捨てません。

 それが、私の選んだ王道です」

 

 泥に汚れ、旗は半ば折れ。

 それでも、エリシアは皇帝の前に立っていた。

 

「……私は、お嬢様に救われました」

 

 ミレイユが、隣に立つ。

 

「帝国は。

 あなたの国は、私の故郷を焼きました。

 それでも、今こうして、私は立っている。

 ……私は、お嬢様の理想を支えます。

 ……最後まで」

 

「だが」

 

 皇帝は、揺るがない。

 

「その理想は、いずれ枯れる。

 貴様らがどれだけ気高く、花を咲かせようと。

 人は、飢えを満たせぬ。渇きを癒せぬ。

 ……それに気づいた時に、

 お前たちはいずれ、余と同じになる」

 

 淡々と。

 事実とは、こういうものだと。

 

 まるで、学生に講義を行うかのような口調で、

 皇帝は世界の呪いを説き続けた。

 

「……ああ。

 あんたの言う通りだよ」

 

 遼が、エリシアとミレイユの前に立つ。

 

「どんなに手を伸ばしても、救えない。

 誰かが笑えば、誰かは悲しむ。

 ……俺は、何度もそれを見てきた」

 

 遼は、古傷の痛みを耐えるように、

 自分の胸に手を当てる。

 

「ゲオルグ皇帝。

 あんたは、きっと優しい人なんだろう」

「ほう?」

 

 興味ありげに、皇帝は返す。

 

「余は、貴様らの仇敵だと言うのにか?」

 

「……そういうことじゃ、ないんだ」

 

 遼は、目を伏せる。

 

「上手く言えないけど……。

 今まで、いろんなことがあって。

 帝国軍とも、何度も戦って。

 でも、みんな、同じだって気づいたんだ」

 

「誰かを、助けたくて。

 それでも、助けられないことがあって。

 ……俺一人じゃ、何も、出来なかったんだ」

 

 今までのことを、思い返す。

 救えた人がいた。

 助けられなかった命があった。

 

「でも。

 ……こいつらが、教えてくれたんだ。

 手を伸ばし続けたことは、

 無意味なんかじゃなかった、って」

 

 遼は、顔をあげ。

 真っ直ぐ、皇帝に視線をぶつけた。

 

「あんたが間違ってるとしたら…。

 全部を一人で抱えようとしたこと。

 隣にいる誰かを、頼らなかったこと。

 ただ、きっと、それだけなんだ。

 ……だから、後は、俺たちに任せてくれないか?」

 

 エリシアが、決意に満ちた表情で、

 王家の銃を構えた。

 遼と、ミレイユの手が、重なる。

 

 ーー引き金は、遼が握っていた。

 

「……ふははっ!!」

 

 初めて。

 心底、愉快そうに皇帝が笑った。

 

「帝国の頂点たる余に、

 一人で背負うな、と言うのか!」

 

 くつくつ、と笑いながら、改めて。

 三人の顔を、順番に見渡した、

 

「いいだろう。

 余に引導を渡すのが貴様らなら、申し分無い。

 その手が掴みとれるのか、それとも溢すのか。

 ……ゆっくり、地獄で見物させて貰うぞ」

 

 皇帝の笑顔を、遼は飲み込んで。

 

 ダァァン!

 

 銃声が、響いた。

 

**

 

 音とともに、

 皇帝の胸に鋭い痛みが走った。

 

 鮮血がマントに飛び散る中、

 様々な記憶が走馬灯として蘇る。

 

『みんなが笑って暮らせる国にしたいの!』

 

 ーーああ。

 そうだ。それが、俺の。

 

 皇帝の意識は、そこで絶えた。

 

**

 

「ーー陛下っ!」

 

 銃声を聞きつけたのか、

 クラウスが馬を飛ばし、駆け込んできた。

 

 そして。

 倒れ伏す皇帝の姿と、

 銃を構えたままの遼たちを認めると、

 力無く項垂れた。

 

「クラウス閣下……」

 

 クラウスに付き従う兵が、

 心配そうに声をかける。

 

 クラウスは暫く、俯いて。

 そして、胸元に手を伸ばした。

 

「ーーお嬢様」

 

 庇うように、ミレイユが前に出る。

 しかし。

 

「お待ちください」

 

 クラウスの声が、それを遮った。

 

「……陛下から。

 これを、授かっておりました」

「……これは」

 

 クラウスが取り出したのは、

 上質な羊皮紙だった。

 右下には、金獅子ーー皇帝の印。

 

「万が一があれば、これを渡せ、と。

 内容も、知らされております」

「……教えてくれ」

 

 遼は構えを解き、

 クラウスに答えを聞いた。

 

 クラウスは少し息を吐くと。

 内容について、語り始めた。

 

「大まかに、三つ。

 一つ目は、陛下が崩御されることがあれば、

 直ちに停戦すること。

 

 二つ目は、願わくば、

 帝都の生活を保証してほしい、とのこと。

 

 三つ目は。

 ……セリア将軍も含め、

 これまで戦った者たちに、

 大義であったと、伝えてほしいこと」

 

 エリシアは大きく目を見開き、

 もう一度、皇帝へ視線を落とした。

 

 けれど、そこにあるのは、

 物言わぬ骸だけ。

 

 エリシアは深く息を吸い、目を閉じて。

 

 そして、まっすぐクラウスを見つめ、

 神妙に頷いた。

 

「すべて、承知いたしました。

 それと……もう一つだけ、

 クラウス大臣にお願いごとがあります」

「……なんでしょうか」

 

 クラウスは訝しむように、

 疲れた目で、エリシアを見る。

 

「皇帝陛下のご遺体は、

 あなた方で弔ってください」

 

 クラウスは、息を呑んだ。

 なにか言おうと、口を開きかけて。

 そして、ゆっくりと、頭を下げた。

 

「過分なお取り計らい。

 誠に、感謝いたします」

 

 遼は、複雑そうに、

 その一部始終を眺めていた。

 

「……クラウス様」

 

 遼の横から、声がする。

 

 ミレイユが、おずおずと、

 クラウスに声をかけていた。

 

「なんですかな?」

「無礼を承知で、お聞かせください。

 ……皇帝陛下は、

 負ける、と分かっていたのでしょうか」

 

 クラウスは暫し、

 何かを思い出すように、沈黙し。

 

 やがて。

 

「……私ごときに、

 陛下の御心は理解出来ますまい」

 

 そう言ったきり、天を仰いだ。

 

**

 

 ここに、停戦は成った。

 

 帝都の一番高い場所。

 風がよく吹き抜け、オルドハルトを一望できる場所に、

 青い旗が翻った。

 

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