救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第四章 エリシアの決意

その夜。村の集会所には血と薬草の匂いが満ちていた。

撃たれた少年は、遼の応急処置で、なんとか一命を取り留めた。

 

だが、流れ弾を受けた、彼の母親と老人は、助けられなかった。

二人分の白い布に、遼はやるせなく下唇を噛みしめていた。

 

守備隊は一度引いたが、予断を許す状況ではない。

連中は必ず戻ってくる。

次は徴発のためではなく、村を反乱分子として「処理」するために。

 

エリシアは少年の寝台の前で、膝をついたまま動かなかった。

 

「私が交渉に出なければ……」

 

ぽつりと漏れた声は震えていた。

村人の命も、少年の涙も、すべて自分の肩に乗っていると信じ込んでいた。

 

「私が、もっと上手く伝えられたら――」

 

「違います」

ミレイユがきっぱり言った。だが、彼女の肩も震えていた。

 

「悪いのは撃った兵士です。横暴な隊長です。決して、お嬢様ではありません」

「でも……」

「もう一度言います。お嬢様は、何も悪くないのです」

ミレイユは、エリシアではなく、まるで自分自身に

言い聞かせるように言い切った。

その様子に、エリシアも気まずげに押黙ってしまう。

 

遼は、二人の会話を静かに聞いていた。

エリシアの後悔は間違っているが、完全には間違っていない。

彼女の言葉は、なぜか人の心に希望を抱かせる。

だが、希望を与えることは、同時に誰かを危険に近づけることでもあるのだ。

 

**

 

「……ここ、は……?」

寝台から声が聞こえた。少年が目を覚ましたのだ。

 

「はい。ここは集会所ですよ。

 あなたは、ちょっとケガしちゃっただけなの。

 もう怖いことはないから、ゆっくり休んでくださいね?」

エリシアが、安心させるように、笑顔を向ける。

 

「……リョウ、おにい、さん……」

 喉の奥で、かすれた声が途切れる。

 

「……かけざん……できた……」

 息を吸うのが、少し遅れる。

 

「……みず……ひとりで……」

 視線がぼんやり天井を彷徨う。

 

「……お母さん……」

 そこで一度、止まる。

 

「……いたのに……」

 言葉にならないまま、唇だけが動く。

 

「……音……」

 小さく肩が震える。

 

「……バァンって……」

 それきり、しばらく黙る。

 

「……なんで……」

 続かない。

 

「……ぼく……」

 目が閉じかける。

 

「……わるい……の……かな……」

最後はほとんど呼吸に溶けるように消える。

 

少年は、再び眠りについた。

 

誰も、しばらく動かなかった。

薪のはぜる音だけが、やけに大きく聞こえた。

 

遼は、少年の顔を見つめたまま、胸の奥に沈む重さを飲み込んだ。

目の下の涙の跡は、現代人である遼にも、消せなかった。

 

**

 

遼は、胸の奥に沈む重さを押し殺すように口を開いた。

「逃げるなら、今だ」

 

エリシアが顔を上げ、ミレイユの視線が遼を射抜く。

「森へ逃げれば、あなたとミレイユだけなら生き延びられるかもしれない」

「村は?」

「焼かれるだろう。……隣村と同じように」

「なら、逃げません」

 

即答だった。

ミレイユが叫ぶ。

「お嬢様!」

「ミレイユ。

 私はもう、守られるだけの存在ではいられません」

「あなたは生きなければいけない方です!」

「だからこそ、生きて何をするかを、選ばなければいけない」

 

少年の方を、一度だけ見た。

「……もう、こんなことは起きて欲しくないのです」

 

エリシアは立ち上がった。

その顔は青ざめ、涙の跡も残っていた。

それでも、目だけは逃げていなかった。

 

**

 

その姿を見た瞬間、遼の胸に鈍い痛みが走った。

――また誰かが、壊れていく。

――また誰かが、自分と同じ後悔に沈んでいく。

 

少年の涙。

母親の亡骸。

伸ばした手が届かなかった、あの日の濁流。

 

遼は知っている。

“守れなかった後悔”は、生きながら死ぬのと同じだ。

 

そして、エリシアがその道に踏み込もうとしているのが、

どうしようもなく嫌だった。

 

遼は深く息を吐き、自分を落ち着かせるように言った。

「……分かった。

 けど、守るなら、感情ではなく段取りで守る。

 勝つんじゃない。生き残るために、相手の雑さを利用する」

地面に炭で地図を描き、淡々と説明を始めた。

 

ミレイユが鋭く、射抜くような視線を向ける。

「あなたは何者ですか」

「救助も、戦闘も、……上手くいかないことも。

 全部、現場で見てきた人間だ」

「だから何なのです?

 あなたの言葉に従って、なんとかなる根拠はあるのですか?」

 

ミレイユが詰るように、さらに問いかける。

遼は、少しだけ考えたあと、続けた。

 

「そんなものは無い。だが、このままでは死ぬ」

 

ミレイユは、拳を握ったまま下を向いた。

反論しようとして、できなかった。

「根拠はない」——その言葉は、嘘ではない。だが、嘘もない。

この男は、都合よく誤魔化さなかった。

 

長い沈黙のあと。

 

エリシアが、静かに口を開いた。

「……私はリョウを信じます。

 みんなを守るために、あなたの力を貸してください。」

 

エリシアの真摯な言葉に、遼は静かに頷いた。

もう後戻りはできない。それでも、彼女は守ると決めたのだ。

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