救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
メッシーナ商業連合国。
旧帝国の東部に位置し、面積は広くないものの、
領土のほとんどが海に面した海洋国家。
海洋貿易で富を築き、
国際社会において、一定の発言力を持つ。
各都市には代表が置かれ、
国家方針は合議制で決定される、議会主義国家だ。
南側に位置する湾口都市、首都サ・マンダル。
中心部に位置する、
海の女神を模した白い塔が、
この都市のシンボルとなっていた。
その中にある、大議場で、
とある国について、議論が交わされていた。
一年前、大陸最強と言われた、
カルビナ帝国を打倒した新興国。
名を、新王国アルディアと言う。
**
部屋は、重苦しい空気に包まれていた。
長机の上には、各都市から集められた報告書。
戦後復興。
旧帝国領再編。
難民流入。
新王国の税制改革。
上座に座る、長髭の老人。
商業連合国の代表議長―-ムワリムが紙を叩いた。
「民を救う聖女の国。
なんとも、大層な呼び名だ」
別の都市の代表たちも、
一様に首を傾げていた。
「帝国を倒した英雄譚としては結構ですが。
国家運営となると、別問題でしょう」
「だが、帝国を打倒した影響は大きいぞ。
無視できる存在ではありますまい」
「所詮は寄せ集め国家。長続きするとは思えん」
「そうは言いますが、
民衆の支持は異様に高いと聞きます。
根拠の無い楽観視は命取りでは?」
「むしろ今のうちに、
恩を売れるだけ売りつける方が良いやもしれぬ。
復興を進めるならば、何かと口実をつけやすい」
各々が、自分の意見を口にする。
議論が発散しかけた時、
中央に座る、ムワリムの口が開いた。
「問題は、一つだ」
全員が口を閉ざす。
「――あの国は、“敵”になるか」
理想を掲げる国家は、
時として最も危険になる。
この場にいる者たちも、それを理解していた。
「かの国の思想を見極める必要がある。
それも、紙面ではなく、
確かな肌感覚として、だ」
ムワリムが、机の面々へ視線を向ける。
「誰か、視察へ行ける者はいるか」
数人が顔を見合わせる中、
一人の男が静かに立ち上がった。
「私が行きましょう」
部屋の奥。
ひっそりと座っていた男。
年齢は五十前後。
灰色の髪に、やや出ている腹。
一見すると冴えない風体だが、
細目の奥には、確かな知性の光が宿っている。
男の立候補に、
ムワリムは目を細めた。
「サフワーン殿。
確かに、貴殿ならば信頼できる。
だが、貴殿自ら動く価値がある、と?」
「ええ」
男は淡々と答える。
「私の長年のカンが、囁いているのです。
この国家、軽視すると痛い目に合う、とね」
「カン、ですか」
「はい。これが案外、バカにならぬのですよ」
トントンとこめかみを指で叩きながら、
サフワーンは不敵に笑う。
熟練の外交官の態度に、部屋の面々も、
自分の考えを整理しはじめた。
ムワリムは、
机の上で指先を組み、口元の前で静かに構える。
そして。
「よいでしょう。
それでは、サフワーン殿にお任せしたいと思います。
反対意見がある方は、挙手を願いたい」
手は、挙がらなかった。
**
「……なかなか、長旅というのは、
中年には応えますな」
サフワーンは額に滲んだ汗を拭きながら、
夕暮れの港を歩いていた。
彼はいま、身分を隠している。
旅人の恰好をしながら、
町の様子を伺うため、船を降りるところだった。
潮風に混じって、木材と泥の匂いが漂っている。
岸壁には、補修途中の輸送船。
遠くでは、石造りの防波堤を増築している職人たちが、
怒鳴り声を響かせていた。
「……随分と騒がしい国だ」
「そりゃあ戦後ですからな!」
その呟きを、
隣で荷運びをしていた老人が拾った。
「この国の戦いは、
一年前に集結した、と聞いておりましたが」
「終わったからって、はいすぐ元通り、
になるわけじゃねえですよ」
老人は肩を竦める。
「橋ぁ落ちたまま、畑ぁ荒れたまま、
親のいねえガキも山ほどいる。
……むしろ、戦争終わってからの方が大変なくらいで」
サフワーンは鼻を鳴らした。
「聖女陛下の国と伺っておりましたが、
案外、世知辛いものなのですなぁ」
老人は苦笑した。
「まあ、陛下も毎日怒鳴られてますしな」
「ほう?」
「税が高いだの、復興が遅いだの、
なんであっちは助けてこっちは後回しなんだだの」
「……随分と舐められているようですが」
「そりゃあ、
律儀にちゃんと話を聞くからですよ」
老人は当然のように答えた。
サフワーンは、少しだけ眉を動かす。
話を聞く。
ただ、それだけのことで、
民は王を許すものか。
疑問に思いつつも、老人に挨拶を済ませ、
港町に向かって足を進め始めた。
**
町は雑多だった。
帝国式の石造建築に、旧王国風の木造家屋。
避難民用と思われる天幕も、ちらほらと見える。
まったくといって、統一感がない。
サフワーンがかつて訪れた、
帝都のような雰囲気からは程遠かった。
市場への道を歩いていると、
一人の子どもが、道路に飛び出す。
あわや、轢かれるか、と思った瞬間。
「おいガキ!
危ねえからそっち行くな!」
兵士が、荷車の前に飛び出した子供を、
慌てて抱き上げた。
「……ったく。親は?」
「いない」
「腹は?」
「へった!」
兵士は盛大に舌打ちした。
「こいつもかよ……。
おい!炊き出しまだ残ってるか!?」
奥から、「今日は薄いぞー!」という怒声が返る。
兵士は「知るか!」と怒鳴り返しながら、
子供を抱えて走っていった。
サフワーンは、
その背中を黙って見送った。
「なんともまぁ……混沌としているものだ」
思わず漏れた言葉。
かつての帝国なら、
こんな場面に出くわすことは無かった。
(まだ政治的な混乱は収拾していない、か。
取引の相手としては、リスクが高い)
脳内で冷静に計算をしていると、
市場の向こう側から、怒鳴り声が上がった。
「だから、その値段じゃ無理だっつってんだろ!」
「こっちだって商売なんだぞ!
これ以上安くしたら、俺らが野垂れ死ぬわ!」
野次馬の間を覗くと、
兵士と商人が揉めている。
「何かあったのですかな?」
「旅の方。……お見苦しいところを、申し訳ない。
どうも、食糧配給に回す食材について、
値段交渉が難航しているようでして…」
巡回する兵士の一人が、
サフワーンの疑問に答えた。
徐々に熱を帯びる双方に、
周りの人間も仲裁を試みる。
そこへ、一人の男が、
慌てた声を上げながら、割って入っていった。
「待て待て待て!
こんなところで、取っ組み合いする気か!?」
黒髪の男だった。
年齢は三十前後。
書類束を抱え、目の下には隈。
軍服とも官服ともつかない実務服。
男は状況を聞き終えるなり、
盛大に顔をしかめた。
「……あーもうクソ。
どっちも正論だなこれ……」
兵士が怒鳴る。
「だから困ってんです!
リョウさんからも言ってやってください!」
商人も怒鳴る。
「こっちだって余裕ねえ!
アンタ、上司ならなんとかしろよ!」
男は数秒唸ると。
「よし!双方、ちょっとずつ譲ってくれ!」
「はぁ!?」
「商人さんには、
代わりに次の輸送優先権回すから!
で、こっちの足らない分は、
倉庫の塩漬け肉で代用してくれ。
あれ、まだ残ってただろ?」
「いや、アレ不味いんだよ……」
「そんな贅沢言ってる場合じゃないって。
次の輸送では、酒も手に入りそうだからさ。
兵士のみんなには、何とか言っといてくれ!」
黒髪の男は、ただ、拝み倒すだけだった。
みっともなく頭を下げ、
奇麗な解決策など提示出来ていない。
あれでは、ただ面倒事に、
真正面からぶつかっているだけだ。
「……馬鹿らしい。
あんなのは、交渉でも調整でもない」
この国の管理官はこの程度か。
小さくない失望を抱くと、背中を返した。
**
喧騒が収まる頃には、
日も沈んでいた。
この街に一つだけある酒場で、
サフワーンはひとり、木杯を傾けていた。
港で働く労働者のための安酒。
味も香りも薄く、ただ酒精だけが主張している。
祖国で、普段嗜む酒とは大違いだ。
舌触りに顔を顰めつつも、
油断なく、周囲の話に耳を澄ませていた。
「北の橋はまだ直らんのか?
いい加減、どうにかしてほしいが」
「復興予算が足りねえらしい。
なんでも、旧帝国の難民対応に使ったとか」
「またかよ……。
いっつも、旧帝国民ばっか優遇しやがって」
「いやいや、南部の飢饉が先だろ。
餓死しかけてる奴もいるって話じゃねえか」
話し声には、不満が大きい。
民たちの、ささやかな本音だ。
生活が苦しければ、
普通、不満の矛先は統治者に向く。
だが。奇妙なことに。
「王への不満が無い……?」
「旅人さんかい?
あんたは知らないだろうが、
この国で陛下の悪口を言う人は、殆どいないぜ」
赤ら顔の男が、
サフワーンの独り言を耳ざとく拾った。
サフワーンは一瞬だけ、ドキリと硬直するも、
すぐに愛想よく、男に笑顔を返した。
「ええ。
今日、この国に着いたばかりでして。
……その、陛下について、
もう少し詳しい話を伺っても良いですかな?」
「おうよ。
エリシア陛下に、何で不満が無いのか、だったな」
男は、胸を軽くトン、と叩く。
ほんの少しだけ、誇らしげだった。
「なんで、って言われりゃあ……。
この国で一番、貧乏くじを引いてる方だからさ!」
「……は?」
予想外の答えに、
サフワーンは目を白黒させる。
「ああ。
毎日泣きそうな顔して決裁してるらしいぞ」
「王の威厳もクソもねえな!」
「この前なんか、クラウス大臣にガチの説教された後、
泣きべそかいて部屋に戻っていったらしいぜ!」
「ガキかよ!」
酒場に、笑いが起きた。
下品な笑い。
だが。
そこに悪意は薄かった。
サフワーンは引きつった笑みを浮かべながら、
やっとの思いで言葉を引き出した。
「……随分と、身近な王ですな」
「そうさ」
頬に傷を持つ、壮年の男が小さく笑った。
片腕は、義手になっている。
胸には、帝国軍のものと思われる、小さなメダル。
――旧帝国軍のものか。
サフワーンは、気を引き締める。
男は構わず、酒を飲み干すと、
静かに続けた。
「でも、陛下は。
俺達のこと、ちゃんと覚えてくださってる」
「……民を、ひとりひとり?」
「ああ」
遠くを見るように呟く。
「俺の友人、
半年前の任務で命を落としたんだが。
……エリシア陛下は、
名前を覚えてくださっていたんだ」
サフワーンの鼻が、ピクリと僅かに動く。
「戦争ってのはな。
普通、上に行けば行くほど、心を消す必要がある。
死体にも、泣き声にも、切り捨てにも。
いちいち、動揺してたらキリがない」
義手を見下ろす。
「俺は、それを帝国軍で散々見てきた。
優秀な奴ほど、“慣れる”んだ。
……じゃなきゃ、回らねえからな」
サフワーンは、何も言わない。
それは、事実であるからだ。
だが男は、小さく笑った。
「なのに。
いつまで経っても、あのお嬢さんは慣れねえのさ。
毎回、傷ついてやがる。
……正直、見てるこっちの方がハラハラするよ」
酒場にまた笑いが起きる。
「違ぇねえな!」
「この前なんか、セリア将軍と大喧嘩してたらしいぞ!」
「あー、あの女将軍怖ぇからな……」
「いやいや、喧嘩にならねぇだろ。
どうせいつもみたく、言い負かされて泣かされてたんだろ?」
「負けるって分かってるだろうに……」
「そうそう。あの人、逃げねえんだよなぁ」
「逃げねえのはいいんだが、寝る時間を削ってんだろ?」
「それで、メイド長にお仕置きされてちゃあ、世話無えよなぁ!?」
情け無い話の、タネは尽きない。
黙ってその光景を眺めながら、
サフワーンは考える。
民の顔は、国に嘘をつかない。
長年の経験から、彼はそれを知っていた。
不格好な統治。
未熟な政策。
それでも、信頼を得る何かが、
この国の王にはある。
(やはり、直接確かめる必要がある、か)
内心で呟くと、
木杯の残りを一気に呷る。
安酒は、
やはり、ほろ苦かった。
**
港町から、馬車を乗り継ぐこと五日間。
サフワーンは、
正装に身を包んでいた。
群青色のゆったりとした礼装に、
胸元には、銀糸で海の女神が刺繍されている。
緊張気味の兵士に連れられた扉の前で、
サフワーンは、気合を入れ直す。
(……ここからが、本番だ)
自国の繁栄のため。
彼の瞳に、鋭い光が点ると同時に、
ギィィ……と音が鳴る。
扉が開くと、そこにあったのは、
簡易的な謁見室だった。
豪奢どころか、必要最低限。
新王国の君主、という肩書からすると、
ちょっと拍子抜けしてしまいそうな程だった。
部屋には、数人の姿がある。
サフワーンは促されながら、慣れた目つきで、
この場に居る人間の観察をした。
まず、奥にある、一段高い椅子。
金髪の女王は、そこに座している。
表情から、疲労は隠し切れていない。
だが、背筋は伸び、目には力が宿っていた。
隣には、黒髪のメイドが控えている。
ただのメイドにしては、少し距離が近い気もする。
メイドの隣には、黒髪の男。
この前、港町で見かけた男だ。
(この場にいるということは、只者ではあるまい。
まさか、音に聞く英雄とは、彼なのか?)
内心で少し、警戒度を引き上げた。
最後に、もう一人。
凛とした空気を纏う女将軍。
サフワーンは、その姿を見て、
僅かに肩を強張らせた。
(なるほど。彼女が噂のセリア将軍か)
かつて『最も信頼できる将』と謳われた女傑。
今は、この国に立っているということか。
金髪の若き女王。
距離の近いメイド。
実務屋のような男。
白銀の女傑。
同じ場所にいるには、
色も立場も、どこか、ちぐはぐだ。
(なんともまぁ……。
まるで、あの街にして、この首脳あり、
ということか)
サフワーンは内心、ひとり、ごちた。
**
エリシアの前に立ったサフワーンは、
長衣の袖に両手を静かに収めると、
胸の前で軽く身を折った。
――武器を持たぬことを示す、海の民の礼だった。
「エリシア陛下。
まずは、ご挨拶が遅れたことに謝罪を」
頭を垂れながら、挨拶を続ける。
「私は、サフワーン・アフマドと申します。
此度は、メッシーナ商業連合国の名代として、
ご即位のお慶びを申し上げに参りました。
貴国とエリシア陛下にも、
海の女神の恵みを、お祈りさせて頂きます」
手を組み、流麗な動作で祈りを捧げる。
それだけで、彼がこのような場に、
慣れていることが伺い知れた。
「サフワーン殿。
そちらこそ、遠路はるばる、
ようこそお越しくださいました」
女王は、丁寧な口調で返した。
言葉の端々には、こちらを労る音色がある。
「大変、恐縮でございます。
ご挨拶が遅れたお詫び、と言ってはなんですが。
お近づきの印に、
ささやかながら贈り物をご用意いたしました。
……これを」
サフワーンは鞄から、
分厚い布に包まれた荷物を解く。
中からは、手のひら程の大きさの、
宝石箱が出てきた。
そのまま、両掌にそれを乗せ、
恭しく献上した。
「ここで、開けても?」
「ご随意になさってください」
エリシアは受け取り、
箱の中身を開ける。
中には、
美しい形の、白い貝殻が入っていた。
表面には、見慣れない女性が彫ってある。
そっと貝殻を開くと、
中は羅針盤になっていた。
外周部は螺鈿が散りばめられ、
針の後ろには、白鷺と船ーー両国のシンボルが、
寄り添うように描いてある。
「こちらは、
我が国の誇る職人が手掛けた一品でございます。
どうか、貴国と我が国の航路に、
海の女神ル・バーラのご加護があります様に。
そう願い、ご用意させて頂きました」
頭を垂れながら、恭しく由来を説明し。
反応を伺うために、顔を上げると。
女王はポカンとした様子で口を開け、
暫し、輝きに目を奪われていた。
「……エリシア陛下?」
「……はっ!?
いえいえ、こんなに高価なもの、
受け取れません!!
……我が国には、その。お金がありませんし……」
金髪の女王は、ブンブンと頭を振ると、
そのまま俯いた。
(まさか……本気で言っているのか?)
サフワーンは呆然とする。
この贈り物を拒否するということは、つまり。
「……お嬢様。
折角のお品物です。素直にお受け取りください」
「ミレイユ?……でも」
「寧ろ、ここで受け取らない方が、
サフワーン殿の顔に泥を塗ってしまいます。
それに、友好の印を受け取らない、ということが、
どういうことを意味するか、考えてください」
まるで、出来の悪い妹を諭すように、
隣のメイドが口を出す。
女王はハッとすると、
慌てて、サフワーンに頭を下げた。
「えと、その、申し訳ありません!
私、そんなつもりじゃ……!」
「いえいえ、こちらこそ性急でしたな。
陛下の御心を煩わせてしまい、大変失礼しました」
謝るエリシアに、引き攣りながらも
なんとか返事を返す。
(まだ即位したばかりとは聞いていたが……
これではまるで、ただの小娘ではないか)
噂とは、やはりその程度か。
内心で溜息を吐きながら、
サフワーンは次の牽制を放った。
「ところで……。
そちらにいらっしゃる方々は、
帝国の猛将と名高いセリア将軍に、
英雄と呼ばれたリョウ殿ですかな?」
「はい。私がセリアです。
……今は、帝国の将ではありませんが」
「ん?確かに、遼は俺だけど……。
ただ、英雄なんて柄じゃないから、
出来れば、その呼び方は止してくれると、
ありがたいけどな」
慇懃に礼を返すセリアに、
頭をガシガシと掻く遼。
(王と言い、家臣といい。
この国は外交というものを知らないのか?
……メイドや、あの女傑は多少頭が回るようだが)
挨拶ひとつからも、打算を働かせつつ。
サフワーンはもう少しだけ、踏み込んだ。
「リョウ殿は、現場主義なのでしょうか?」
「え?」
「失礼ながら、
数日前に、港町でお姿を拝見しました。
一国の英雄が、ただの諍いに首を突っ込む。
なかなか、考えにくいことですが」
「げ。アレを見られてたのか……。
いや、何というか、その、だな……」
気まずげに目を逸らす様子は、
本人の言う通り、英雄らしからない。
(とはいえ、
彼が帝国の名将を倒したのも事実。
様子を見るに、感触は悪くない。
……もう少し、突つくか)
サフワーンは、あえて、
尊大な振る舞いを試みる。
目を流しながら、曖昧な笑みを浮かべた。
「……この国は。
なんとも賑やかなことですな。
これも一重に、エリシア陛下や、
リョウ殿の人徳、ということでしょうか」
「そうですか?
いやぁ、それほどでも……」
能天気に笑う英雄を、メイドの肘が小突く。
耳を無理やり引っ張ると、そっと耳元に口を寄せ、
ひそひそ話を始めた。
「……今のは皮肉です」
「え?そうなのか?」
「頼みますから、余計なことを言わないでください。
お嬢様に、これ以上、恥をかかせないで……」
心底、頭を抱えるメイドの様子に、
サフワーンが思わず、呆気に取られていると。
「……コホン」
咳払いと共に、白銀の女傑が、
絶対零度の視線を英雄に送っていた。
視線に気づくと、
英雄は、ピシリと岩の様に身体を硬直させた。
「いや、でも、
俺、こういうの知らなくて――」
さらに、視線が強まる。
――まだ恥を晒すなら、ここで息の根を止める。
言外の空気に、
英雄は蒼白になりながらコクコクと頷くと、
先ほどまでの空気が嘘のように、口を閉じた。
その様子に、
サフワーンは吹き出しそうになる。
――聖女が治める理想の国。
――大陸最強の帝国を打倒した、
新たな秩序の中心。
噂や報告では、
そんな文字ばかりが紙面に踊っていた。
だが。
実際に来てみれば。
疲れた顔の、未熟な王。
やや軽率だが、誠実な男。
頭を抱える、苦労人のメイド。
それらを黙らせる、完璧な軍人。
今まで数多くの会談を渡り合ってきたが、
こんな凸凹な国は見たことが無い。
――実に、人間臭い国だった。
**
「エリシア陛下。
……ここからは外交ではなく、
私個人の質問について、
一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「サフワーン殿。
ここは公式の場。
個人的な質問は控えて頂くと」
メイドが遮る様に、口を挟む。
「侍女の方の言うことは、ご尤もでございます。
ただ、どうしても伺って見たく……。
どうか、遠路からの客人の、
つまらない願い事ということで、一つ」
サフワーンは頭を下げる。
「個人的、と仰いましたが」
静かな声が、突然、横から割り込む。
声を上げた女傑に、女王は怪訝な目を送る。
女傑はただ、小さく頷き、
王に無言のメッセージを返した。
「それは、今回の訪問とは関係ない、
という認識で間違いないでしょうか」
「勿論でございます、セリア将軍。
あくまでも私の私見、ということですので」
「……嫌な言い方をしますね」
「気分を悪くされたのなら、謝罪致します。
どうも、職業病のようなものでして」
女傑は、それ以上は食い下がらなかった。
やりとりを黙って聞いていた女王は頷くと。
「良いでしょう。
贈り物のお礼もありますし、
私への質問について、許可します」
真っ直ぐ、サフワーンの目を見つめた。
「陛下の寛大さに、深く感謝いたします。
それでは……」
室内の空気が静まる。
「我が国が貴国と友誼を結びたい。
これは、紛うことなき事実です。
ただ……。
ここに来るまで、
私自身の目で、貴国の現状を拝見しました」
女王は、静かに聞いていた。
「貴国の現状は、未だ不安定。
まるで、砂浜に描いた絵のようだ。
少しの波が打ち寄せただけで、
容易く消え去ってしまう」
一度、サフワーンは言葉を切る。
「私自身、商人から成り上がった身でございます。
その目線から見ると、なかなか、
商いをする相手として見ると難しい。
なにせ、取引をしたとしても、
金子の回収が見込めないことすら、
頭に入れねばなりません」
(これで気分を害するようなら……
取引相手としては、下と見ざるを得ぬが)
サフワーンは内心で冷徹な計算をしながら、
静かな言葉で、この国の現状を痛烈に叩きつける。
「エリシア陛下。
貴国が抱えるこの問題に、
どう向き合うつもりなのでしょうか」
サフワーンの言葉を聞き終えた女王は、
目を瞑り。
「……まだ、分かりません」
溜息混じりの声を漏らした。
(……答えになっておらぬ)
これでは、判断のしようがない。
「分からぬ、ですか。
ですが、それでは民も不安に思うのでは?」
サフワーンは、逃がさない。
「その通りです。
皆には、いつも苦労を掛けてしまっています」
追及に、女王は疲れた笑みを零す。
言葉に嘘は無さそうだ。
だが。
ーー不意に。
風が、部屋に吹き込んだ。
金髪が揺れると、女王の纏う雰囲気が変わる。
ただ真っ直ぐ、サフワーンを見据えた。
「ですが。
私は、逃げることも、捨てることも。
諦めない、そう決めたのです」
静かな、しかし、
重い覚悟を、サフワーンは感じ取る。
(……なるほど。これが、この国の正体)
サフワーンはようやく、
この国に着いてから抱いていた違和感に、
答えを出した。
不格好でも。
非合理でも。
それでも、前を向き続ける。
この王の態度こそが、この国そのものだった。
「……厄介ですなぁ。
商売人としては、無視できないのに、
将来、高値がつくやもしれぬ商品、というのは」
しみじみと呟くと。
「ええ、本当に」
セリアが、珍しく苦笑し、
サフワーンに同意する。
「損切りしたくても、させて貰えない。
……陛下は、そういう人ですから」
「人を、不良債権みたいに言わないでください」
むくれた様子の女王。
飾らない、等身大の様子が、
サフワーンの印象に強く残った。
**
数週間後。
サフワーンは、
サ・マンダルに戻っていた。
長机の向こうには、
ムワリムをはじめ、皆が首を長くして、
報告を待っている。
「遠路はるばるお疲れのところ、
申し訳ありません。
早速ですが、内容をお伺いしたい」
外套を脱ぎながら、サフワーンは苦笑した。
「いやぁ……。
酷い有様でしたなぁ」
「先の戦いから、もう一年が経つというのに。
橋は壊れたまま、避難民のテントはそのまま。
孤児の数に至っては、私が目にしただけでも、
両手の指では数えきれませぬ」
「おまけに、食事もよろしくない。
物資が不足しているのでしょうな。
何度、帰ろうと思ったことか」
しみじみと、旅の苦労を語る。
周囲からは、それ見たことかと、
失笑が漏れていた。
「ですが。
ーー決して、侮って良い相手ではありません」
空気が、霧散した。
「……話が見えませぬが」
ムワリムが、手を組みながら、
疑問を呈した。
サフワーンはそれに頷くと、続ける。
「未熟で、不安定で、非効率。
感情論も多く、国家運営として見れば、
危うい箇所も少なくない。
ーーだが」
サフワーンは、水を口にして。
飲み込んだ後、続けた。
「かの国は、あの王は。
それをあるがまま、受け入れているのです。
無様でも、不格好でも。
美しい刃物はよく斬れるが、脆い。
しかし、何度も鍛え、
戦いの中で研ぎ澄まされた刃は、折れません」
議場に、沈黙が落ちる。
感心する者。
困惑する者。
否定しようとする者。
皆の反応は、様々だった。
ムワリムが、長い顎鬚を撫でると。
「……サフワーン殿。
ご意見、大変参考になりました。
彼の国については、もう一度。
日を改めて、議論をする必要がありますな」
「ええ。
その方がよろしいでしょう」
答えたサフワーンは、
ふと、窓の外へ目を向けた。
砂浜では、子供たちが、
木の枝で絵を描いている。
ーーザザーン。
波が、静かに、
砂浜へ寄せては返していた。
あの絵が残るのか、それとも消えてしまうのか。
それは、誰にも分からなかった。
これにて、この物語は完結です。
遼やエリシアの国が、この先、どうなるのか。
歴史のうねりに飲み込まれるのか、それとも。
ここまで、ご愛読頂き、誠にありがとうございました!