救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
エリシアの決意から一時間後。
遼は、男たちに手際よく指示を出していた。
「ここ、柵は全部壊す必要はない。残す場所を決める」
地面に炭で線を引きながら言った。
「残すのは二箇所。敵が必ず通る正面と、逆に見せたい誘導路だ」
村の男の一人が不安そうに聞く。
「壊すとしたら、どこを優先すればいい?」
「東側だ。あそこは森が浅い。迂回されると意味がない」
別の男が口を挟む。
「逃げ道はどうする?全部塞がれたら終わりだぞ」
「裏の畑の下を抜ける道がある。そこを一つだけ残す」
遼は短く区切るように続けた。
「火は最終手段だ。風向き次第でこっちが焼ける」
男たちの視線が一斉に集まる。
恐怖が混じっていたが、それでも誰一人として逃げようとはしなかった。
「誰が火を扱う?」
一瞬の沈黙のあと、遼は一人の年配の男を指した。
「あなたが一番落ち着いてる。判断は任せる」
年配の男は少し驚いた顔をしたが、ゆっくり頷いた。
次に遼は線を一本追加した。
「合図は三つだけ覚えてくれ。
笛一回は集合。二回は退避。三回は全力撤退」
村人の誰かが小さく呟く。
「そんな単純な合図でいいのか?」
「時間が無い。複雑な合図は、かえって混乱する。
特別なことはしない方が、こういう場面では役に立つ」
「誰が誰を連れて逃げるかも決めておこう。混乱したときに迷う余裕はない」
ヒーローでもなんでもない。
ただ、生き残るために、やるべきことを並べていくだけだ。
遼はそう言い聞かせるように、地面の線を一本ずつ増やしていった。
**
男たちへの指示が一通り終わった後。
一息つく遼に、エリシアが声をかけた。
「お話したいことがあります。戦闘に関わる、重要なことです」
「重要なこと?」
「はい。…まずは、この銃を見てください」
エリシアが机に銃を置く。古めかしい拳銃だ。
洗練された装飾と美しい紋様から、
武器というよりは儀礼用という印象を受けた。
「これは、王家に伝わる魔導銃です」
その一言に、遼は思わず息を呑んだ。
「……王家? お前が、王族……?」
エリシアは静かに頷いた。
「王族の魔力に反応するため、私にしか使えません。
……生き残ったのは、私だけ、ですから」
遼は言葉を失った。
薄々“ただ者ではない”とは思っていた。
だが、まさか――。
「……続けてくれ」
エリシアは小さく頷くと、説明を続けた。
「この銃には、ある特別な能力がある、と言われています」
引っかかるような言い方に、遼は疑問を呈す。
「“言われている”……?」
「はい。……試したことは、ありません」
心を落ち着ける様に、エリシアは一呼吸置いた後、
衝撃的な言葉を口にした。
「狙った相手の心臓を、確実に捉えることが出来るのです」
「……っ!?」
あまりの恐ろしさに、遼は絶句した。
数秒間の沈黙が、二人の間に流れる。
「ただし、条件があります」
エリシアが続ける。
「それは、相手の顔が見える位置でないと効力を失います。
それと……連発は出来ません」
「……本当のこと、なのか?」
「わかりません。
……実際に、人を、撃ったことはありませんから。
エリシアの声が震える。
「……他に、何か。
俺が、知っておく必要があることは、ないか?」
「銃の説明は、以上です。……ただ……」
「ただ?」
「……ただ、お父様はいつも言っていました。
『その銃は、お前が撃ちたいものを、確実に貫く。
だから、引き金を引くかどうか、よく考えなさい』と」
また沈黙。
その後、真っ直ぐ遼を見つめ、言った。
「リョウ。
わたしは、あなたの作戦に従います。
……でも、撃つべき時が来たら、教えてください。
私は……その時、逃げないように、します」
エリシアの声は震え、瞳は揺れている。
けれど、目の奥はまっすぐだ。
あの目を向けられると、なぜか、背筋が伸びてしまう。
遼は、新たな要素の追加に頭を悩ませつつ、頷いた。
**
夜も更ける頃。
皆が明日の戦いのために英気を養う中、
遼はまだ準備を続けていた。
そんな時、集会所の裏に、ミレイユの姿を見かけた。
「寝なくていいのか」
「あなたこそ」
「エリシアは?」
「寝かせました。……自分も準備する、と言い張ってましたが、無理やり」
「強引だな。……その武器は?」
ミレイユは視線を上げないまま答えた。
「ただの短剣です。こういう時ほど、武器の確認は必要です。……壊れてからでは遅いので」
短剣の手入れをする様子は、彼女の華奢な雰囲気とは対照的に、驚くほど手慣れていた。
「戦った経験があるのか」
「あります。逃げる時に」
淡々とした声だった。
「お嬢様は、あまり覚えていません。……覚えさせないようにしてきましたから」
そこで初めて、ミレイユは手を止めた。
「焼け落ちる城も、撃たれた人も、泣いている人も。
全部、私が先に見つけて、お嬢様には見せないようにしてきたんです」
遼は何も言わなかった。
彼女の言葉の重さを受け止めるしかなかった。
「なのに、結局また、こうなる」
ぽつりと漏れた声は、初めて年相応に聞こえた。
「私は、あの方を守れているのでしょうか」
「俺には分からない。だけど、一つ言えることがある」
「……なんでしょうか」
怪訝そうに、ミレイユが問う。
遼は、ミレイユの目を真っ直ぐ見ながら、伝えた。
「エリシアは、お前のことを大切に思っている。
よそ者の俺から見ても、それは揺るぎない事実、ってことさ」
「……あなたに言われるまでもありません」
拒絶の言葉。
だが、彼女の口元はうっすらと緩んでいた。
**
夜が明けた。
エリシアは、村の皆を集め、集会場に立っていた。
その手には、古びた旗を握りしめている。
青地の中心には、白鷺を模した紋章が、描かれていた。
滅びたアルディア王家の旗。
村人たちはそれを見てざわめいた。
誰かが小さく息を呑み、誰かが震える声で「本物だ……」と呟いた。
ミレイユは、ギュっと目を瞑っていた。
血に濡れる覚悟を決めた主に、
せめて、ほんの僅かでも、どうか幸運がありますように
――そんな、祈りを捧げているようだった。
エリシアの肩は震えている。
遼は、静かにエリシアに問いかけた。
「……旗を、掲げるのか。
それを掲げたら、きっと、戻れない。
止めるなら、今からでも遅くない」
エリシアは、何かに耐えるように目を瞑り、
ゴクリと唾を飲み込んだ。
一瞬の逡巡。
ほんの僅かな時間だったが、ひどく長い時間に感じられた。
やがて。
エリシアの瞳が開く。
そして決然と、言い放った。
「それでも、掲げます。
私は、みんなが笑って暮らせる、
――そういう居場所を、作りたいのです」
その言葉を聞いた瞬間、遼は胸の奥がわずかに疼いた。
もう諦めたはずの何かが、静かに揺れた。