救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~   作:ホビット

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第六章 震える銃口

エリシアの宣言があった日の昼頃。

 

村の北側から、だらしない靴音が近づいてきた。

遼は物陰に身を沈め、兵士たちの会話に耳を澄ませていた。

 

「はぁ……かったりぃ……」

「昨日も言ってただろ」

「だってよ、あの村、やたら遠いんだよ。歩くのもラクじゃねぇっての」

「帰ったら酒飲みてぇな……」

 

遼は眉をひそめた。

緊張感がない。隊列も乱れている。

これは軍隊ではない。武装した酔っ払いの群れだ。

 

その後ろで、隊長らしき男が苛立ち混じりに怒鳴る。

「おい、遊びに来てんじゃねぇぞ!さっさと片付けるんだよ!」

 

“片付ける”。

その言葉に、遼の胃が冷たくなる。

彼らにとって村は、仕事の一つでしかないのだ。

 

やがて、兵士の一人が前方を指した。

「隊長、村に到着しました」

「よし。突っ込め。さっさと終わらせて帰るぞ!」

 

軽口と命令が混ざったまま、兵士たちはだらだらと前進する。

遼は深く息を吸い、村の方へ視線を送った。

 

ここから先は、段取りで守るしかない。

罠は仕掛けた。

村人たちの配置も確認した。

あとは、敵が“雑さ”を晒してくれるかどうかだ。

 

**

 

遼は、手の中の笛を握りしめた。

「……来た」

 

木柵の陰に伏せていた村人たちが、緊張で喉を鳴らす。

遼は手で合図し、最前列の男に銃を構えさせた。

「撃つな。引きつけるだけでいい」

 

男が小さく頷く。

銃口の先、兵士たちは相変わらず緩んだ足取りで近づいてくる。

「へっ、なんだよあのバリケード。子供の遊びか?」

「撃ってこねぇなら突っ込め!」

 

遼は、兵士たちの距離を測る。

十歩……七歩……五歩。

今だ。

 

「正面、引きつけろ!」

村人の銃が一発だけ鳴った。

乾いた音が山に跳ね返り、兵士たちが一瞬だけ足を止める。

 

「ビビらせてんじゃねぇぞ!前へ——」

隊長の怒声が途切れた。

遼が蹴り倒した柵が、軋みを上げて崩れ落ちたからだ。

 

ザザザッ!

地面が沈むような音と共に、

兵士たちの足元が、まとめて落ちる。

 

「うわっ——!?」

「足が……!?」

「穴だ、落とし穴だ!!」

 

遼は短く息を吐いた。

よし、かかった。

 

落とし穴は浅い。致命傷にはならない。

だが、統率の取れていない集団には十分すぎる罠だ。

 

遼が視線を送ると、屋根に上がっていた村人たちが、

灰と小石を一斉に投げ落とした。

白い灰が風に乗り、兵士たちの視界を奪う。

 

「上だ!屋根の上を見ろ!」

「目が……見えねぇ!」

「くそ、煙か!?」

「違う、灰だ!上からだ!!」

 

怒号と悲鳴が入り混じる。

遼はその混乱を冷静に観察した。

思った以上に脆い。

これなら、押し返せる。

 

だが、油断はできない。

混乱は長く続かない。

敵が態勢を立て直す前に、次の手を打つ必要がある。

 

遼は笛を口に運びかけ——

その瞬間、嫌な気配を感じて顔を上げた。

 

落とし穴から這い出した隊長が、

村人の一人を腕で締め上げ、短剣を首に押し当てていた。

「動くな!!こいつを殺すぞ!」

 

遼の背中に冷たい汗が流れた。

最悪だ。ここで膠着されたら終わる。

 

怒声が灰の舞う空気を裂く。

村人たちが息を呑み、遼は笛を握りしめたまま動けなかった。

撃てない。

この角度、この距離……誤射すれば、人質が、死ぬ。

 

「おい! 昨日の交渉に出てきたガキはどこだ!

 あれが代表なんだろうが!」

 

隊長の叫びに、遼の心臓が跳ねた。

エリシアを狙っている。

ここで引きずり出されたら——

 

「待ってください!」

 

その声が、遼の思考を断ち切った。

 

エリシアが前に出ていた。

戦闘前、村人たちの前で掲げた青い旗を、そのまま握りしめている。

 

灰の中、青い布が揺れた。

「その人を放してください。

 私が、この村の代表です」

 

「やっぱりお前かよ」

 隊長は鼻で笑った。

「昨日はよくも偉そうに言ってくれたな。

 ガキが代表なんて、笑わせんな」

 

遼は歯を食いしばった。

(なぜ前に出る……!)

分かっているはずだ、この状況がどれだけ危険か。

 

だが、エリシアは止まらない。

彼女の視線は、刃を突きつけられた村人に向けられていた。

 

――助けたい。

その一心だけで動いているのが、遼には分かった。

 

「お嬢様っ!」

 

少し後方で控えていたミレイユが、危険を察して駆け寄り、

エリシアの背に寄り添う。

短剣を握りしめ、いつでも飛び出せる姿勢だ。

 

緊張が高まる瞬間。

 

風が、吹いた。

 

青い旗が、空いっぱいに広がった。

 

遼の視界の端で、その色が鮮烈に揺れた。

敵兵の一人が、息を呑むような声を漏らした。

 

「……おい、あれ……」

「旗……?なんだよ、あの色……」

「青……? まさか……」

 

ざわり、と空気が変わった。

辺境の兵士たちは王家の顔も名前も知らない。

だが、“青い旗だけは掲げてはならない” と教えられている。

 

反乱の象徴。

帝国が最も嫌う色。

 

隊長だけが、その意味を正確に理解したようだった。

彼は辺境に回される前、帝都で“青い旗の処分命令”を耳にしたことがあった。

信じられないものを見た時のように、顔色がみるみるうちに変わる。

 

「お前ら、撃つな!!下がれ!!

 その旗は……!」

 

だが、兵士たちは混乱して動けない。

“青い旗”という記号だけが、彼らの恐怖を刺激していた。

 

その一瞬の静止。

その一瞬の“間”。

 

――エリシアが銃を構えるには、十分だった。

 

エリシアは旗を握ったまま、

もう片方の手で銃を持ち上げた。

 

銃口は震えていた。

狙いなど、ついていない。

片手では、まともに構えることすらできない。

 

だが――

王家の銃に“狙い”は必要なかった。

 

遼は息を呑んだ。

笛を握る手が、動かない。

人質。旗。銃口。——全部が、一瞬に重なった。

 

人質は刃を突きつけられ、兵士たちは混乱し、

隊長はいつでも殺せる体勢。

遼が笛を吹く暇も、指示を出す隙もない。

 

――撃つかどうかを決められるのは、エリシアだけだ。

 

ミレイユがエリシアの背に寄り添い、

震える肩をそっと支える。

「お嬢様……」

「大丈夫です。

 ……この旗も、この銃も、離しません」

 

その言葉に、遼の胸が締めつけられた。

 

隊長はまだ村人の首に刃を当てている。

だが、青い旗を見た兵士たちは動けない。

恐怖と混乱で、場の空気が凍りついていた。

 

エリシアは、ゆっくりと隊長の顔を見た。

顔が見えた。

それだけで、王家の銃は“条件を満たした”。

 

「……その人を放しなさい」

その囁きと同時に、引き金が引かれた。

銃声は、驚くほど軽かった。

 

次の瞬間、隊長の胸が弾けた。

心臓を貫く、正確すぎる一撃。

 

エリシアの手は震え、

反動で身体が大きく揺れた。

旗がはためき、ミレイユが慌てて支える。

 

村人が解放され、地面に崩れ落ちる。

エリシアの頬に、隊長の血が一滴だけ飛んでいた。

 

頬の血が、ポタリ、と地面に落ちて。

ようやく、彼女は、ゆっくりと呟いた。

 

「……私は、守るために撃ちました」

 

その声は震えていた。

だが、旗を握る手だけは、決して震えていなかった。

 

**

 

隊長が胸を押さえて崩れ落ちた瞬間、

辺境守備隊の動きが完全に止まった。

 

誰も叫ばない。

誰も撃たない。

ただ、青い旗と、倒れた隊長を交互に見ていた。

 

恐怖と混乱。

そして、“理解できないもの”への本能的な畏れ。

 

「た、隊長……?」

「なんで……一発で……」

「心臓……だと……?」

 

兵士たちは後ずさりし、

やがて誰かが叫んだ。

 

「に、逃げろ!!」

 

その声を合図に、守備隊は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

統率も、命令も、誇りもない。

ただ、青い旗と、あの銃から遠ざかりたいという恐怖だけが、

彼らを動かしていた。

 

**

 

遼は笛を吹く必要すらなかった。

戦いは、終わった。

 

だが、誰も喜ばなかった。

 

村人たちは呆然と立ち尽くし、

ミレイユはエリシアの肩を必死に支えていた。

 

エリシアは、まだ銃を握ったまま動けずにいた。

旗を握る手は強く、

銃を握る手は震えていた。

 

遼はゆっくりと近づき、

エリシアの前に立った。

 

「……終わった」

 

そう告げると、エリシアはようやく遼を見た。

その瞳は、恐怖でも後悔でもなく——

理解できない現実に追いつけない、迷子のような揺れがあった。

 

「リョウ……私……」

言葉が続かない。

 

遼は静かに頷いた。

「見た。全部」

 

エリシアは唇を噛み、

震える声でようやく言葉を絞り出した。

「……私、撃ちました。

 人を……殺しました」

 

その瞬間、ミレイユの手がエリシアの背で強く震えた。

彼女もまた、エリシアの痛みを共有している。

 

遼はゆっくりと息を吸い、

彼女の目をまっすぐ見た。

「エリシア。

 お前は“守るために”撃った。

 それは事実だ」

「でも……でも……」

エリシアの声が震える。

旗を握る手は強いまま、銃を握る手だけが弱々しく揺れていた。

「私は……

 この旗を掲げたのに……

 人を……殺してしまった……」

 

遼は、そっとエリシアの銃を受け取った。

彼女の手は、触れた瞬間に力を失ったように震えた。

 

「エリシア。覚えておけ」

遼は静かに言った。

 

「“守るために撃つ”というのは、

 お前が思っているより、ずっと重い。

 でも――

 その重さから逃げなかったお前は、強い」

 

遼の言葉に、エリシアの瞳に涙が滲む。

「……強くなんて、ありません……

 怖かった……今も……怖い……」

「怖くていい。……怖いままでいい。

 それでも、前に出たのが、お前だ」

 

エリシアは、ようやく膝をついた。

旗は地面に触れず、ミレイユがそっと支えた。

 

エリシアは顔を伏せ、

小さく、小さく震えながら呟いた。

「……守りたかったんです……

 あの人を……この村を……

 誰も……泣かせたくなかった……」

 

遼は、その言葉を聞き終えると、

そっとエリシアの肩に手を置き、噛みしめるように伝えた。

「……お前は、守れたんだ。

 あの人の、命を。この村を。」

 

その言葉に、エリシアはようやく泣いた。

旗を握ったまま、

王家の象徴を手放さないまま、

ただ、ひとりの少女として泣いた。

 

ミレイユは、しばらく何も言わなかった。

慰める言葉を、全部飲み込んだ。そして、ただ隣にいた。

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