救えなかった手と、それでも伸ばした手 ~元自衛官が行く、異世界戦記~ 作:ホビット
翼槍隊。空から降る兵。
(……今日、あいつらの正体を掴む)
砦の石壁に触れると、夜の冷気がまだ残っている。
遼は深く息を吸い、その冷たさを肺の奥まで入れた。
決意と不安は、どちらも同じ温度だった。
静かに、一行は出発した。
**
砦を出た一行は、
シュヴァルツ高地の裾野にある小村へ向かっていた。
山岳地帯を進むにつれ、
空気は冷たく、風は鋭くなっていく。
遼は周囲を見回した。
(……妙に静かだな)
鳥の声が少ない。
山道には人の気配もない。
先導していたローデンが、険しい顔で呟いた。
「この辺りの村は……
もう長く、まともに暮らせていない、と聞いております」
「翼槍隊か」
ローデンは黙って頷いた。
**
昼前。
一行は山間の小村へ到着した。
村に活気はなかった。
畑は荒れ、家畜小屋は半分以上が空っぽ。
子供たちは物陰からこちらを見て、すぐに隠れる。
エリシアは痛ましげに目を伏せた。
「……酷い」
ミレイユも周囲を警戒しながら、
小さく息を吐く。
「まるで、戦場の避難民です」
村長らしき老人が現れ、
ローデンを見るなり顔色を変えた。
「ローデン……!?
生きていたのか……!」
「なんとか、な」
短い再会の後、
村長は遼たちを納屋へ案内した。
村長の声は乾いていた。
「……帝国軍は、
定期的に物資を徴発しに来る」
「断れば?」
遼が聞く。
村長は笑った。
笑っているのに、目だけが死んでいた。
「空から来る」
その一言で、空気が冷えた。
ただならぬ様子に、遼たちは何も言えない。
そのまま、村長は続けた。
「家畜を殺し、
畑を焼き、
時には人も連れていく」
あまりに凄惨な内容に反し、
村長の声は淡々としている。
遼には、それが逆にとても恐ろしく感じた。
エリシアの拳が震える。
「そんなこと……」
「逆らえんのだよ、お嬢さん」
その時だった。
村の外から、誰かの悲鳴が響いた。
「た、大変だ!!
翼槍隊だァ!!」
全員の顔色が変わる。
次の瞬間——
キィィィィィィィィィィィィィィィィン……
空そのものが悲鳴を上げた。
**
耳を塞ぎながら、遼は上空を見上げた。
空の上を、黒い影が滑っている。
風を切る金属音。異様な速度。
村人たちは、音に怯えるように、
反射的に地面へ伏せていた。
「徴発だァ!!
表へ出ろォ!!」
空から怒声が降ってきた。
翼槍兵たちが低空を旋回し、
広場へ次々と降下する。
土埃が舞い、風圧で荷車が横転した。
その様子を、遼は目を細めながら観察していた。
(……低い。
威圧するために、わざと高度を落としてる)
先頭の兵が槍を肩に担ぎながら笑った。
「今月分の物資を回収する!!
さっさと持ってこい!!」
村長が震える声で言う。
「も、もう残っておりません……
先月も徴発されて……」
「あぁ?」
翼槍兵の顔が歪む。
「帝国軍に逆らうってのか?」
「ち、違います……!
本当に、もう——」
その時、
一人の若い村人が叫んだ。
「ふざけるな!!
これ以上持っていかれたら、
冬を越せねぇ!!」
空気が凍った。
翼槍兵たちが、ゆっくり笑う。
「ほう……
逆らうのか?」
剣呑な様子に、
ミレイユがとっさに腰の短剣へ手を伸ばす。
だが、
遼は小さく首を振った。
敵戦力が分からない。
ここで感情的に動けば終わる。
察してくれたのか、ミレイユは身体の力を抜いた。
**
空で、“それ”が旋回した。
キィィィィィィィィィィィィィィィィン!!
耳を裂く音。
一機の翼槍兵が、
一直線に急降下する。
「伏せろ!!」
遼が叫ぶ。
次の瞬間——
ドォォォォォォンッ!!
広場の端で、
家畜小屋が爆散した。
牛が肉片となって吹き飛び、
血と藁が宙を舞う。
子どもたちが絶叫する。
女が泣き崩れる。
翼槍兵たちは、
それを見て笑っていた。
「次は人間かァ!?」
「逆らうからこうなるんだよ!!」
遼の奥歯が軋む。
ミレイユの瞳には明確な怒気が宿っていた。
ローデンの肩も怒りに震えていた。
だが、
最も苦しそうだったのはエリシアだった。
口を真一文字に結び、激痛に耐えるかの様に、
必死に堪えていた。
**
空の上に、
一際大きな影が現れた。
他の兵が、一斉に道を開ける。
黒い外套に長槍。
風に揺れる短い緑の髪。
そして、
空そのものを支配しているような圧。
「……あれが、隊長のガルド・ヴァルグか?」
「……その様じゃな。胸に、勲章が見える」
遼とローデンの小声のやりとり。
ガルドは、目もくれず、
ぶっきらぼうに言い放った。
「騒がしいと思えば……
また貧民どもが吠えてたのか」
その声には、一切の罪悪感がなかった。
ただ、虫でも見るような退屈さだけがある。
ガルドは血まみれの家畜を見下ろし、
つまらなそうに言った。
「もう一度言う。物資を出せ。
……次は無い」
村長は、
悔しさで顔を歪めながら頭を下げた。
「……分かりました」
若い村人が叫ぶ。
「村長!!」
「黙れ!!」
村長の怒鳴り声は、
泣きそうだった。
「逆らえば……
みんな死ぬんだぞ……!」
村長は震える手で、倉庫の鍵を差し出した。
「……持っていけ」
ガルドは鼻で笑い、
翼を軋ませながら地面へ降り立った。
巨大な滑空翼が風を巻き、
土埃が村人たちの顔に叩きつけられる。
「最初からそうしてりゃいいんだよ
……野郎共!さっさと持って帰るぞ!」
ガルドの号令に、部下たちが笑いながら、
家畜を縄で引きずり、荷車へ穀物を積み込んでいく。
泣き声が聞こえた。
幼い少女だった。
血まみれになった山羊にしがみつき、
必死に揺すっている。
「やだ……起きて……起きてよぉ……」
エリシアの肩が震えた。
ミレイユが、遮る様にそっと前へ出る。
遼も、エリシアの腕を掴んで止めた。
「……今はダメだ」
「ですが……!」
「ここで飛び出せば、村ごと潰される」
エリシアは唇を噛み、
拳を震わせながら下がった。
ミレイユも、沈痛そうな様子で、
ただ少女を見つめることしかできない。
ガルドは、積み込みの様子だけを一瞥し、
もう空を見上げていた。
「積み込み終わったら戻るぞ。
今日はこんなもんで十分だ」
「へい!」
部下たちが笑いながら翼を展開する。
その時、
ガルドの視線が一瞬だけ遼たちへ向いた。
鋭い目だった。
「……見ねぇ顔だな」
遼の背中に、冷たいものが走る。
ミレイユは、静かにエリシアの前へにじり寄っていた。
ごく短い時間だったが、やけに長く感じる。
やがて、ガルドは興味を失ったように、鼻を鳴らした。
「まあいい。
地べたの虫が何匹増えようが変わらねぇ。
……積み込みが終わったら、とっとと帰るぞ」
翼が開く。
キィィィィィィィィィィィィィィィィン――!!
死の音が、再び村を切り裂いた。
村人たちは、救いを求めるように、地に伏した。
翼槍隊は次々と空へ跳ね上がり、
黒い影となって主峰へ帰っていく。
風だけが、遅れて村へ吹き荒れた。
**
ガルドたちが空の彼方へ消えた後も、
村人たちはしばらく動けなかった。
誰もが、
“また戻ってくるかもしれない”
という恐怖に縛られていた。
泣き続ける子ども。
崩れた柵。
血を流した家畜。
さっきまで“日常”だった場所が、
一瞬で踏み荒らされている。
エリシアは、
血まみれの山羊に縋る少女の前へ膝をついた。
「……ごめんなさい」
少女は答えない。
ただ、震える小さな肩だけが、
この土地に積み重なった恐怖を物語っていた。
ミレイユが静かに周囲を警戒する。
やがて、近くの脅威は無くなったのか、肩を降ろした。
ローデンも、一息だけ付いた後、
苦い顔で主峰を見上げた。
「……以前より酷くなっておる」
遼は地面に残った衝撃跡を見下ろす。
急降下。爆風。
そして、意図的に鳴らされた“死の音”。
(……ただの飛行部隊じゃない)
あれは兵器だ。
“恐怖そのもの”を撒き散らすための。
**
「おい、あんたら」
不意に、低い声が背後から飛んだ。
遼たちが振り返る。
村外れの岩陰に、
三人の男たちが立っていた。
粗末な外套に山道用の短弓。
獣革の胸当てをしているが、兵士には見えない。
だが、
明らかに“戦う目”をしていた。
ミレイユが即座に前へ出る。
「何者ですか」
男の一人が鼻で笑う。
「そりゃこっちの台詞だ。
帝国の人間じゃねぇな」
遼が静かに答えた。
「……旅人だ。
山を越えたい」
「嘘だな」
男は即答した。
「旅人が、
ガルドを見ても逃げねぇ顔するかよ」
空気が張り詰める。
だが、
その男はすぐ視線をエリシアへ向けた。
血に汚れた少女の手を、
まだ握ったままのエリシアへ。
「……あんた、
さっき真っ先に子どものところ行ったな」
エリシアはゆっくり立ち上がる。
「……見捨てられませんでした」
男は数秒、黙って彼女を見つめた。
やがて、小さく息を吐く。
「……なら、少なくとも帝国側じゃねぇか」
ローデンが目を細めた。
「お前たちは……」
「山の人間だよ。
帝国に逆らってる」
男は短く答えた。
「まあ、世間じゃ“ゲリラ”って呼ばれてるな」
エリシアが息を呑む。
ミレイユは警戒を解かない。
だが遼だけは、
男たちの装備を観察していた。
動きやすさを重視した軽装に、土地向けの靴。
腰には崖用の縄が付いている。
“この山で生きるための道具”だ。
(……地形を知ってる連中か)
男は遼へ視線を戻した。
「あんたら、
ガルドをどうにかしたいんだろ」
遼は否定しなかった。
男は苦く笑う。
「なら話は早い。俺たちもだ。
……山の隠れ家へ案内する。
続きは、そこで話そう」
ミレイユが遼を見る。
「……信用するんですか?」
遼は少しだけ考え、
静かに答えた。
「少なくとも、
俺たちよりこの山を知ってる」
そして、主峰を見上げた。
黒い山。
あの空を支配する“死神”。
(……正面からじゃ勝てない)
なら必要なのは、
この土地を知る者たちだ。
エリシアが、
静かにゲリラたちへ向き直る。
「お願いします。
力を貸してください」
男たちは顔を見合わせ、
やがて頷いた。
「……いいぜ。
ただし、覚悟はしとけ」
男は主峰を睨む。
「あの空の化け物を相手にするってのは、
そういうことだ」
男の目線につられ、遼も主峰を見る。
山頂には、黒い雲がかかっている。
横耳には、まだ少女の嗚咽が聞こえてくる。
(……やるしか、ない)
遼は、いちど右手を強く握りしめ、
ゲリラたちに続いた。