ラーノベ大陸で最大版図を誇る大国、ナーロウ王国での一幕。
第四弾。

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国王陛下「デイロイ伯爵家長男ガリル、およびその婚約者アルミナは三年間の社交界への出入りを禁止する。メリルについては問責不問。以上!」

 ◆

 

 ナーロウ王国において貴族とは国家の部品である。

 

 これは比喩ではない。建国王ナーロウ一世が定めた国是であり、四百年を超える歴史の中で一度たりとも修正されたことのない絶対原則であり、貴族たちの骨の髄まで染み込んだ行動規範である。部品は機能してこそ価値がある。機能しない部品は交換される。この単純明快な論理は中興の祖であるアパルトヘイト王の代を以てナーロウ王国を大陸最強の覇権国家たらしめた。

 

 さて、ここに一人の令嬢がいる。

 

 アズラ男爵家の長女メリル、十七歳。容姿は中の上といったところで、特筆すべき美貌の持ち主というわけではない。家格も男爵家という貴族の最下層であり、持参金も知れている。社交界において彼女が注目を集める理由は本来どこにもないはずであった。

 

 しかし現実として、彼女の周囲には常に男が群がった。

 

 伯爵家の嫡男、子爵家の次男、男爵家の三男。爵位の高低を問わず、年齢の長幼を問わず、既婚未婚を問わず、男という男がメリル・アズラという磁石に吸い寄せられる鉄粉のごとく彼女のもとへ集まってきた。彼女が何か特別なことをしたわけではない。彼女はただそこにいて、微笑み、相槌を打ち、時折小首を傾げて相手の話に耳を傾けるだけであった。それだけで男たちは次々と彼女に心を奪われていった。

 

 女たちからは蛇蝎のごとく嫌われているのは当然の仕儀である──ただ一人、ヴェルクト公爵家の分家令嬢アルミナを除いて。

 

 アルミナは社交界において良識ある令嬢として知られていた。陰口を叩かず、派閥争いに加わらず、誰に対しても穏やかに接する。メリルに群がる男たちの中に自分の婚約者がいることを知っていながら、彼女は一度としてメリルを悪し様に言わなかった。

 

「あの方にも事情がおありでしょうから」

 

 そう言って微笑むアルミナを、周囲の令嬢たちは聖女のようだと評した。

 

 だがそれは聖女の寛容ではなかった。アルミナはただ信じていたのである。婚約者であるデイロイ伯爵家嫡男ガリルのことを。政略で決まった婚約ではあったが、彼女なりにガリルを愛そうとしていたのだ。相手を信じる事──それも愛を成すためには必要な事だと考えていたから。

 

 メリルのような真似はしたくなかった。男の気を引くために媚びを売るなど、アルミナの矜持が許さなかった。自分は自分らしくあればいい。誠実に、真っ直ぐに、品位を保って接していればきっとガリルにも伝わる──そう信じていた。

 

 ただ、アルミナには譲れぬ一線がある。

 

 婚儀の夜までは肌を重ねることはしないという淑女として当然の心意気である。手を繋ぐことも、抱きしめられることも、ましてや唇を重ねることもすべては正式に夫婦となってから。

 

 要は順序を踏みたいということだ。

 

 別におかしい考え方ではない。

 

 ないのだが──しかしガリルの考えは違う。

 

 彼は婚約者なのだから手を繋ぐくらいは許されると思っている。抱きしめることも、キスすることも、婚約者同士ならば当然のこと。アルミナを愛していないわけではない。ただ愛しているからこそ触れたい。彼女の柔らかな手を握りたい。彼女の髪の香りを間近で嗅ぎたい。

 

 何度求めてもアルミナは首を横に振る。

 

「婚儀の夜までお待ちください」

 

 断られるたびにガリルの中で何かが萎えていく。自分は拒まれている。愛されていないのではないか。そんな疑念が少しずつ膨らんでいく。

 

 そこにメリルが現れたわけだ。

 

 彼女はガリルの話に熱心に耳を傾け、彼の目を見つめ、時折その腕に手を添える。拒まれることはない。彼女の柔らかな指先が触れるたびに、ガリルの渇きは癒されていく。

 

 彼女が何を考えているのかは分からない。だが少なくとも、彼女は自分を拒まない。それだけで十分である。

 

 ◆

 

 半年が過ぎた。

 

 ガリルの足はもはやアルミナのもとへは向かなくなっていた。夜会のたびにメリルの傍らに立ち、彼女の話に耳を傾け、彼女のために飲み物を取りに走る。アルミナが声をかけても、彼は上の空で返事をするだけだった。

 

 それでもアルミナは待った。

 

 彼を責めることはしなかった。メリルを責めることもしなかった。待てば、きっと。そう自分に言い聞かせながら、夜会のたびに一人で壁際に立ち、遠くから婚約者の背中を見つめていた。

 

 限界が来たのはある夜会でのことだった。

 

 ガリルがメリルの手を取り、人目も憚らず見つめ合っているのを見た瞬間、アルミナの中で何かが弾けた。半年間溜め込んできたものが、一気に溢れ出した。

 

 気づけば広間の中央に立っていたアルミナ。自分が何を叫んだのか、アルミナ自身にもよく分からなかった。

 

「……どうして……」

 

 この「どうして」は様々な意味を含んだ「どうして」であった。あらゆる負の情念を混然一体としたこの感情を分析・解析するというのは野暮に過ぎるであろう。

 

 この様な魂の希求に対してメリルがとった行動はといえば、瞳を潤ませ、小さく唇を震わせ──。

 

「わ、私はただ……ガリル様とお話をしていただけで……」

 

 などと弁解するのみだった。しかしその声は広間の隅々まで届く絶妙な音量であり、その仕草は周囲の男性貴族の庇護欲を否応なく刺激した。これはメリルという女のが生まれつき有する天賦の才である。生来のたらし気質にできているこの女は、周囲の者たちの同情を買う事に非常に長けている。

 

 ガリルはといえば二人の間でおろおろするばかりで、アルミナを庇おうともしない。

 

 アルミナは唇を噛んだ。怒りに顔を歪める自分と、涙ぐみながら困惑するメリル。どちらが同情を集めるかは火を見るより明らかであった。半年間、品位を保ち、我慢を重ね、信じて待ち続けた自分がなぜこのような仕打ちを受けねばならないのか、少なくとも今の彼女にはわからなかった。

 

 とはいえ、アルミナもここまでコケにされては出るところに出ざるを得ない。三日後、アルミナは宮廷裁判所に訴状を提出した。

 

 罪状は「男爵家令嬢メリルによる婚約妨害および伯爵家嫡男ガリルの名誉毀損」。ナーロウ王国の法において貴族間の婚約は契約であり、その妨害は財産侵害に準ずる重罪であった。アルミナは法の力を借りてメリルを社会的に抹殺しようとしたのである。

 

 ところが、事態は思わぬ方向へ転がった。

 

 国王ナーロウ五世がこの案件に興味を示したのである。

 

 ◆

 

「面白いではないか」

 

 国王は玉座の上で、側近から報告を受けながらそう呟いた。五十代半ばの壮年であり、その眼光は氷のように冷たく、その判断は刃のように鋭い──まあ、端的に言えば人の心がない。

 

 ただ、この国の国王に人の心などというものは不要であるのでこれは「良い国王」という事になるが。 

 

「男を誑かす才、か」

 

 ナーロウ五世の興味を引いたのはメリルの才能であった。側近の調査によればメリル・アズラと会話した貴族子弟は、なぜか彼女に自分の家の内情を話してしまう傾向があった。それも機密に属するような情報を、本人も気づかぬうちに。

 

 参謀本部の諜報担当官が作成した報告書には、こう記されていた。

 

 ──アズラ男爵家長女メリルは、接触した人物から無意識のうちに情報を引き出す特異な能力を有する。これは訓練によって獲得されたものではなく、先天的な資質と思われる。適切な教育を施せば、対外工作要員として極めて有用な人材となりうる。

 

 国王は報告書を閉じ、裁判の日程を自ら指定した。

 

 この案件は国王自らが裁く。

 

 その知らせが宮廷を駆け巡ったとき、アルミナは勝利を確信した。国王陛下が直々に裁いてくださるのだ。半年間耐え忍んだ自分の誠実さが、ようやく報われる。そう信じた。

 

 そして裁判の日。

 

 玉座の間には多くの貴族が詰めかけていた。これほどの大物裁判は数年ぶりのことであり、誰もが結末を見届けようとしていた。

 

 アルミナは原告席に立ち、メリルは被告席に立った。ガリルは証人として呼び出されていたが、その顔は蒼白であった。彼は今になってようやく、自分が取り返しのつかない過ちを犯したことに気づき始めていた。

 

 国王が口を開いた。

 

「アズラ男爵家長女メリル」

 

「は、はい」

 

 メリルは震える声で応じた。その震えさえも、見る者の心を揺さぶる何かを持っていた。

 

「そなた、デイロイ伯爵家嫡男ガリルと親しく交わったか」

 

「お話を……させていただいたことは、ございます」

 

「その際、ガリルから何を聞いた」

 

 メリルは困惑した。何を聞いたと言われても、彼女には特別な記憶がなかった。ただ相手の話を聞き、頷き、時折質問を挟んだだけである。

 

「あの……デイロイ伯爵家の領地経営のことや、他家との関係のことを……」

 

「詳しく申せ」

 

 メリルは記憶を辿りながら話し始めた。そして彼女が語った内容を聞いて、法廷は静まり返った。

 

 ガリルは彼女に、デイロイ伯爵家の財政状況を詳細に語っていた。隣接するクローゼ子爵家との領地紛争の経緯を語っていた。父である現伯爵の健康状態を語っていた。そして、来年予定されている北方遠征に関する軍議の内容までも語っていた。

 

 いうまでもなくこれらはすべて機密であった。

 

「メリル」

 

「はい」

 

「そなた、意図してそれらの情報を引き出したか」

 

「い、いいえ! 私はただお話を聞いていただけで……」

 

「ふむ」

 

 国王は顎に手を当て、しばし黙考した。

 

「では問う。そなたは相手に質問を投げかけたか」

 

「……はい。ガリル様のお話が興味深かったので、もう少し詳しく聞かせてくださいと……」

 

「どのような質問をした?」

 

「えっと……領地経営のことをお話しになったとき、どのような困難があるのかとお聞きしました。クローゼ子爵家のことをお話しになったとき、なぜそのような関係になったのかとお聞きしました。北方遠征のことをお話しになったとき、とても大変そうですねとお答えしました」

 

 法廷にいた諜報担当官が、思わず息を呑んだ。

 

 それは完璧な情報収集の技法であった。相手に警戒心を抱かせず、自然な会話の流れの中で核心に迫る。専門の訓練を受けた工作員でもこれほど滑らかには行えない。

 

 そしてメリル本人にはその自覚がまったくなかった。

 

 国王は静かに笑った。

 

「なるほど。デイロイ伯爵家嫡男ガリル」

 

「は、はいっ」

 

 ガリルは跳ね上がるように返事をした。

 

「そなたは政略婚約の相手たるアルミナがありながら、他の女に現を抜かし、あまつさえ国家機密を漏洩した。弁明はあるか」

 

「あ、あの、その、メリル嬢が……」

 

「メリル嬢がどうした」

 

「彼女に誑かされたのです! 私は彼女の魔性に惑わされて……」

 

 国王の眉がぴくりと動いた。

 

「では問う。そなたはメリルに強制されたか。脅迫されたか。何らかの術をかけられたか」

 

「い、いいえ……」

 

「ならばそれは、そなた自身の意志であろう」

 

 ガリルは言葉を失った。

 

 国王は続けた。

 

「政略婚約とは何か。それは個人の感情ではなく、家門の利益のために結ばれる契約である。そなたはその契約を、己の意志の弱さゆえに蔑ろにしかけた。これを無能と言わずして何と言う」

 

 ガリルの膝が崩れた。

 

「そして」

 

 国王の視線がアルミナに移った。

 

「ヴェルクト公爵家分家令嬢アルミナ」

 

「は、はい」

 

 アルミナは背筋を伸ばした。自分は正しいことをした。品位を保ち、陰口を叩かず、誠実に振る舞った。それは貴族令嬢として、人として、正しい在り方だったはずだ。

 

「そなたは婚約者がメリルに傾倒していく過程を知っていたか」

 

「……存じておりました」

 

「では、それを阻止するために何をした」

 

 アルミナは一瞬、言葉に詰まった。

 

「私は……品位を保ち、誠実に振る舞いました。陰口を叩いたり、メリル嬢を貶めたりはいたしませんでした。ガリル様が自ら気づいてくださるのを、信じて待っておりました」

 

「信じて待った──か」

 

 国王の声は平坦だった。

 

「つまり、何もしなかったということだな」

 

「いいえ、私は──」

 

「では問う」

 

 国王はアルミナの言葉を遮った。

 

「そなたはガリルと直接話し合ったか。メリルと話し合ったか。周囲の者に相談したか。自らの魅力を高める努力をしたか。婚約を守るために、具体的に何か一つでも行動を起こしたか。メリルを排除しようとする権利がそなたにはあるのだ。家から圧力をかけてもよかったのだぞ?」

 

 アルミナは答えられなかった。

 

 なぜなら何もしていなかったからだ。アルミナがしていたことはただ信じて待っていた事だけだった。それが正しいことだと思っていたから。品位を保つことが、誠実であることが、正しいことだと。

 

 無論正しくはあるのかもしれないが──

 

「勝つために手を尽くさぬ者を、我が国では無能と呼ぶ。そなたは婚約者を守るためのあらゆる策を講じるべきであった。しかしそなたは何もしなかった。それを品位と呼ぶか誠実と呼ぶかは知らぬが、結果として何も守れなかった者は貴族としては無能である」

 

 アルミナの目が見開かれた。

 

 何かがおかしい。何かが間違っている。自分は正しいことをしたはずだ。品位を守り、誠実に振る舞い、相手を信じた。それの何が悪いというのか。

 

「私は……間違ったことはしておりません」

 

 震える声でアルミナは反論した。

 

「メリル嬢のように、男性に媚びを売ることはできませんでした。でもそれは……それは悪いことではないはずです。誠実であることは、正しいことのはずです」

 

 国王は無表情のままアルミナを見下ろした。

 

「道徳の話をしているのではない。人としてのそなたを責めてはおらぬ。貴族としてのそなたを責めている」

 

 その声は冷たかった。

 

「結果の話をしているのだ。そなたは婚約関係の維持に失敗した。方法が正しかったかどうかなど、余は問うていない。成功したか失敗したか。それだけを問うている。そなたに課せられた役目は両家の繫がりをより強固にすることだ。愛を成就する事ではない。両家の繫がりを強める為に、そなたはなんでもするべきであった。媚びを売らねばならないのなら売り、股を開けばならないのなら開くべきであった。これはガリルにも言える。そなたとの関係を、ひいては家と家との関係を強めるために個人の趣味嗜好を優先せず、ただ家の為の種馬となるべきであった」

 

 アルミナは言葉を失った。

 

 正しいことをしても報われないのか。誠実に生きても評価されないのか。この国では結果だけがすべてなのか。

 

 その通りである。ここはナーロウ王国なのだから。

 

 国王は立ち上がった。

 

「裁決を下す」

 

 法廷が静まり返った。

 

「ふーむ……諸々を踏まえ、アズラ男爵家の長女、メリルを明日より参謀本部付けとする。デイロイ伯爵家長男ガリル、およびその婚約者アルミナは三年間の社交界への出入りを禁止する。メリルについては問責不問。以上!」

 

 法廷がざわめいた。

 

 誰もがこの裁決の意味を理解した。メリルは罰せられるどころか、国家に召し上げられたのである。参謀本部付けということは、彼女の「才能」を国が認めたということであった。

 

 一方でガリルとアルミナは、社交界からの追放という実質的な死刑を宣告された。貴族にとって社交界は政治の場であり、商談の場であり、婚姻の場である。三年間そこから締め出されるということは、三年間一切の政治活動ができないということを意味していた。

 

 しかも、その間に家門への貢献を証明できなければ爵位継承権の剥奪もありうる。

 

 ガリルは崩れ落ちたまま動けなかった。

 

 アルミナは立ち尽くしていた。涙さえ出なかった。

 

 半年間、正しくあろうとした。品位を守ろうとした。誠実であろうとした。その結果がこれだった。

 

 メリルだけが何が起きたのか理解できないという顔をしていた。まあ彼女に政治的なあれこれを考える能はない。あるのは男を誑かす才と、女としての狩猟本能のみであるので無理はないが。

 

 ◆

 

 後日、参謀本部の一室でメリルは上官から説明を受けていた。

 

「君の任務は端的に言えばハニートラップだ」

 

「は、ハニー……?」

 

「男を誑かし情報を引き出す情報工作員だ。君には生まれながらにしてその才能がある。我々はそれを国のために使う。君は口も手も、必要ならばその股座の穴も使って情報を引き出せ。訓練は明日から始まる。君の才能に、技術を加える。一年後には敵国の要人から情報を引き出せる手練手管の数々を習得している事だろう」

 

「あの、私は……」

 

「国の為に身をささげるか、あるいはこの国を身一つで出ていく──選択肢があるとすればただそれだけだ」

 

 メリルは黙り込んだ。

 

 彼女の人生は、この日を境に完全に変わった。社交界の令嬢から、国家の尖兵へ。彼女の「男を誑かす才」は、私的な魅力ではなく国家資源として管理されることになった。

 

 これがナーロウ王国である。

 

 才能は国のために使われる。無能は排除される。善悪は問わない。有用か否かだけを問う。

 

 四百年前に建国王が定めたその原則は、今なお一点の曇りもなく機能し続けていた。

 

 メリルが最初の任務を受けるのはそれから一年後のことである。彼女は隣国エーアイ王国の外交官から、国境画定に関する機密情報を見事に引き出した。

 

 その功績によりアズラ男爵家は子爵家への陞爵を許された。

 

 一方、ガリルとアルミナは三年の謹慎期間を終えても目立った功績を挙げることができず、ガリルは爵位継承権を剥奪され、アルミナとの婚約も当然のごとく破棄された。

 

 ガリルがその後どうなったかを歴史は記録していない。無能は記録に値しないというのがナーロウ王国の流儀であるからだ。

 

 ではアルミナはどうなったか。

 

 ◆

 

 謹慎期間が明けて一週間後、アルミナはヴェルクト公爵家から追放された。

 

 父は彼女を見ようともしなかった。母は涙を流していたが、それでも娘を庇うことはしなかった。兄弟たちは冷ややかな目で彼女を見送るのみ。

 

 渡されたのは最低限の支度金と、着の身着のままの荷物だけである。

 

 ひとまずは安宿にありつけたのはいいものの──アルミナは膝を抱えていた。ひどい国だ、とは思うが国を出るにしても何の当てもない。今ある金が尽きれば野垂れ死には必定である。そうなる前に何かの手立ては打たねばならない。

 

 だが、仕事をするにしてもこれまで市井の仕事などしたことがない。針仕事はできるが、それで食べていけるほどの腕前ではない。料理も掃除も侍女任せだった。貴族の教育は受けてきたが、それが市井で何の役に立つというのか。

 

 涙が頬を伝うがもはや拭う気力すらもなかった。

 

 いっそ体でも売るか、あるいは──

 

 最も悲惨な末路を想像すると、ぶるりと体が震える。

 

 その時、扉を叩く音がした。

 

 アルミナは涙を拭い、恐る恐る扉を開けた。そこには憲兵と思しき制服の男が二人立っている。

 

「ヴェルクト家のアルミナ嬢か」

 

「……元、ですが」

 

「失礼。アルミナ殿とお呼びすべきか」

 

 憲兵は淡々と続けた。

 

「本来はご実家に直接お伝えするはずだったのだが、追放されたとのことで捜索に手間取った。ようやくお見つけできて何よりだ」

 

「何の、ご用でしょうか」

 

 アルミナの声は震えていた。まさかさらなる処罰があるのかと身構えたが、憲兵の言葉は予想外のものだった。

 

「貴殿に就労の斡旋がある。クロード・アンソロピックという商人が会長を務める商会で、住み込みで働く気はないか」

 

「……は?」

 

「エーアイ王国に本店を置く商会だが、我がナーロウ王国にも多くの支店を出している。そのうちの一つで働きながら手に職をつけることも可能だ」

 

 アルミナは呆然とした。なぜ、と問おうとして、しかし口から出たのは別の言葉だった。

 

「……なぜ、そこまでしてくださるのですか」

 

 憲兵は無表情のまま答えた。

 

「貴殿は貴族としては無能だった。だが、市井の者としてなら話は別だ」

 

「どういう、意味でしょう」

 

「貴殿の気質は国王陛下の目に留まっていた。陰口を叩かず、派閥争いに加わらず、誰に対しても穏やかに接する。その誠実さは貴族社会では何の役にも立たなかったが、商売においては信用を築く礎となる」

 

 アルミナは息を呑んだ。

 

「ナーロウ王国の一国民として生きる道もあるが、どうされる? 断っても良い。その場合は我らはここを去るだけだ。貴殿は貴殿で生きる道を探すと良い」

 

 選択肢があるわけもない。

 

「……働かせて、ください」とアルミナは深く頭を下げた。

 

 翌日、アルミナは憲兵に連れられて王都の商業地区に向かう。案内されたのは小さな店舗である。そこでアルミナは働き始めた。まずは商品の名前を覚え、そしてそれらの正しい取り扱いを覚え──。

 

 この辺は彼女の生来の利発さが功を奏し、店主も働きに満足をして彼女にどんどん新しい仕事を覚えさせていった。

 

 最終的にはなんと店の帳簿を任せるまでに出世し、ついにはひょんな事から知り合った客の一人と結ばれて、最終的には三人の子を産んで幸せに暮らし、老衰して孫に囲まれて死んだ。

 

(了)

 


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