ようこそ暴力至上主義の教室へ 作:EXTERMINATION
綾小路清隆に負けた日から、宝泉和臣の中で何かが完全に折れていた。
それは骨でも、筋肉でも、拳でもない。
もっと奥にあるものだった。
喧嘩をすれば分かる。
殴れば分かる。
倒した方が上で、倒れた方が下。
そう信じていた宝泉の世界そのものが、
あの無表情の男の前で、音もなく崩れ落ちた。
綾小路は強かった。
強いなどという言葉では足りなかった。
八神は届かない相手だった。
高円寺は土俵にすら上がってくれない相手だった。
だが綾小路は、それらとはさらに違った。
あいつは、宝泉の暴力そのものを無意味にした。
まるで、嵐の前で拳を振り上げるようなものだった。
まるで、津波へ向かって怒鳴りつけるようなものだった。
まるで、山そのものを殴って倒そうとしているようなものだった。
自然の猛威の前で、人間がどれだけ力を込めても何も変えられないように、
宝泉和臣という一人の喧嘩屋は、
綾小路清隆という圧倒的な存在の前で、あまりにも無力だった。
それからの日々、宝泉はしばらく喧嘩をしなかった。
いや、できなかった。
拳を握っても熱が戻らない。
誰かに苛立っても、身体が前へ出ない。
怒りはある。
屈辱もある。
だが、その先に進むための火が点かない。
自分が強いと思っていた。
自分こそが暴力の世界で上へ行けると思っていた。
だが、真の強者の前では、自分はただの人間でしかなかった。
初めて、涙が流れそうになった。
もちろん宝泉は泣かなかった。
そんなことを認めるくらいなら、まだ地面を噛んでいた方がマシだった。
それでも胸の奥には、これまで感じたことのない空白が広がっていた。
半年。
もしかすると、それくらいの時間が必要だったのかもしれない。
実際にはもっと短かったのかもしれないし、もっと長かったのかもしれない。
だが宝泉にとっては、それほど長く感じる沈黙だった。
そしてある日。
宝泉はようやく立ち上がった。
いきなり八神や高円寺へ再戦を挑む気にはなれない。
ましてや、綾小路など論外だ。
なら、まずは誰でもいい。
適当な相手に勝つ。
勝って、もう一度自分の拳を思い出す。
自分がまだ戦える人間だと確認する。
そう考えた時点で、宝泉の中にあったかつての傲慢さが、
ほんの少しだけ戻った気がした。
放課後、宝泉は校舎の廊下で一人の男子生徒を見つけた。
見慣れない顔だった。
粗野な印象。
目つきも柔らかくはない。
だが、綾小路や高円寺のような異常な気配はない。
八神のような気持ち悪い静けさもない。
天沢のような遊び混じりの殺気もない。
相手としては、手頃だ。
宝泉はそう判断した。
「おい」
男子生徒が振り返る。
「オレに用か?」
「校舎裏に来い」
男子生徒は宝泉を見て、少しだけ首を傾げた。
「なんだ、喧嘩か?」
「分かってんなら話が早ぇ」
「いいぜ」
あっさりだった。
軽すぎる。
その態度が、宝泉の鼻についた。
校舎裏。
かつて何人も倒してきた場所。
そこに立つと、宝泉の胸の奥に、懐かしい感覚が少しだけ戻った。
ここからやり直す。
そう思った。
「名前は?」
宝泉が訊くと、男子生徒は面倒そうに頭をかいた。
「朝霧海斗」
そして、なぜか続けた。
「趣味は読書、特技はピッキング、声帯模写。好きな本のタイトルは――」
「訊いてねぇよ」
宝泉は顔をしかめた。
妙な奴だ。
だが、それでいい。
余裕ぶった態度も、気に食わない自己紹介も、全部まとめて拳で黙らせればいい。
「行くぞ」
宝泉は踏み込んだ。
最初から全力でいく。
未知数の相手に対して油断はしない。
感覚を戻すために現時点の渾身の一撃を叩き込む。
そう思って拳を振った瞬間――
――世界が終わった。
本当に、それだけだった。
何が起きたのか分からない。
避けられたのか。
打たれたのか。
投げられたのか。
そもそも自分は攻撃を仕掛けたのか。
その判断すらできないまま、宝泉の視界は地面と空を一瞬で行き来し、
気づけば全身から力が抜けていた。
痛い、という感覚すら遅れてきた。
いや、痛いというより、存在そのものを一度リセットされたような感覚だった。
コナゴナになったわけではない。
実際には、身体はまだそこにある。
だが宝泉の心は、完全に粉々だった。
喧嘩をした。
そう思う余地すらなかった。
拳を交えたという記憶もない。
駆け引きもない。
攻防もない。
開始と終了の間に、何も存在していない。
即落ち2コマ。
いや、2コマすら多い。
2コマ目で宝泉が構え、二コマ目ではすでに世界が終わっていた。
朝霧海斗は、ただそこに立っていた。
「終わりか?」
軽い声だった。
宝泉は答えられない。
答えるための魂が、どこかへ旅立っていた。
綾小路はターミネーターだった。
八神は精密機械だった。
高円寺は理不尽な神話だった。
だが、朝霧海斗は違う。
これはもう、人間の強さではない。
例えるなら――核兵器。
宝泉という一人の不良だけではなく、
その周囲の世界ごと、一瞬で更地に変えるような圧倒的な何か。
学校が、街が、自分が築いてきた暴力の価値観が、
すべて都市破壊兵器の光に飲まれて消えたような感覚。
その一瞬で、宝泉は明確な死を体感した。
もちろん本当に死んだわけではない。
だが、喧嘩屋としての宝泉和臣は、その瞬間に完全に成仏した。
「……」
宝泉は地面に倒れたまま、空を見た。
青かった。
とても青かった。
ああ。
空って、こんなに綺麗だったのか。
そう思った。
風が優しい。
草木の匂いがする。
太陽がいっぱい。
遠くで小鳥が鳴いている気がする。
世界は暴力だけでできているわけではなかった。
喧嘩?
なにそれ?
殴る?
怖い怖い。
僕は、これから花や小動物を愛する綺麗な宝泉和臣になるよ。
みんな仲良くしよう!
あはは。
うふふ。
そんな思考が頭の中を通り過ぎた時、
宝泉は自分でも分かるほど、何かが別方向に振り切れていた。
朝霧海斗はそんな宝泉を見下ろし、少しだけ呆れたように言った。
「喧嘩売る相手は選べよ」
その言葉に、宝泉は初めて心の底から思った。
はい。
本当にその通りです。
そしてその日を最後に、宝泉和臣は二度と喧嘩をしなかった。
廊下で肩がぶつかっても、穏やかに謝った。
後輩が生意気な態度を取っても、笑顔で見逃した。
お腹いたたたたな生徒がいたら、ハンカチで汗を拭いてあげた。
花壇の花が踏まれていれば、そっと土を直した。
小さな虫が廊下に迷い込んでいれば、紙に乗せて外へ逃がした。
暇だったので、えっちなゲームをした。
『暁の護衛』っていうんだけど――。
かつて暴力至上主義の教室を歩んだ男は、こうして静かに拳を下ろした。
宝泉和臣の喧嘩道は、綾小路清隆によって折られ、
朝霧海斗によって完全に宇宙の彼方へ吹き飛ばされた。
だが、ある意味では救済でもあった。
もう誰かを倒して自分を証明しなくていい。
もう強さの果てを追いかけなくていい。
なぜならこの世界には、追いかけたらいけない怪物がいると知ってしまったからだ。
宝泉和臣は空を見上げた。
今日も空は青い。
ツキちゃんちゅっちゅ。
花は綺麗だ。
チワワは可愛い。
ツキちゃんちゅっちゅ。
そして喧嘩は、もうしない。
絶対に。
完
■あとがき
「ようこそ暴力至上主義の教室へ」完結です。
僕がよう実で一番好きなキャラは宝泉なんです。
なので僕の小説では隙あらば彼を出したいと常に思って執筆を続けてます。
今回はそんな彼を主人公にして、ファンの関心が強い戦闘力ランキングを元に
最後は衣笠先生の作品である「暁の護衛」の海斗をゲストにして仕上げました。
主観ではありますが、綾小路は朝霧海斗には戦闘で勝てないと考えております。
綾小路は正攻法で戦闘のプロと戦っても圧勝できる経験と実績を積んでいますが
海斗の方はスラム街で生命を賭けた死闘を幼い頃から積み重ねており、
マンションの8階から飛び降りても無傷という化け物じみた身体能力も持ち、
海斗も自衛隊経験者を複数人相手にしても圧勝する描写があります。
加えて、人を殺すことを一切躊躇わないため綾小路<海斗であると結論付けました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。