プロローグ
走る。唯只管に。
走る走る走る。
体が重く、喉が詰まる。
呼吸がし辛く、横腹が痛い。
それでも───。
………声が聞こえる。
「あの子は何処に行ったんだ!?」
「………きっと辛かったのよ。両親だけならまだしも、自身を引き取ってくれた叔母さんまで………」
「………だからといって、葬式の最中に飛び出すなんて不謹慎だ。今のあの子の精神状態では何をしでかすか分からない。一刻も早く見つけ出そう。」
巫山戯るな………!婆ちゃんの遺産を…!あの人の物をお前らなんかに渡してたまるか…!
奴等にバレないように息を潜めて歩き続ける。
そうしているうちに………。
ふと目に入ったのは、古びた神社。
身を隠すには丁度いい。奴等が此処ら一帯から離れるまで社殿に隠れることにした。
そう思い足を踏み入れると………
突如として、意識が朦朧とし始めた。
バチが当たったのだろうか?
頭が回らず、視界が暗転し………
僕は意識を手放した。
「…………此処………は。」
「神隠しか何かか?………何方にせよ…好都合だ。」
「此処がどういった場所なのかも分からない。………だが、未知であるのなら。此処でならお前は………きっと、一からやり直せる。───お前───世界…その時は───これは───だから。」
「………何処だ? 此処…?」
学校からの帰り道、ふと目にとまった神社に立ち寄った僕は、気がつけば見知らぬ森にいた。
今まで家の周りは散々歩いてきたがこんな場所は見たことがない。
確か、お参りした時に眩しい光に包まれて…
「これは所謂、神隠し的な奴なのかな!?」
非日常的な出来事に僕はかなり興奮していた。
「凄いなぁ〜!婆ちゃんからよく言われてたけど御伽話か子供を怖がらせる為の嘘話だと思ってたから、まさか本当に起きちゃうなんて!………いや、待てよ。」
一旦、冷静に物事を捉えてみる。………周りは一面木だらけ草だらけだし、此処がどんな場所であるかも見当もつかない。………これはかなりまずい状況ではないのか?
一瞬、焦りと恐怖が芽生えたが………。
「まぁーいいや! 何とかなるでしょ!取り敢えず人を見つけてここがどこか聞いてみよう!」
婆ちゃんも言っていた。辛い時、苦しい時こそポジティブに受け止め、楽観的であるべきだって!
そう思います、歩みを進めようとした矢先、木陰から何かが出てきた。
………可笑しいな。これまでの出来事って夢だったのかも?
目の前にいる犬の様な生き物には目が四つ、口が横に大きく裂けていたのだから。
犬と目があった。瞬間、犬が飛び掛かってくる。
物思いに耽っていたものだから、判断が遅れた。
「………えっ?が、ああ。あ、あああああっああああああっ!!!!!?」
いきなり右肩に走った激痛と恐怖で僕は倒れ込み絶叫した
犬はそんなことなど気にもせず、口周りを舐め回していた。味を気に入ったのか、舌舐めずりを繰り返している。
あまりの恐怖に僕は逃げ出すことしかできなかった。
しかし、犬は恐るべき速度で僕の元へと駆け寄ってくる。全く振り切ることができなかった。
僕は涙目になりながらも右肩を抑えて必死に走った。
しかし、木の幹に躓き転んでしまい犬に追いつかれてしまう。
犬は僕に覆い被さり、先程噛み付いた右肩に再び噛み付く。
「ぎぃぁぁぁっ!!!?あがぁぁっっ!!!」
より深く肩を抉られ、凄まじい痛みに身体を捩らせる。
犬はそんな自分が滑稽で堪らないのか、舌先を傷口に押し付けて、楽しんでいる様子だった。
涙が止まらない。これは現実だって痛みと恐怖が訴えてくる。そして…僕は、多分死ぬ。
その時、覆い被さっていた犬の頭が飛んだ。
頭は何処かに転がっていき、力無く倒れ込んだ犬の身体の近くには頭の代わりとでも言うかのように陰陽玉の様な物が一つ。
ふと振り向くと、紅白の服を着た少女が佇んでいた。
??? 「君、大丈夫?」
「は、はっ…はぁっ、はぁっ………!う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
その時の自分は相当頓珍漢になっていたのか、その子に目もくれずにその場から逃げ出した。
仕方がないと思う。恐らく、一見人目を惹く程の美少女であるその子が、自身を殺そうとしていた化け物を一撃で仕留めたのだ。その女の子を人間だと信じる方が難しい。
走って、走って、只管に走り続けて………。
気がつけば、目の前には和風の一軒家があった。どう見ても人工物であるその建物に、僕は滑り込んだ。
???「………!珍しいな、客が来るなんて。
………!君、その肩の傷は───。」
「お…お願いします………助けて…ください。」
建物の中にいた大人の男の人に泣きついた。風貌は最悪だったろう。顔面は涙と鼻水と…身体からは嫌な汗と血と…全身びしょ濡れだったのだから。
「信じられないかも……しれませんが、犬のような化物に襲われて………。」
??? 「…そうだね。君のことを聞くのは後で。 一先ずはその肩の傷の手当をしよう。」
「………あ、ありがとう…ございます…。」
その人は僕の傷が出来る限り痛まないように丁寧に手当をしてくれた。
お陰で、少し心の整理がついた。
怖かった。………本っ当に…怖かった。
安堵したからか、止めどなく涙が溢れ出てくる。
男の人が優しく背中を擦ってくれた、なんて優しい人なんだろう。
霖之助 「改めて、初めまして。僕の名前は森近霖之助。君の名前は?」
そう言われて、ふと思う。頭が混乱しているのか、どうしても自身の苗字が思い出せないのだ。名前は鮮明なのだが。
「………虹星です。」
霖之助 「………虹星くんは服装からして人里の人間ではないね?君は外の世界から迷い込んでしまったのだろう?」
虹星 「………?人里…?外の世界…?ごめんなさい…頭が混乱していて………。此処は何処なんです?」
霖之助 「…あぁそうだね。まずはこの場所について伝えなければ。此処は幻想郷、人里離れた山奥に存在する辺境の地だ。此処は人間、そして妖怪や神が住んでいる。恐らく、君を襲ったのは妖怪だろう。」
虹星 「妖怪…!?神……!?そ、そんなの…信じられる訳…。」
内心信じてしまっていた。自分に容赦なく襲いかかった化物と、そんな化物をいとも容易く殺した少女。そんなものを見てしまっては、信じるしかないだろう。
霖之助 「………深く思慮する事はないよ、君は必ず元いた世界に帰してあげるから。………まぁ、君を帰してあげられるのは僕ではないのだけど。………この幻想郷には博麗大結界と呼ばれる外界とこの世界を隔てている結界が存在している。君は何らかの方法………まぁ恐らく、神隠しによって此処に迷い込んだんだろうが…結界を抜ける事は普通の人間には不可能な事象なんだ。
………君が外界に戻る為にはその結界を管理している博麗の巫女に頼まないといけない。まぁ、その巫女は割とフラットだからすぐに帰してくれるだろうけど…。」
霖之助さんがこちらを一目見た。
霖之助 「……うん。君には悪いが、今日は此処で寝泊まりをしてもらうよ。君もかなり疲弊している様だし、今から外に連れ出すのは危険だ。また後日、僕から博麗の巫女に頼み込んでおくから、君は今日はもう休みたまえ。」
虹星 「あっ…ありがとうございます…。何から何まで…。」
霖之助 「礼には及ばないよ。…あぁそうだ、飲み物を持ってくるから君は座っておくといい。暇なら、店の中を見てもらっても構わないよ。」
そう言って霖之助さんは建物の奥へと行ってしまった。
虹星 「…ここ店だったのかぁ。」
先程は周りを見る余裕が無かったからあまり見れてはいなかったけど、改めて周りを眺めてみると沢山の道具が所狭しと置かれていた。中には教科書で見た昔の道具まで。
虹星 「(…でも、辺りを見て回るのは気が引けるなぁ…。うぅ……右肩痛くて動きたくないし…物を壊したりしたら大変だから………?)な、何だろうこれ?」
…僕は自身に起きている異変を感じ取った。…何故か、何かに呼ばれている気がしてならないのだ。
虹星 「何だ…?何かが僕を呼んで…。」
僕は無造作に立ち上がり、店をすたすたと歩き出す。
導かれる様に歩き出した僕が辿り着いた先には、一本の刀が大事に置かれていた。
虹星 「この刀が僕を…?」
その刀を手に取ろうとして……………やめた。
虹星 「だ、駄目だ駄目!これは霖之助さんの物だろうし、無闇矢鱈に触っちゃいけない!よし、もう戻ろう!」
刀があった倉庫らしき場所から出ようとした矢先…
霖之助 「虹星くん?」
虹星 「わぁっ!?」
入口で霖之助さんと鉢合わせた。凄い吃驚した。
霖之助 「どうしたんだい?なんで倉庫に…。」
虹星 「あ、いや!別に何でもないんです!なんというか、その刀みたいなのに呼ばれた気がしたんですけど!き、気のせいですよねー!あはははは…。」
霖之助 「呼ばれた…?………まさか。
君、その刀を鞘から引き抜いてみなさい。」
虹星 「さ、鞘から引き抜く?わ、分かりました。」
痛む右肩で何とか刀を掴み、左手で刀を引き抜く。
途端、辺りに鳴り響いた轟音に驚いて尻餅をついてしまった。
虹星 「うひゃっ!?な、何!?何です!?」
窓の外を見てみると…天変地異でも起こってるみたいに辺りが激しい雷雨に見舞われていた。
霖之助 「…なんて事だ。つまり、この子が此処に迷い込んで来た事は運命…?この子ならもしかすると…いや、だが………。」
霖之助さんが一人静かに喋り込んだ後、難しい顔をしながらとある提案を持ち掛けてきた。
霖之助 「虹星くん…。君は…どうやらこの刀、天叢雲剣の所有者として認められたらしい。」
虹星 「あ、天叢雲剣?で、でもそれって確か…青銅の剣じゃ…?これはどこからどう見ても日本刀じゃないですか…?」
霖之助 「………僕もこの剣の所有者として認められた時、何故か日本刀の様に変形してしまったんだ。多分…使い易い様にする為かな…。僕では…恐らくこの刀の力を完全に引き出す事は不可能だ。だから、僕はこの刀を君に預けたいと考えた。」
虹星 「えぇっ!?でもそれって、僕の世界じゃ失われた三種の神器ですっごい有名なんですよ!?そんな貴重な物を僕なんかに…。」
霖之助 「それは別に構わないよ。僕が持っていても宝の持ち腐れだ。………だけど、この刀を受け取った以上はこの刀を最大限に使いこなして欲しい。だから君は…この刀を用いて、この幻想郷で闘いに臨む事になるという事だ。勿論、誰彼構わずというわけじゃなく正しい事の為に使ってもらいたい。………君は、妖怪に襲われただろう?だからこそよく分かっている筈だ。この幻想郷で正しい事の為に闘うという事は、人間だけでなく、妖怪、下手したら神とも闘わないといけないということ…常に命懸けだ。それを聞いても尚、刀をその手に取る覚悟が君にはあるかい?」
虹星 「……………。」
霖之助さんの話を聞いて、先程の光景が思い浮かぶ。
僕が闘う?あの化物と?
痛いし、怖い。僕があんなのに勝てる気がしない。
でも………。
中々答えを出せず、沈黙が続いた。
霖之助 「………まだ時間はある。直ぐに答えは出さなくても大丈夫だ。しっかり考えて、後悔の無い様にしてくれ。………一先ず、休憩する事にしよう。」
虹星 「………はい、分かりました。」
入り口付近に戻り、用意してもらった椅子に腰掛けると霖之助さんが水を渡してくれた。
恐怖と疲れと困惑と、紆余曲折ありカラッカラになっていた喉に水を流し込む。
虹星 「…水、ありがとうございます。」
霖之助 「うん。…ごめんね、君のような年端もいかない子にいきなり難題を押し付けてしまって。」
今まで飲んだ水の中で一番美味しかった。
そんなどうでもいい事を頭の隅に投げ込み、今一番決断すべきことに頭を回す。
命を賭ける。口に出すと簡単だが、それを実行するとなると恐ろしい程の覚悟と胆力が必要だ。
何も知らずにここに迷い込んでいたら、僕は躊躇わずにその刀を手に取っていたと思う。そして、直ぐに後悔していたとも…思う。
自分の命が大事なら断るべきなのだ。
断るべきなんだけど………。
??? 「あーもう最悪! いきなり土砂降りでびっしょびしょだわ!霖之助さん、タオル貸して頂戴!」
入口の戸が横に引かれ、入ってきたのは先程助けてくれた紅白の少女だった。
霖之助 「丁度良い所に来たね霊夢、お陰でそちらに出向く手間が省けたよ。」
霖之助さんが少女にタオルを渡していた。知り合いだったんだ…。
霊夢 「ありがと霖之助さん。それと君は…さっき妖怪に襲われてた子ね、無事で良かったわ。」
虹星 「あ、あの!ありがとうございました。それと…さっきは逃げ出してしまってごめんなさい…。」
霊夢 「気にしてないから大丈夫よ、私は博麗霊夢。妖怪退治が生業だから、それで怖がられるのはもう慣れっこなの。」
その言葉を聞いて僕は困惑した。
妖怪退治が生業?あんな化物と闘うことが?
目の前の少女は僕より少し身長が高いだけで年齢も一つか二つくらいしか変わらないと思う。
なのに…なのにこの少女は常に命を賭けて妖怪と闘っているという事だ。
虹星 「貴女は…貴女は怖くないんですか!?
あんな化物と闘って、死ぬかもしれないのに!?」
つい口走ってしまった。霊夢さんも驚いていた。
霊夢 「ど、どしたの藪から棒に………まぁ、そうね、昔は怖がってたかも。…でも、今はもう何処居るか分からない母さんに言われたの。貴女は代々受け継がれてきた博麗神社の巫女、幻想郷を維持する事も仕事だけど…何より、護れる力が貴女にはあるのだから護るべきって。私も他の子も一緒、怖い事は変わりない。でも私はそれに抗える力があるのだから、闘って退治しちゃえば怖くないでしょ?それにねぇ、慣れてくると命懸けも案外楽しいものなのよ。」
虹星 「護れる力があるのなら…護るべき…。」
怖い。今でも、この先も…きっと今日の事は、恐怖は忘れられる事はないと思う。
…でも、僕はその恐怖以上に…なってみたいと思ってしまった。
霊夢さんの様に平然と人を護れるような人間に。
霖之助さんの様に心身共に傷ついた子に優しくしてあげる様な人間に。
僕は二人に憧れた。…その憧れに近づきたいと思ってしまった。
虹星 「………霖之助さん。僕、その刀を受け取ります。僕も、僕にも何か力があるのなら、貴方の言う正しい事の為に使いたい。」
霖之助 「……覚悟は出来ているのかい?」
虹星 「………はい。」
霖之助 「………分かった、君に刀を…授けよう。」
霊夢 「え?何、何の話をしてるの?というか霖之助さん。この子、元の世界に送り返すんでしょ?幻想郷の物を渡しても記憶は消えちゃうと思うけど。」
虹星 「そ、それなんですけど実は………。」
中々言い出せなかった事を今、二人に話した。
霊夢・霖之助 「えぇ!?記憶がないぃ!?」
思い出せなかったのは苗字だけではなく………それどころか、名前と年齢、常識や自身が学生である事が分かっている事以外の全ての記憶が朧気なのだ。
どこに住んでいたのか、お婆ちゃん以外で家族が何人いたのかさえも思い出せない。お婆ちゃんの事も…実際曖昧だった。
霊夢 「記憶がないねぇ…。うーん…このまま帰すのは気が引けるし…かといって幻想郷に残すのも…。」
霖之助 「………なら霊夢、君がこの子に稽古をつけてくれないか?ある程度力をつければ、この幻想郷でも生きていけるだろう。寝泊まりは此処で構わないからさ、宜しく頼むよ。」
霊夢 「稽古!?私が!?嫌に決まってるじゃないの!それに、稽古つけてもこの子が強くなれるか分からないし、いくら霖之助さんの願いでも、それは聞いてあげられないわ。」
霖之助 「………稽古をつけてあげるのならこれまでのツケ、チャラにしても構わないよ。」
霊夢 「本当に!?う、う〜ん………う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん………………仕方ないわね!
君、名前は?」
虹星 「虹星です。苗字は…覚えてないです。」
霊夢 「虹星くん!ま、霖之助さんの頼みだし?この博麗の巫女である私が人肌脱いで、貴方に稽古をつけてあげるから、感謝しなさい!ま、今日はというかその肩の傷が治るまではお預けだけど。」
霖之助 「相変わらずだね君は………。」
霖之助さんは霊夢さんに呆れた様な顔をした後、僕に耳打ちをしてきた。
霖之助 「その刀、天叢雲剣はその名の通り天を取る…いや、それ以上の力を秘めているかもしれない剣だ。どうか…その刀を使いこなせる様になってくれ。
…それと、その刀の正体は誰にも明かしてないから、他の人の前では霧雨の剣と呼ぶ様にね。」
虹星 「は、はい!誠心誠意励みます!」
斯くして僕は、天叢雲剣の所有者となった。
何れ記憶を取り戻せば、僕は元の世界に戻るのだろうか。………それは分からない。
それに、これから先何が起こるのか見当もつかない。
それでも…僕はこの幻想郷で生きていく。
憧れてしまった人達に少しでも近づく為に。
適当すぎて笑う