コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「虹星、部屋入っても良い?」
「………フランか、どうぞ。」
音も無くドアが開き、フランと………何故か両手を隠したレミリアさんが部屋へと入ってきた。
「御機嫌よう虹星。………調子はどう?身体の具合は何処か悪くないの?」
レミリアさんから心配そうな声をかけて頂いた。
この数日間で何とか会話をする位にはお互い慣れる事が出来ていた。
………僕は……いや、きっとレミリアさんも目を見て話す事はまだ出来てはいないのだが。
「………ふふ、このクマの事です?だい…じょうぶですよ。何の問題も無いです。」
僕は目を瞑り、にっこりと微笑んだ。
「………そう?本当にそうなの?………あまりに辛そうだから…。無理しちゃ駄目だからね、虹星。」
………寝ていない事はきっとバレているのだろう。
これ以上詮索されないよう急いで会話を変えた。
「……………そうだ、レミリアさん。どうして両手を隠しているんです?」
聞いた途端、レミリアさんは少し頰を赤らめた。
「………んっ!?え、えっとね…これは………。」
「これねぇ。お姉様がねぇ、きっと疲れてるのかなって林檎を虹星に食べさせてあげようって、その林檎をくし形に切ろうとした結果よ。今までこんな事した事ないから指を切っちゃって、本当誰かさんの為になると熱心になるよねぇ〜。」
フランがニヤニヤしながらそう言うと、レミリアさんの顔はさらに赤くなっていった。
「うっ、煩いわよフラン!と言うか、指を切ったのは言わない約束だったでしょう!?」
レミリアさんがあたふたしてる。
正直…………それを可愛いと思っている自分がいる。
………現実でも、こんな感じなら……………
そうしてニコニコしていた時。
レミリアさんの持つナイフが目に入った。
「……………!?………はぁ…はぁ……!」
途端、全身から力が抜けた。
身体が痺れ、震えが止まらず、息がしづらい。
全身から血の気が引き、上手く喋れない。
異変を感じ取ったのか、レミリアさんがこちらに近づいて来た。
「ど、どうしたの虹星…?顔が真っ青になってるわ。やっぱり体調が優れないんじゃないの…?」
レミリアさんがナイフを後ろ手で片腕に渡し、不意に手を此方に伸ばしてくる。
その姿が………
現実のレミリアさんと重なった。
「………!?う、うわぁぁぁぁっっ!!!」
その恐怖のあまり、レミリアさんの手を
僕は…僕は強く弾き返してしまった。
レミリアさんはその反動で………
ナイフと、僕の為に切り分けてくれた林檎を皿毎地面に落としてしまった。
皿の砕ける音がした。
僕の中で………何かが壊れた音みたいだった。
「……………虹……星………?」
またレミリアさんが手を伸ばしてきた。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
「や、やめてくださいぃぃっっ!!!」
「……………え?」
その言葉に、きっとレミリアさんとフランは唖然としていたと思う。
そんな事知らないと言うばかりに、僕の口から言葉が漏れ出てきた。
「お願いしますっっ………夢の中でまで…僕に酷い事をしないでぇっ!!!もう…痛いのはやだ………。痛いの苦しいのも辛いのも嫌だぁっ!!!やめて……刺さないで殴らないで喰べないでぇっ!!!」
あまりの恐怖に大粒の涙を流して、必死に頭を下げ続けた。
「………え………え?な、何を……言って……?」
「………っ…!しっかりしなさい虹星っ!!!」
フランが僕の両肩を掴み、目を見てはっきりとした口調で話しかけて来た。
「………え…?あ………あ、ああ
ご、ごめんなさい………僕は、僕………はっ…!」
居ても立っても居られずに僕は部屋を飛び出してしまった。呆然としたレミリアさんと焦った顔のフランを置いて。
完治していない身体に鞭打ち走って走って走り続けて………屋上に辿り着いた。
「………はぁっ…はぁっ……!ぐ…うう………。」
身体の傷が痛み、飛び降り防止のフェンスに背中を預けて座り込んだ。無理して走った自分が馬鹿らしい。
「………くそっ…!何を馬鹿な事言ってるんだ僕は………!此処が…現実で………あっちが夢なんだ…!なのに、それなのに僕は………悪夢なんかの為に二人をいたずらに傷つけて………。」
どんよりとした空模様はまるで今の自分の心の中みたい。
………その時、閉めていた屋上のドアが開いた。
「………私の言った事、漸く理解出来たようね。」
パチュリーさんはこうなる事を初めから知っていた様な口振りで、僕の横に立ち…此方を一切見ずに只管景色を見続けていた。
「………パ、パチュリーさん…!おね、がいします………!今は一人にしてください………!」
血の気が引く思いながらも僕は彼女を睨みつける…
それでも、彼女は視線を動かそうとしなかった。
「………レミィが貴方にした事、貴方はそれを赦したのでしょう。………けれど、貴方の心はそれを赦せていない様ね。」
「………止めて下さいっ…!良いから一人に…!」
「貴方はレミィに殺されかけた、故にレミィを恐れるのは仕方のない事よ。」
その言葉を聞いて、思わず目頭が熱くなる。
「……………っ…。僕は、最低です…!レミリアさんは、僕なんかの為に………傷を癒す為に部屋を用意して、僕が退屈しないように話し相手になってくれて、顔色の悪い僕の為に手を怪我してまで林檎を剥いてくれて………親身に接してくれるのに僕は、彼女を心の底で恐れてしまっていたんです…!」
気付けば、自分の本心を吐き出すと同時に目からはぽろぽろと涙が溢れてしまっていた。
「………例え治癒魔法でも、貴方の心の傷までは治せないわ。………だから、悪い事は言わない。貴方はこの館と、レミィとの関わりを断ち切るべきよ。フランや私達は貴方に会いに行けば済む話だし、陽に当たるのは好きではないけれど………少なくとも傷が完全に癒えるまでは貴方の家に通ってあげる……貴方にとっても悪い話ではないでしょう?」
「………僕は、僕は………。」
「………それが嫌だというのなら、貴方がどうにかするしかないわ。………今日は天候も優れないわね。雨が降る前に一先ず、貴方も医務室に戻りなさい。」
パチュリーさんはそう言うと、そそくさと図書館へと戻って行ってしまった。
それとほぼ同時に、雨がぽつぽつと降り始め………ほんの僅かの内に土砂降りとなった。
雨に打たれて、思わず蹲った。
「………くそっ…!くそっ!!!レミリアさんと折角仲良くなれたのに、優しくしてくれるのに…!何でそれを恐れてしまうんだよ…!僕は…僕は………!」
僕は一体どうすれば─────。
一方、パチュリーは屋上の扉を通り抜け………扉の後ろにいた少女に話しかけた。
「………話は聞いていたようね。」
「………ねぇパチェ、私………私、どうすれば良いの?彼と………虹星ともう会ってはいけないの?」
少女は後ろで手を組んで、目からは涙を溢していた。
「彼がもうこの館に、貴女に会わないという選択肢を取るとするのなら……それを拒む事は出来ないわ。
そうでなくても……今の彼は貴女を恐れてる。どうしても彼を手放したくないなら………彼の恐怖心を根絶させるしかない。そして、それは不可能に近い。
………とだけ伝えておくわ。」
「………分かってるわ。私がどれだけ彼に優しくしたって………過去は、彼にした事は消えて無くなったりしないって理解してるもの…。」
「………今はそっとしておきましょう。あんたも部屋に戻って、自分の出来る事を模索すべきよ。」
「……………ええ。 虹星、私は…。」
「……………。」
どれ程雨に打たれていたのだろうか。
夏ではあるものの、流石にこのままでは体調を崩しかねない。
「………部屋に戻ろう。」
さっさんにこれ以上迷惑をかける訳にはいかないし…
足取り重く、トボトボと屋上の扉を通る。
自分はどうすれば良いのかと物思いに耽け、階段を降りようとした時だった。
「……………っ!?しまっ─────」
雨に濡れていたせいか、連日の睡眠不足が祟ったのか、はたまたその両方によるものなのか………。
階段を踏み外した。
僕は、階段を転がり落ちて行った。
「ぐ………う………っ…!?あぐっ……ゴホッゴホッ!!………はぁ、はぁ………。」
全身に激痛が走る。口から血を吐き出し、額からは血が溢れ、残った左腕は紫色に変色していた。
「………ほんっとう…馬鹿だ…。……ぐぅっ!?」
特に痛みの強い腹部に触れると…血がべっとりとガウンと手を濡らしていた。塞がりかけた傷が転げ落ちた反動でまたかっ開いたらしい、本当愚劣極まりない。
「げほっ………はぁ、かえ、らなきゃ。医務室に、もどらなきゃ。」
口から額から腕から腹部から………全身からぽたぽたと紅い液体を滴らせ、何とか医務室へと足を進め…。
そのままベットへと倒れ込んだ。
全身から流れる血でシーツは真っ赤に染まり、苦痛のあまりシーツに噛み付くと、そこからも真っ赤なシミが広がっていった。
また、さっさんに迷惑をかけてしまったなぁ。
「………は………あ、ぐぅ………。あ………。」
視界が霞み、頭が真っ白になり、意識が遠のく中で………僕は何故か虚空に手を伸ばしていた。
まるで、誰かに手を握って欲しいと言わんばかりに。
本当馬鹿馬鹿しい。
血で塗れた僕の手なんか、誰も握ってくれる筈無いのに。
「……………?」
不意に、誰かが僕の手を掴んだ。
一体、誰が………?
「……………?レミ…ア……さ………?」
そこに居たのは………レミリアさんだった。
血で塗れた汚い僕の手を、レミリアさんはしっかりと両手で包み込んでくれていた。
「………もう少しの辛抱だからね虹星。今、フランにパチェを呼ばせに行かせたから。」
レミリアさんは僕に向かって笑顔を向けた………けれど、その両手からは大きく震えているのを感じ取れた。
「本当、タイミングが悪いわよね。咲夜は丁度買い出しに行ってしまって。大丈夫よ虹星………貴方はこんな所で死んじゃったりしないから。」
どうして………?
僕は貴方に沢山酷い事をした、なのに…。
「仮に死んじゃったりしたら、虹星に吸血鬼の呪いをかけちゃうから…!ふふふ……。」
「……………何で…?」
疑問に思った事が、そのまま口に出てしまった。
「………そんなの決まってるじゃない、貴方が大切だからよ虹星。」
「……………え…?」
「私ね………ずっと怖かった。私が貴方にどれだけ優しくしても…私が貴方にした事は変わらないもの。
けれど………貴方は私を赦してくれた、私を受け入れてくれた。紅魔館を………私とフランと、皆を救ってくれた。」
レミリアさんと、僕の両目が漸く合った。
その綺麗で大きな瞳から、大粒の涙が溢れていた。
「だから、私決めたの…。貴方が心を許してくれるなら、私を側に置いてくれるなら………私、いつだって貴方の隣にいて、こうして貴方の手を掴んであげるからっ…!」
レミリアさんは涙に溢れた顔で、にっこりと微笑みかけてくれた。
……………ああ、そうか。
レミリアさんだって、怖かったんだ。
僕の中の………悪夢が、レミリアさんへの恐怖が…塵となって散っていくのを感じた。
「………有り難う…御座います………レミリア…さ……………」
意識が遠のいていく中で、ふと見えたレミリアさんの顔がとても綺麗で、愛おしく感じた。