ようこそ死んだはずの俺が行く教室へ 作:ホムンクルス至上主義者
暑い!暑い!暑い!
なんだ35℃って、なんだ湿度72%って。人が生きていられる環境じゃないだろう。温度は23℃、湿度は50%ずっとこれで良いだろ。なあ、お前もそう思うだろう。今さっき買ったばかり、およそ3円の価値を持つ外套に身を包んでいる砂糖やらミルクやらチョコやらとにかく色々まぶした冷菓に問いかける。
コンビニエンスストアのアイスコーナーの大半には大掛かりな冷凍ケースが置かれているが、おおよそ-18℃〜-25℃に設定されているらしい。現在地との寒暖差は低く見積もっても53℃。これがもし人の身ならば今頃自律神経が暴れ散らかし激しい
代謝が良すぎるのも考えものだ。黒のインナーを脱ぎ去り、時折、手を扇子代わりに仰ぎ、制汗シートで身体に浮き出る粒上の汗を拭いながら後悔する。暑さに滅入っていた打開策として冷菓を買ってきたは良いものその道中で暑さの制裁を受けるとは。本末転倒、地球温暖化許すマジ。冷房を20℃に設定し扇風機の設定はもちろん最大の強。現代科学の賜物を存分に用い、許さないと決めたはずの地球温暖化を促進しながら。結局人間誰しも自分のことしか考えてないのだ。
「結局これも溶けかけだし…」
汗の後処理を終えた俺はカーペットを下に、うつ伏せの姿勢で足を折りたたんだり伸ばしたりを繰り返しながら今日の戦果を貪る。期待していたシャキシャキとした音は一切鳴ることはなくモサモサとモサモサと爽快なのか鬱屈なのかよくわからない音が部屋に木霊する。俺は夏に負けた、この冷菓が1番の証拠だ。別に悔しくなんかない。
「あ、こっちも負けた」
視線を右に移しカーペットの上に置いたiPadの画面を見る。左手で変わらずアイスをモサモサと啄み、片手間にチェスをプレイしていたのだ。最新技術の恩恵を受けながら嗜好品を楽しみ、チェスに勤しむ。さながら現代の王族のようだ。まあ両方とも負けてるから良くても辺境貴族だろう。
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夏休み。季節でいえば一番好きな春と二番目に好ましい秋との間にぽっかりと空いた穴。暑さは大の苦手だから非常にありがたいものだ。以前まではその長期休暇を良く言えば散り積もった疲労を吹き飛ばすために、公平を期せばだらだらと過ごしていた。しかし一度は社会人を経験した身。一般的な中坊が抱く夏休みへの敬意と俺が抱くものとでは訳が違う。俺は2か月近くある貴重な夏を、誰もが最初の数日は夢見る活用法が如く非常に有用に過ごしていた。なんてことはまるでなく、これまた退廃的に過ごしていた。一日一日をかみしめながら。
基本的に夏休みも部活動は行われ、俺もそれには積極的に参加している。週に何度か睡眠を妨げるアラームに怯えずに済む全休を唯一の心の拠り所として。
しかしその全休なるモノを狙いすましたかのように襲い掛かる不届者がいた。
「栄一郎君、今日はプールにでも行きませんか?」
だとか
「栄一郎君、今日は虫取りにでも行きましょう」
や
「栄一郎君、今日は図書館で勉強です。気分転換ですね」
と言った具合に必ずと言っていいほど枕詞を忘れずに、あれよあれよと俺を惰眠から連れ出してしまうのだ。彼女は平静を装っているが、さらさら断られるなんてありえない、と明らかな自信が滲んでいる。遊びの誘い自体は嬉しいには嬉しいのだが回を重ねるごとに俺の拒否権が無くなっているようで気が気でない。まあ拒否権があろうとも、わざわざ家まで来て誘ってくれる幼馴染をそのままに立ち去るのも気が引ける。 ごめん七瀬、正直面倒くさい。今日は休ませてくれ。 という本音は心の奥底に押し殺し、行こう!と大げさに答える。
それにしても一点不思議なことがある。俺は部活動に追われているが為、夏休み全てが言葉そのままに休みというわけでは無い。部活動において1ヶ月前には、杜撰な顧問であろうと遅くとも数週間前には1ヶ月分の練習日、オフ、対外試合など日にちごとの予定をまとめたカレンダー擬きが配られるのは周知の事実だ。俺の2ヶ月はその紙2枚に全て委ねられていると言っても過言では無いのだが、俺はそれを門外不出としている。理由は態々渡すような人もいなければ必要性も感じないから。
だのに七瀬は針の穴を通すかのようにここ!ここ!とオフの日に我が家に押しかけインターフォンをぽちぽちと押していくのだ。もしかすると俺がいない日も健気に呼び鈴を押しに来ているかもしれないし、狙いすましたように俺がいる時のみかもしれない。前者なら諦めない執念が怖いし、後者ならなんで俺がいる日を知っているのか怖い。
にしてもわざわざ家まで来ずともメールで良いじゃないかと一度聞いてみたものの、『それじゃあ栄一郎は逃げるでしょう?』と言われ、たしかにと我ながら納得してしまった。
そんなやり取りも両手じゃ数えられないくられなくなった夏の真っ只中。珍しく早く帰宅し、いつも通り2人分の食事の準備を済ませいざ食事を始めん、いただきますとつぶやいた父が問いかける。配膳を済ませ既に席についていた俺も父と合わせるように手を併せる。
「栄一郎…チェスに興味はあるかい?」
「…チェス?やったことないな~。将棋と麻雀ならそこそこ出来るけどチェスはまったく」
前世からその二つに馴染みはあったがチェスは専門外だ。難しそうなうえ、チェスなんて紳士の所業は俗世の体現たる俺には似合わないと思う。
「将棋、麻雀?珍しいね。いったいいつ覚えてきたんだい?」
「学校で一時期流行ってたんだ。友達が将棋盤と駒を持ってきて一局やろうってさ。将棋に大ハマりしたからなし崩し的に麻雀もって感じ。もちろん何も賭けてない。神に誓って言える」
「ははは、中学二年生で将棋と麻雀なんて随分オヤジ臭い友人だね。大切にするんだよ栄一郎」
そらそうだ。友人に誘われただとか学校ではやってるなんて全くの嘘で合算40代のおじさんが急造で考えた完全なでっち上げだ。だから父さん、その感想はあながち間違っていない。心の中で父さんに拍手する。
「にしてもルールはどこで覚えたんだい?かなり複雑じゃないか将棋や麻雀は。私も昔は覚えるのにかなり苦労したよ」
微笑を浮かべながら深い意味もなく単純な疑問として父さんは言葉を俺に投げかける。うん俺も苦労した。すごく気持ちがわかる
「友達に教えてもらったり、図書室で麻雀の本を読んだりして何とか」
「へー、今の中学校は麻雀の本なんて蔵書しているんだね。確かに最近子供のころの習い事で麻雀が人気と聞いたしすごい時代になったものだね」
ただのたわいもない会話なのに大層なリアクションをする父。これが聞き上手ってやつかと感心する。
ちなみに将棋は小さい頃譲り受けた将棋盤と駒一式を持て余すのはなんだかなと思い、幾度か使用した。それ以降何度か局を交えることはあったが最終的にタンスの奥深くに今も多くの埃と共に眠っているだろう。安らかに。麻雀に関しては大学時代の一過性ブームだった。共に講義を受けていた友人が大学近くに一人暮らししており、これまた都合の良いことに牌はもちろん全自動卓までも自前で揃えていたのだ。都市の一角に構えるマンションの一室がさながら雀荘もとい
「あ、そういえば父さん。急にチェスの話なんてしてどうしたの」
「ああそうだったね。最近私の職場でチェスが流行っていてね。前から嗜んではいたから実力にはそこそこ自信があったんだけれどね…どうも負け続きで。それでもう一度改めて基本からやり直そうかなと思ったわけだよ。私一人でやっても良いんだけれど栄一郎と一緒なら楽しく続けられると思ったんだ。それに栄一郎、チェスなんていつ使うんだと思っているかもしれないけど意外と求められる時はあるんだよ?やって損は無いし一緒にどうだい栄一郎」
さらっと流しているが意外だった。父さんでも苦手なものがあるのか。母が亡くなり父1人で俺を育て上げることになっても弱音ひとつ聞いたことがない。少なくとも俺の見える範囲では。朝早くから夜遅くまで働き詰めながらも朝昼晩の準備や掃除洗濯など家事も問題ひとつなくこなしている。泣いたり怒ったり負の感情を見せることなくいつも優しい笑顔で見守ってくれている。14年間同じ屋根の下で暮らしてきた第二の父が、側から見れば完璧人間に見えていた今世の父でも、出来ないことがあるのかと。チェスで負けたごときで大袈裟だと思うだろうがそれくらい俺からすれば完全無欠に見えるのだ。
そんな驚きはひとまず、チェスには興味がある。だってあのチェスだぞ。渋々のイケオジ達がシャツにネクタイ、スラックス。最後にシックなジャケットを羽織って顎に手を当て、ああだこうだと頭を悩ませる紳士の競技だ。格好いい。うん、格好いい。非常に憧れる。やろう。
そんなこんなで食育の後にお待ちかねの知育が始まった。
とは言うが最初だからそれほど難しいことはなく、ポーンは1点、ビショップとナイトは3点、ルークは5点でクイーンが9点であったり、ポーンは通常真っ直ぐにしか動けないが攻撃の時だけ斜め前1マスに進めるであったり初歩の初歩から進んでいった。
中でも個人的にお気に入りなのはアンパッサンだ。フランス語で''通過中に取る''という意味で、まさに相手が通り過ぎようとした瞬間を仕留める技である。ようはそれぞれのポーンは最初のみ前に2マス移動できるのだが、通過した1マス目つまり移動したとポーンの残像への攻撃も判定を認めると言うことだ。元来ポーンは1マスしか移動できなかったのだが中世においてゲームのスピードアップを目的に2マス移動が導入された。しかし2マス移動が導入されれば、本来必ず相手ポーンの攻撃範囲内に入らざるを得ないものを飛び越えることができてしまう。そんな訳で生まれたのがアンパッサンってわけだ。まさに帳尻合わせの鏡。ご都合主義の産物。案外中世の貴族やインテリ層も俗っぽいんだなと思いを馳せる。
ちょっとした詰め込み教育が終わっていざ父と一局指すことになった。久方ぶりの家族団欒がまさかチェスになろうとは数時間前の俺なら考えもしなかっただろう。
にしても父さん……いつの間にボードなんて買っていたんだ。
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結局飽きもせず10局ほど指してしまった。時刻は子三つ時。短針が12の数を跨いだところだ。俺は明日、いや今日は柔道の方で午前練習。父はいつも通り朝から仕事ということでいつの間にかそれぞれの部屋に解散していた。
気になる結果はといえば、栄一郎のチート頭脳で完全勝利、なんてことはまるでなく0勝2分8敗と完全敗北だ。しかも全局において主導権を握れる先手を譲ってもらいながらだ。チェスにおいて『白は勝ちを狙い、黒は引き分けを狙う』のが鉄則とされている。実際調査によると先手の勝率は55%前後、引き分けは30%前後、後手の勝率は15%前後だ。その事実が父さんの異質さをより際立たせているだろう。
父は『栄一郎、やるじゃないか』『かなりセンスがあるよ』だなんて言葉を折々に挟みながら遠慮なしに駒を進めていた。聞けば職場では完膚なきまでに叩き潰されたようだ。俺は初心者だが流石に父がかなりの上級者であること、手練れであることは身に染みて感じている。そんな父を完膚なきまでに叩き潰した、とはいったいその職場はどんな魔境なのだろう。
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それ以降まるで火がついたようにチェスにのめり込んでいった。暇さえあれば父に対局を申し込み、父も拒むことなく受けてくれた。
「栄一郎、本当にチェスが好きなんだね。だけど私がいない時はどうしてるんだい?」
俺が大事に大事に守っていたビショップを攻撃しながら言う
「専門誌読んだり…あとは脳内チェスしてみたり?」
どうやら俺のキングに攻撃が通るようでしょうがなく真ん中に押し出す
「脳内で?それはすごいね。だけど1人じゃやれることに限界はないかい?」
粘っこく俺のキングに粘着してくる
「まあそうだね。父さんとしか戦ったことがないから自分がどのくらいの実力かいまいち分からない」
粘着してくるせいでまたもキングしか動かせない。裸の王様だ。
「それならオンラインチェスなんてどうだい?最近人気が出てんみたいだし世界中の人と手軽に戦えるみたいだよ?」
あ、チェックメイト
「…オンラインチェスねぇ、おもしろそう」
少し間が空いたあと盤面をリセットする、紙に✖︎の一筆を加える。
「ブラウザでもアプリでも出来るらしいからやってみれば良いよ。栄一郎なら敵なしかもしれないよ?」
両手で駒を並び替えながらこっちに微笑みかけてくる。
こんなこと言っているが未だに父相手の勝率は10回やって1回は勝てる、2回勝てれば御の字程度だ。これもまた先手を譲ってもらいながら。
そんな訳で俺も遂にオンラインチェスデビューだ。ブラウザは使いずらいのでアプリ一択。調べたところたくさん種類があったのでアイコンが格好良いものを選んだ。さしもの俺でもスマートフォンのホーム画面に初心者!チェス!対戦!やらが太文字で並んでいるのはいただけない。
どうやら対戦の前にユーザー名なるものの設定が必要とのことなので打ち込む。Eiichiroでも良いけれどインターネットに自分の本名を晒すというのもなんだか怖い。ということでユーザー名は若干濁したEhichiに決定した。いざ対戦へ行かん!
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「こいつ強いし、指してて面白いんだけどしつこいんだよな…」
『あの手は何ですか?本当にセンスがないですね。何の意図も感じられないまさに愚の一手。あなたにチェスは難しすぎるのでは?潔くやめるのをお勧めしますよ。』
ほら来たよ…
『何回か勝ったからって調子に乗った結果が28連敗なんて哀れですね。』
また来た、どんだけ必死なんだよ。ご丁寧に末尾には。なんてつけちゃって。
こいつは俺がオンラインチェス初めてたてのころからやけに粘着してくるプレイヤーだ。生活習慣が似通っているのか、俺が学校や部活から帰ってアプリを開くと大体いる。そして俺がいると分かるや否や爆速で対戦リクエストを送り付けてくるのだ。特別断る理由がないというのもあるが描く上と何度も戦える機会は貴重だ。そういう打算もあり俺は快くリクエストを受けている。その甲斐あってか俺の実力はみるみる高くなり勝率やレートもうなぎ上りだ。だというのにそれと比べるとこいつ、プレイヤー名Arisuとの対戦勝率は伸び悩んでいる。じわじわと詰めているのだが先が見えない。どんだけ強いんだこいつ。俺なんかより強い棋士はたくさんいるだろうに何故か俺に粘着を続けている。そもそも粘着を初めたであろう要因がしょうもなさすぎる。
初めてこいつと指したときは引き分けた。引き分けたと言っても俺が先手なうえに最後に残った駒はキングに加えてポーン2個と散々なありさまだった。実質負けたようなものだ。俺は満足して次の対戦相手を探そうと思ったのだが、こいつは勝ちきれないと満足できない質らしい。行きつく合間もあけずに連戦ボタンを押しながらとチャット機能を用いて逃げないでくださいねとほざいてきやがった。子供だなぁなんて思いながらも点滅している黄色い連戦ボタンをタップし二戦目を迎えた。
このアプリなんとも便利なことで公平な戦いを期すために連戦機能を用いると先手後手が自動的に入れ替わるのだ。そんなわけで後手で迎えた第二局はなんと運もありぎりぎりの引き分けに持ち込めた。後手の引き分けは勝利にふさわしい。大金星だ。それが許せなかったのだろうまた同じ文言とともに連戦ボタンの点滅が俺をせかしてきた。
第三局、大敗。手も足も出ず。2回の引き分けと大敗、3連局もするのなら勝ちたい。俺の負けず嫌いの性質が作用したのか無意識に連戦ボタンに指が延びていた。
続くこと8連戦、最初の二局の面影はなく無様にも6連敗。
ここにきて俺は作戦を変えた。このまま一戦一戦を戦えば必ずこいつに勝つことは出来ないだろう。だから最後に勝てばそいつが勝者だ、と視座そのものを変えることにしたのだ。
俺はe4やらd5やらベーシックなオープニングを愚直に繰り返し先手後手どちらも黒星をわざと引き寄せた。ぼこぼこにやられても構わずに続けた。
負けるたびにチャットでは 『もう一回だけ!』『こんな強い人は見たことがない!』『先手で引き分けたくせに笑』 のようにヨイショーと煽てつつ挑発も交え、良い塩梅で俺との対局にArisuが興味を失わないよう努力した。
次第にArisuは興味をなくしたのか機械的に駒を進めた。俺は同じ駒を同じところに同じタイミングで配置するという作業を何十局も連続で繰り返した。普段の対局なら相手の数手先を読むことは実力者であろうとも苦労する。
興味をなくしたヤツはただ何十回も同じ駒を同じように進める機械に考える価値を見出せなかったのだろう。普段ならカバーする盤面も無視して数手先に自然と空くキングへの道筋上に駒を進め、あとは自陣内でコンマ病0.1秒もかけず適当に動きまわるだけだった。自分がとんでもない弱点をさらしているとは気づかずに。いや、気づいてはいるが壊れた機械がわざわざここに指すことはありえないと考えていたのだろう。
考えてみてほしい。ゴールは定位置、そこまでの最短距離がすでに判明しており自分に何らリスクはない。そんな状況でわざわざ遠回りをするバカがいるだろうか。いやいない。加えて3桁にも迫る対局を通してヤツの本質をある程度見抜いていた。圧倒的なまでの合理性の塊に加虐性を少々ブレンドした人間。そんな奴がなおさら遠回りなんてするか?どんな実力者、強者でも必ず油断を見せるときがある。ヤツはこの最たる例だ。博物館にでも飾ってやりたいくらいに。
盤から離れたがるヤツを引き留めて4戦目。相変わらず隙を見せたまま機械に影響され機械的に駒を進める。すっかり沼に片足どころか両足、いや頭まで沈み切ったと言っても過言ではない。
画面に映し出される煌びやかなWINの文字。普段の勝利と比べて段違いの快感。それもそのはずLoseの文字を見てはや91回。通算成績1勝2分91敗。対戦履歴を見れば91回の絶え間ないLoseの文字だろう。その一つ一つが今や努力の結晶のようで愛おしい。
久方ぶりにあふれるドーパミンに脳が満たされる
空白の時間が生まれる
途端に点滅する連戦ボタンとぐんぐんと右上の数を増やすチャット機能の通知
『こんな勝ち方は再現性の欠片もありません』
『あなたはチェスという競技を冒涜しています』
『弱者なりに考えた結果生まれたのがこんな愚策』
『そもそも私はあなたに90回近く勝っていますよ』
『もしかして1回勝った程度で己惚れているんですか』
『本当に時間の無駄でした。付き合ったことに後悔します』
『凡人は大変ですね。小細工をしないと張り合えないんですし』
言い訳とも強がりともとれる言葉がポンポンと投下されていく。よくもまあこんなにも言葉が出てくるもんだ。往生際が悪い。俺は自然と口角が上がる。
そうだ、こういうのは変にこちらから答えてやるとヤツの思うつぼだ。既読無視、これが最善の一手。
この間にも『なぜ答えないのですか』『負けるのが怖いのでしょう?』『既読つけてますよね!?早く答えてください‼』『沈黙は負けと同義ですよ‼』だなんて送り付けられているが無視だ無視。
落ち着いた頃にこのチャットを見返したら恥ずかしくて身悶えしちゃうんだろうな、だなんて未来のヤツを想像し、こみ上げるニヤニヤを抑えながら左下の退出ボタンを押す。
後日、突如としてアプリに追加されたフレンド機能とクラン機能のせいでヤツに付き纏われることをこの時の俺は知らない。
にしても片側の申請だけでフレンド成立っておかしいでしょう運営さん……