スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
口を手でふさいで、肩口からナイフをさしこむ。
すると、ちょうどナイフの先が心臓をつらぬき、絶命させる。
どれほど鍛えた大男であろうと、一瞬で崩れ落ちる一撃。
暗黒街のギャングが好む、速く、静かな殺し。
もう息のない青年を、そばの茂みにひきずりこむ。
そうして、一人の青年を手にかけたのは、ほかならぬアスクレイだった。
ハクイムシに食われたふりをして三人のそばに潜んでいた、アスクレイである。
「ん? おい、あいつがいないぞ」
「勝手に鉱石でも掘ってるんだろう。まったく、一言かけてくればよいものを」
一人、姿がなくなったことにようやく気づいたらしい。
青年たちは踵をかえし、きた道を歩んでいく。
あと二人。
いまだ暖かい死肉の横で、息を潜める。
貴族と違って、アスクレイに誇りはない。
殺されかけたことに、怒ってもいない。
痛めつけてやるとか、思い知らせてやるとか、後悔させてやるとか。
そんな情と、アスクレイはもっとも遠いところにいた。
こちらを殺そうとしてきたから、そちらを殺す。
アスクレイの頭にあるのは、脅威の芽は摘まなければならないという論理だけ。
冷たく、まるで機械のように、残りの二人をどう殺すかの手順を組み上げる。
「帰ってウイスキーでも楽しみたかったものだがな」
「あいつが名札を手にしているからな、先に帰るわけにもいかん」
ふたつの人影が、目と鼻の先にきた時。
アスクレイは、まるで風のように飛びこんでいった。
「っ、なっ! ……ガヒュッ」
一人目の首をナイフで薙ぐ。
血しぶきを上げながら沈みゆく青年。
背をむけていたもう一人の男にアスクレイは背後からナイフをつきたてようとして。
「……カッ!」
飛び退った。
アスクレイの鼻先に、魔術。
宙に、複雑に絡まった黒い紋様の幕が降りていた。
これこそが、ヒトの魔術。
竜の息吹を学び、盗み、ヒトの技におとしめた、できそこないの魔術である。
◆◆◆◆◆
「貴様、売女の子が、まるでドブネズミのようにしぶとくっ……!」
たった一人生き残ったその青年は、肩で荒く息をしていた。
その指先が、黒く染められている。
肉が、壊死しているのだ。
魔術は、そもそも人が手にしてよい力ではない。
竜のみに許された、神の業だ。
ゆえに、それを人が操ろうとすれば、祟りが興る。
古より、優れた魔術師は短命であった。
そうでなくとも、豊かなはずの魔術師の寿命は下町の労働者とそう違わない。
魔術の鍛錬のかなりが、そもそもこの祟りを鎮めるためなのである。
「っ、くそ! 痛い、痛いぞ、この暗黒街の乞食風情がぁっ!」
紋様の幕が、霞となり、風に流されていく。
油断していた青年はいきなり魔術を働かせるため、手順を飛ばしてしまったのだ。
魔術の祟りが血肉をむしばみ、激痛を走らせているのだろう。
だが、それでも青年は生き長らえた。
凶刃から、一命をとりとめたのだ。
「暗黒街のガキがっ、よりにもよって名誉ある貴族家の三男たるわたしにっ!」
まるで薬でも飲んだかのように、狂ったように笑う。
「我が一族の蛆の魔術、乞食は知らんだろう、生きながら虫に食われるのだ!」
その狂気の瞳が、激情で輝く。
「楽に死ねんぞぉ、命あることを後悔するぞぉ、ヒヒヒヒ、ひ、ヒ……?」
しかし、言葉が続けられることはなかった。
敵の奥の手。
それをむざむざ放たせる馬鹿は、すくなくとも暗黒街にはいない。
青年の目が、ゆっくりと胸もとに下がっていく。
まるでタールのようにドロリとした黒い腕が、青年をつらぬいていた。
◆◆◆◆◆
「……な、ぜ、売女の子が、魔術など」
それは、竜の魔術ではなかった。
ヒトの、魔術だった。
先ほどの青年の魔術とくらべものにならない、初等の術。
アスクレイの、人の魔術の腕はいまだ未熟である。
祟りで指どころか腕そのものが黒くなっていた。
だが、そんな拙い術でも油断をつくことはできる。
はるかな昔から、魔術はほとんどが貴族や資産家の生まれに独占されてきた。
魔術は魔術師の先達のみしか教えることができない、極めて閉じた技術。
その点で、貴族たる青年がアスクレイを軽んじるのもわからなくはない。
だが、スカベンジャーになったアスクレイには金があったのだ。
この世は、金さえあればかなりの願いは叶う。
大金を積めば、誰だろうと魔術を教える者もいる。
ヒトの魔術は、たとえ竜の息吹よりはるかに小さくとも、たしかな力だ。
暗黒街でも、そしてスカベンジャーになったとしても、力がなければ生き残れない。
アスクレイが、ヒトの魔術を手に入れようとしないはずがなかった。
「嘘、だ、そんな訳が……」
ゴトン、と生首が落ちる。
アスクレイは、静かにナイフについた血をぬぐった。
◆◆◆◆◆
遠くで、バキ、ポキ、バキ、と骨の砕ける音がする。
アスクレイが竜の舌に運びこんだ三人を、カンオケカタツムリが食らっていく。
あと数分もすれば、この地にはなんの跡も残されない。
カンオケカタツムリの奥にしまいこまれて、みな栄養とされてしまうだろう。
アスクレイは、冷たい瞳のままナイフを放り入れた。
鋼の刃すらも、カンオケカタツムリは貪っていく。
これで、凶器もなくなる。
三人とも、貴族の生まれだ。
アスクレイと違って、かたき討ちをしようとする家族がいてもおかしくない。
そうなれば、アスクレイは終わりである。
ただの暗黒街のみなし子が、貴族を敵にして王国で生きられるはずがない。
だから、こうして手間をかけて殺人の証拠をなくすのだ。
竜の息吹でもってまとめて殺してしまわなかったのも、そのためである。
なにかの手違いでそのことが知られれば、どうなるか。
考えたくもない。
それだけのために、ハクイムシに食われたふりまでして三人の油断を誘ったのだ。
ほんのわずかの疑いすらも、アスクレイは残したくなかった。
三人は、カンオケカタツムリに食われた。
それが、唯一の正しい記録として残らなければならなかった。
静かに、黙りこくってカンオケカタツムリの捕食をみつめる。
その時だった。
パキリ、と乾いた音が鳴った。
木の枝を踏み折った音だ。
アスクレイは、静かに腰の新たなナイフに手をのばす。
果たして、木々の奥からひとつの人影が姿を現した。
「……」
その姿を目にして、アスクレイの瞳がどんどんと冷たくなっていく。
「こんにちは。今日もよい狩猟日和ですわね」
しとしとと小雨の降り続ける森。
美しいレースの黒いドレスに、小さな黒の日傘。
目と鼻の先で人が食われているというのに、眉ひとつ震わせない。
それは、あまりにも異常な光景。
竜の舌に、一人の貴族の令嬢がいた。