スラムの子、コツコツ金稼ぎ   作:雨雲ばいう

13 / 17
13 家族ごっこ

「ア、アスクレイ、め、飯にしよう」

 

毛むくじゃらの大きな腕に抱きよせられる。

 

目を下にやると、いつもよりもずっと小さな己の手。

 

顔を上げると、毛深くて、しかしとても優しそうに笑う大男の顔。

 

気づく。

 

これは、かつての記憶だ。

 

目を閉じている時だけ、目にすることのできる在りし日。

 

母が殺された五才の時、ほんの一瞬だけ知ることのできた温もり。

 

たった六月だけの、家族ごっこだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

雨の夜。

 

頭のおかしな客に母を殺されて、二日後のこと。

 

五才のアスクレイは、一人だった。

 

水たまりをさけながら、あてもなく夜の暗黒街を歩く。

 

母が殺されたというのに、アスクレイはちっとも悲しくはなかった。

 

ずっと暴力をふるわれ、すでに情という情は枯れている。

 

警官も娼婦の殺人などどうでもいいのか、亡骸に一目くれたきり。

 

犯人は捕まったかどうかも知らない。

 

だが、そんなことはどうでもよかった。

 

五才のアスクレイの頭を占めていたのは、ただひとつ。

 

飯と、家。

 

母が亡くなって、借金とりや娼婦たちがハゲタカのように金目のものに集ってきた。

 

アスクレイは家を追われ、残されたのはわずかなボロ布だけ。

 

これで、生きていかなかればならない。

 

一人ぼっち、誰も頼れない、そのはずだった。

 

「ア、ア、アスクレイ!」

 

バシャバシャと泥水がはねあがる。

 

走ってきたのは、ジョンドッグ。

 

母の客のひとりだった。

 

アスクレイはジョンドッグのことをよく知っていた。

 

なにしろ、実に馬鹿な男だったからだ。

 

母と初めて会ったのは、とある荒れたパブでのこと。

 

娼婦と知らず、母の誘い文句を信じこんでしまった。

 

愛してる、だの。運命の人、だの。

 

紙きれよりも軽い言葉。

 

それだけで、娼婦に入れこんでしまった男こそが、ジョンドッグだった。

 

不幸は続く。

 

ちょうどその時にアスクレイが産まれた。

 

母はここぞとばかりに、ジョンドッグの子だとうそぶいた。

 

ほんとうは誰の子かもわからないのに。

 

だが、ジョンドッグは信じた。

 

信じて、しまったのだ。

 

それからは母に言われるがままに金を稼ぎ、貢ぐ日々。

 

アスクレイの養育費という名目のそれは、母のアルコールとなった。

 

アスクレイは、みんな知っていた。

 

みんな知っていて、黙っていた。

 

教えたとして、どうなるというのか。

 

ジョンドッグは優しかったが、救いようのないほど馬鹿だった。

 

「お、お、おっ母さんはどうしたんだ」

 

「殺されました」

 

淡々と、アスクレイは語った。

 

なにを勘違いしたのか、ジョンドッグは泣きながら抱きしめてきた。

 

「辛かったなあ、おとうがそばにいれなくて、ごめんなあ……」

 

アスクレイは、ほとほと呆れ果ててしまった。

 

まだ、己が父親なんて嘘を信じているのか。

 

そうして、アスクレイはジョンドッグにひきとられた。

 

「オ、オレの子どもだ、オレが育てなきゃ、オレが食わせなきゃなんねえ」

 

どこか嬉しそうに語るジョンドッグ。

 

アスクレイは、ひたすら黙りこんでいた。

 

食わせてくれるのなら、文句などなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

それからの暮らしはわびしいものだった。

 

ジョンドッグの家は川岸に建てられたあばら家。

 

雨が降れば水滴が滴り落ち、嵐となれば風が吹き荒ぶ、そんな家だった。

 

食べものだって、そう違いはない。

 

売れ残りのパンに、しなびた豆のスープ。

 

肉など目にしたこともない。

 

唯一の楽しみといえば、日曜の夜に口にする、魚のフライだけ。

 

もちろん、アスクレイも働いた。

 

煤はらいと言って、家のえんとつに潜りこみ、きれいにする稼業だ。

 

背丈の小さな子どものうちにしかできない労働で、もちろん危ない。

 

足をすべらせて落ちる子どもが絶えなかった。

 

運が良ければ足の骨を折るのですむが、ほとんどは命を落とす。

 

ジョンドッグは気に入らないようだったが、どうしようもない。

 

炉に鉱石を入れるだけの、単純労働。

 

それだけで己と子ども一人を養えるほど、暗黒街は優しくなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

ゆらゆらゆれる、鯨油ランプの灯り。

 

このランプに火を灯すのは、日曜の夕食だけということになっていた。

 

金がなくて、クジラの油ですら手に入らないから。

 

「す、すまねえな。せっかくオレが育てるって言ったのに、こんな貧乏でよ」

 

か細い灯りに照らされ、ジョンドッグの巨躯が申し訳なさそうに縮こまる。

 

アスクレイは、手につかんだカレイのフライを食いちぎった。

 

売れ残りしか手に入らなかったのだろう、湿っていて、濡れた新聞紙のようだ。

 

ジョンドッグは、そんなアスクレイに恐る恐る目をやる。

 

「……謝らなくて、いいです」

 

アスクレイは、怒ってなどいなかった。

 

とどのつまり、これが暗黒街で生まれた人々の運命なのだ。

 

一日先すらわからない、深い闇を走って。

 

不運に足をすくわれた者から、命を落としていく。

 

馬鹿なジョンドッグが、どうにかできる話ではなかった。

 

むしろ、アスクレイは心地いいとすら思っていた。

 

母のもとで暮らしていた時は、ずっと脅えていた。

 

いつその拳がふるわれるか、常に気をつけなければならなかった。

 

母はアスクレイのことを愛していなかった。

 

憂さ晴らしのおもちゃとしか、考えていなかっただろう。

 

「今のほうが、幸せですから」

 

これから先のことはわからない。

 

馬鹿で、言葉も下手で、稼ぎもよくない。

 

だが、それでもジョンドッグはアスクレイを気にかけてくれていた。

 

「お、おお、オレは幸せもんだ、こんなエエ息子をもって、オレは……」

 

ジョンドッグが安いジンをグイッと飲み干す。

 

「いつか、すんげえレストランにつれてやってやる、いい店を知ってんだ」

 

またその話か。

 

アスクレイはげんなりする。

 

酔うたびにジョンドッグの口にする、レストランとやらのたわ言だ。

 

先週も、そうやって酔いつぶれてしまったというのに。

 

アスクレイは呆れた顔をしていると、やはりというべきか。

 

しばらくして小さな寝息が聞こえてきた。

 

ため息をついて、アスクレイは毛布を手にとる。

 

そして、ゆっくりとジョンドッグの肩にかけた。

 

「……おやすみなさい」

 

そう言い残し、そっとランプの灯りを落とした。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

それから三日後。

 

その晩、ジョンドッグがあばら家に帰ってくることはなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。