スラムの子、コツコツ金稼ぎ   作:雨雲ばいう

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14 初めての人殺し

「ジョンドッグという人は、ここにいますか」

 

「ん? ジョンドッグ?」

 

アスクレイの問いかけに、メガネをかけた医師が首を傾げる。

 

あくびをしながら、ペラペラと書類をめくっていった。

 

「なるほど、昨晩運びこまれてきた男か。会いにきたのかい」

 

アスクレイが黙って頷くと、医師は重い腰を上げる。

 

「よし、ではいこうか」

 

アスクレイが訪れたのは救貧院。

 

国が作った、かたちばかりの貧者のための家だ。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

虚ろな瞳の人々が、ベッドの上でうめく。

 

手足をみな失った男、欠けた目を探し続ける女、ひたすらに頭をかきむしる老人。

 

病室のはしでは、命を失ったのだろう病人たちが薪のように積まれていた。

 

「まったく、にぎやかで困るよ」

 

医師がにこやかに笑う。

 

「……」

 

その地獄絵図の奥、ひときわ闇の深い一室。

 

包帯でグルグル巻きにされた、男が一人。

 

「これがジョンドッグのはずだ。顔は……、目にしないほうがいいだろうね」

 

血のにじむ包帯をつつきながら、医師が顔をしかめる。

 

ジョンドッグは、足をすべらせて炉に落ちたそうだ。

 

ほかの労働者たちがひき上げた時には肌はただれ、もう人の顔ではなかった。

 

「生きてるのが不思議なぐらいだよ。いつ息絶えてもおかしくない」

 

ヒュー、ヒューと包帯のうちから息がこぼれている。

 

そのたび、ほんのかすかに胸が上下していた。

 

「で、君はこのジョンドッグとやらの家族なんだろう」

 

「……」

 

アスクレイは沈黙した。

 

それを目にして、医師はため息をつく。

 

「まあ、とにかくこの人をひきとってくれないかな」

 

数日生き長らえるかもわからない重病人。

 

そのために、ただでさえ数のない病床を浪費するためにはいかない。

 

それこそ、暗黒街にはジョンドッグのような男は山ほどいるのだから。

 

「あんまりこういうことは言いたくないんだけどさ」

 

医師が、ゆっくりとメガネを手にとる。

 

どんよりとした、光のない瞳がアスクレイをみつめた。

 

「救うに足る命を救うのが、わたしの職務なんだ」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

ジョンドッグの勤め先からは、はした金が渡されたきりだった。

 

恐らく、この金で黙れというつもりなのだろう。

 

それでも、ほとんどの労働者の勤め先よりはるかに情がある。

 

金をくれるだけ、マシなのだ。

 

暗黒街の人々の命は、紙きれよりも軽かった。

 

「アアア……、アアアア……」

 

ガタガタ、ガタガタ。

 

ベッドの上でうめくジョンドッグに、麦粥を飲ませる。

 

パタタ、とこぼれる粥を、布でぬぐいとった。

 

炉に落ちてから十日経つというのに、ジョンドッグはまだ生きている。

 

そして、アスクレイが世話をしていた。

 

どうしてか、と問われても困ってしまうだろう。

 

アスクレイも、なぜ己がジョンドッグを生かしているか訳がわからないからだ。

 

どこかの道ばたに残してきてしまえばいい。

 

そうすれば、すぐに息絶える。

 

ほかの暗黒街の亡骸と一緒に、ジョンドッグも焼かれて煤となるだろう。

 

「オオオ……、ウウウ……」

 

「……」

 

アスクレイの頬は、こけている。

 

アスクレイ一人の稼ぎで、二人を養えるはずがないからだ。

 

己のぶんまで、アスクレイはジョンドッグにあたえていた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

どんどんと暮らしはひどくなっていった。

 

パンどころか、もうくさったジャガイモぐらいしか買えない。

 

心ばかりの貯金はあっというまになくなった。

 

質に入れていって、もうあばら家には食器ひとつ残っていない。

 

「イイイ……、ウウウ……」

 

「……」

 

アスクレイは、小さく笑う。

 

あばらのういた肌。

 

枯れ木のような腕。

 

もう、終わりだった。

 

テーブルの上のカビたパン、それで金がつきた。

 

このままいけば、数日後には二人の息はないだろう。

 

だが、アスクレイにはどうでもよかった。

 

この、ジョンドッグという男のそばで死ぬのなら、それでもよかった。

 

「アアアウゥ! アアアウゥ!」

 

「……ぁ」

 

ジョンドッグが、うめく。

 

ご飯をあげなければ、とアスクレイはよろめきながら起き上がった。

 

おぼつかない足どりで机に歩いていく。

 

最後のパンを、手にとったその時だった。

 

「アアアアアッ!」

 

「っ」

 

いきなり飛びかかってきたジョンドッグにのしかかられる。

 

グジュグジュとした膿があちこちに散った。

 

「アアア、アアア!」

 

「……ジョン、ドッグ、さん」

 

かつて、アスクレイの頭をなでてくれた腕がその首をしめていく。

 

優しかった大きな手。

 

暖かかった大きな手。

 

それが、アスクレイを殺そうと首をしめていく。

 

アスクレイは瞳を震わせて、そして。

 

ジョンドッグの目がどこにあるか、気がついた。

 

床に転がったカビたパン。

 

娼婦が己の息子だとうそぶいた子どものことなど、もう頭にない。

 

今のジョンドッグの目に入るのは、それだけ。

 

たかがパンひとつ。

 

人を殺す理由として、まったく問題なかった。

 

「ウウウ、ウウウ!」

 

唾が顔にかかる。

 

考えるよりも先、アスクレイの手がなにかをつかんだ。

 

「あ」

 

そんな気のぬけた言葉とともに、ヒュッと風の音がする。

 

「ガフッ、ガヒュッ、ガッ……」

 

血が、アスクレイの顔に滴り落ちた。

 

首を斬られたジョンドッグが、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 

血に濡れたナイフを握りしめて、アスクレイはぼうっと床に転がった。

 

初めての家族。

 

初めての人殺し。

 

いつのまにか手にしていたパンを、ゆっくりと口に運んでいく。

 

つまりは、アスクレイも、ジョンドッグも。

 

どうしようもないほど、人だったのだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「……」

 

小さな墓を、暗黒街のすみに作った。

 

アスクレイだけが知る、小さな墓。

 

アスクレイにとってジョンドッグはたった一人の家族だった。

 

血がつながっているか疑わしくとも、家族だったのだ。

 

ジョンドッグは心からアスクレイを愛してくれた。

 

そのことを、今でもアスクレイは疑っていない。

 

ただ、情よりも命をつなぐ欲求が勝っただけで。

 

そういうものだ、とアスクレイは知っていた。

 

ここは暗黒街、人の情など一銭にもなりはしない。

 

アスクレイも、ジョンドッグを愛していた。

 

恐らく、これからもずっと。

 

「……おやすみなさい」

 

そう言い残して、アスクレイは墓のもとを去った。

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