スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
舳先が、冷たい水の流れに逆らう。
アスクレイがパドルを操るたび、カヤックはゆっくりと川を上っていっていた。
静かだった。
鳥のさえずりさえ聞こえない。
まるで、この世にアスクレイ一人だけになってしまったようだった。
白い息で、アスクレイは川岸に目をやる。
ミルクのように濃い霧。
その霧に、竜の舌のうっそうとした森林が影を落とす。
巨竜の口からさしこむ日の光が、いくつもの光条となって輝いている。
きれいだった。
教養がないアスクレイでも、この美しさはわかった。
まるでおとぎ話に聞く血の乙女のようだ。
人を食らうことで永遠の美しさを手に入れようとした、おぞましき魔女。
竜の舌も、そうだ。
この地で命を落とした数えきれないほどのスカベンジャーたち。
その血を散々飲み干しておきながら、素知らぬ顔。
人を誘うように、美しくほほ笑みかけているのだ。
◆◆◆◆◆
「……」
夕暮れになるより先に、川岸にカヤックを上げる。
天幕を吊るし、薪を集め。
アスクレイは、テキパキと野営地を築いていく。
もちろん、枝葉で飾りつけ、野営地を風景に隠すことも忘れない。
夜に竜の舌を歩くのは、馬鹿のすることだ。
暗闇のうちでは、人よりも獣のほうがずっと目が効く。
だから、こうして息を潜めてやりすごすのが一番だった。
光が漏れぬよう、穴を掘って焚き火を起こす。
火にかけたケトルに、豆と塩漬けの肉を入れる。
そうして、おもむろにアスクレイは懐から地図を手にとった。
今日一日でどこまで川をさかのぼれたのか、印をつける。
「……やった」
ずいぶんと調子がいい。
アスクレイは小さく笑った。
この旅でアスクレイが目指すのは、竜の喉。
竜の舌とはくらべものにならないほど上質な鉱石が手に入る。
初めて訪れた時は目にするだけに終わった。
が、この旅ではがっぽりと稼がせてもらうつもりだった。
そのためにわざわざカヤックまで運んできたのだ。
これで、竜の舌をさっと飛ばして、一気に竜の喉にたどりつく。
熟練のスカベンジャーたちの常套手段。
それが、アスクレイのこの旅だった。
◆◆◆◆◆
カラカラ、と音が鳴った。
ぴくり、とアスクレイの手が震える。
風にゆられた草木の音ではない。
アスクレイのしかけの音だ。
獣か人か、野営地を訪れようとしている。
豆と塩漬け肉のスープの入ったケトルを脇によけ、ナイフを手にとる。
音もなく、アスクレイは天幕を後にした。
右目の布に指をかけながら、暗い木々にすべるように入りこむ。
そうして、息を潜めるアスクレイの目が、ひとつの人影をとらえた。
「っ、はぁ、はぁ」
荒い息。
おそらく若い男。
しきりに後ろに目をやっている。
……カラカラ。
またしかけが鳴ったところをみるに、後続あり。
獣に追われているということも考えられる。
「これは、もしかして野営地か……?」
舌打ちをする。
気づかれた。
そのままやりすごすのが一番楽だったが、もうそうはいかない。
人影に背後から忍びよる。
まだ一人しかいないうちに蹴りをつけたほうがよい。
「えっと、誰かいませっ」
口を手でふさぎ、足を蹴りつける。
崩れ落ちる人影にまたがり、その首もとにナイフをつきつけた。
腰につけた武器はきちんとアスクレイが膝でおさえている。
手足でもがいて暴れているが、もうこの人影は逆らえない。
その命は、アスクレイの手の上だ。
アスクレイは、冷たく問いかけた。
「……誰ですか、この野営地を訪れた理由も話してください」
「っ!」
驚いたように、人影が震える。
いきなり暴れなくなった人影に、アスクレイは首を傾げた。
暗がりでも輝くような金髪。
はて、どこかで目にしたような記憶があるような。
「まさか、こんなことがあるなんて」
人影の言葉に、ふと気づく。
枝葉や土にまみれているが、その姿がとあるスカベンジャーと重なった。
人影が、くしゃりと苦笑する。
「アスクレイ、久しぶりと言ったほうがいいかな」
「ユーヴェイン、いったいここでなにを」
その人影というのは、稼ぎで新人二位の座を守る一人の青年。
なにかとアスクレイを気にかけてきた、あのユーヴェインだった。
◆◆◆◆◆
けっして大きくはない天幕に、アスクレイとユーヴェイン。
さらに、顔も知らぬスカベンジャーが二人。
その姿を目にして、アスクレイはだいたいの経緯については察していた。
「オレが初めての竜の喉を目指してる時に、この二人と会ってさ」
「……」
アスクレイの知らないスカベンジャーは男と女が一人ずつ。
女は足に添え木。
男にいたっては、片腕をなくしている。
「ちょっと、放っておけなくてね」
「……なるほど」
ポリポリと頭をかくユーヴェイン。
アスクレイは、冷たい瞳を二人にむけた。
みな、ビクリと震えて縮こまる。
その瞳には、どこか恐怖の輝きがあった。
「えっと、二人に話しておくとこの子はアスクレイ。もしかして知ってたかな」
ユーヴェインの言葉に二人が小さく頷く。
恐らくは売女の子のうわさ話を知っているのだろう。
暗黒街育ちで、金のためには手段を問わないとか。
実は背後でギャングとつながっているとか。
根も葉もない、邪推。
「それでさ、アスクレイにお願いがあるんだけど」
「……なんですか」
まっすぐユーヴェインにみつめられ、頭のうちでガンガンと警鐘が鳴らされる。
「アスクレイにも、この二人を帰すのを手伝って欲しいんだ」
背後に隠したナイフを握る手に、力がこもる。
実にめんどうな話になった。
アスクレイは、胸のうちで盛大にため息をついた。