スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
ツチケラ、という虫がいる。
その名が語るように、ちんけな虫だ。
人の小指ほどもない小さな虫で、土に潜っては死肉や枯れ葉を食べている。
ほかの獣たちにとってみれば、単なる餌でしかない。
この竜の舌の生態系において、ツチケラはまさしく最下にあった。
だが、一年にたった一日だけ。
そのツチケラが、ありとあらゆるものを殺しつくす暴虐となる日がある。
それは、一年に一日だけの産卵の日。
土の下でまぐわったツチケラたちは、その日だけは隠れることもしない。
むしろ、命を求めて大地に飛び上がってくる。
狙いはただひとつ。
卵を、植えつけるのだ。
草木に、獣に、スカベンジャーに。
幼い我が子が卵から生まれ落ちた時、食うに困らないよう。
ツチケラは、目に入ったものはなんでも飛びかかり、卵を植えつけていく。
そこに、いっさいの情けはない。
人ならば、口に、耳に、目に、果ては臓器にまで。
もとの姿がわからなくなるほどに、卵を埋めこまれ、息絶える。
そうして、数日後に幼虫が産まれた時、一番初めに食われる死肉となるのだ。
その日、大地は霜が降りたように白くなる。
スカベンジャーたちは、ゆえに産卵のことをイノチの霜と名づけた。
無数の命が蠢く、竜の舌でもっとも恐ろしい厄災として。
◆◆◆◆◆
木々の幹に穴がうがたれ、どんどんと白い卵が植えつけられていく。
そのあまりの勢いに、いくつかの巨木がメキメキと音をたてて折れた。
荒れ狂う、虫けらたちの暴虐。
もちろん、それはカンオケカタツムリであっても逃しはしない。
殻に閉じこもったカンオケカタツムリに、ツチケラたちが群がっていく。
刃も、炎も、銃弾すらも傷のつけられない肌。
そこに、ツチケラたちの産卵管が絶えずぶつけられる。
わずかな傷をつけてつけて……。
その果てに、ついに城塞のごときカンオケカタツムリは陥落した。
ほんのわずかできた穴に、ツチケラたちが我先にと入りこんでいく。
温かい、未だ血の流れるその肉にそのまま卵を植えつけていく。
激痛が走り、カンオケカタツムリがもだえ苦しむ。
だが、ツチケラたちは気にもしない。
そうして生きながらに卵のための餌とされ。
カンオケカタツムリは、そのまま息絶えた。
◆◆◆◆◆
「……っ!」
ユーヴェインの額から、汗が流れ落ちる。
もちろん、ツチケラたちはユーヴェインの魔術にも集っていた。
アスクレイたち四人を守る、魔術の黒い幕。
その幕に、白いウジ虫、ツチケラたちが群がってくる。
そうして、独りでにパァン、と弾けていった。
ユーヴェインの、盾の魔術。
未だヒトの魔術の腕が拙いアスクレイからしても、それは優れていた。
それこそ、アスクレイの師であるハイトーレよりも。
恐らく、ユーヴェインはヒトの魔術の天才なのだろう。
だが、それでもツチクレたちの勢いはやまない。
弾けて血肉をまき散らしたツチクレを踏みつけ、さらに飛びかかってくる。
その重みに、ユーヴェインの魔術はたわみ、縮んでいた。
「っ、このっ、このっ!」
ユーヴェインが叫ぶ。
もう、長くは続かない。
そんなことなど、ユーヴェインが一番よく知っているだろう。
歯を食いしばって、肺の奥からの言葉を口にした。
「アスクレイ、二人を頼めるか」
「話を聞いてからでないと、なんとも」
「……ははっ、こんな時でも君はあいかわらずだな」
ユーヴェインが苦笑する。
アスクレイは黙りこんで、話の続きをうながした。
「オレは、ナイトハウス家に伝承される、とある魔術を学んでいる」
貴族のうちでも王国を守る武闘派として名の知られていたナイトハウス家。
その一族には、秘伝の魔術が語り継がれている。
未だ若いユーヴェインもまた、欠片ではあってもその魔術を知っていた。
「今のオレではその魔術を正しく働かすことはできない」
それどころか、すぐさま魔術の祟りで命を落とすだろう。
だが、それでもあたりのツチケラぐらいは道づれにできる。
つまり、ユーヴェインの言いたいことはこうだった。
「オレの命をかけて、道を作る。だから二人をつれて逃げてくれないか」
アスクレイは未だ黙ったまま。
そんなアスクレイに、ユーヴェインが悲痛に願う。
「頼む、一生の願いだ。わかってる、金貨ぐらいでは足りないことも、だが……」
ユーヴェインが言いきらないうち。
小さなため息が、あたりに響いた。
「アスクレイ、頼めるか……?」
どこか心細げに、ユーヴェインが問いかける。
アスクレイは、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに呟いた。
「お断りします」
◆◆◆◆◆
「オレはともかくとしてほかの三人が生きて帰れる道はこれだけだ、だから……」
「断る、と言ったはずです」
ユーヴェインの重ねての願いに、アスクレイはにべもない。
困ったような目が、アスクレイのもとに集まった。
だが、アスクレイとしては馬鹿なことを言っているのはユーヴェインだった。
「そもそも、一瞬イノチの霜を吹き飛ばせるからといって、なんなのですか」
「それは……」
ユーヴェインが、黙りこんだ。
未だ大地の下では数えきれないほどのツチケラが蠢いている。
いくらかを殺したとて、すぐさま群がって道は閉じられるだろう。
そうなっても、アスクレイ一人ならば手段を選ばず生き残るつもりではある。
だが、残り二人の命など守れるはずもない。
その時点で、ユーヴェインの論理は崩れていた。
「ですから、先ほどの話はお断りしますと言ったのです」
「っ! だが、今のところオレたちのとれる手はこれしかないじゃないか」
ユーヴェインが、口調を荒げる。
アスクレイは、静かに首をふった。
単純な話だ。
イノチの霜を絶えず吹き飛ばし、道を守り続ける。
そんなことは、ユーヴェインには命をかけたとて不可能だ。
しかし、アスクレイは違う。
「ユーヴェイン、術者がいなくとも盾の魔術はしばらく残り続ける、そうですね」
「ツチケラに壊されるまでは、な。だが、それがどうしたっていうんだ」
ユーヴェインが、眉をよせる。
アスクレイは、三人の一番後ろまで下がった。
「これから指図したら、三人は脇目もふらず、走り続けてください」
「アスクレイ……?」
右目の布に指をかける。
道は、アスクレイが作ればいい。
「なにがあっても背後に目をやらないでください。さもなくば殺します」
この竜の目のことを知られたなら、さすがに口封じをせざるをえない。
「そ、それは冗談ですか……?」
男が、恐る恐ると言った風に問いかけてくる。
アスクレイは、冷たく告げた。
「いいえ、まったく」
三人が、黙りこむ。
アスクレイは嘘をついていないということが、わかったようだった。
「それでは、いきます。三、二、一……」
右目に巻かれた布を、とる。
赤い、赤い、燃え盛る炎のような竜の瞳。
ズン、と大地が沈みこむ。
おぞましいほどの怖気が、三人の背をなでた。
「なっ、アスクレイ! これは……!」
「先ほどの話は、どうしましたか」
驚いて思わず背後に目をやろうとしたユーヴェイン。
だが、アスクレイの冷たい口調に、未遂に終わる。
そうして、ついに竜の息吹が、吹きこまれた。
飛び散る、赤い血。
あとかたもなく、姿をなくしたツチケラたち。
太古の神秘が、興されたその時。
イノチの霜に、ひとつの道が描かれた。
「さあ、走って」
アスクレイは、そう短く告げた。