スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
弾かれたように、三人が走る。
が、ただ一人、アスクレイだけは盾の魔術に残っている。
盾の魔術に守られていなければ、常に三人をツチケラから守ることはできない。
ゆえの、結論。
アスクレイは、逃げない。
魔術による黒い幕、それに群がるツチケラたち。
それでも、アスクレイはひたすら三人の背をみつめ続けていた。
竜の目で、その道を閉ざそうと集まってくるツチケラたちを殺していく。
喰らい、
噛みちぎり、
飲みこみ。
歯の跡が残った、食い残しのツチケラの亡骸がバラバラと落ちていく。
えぐられた肉から赤い血が飛び散り、三人の道を彩っていく。
食べて、
食べて、
食べて。
背筋に怖気が走り、脳みそがかき乱されるほどのえぐみが、口に響く。
目には針でもって糸を縫われているかのような激痛。
竜の息吹をつかいこみ、右目からタラリと血が流れていく。
それでも、アスクレイは眉ひとつ震わさなかった。
今、アスクレイが目をそらせばツチケラは三人にすぐさま群がり、殺すだろう。
金貨をもらった上は、それなりの働きはしなければならない。
まるで闇夜に輝く灯火のように、ゆらぐことがない。
アスクレイは、その竜の目を輝かせて三人の道を守っていた。
◆◆◆◆◆
永遠とも思える時を経て、三人はイノチの霜から逃れた。
ツチケラの白のない、深緑の木々の根に三人が転がりこむ。
それを目にして、アスクレイは竜の目を手でおさえた。
「……っ」
すさまじい熱だ。
手が火傷しそうなほど。
手のひらを伝って滴り落ちる血。
瞳に走る鈍痛に気を失いかけて、よろめき、たたらを踏む。
だが、これで金貨のぶんは働いただろう。
遠く、アスクレイの目の先ではようやく三人が起き上がろうとしていた。
嬉しそうに背後をふりむいたユーヴェインが、顔を白くする。
その目は、未だ盾の魔術のもとに残るアスクレイにあった。
まさか、今の今まで気づいていなかったのだろうか。
アスクレイだけは、後ろをついてきていないということを。
「……はあ」
そもそも、背後に目をやるなと言ったはずだというのに。
アスクレイは、深いため息をついた。
今は竜の目を手で隠しているからいいものの、そうでなければ殺している。
これまでのアスクレイの苦労が無駄骨に終わるところだった。
竜の息吹が去った今、ツチケラたちがどんどんと道を閉ざしていく。
どんどん、三人の姿がウジ虫に隠れていく。
ユーヴェインが、なにやら叫んでいた。
聞こえるはずもない。
それだけ三人は遠いところにいるのだから。
わなわなと唇を震わせたユーヴェインは、そのまま走ろうとしていた。
アスクレイにむかって。
実に馬鹿な男だ、と思う。
せっかくイノチの霜から逃れられたというのに、なにを考えているんだろう。
それにしても、これで気楽だ、とアスクレイは息をついた。
四人でいるよりも、一人ぼっちのほうがなにかとやりやすい。
竜の目を隠さずにすむし、足手まといの二人を守ることもない。
そして、なにより。
アスクレイは、一人のほうが好きだった。
イノチの霜に飛びこもうというユーヴェインを、二人がおさえこんでいる。
大地に転がり、絶望の顔でこちらに目をやるユーヴェイン。
その姿がすっかりみえなくなる一瞬。
アスクレイは、小さく笑った。
◆◆◆◆◆
アスクレイは今や、深い暗闇にあった。
アスクレイを守る盾の魔術、それをつつむように群がるツチケラ。
それが、日の光すらも隠してしまったのだ。
己の手すらもわからない、それほどまでの暗黒だった。
「……」
黙ったまま、ランプに火を灯す。
ぼうっと、火の光に照らされた白いツチケラたちが闇に描かれた。
ユーヴェインの残していった魔術の黒い幕。
そのむこうで、ひたすらに尻から産卵管をアスクレイにむけている。
その重みで、盾の魔術はきしみ、悲鳴を上げていた。
どんどんとたわんでいく黒い幕に、アスクレイは目を細める。
もう、ここも長くはない。
今、アスクレイはイノチの霜のうちにある。
ここから逃げなければ、卵を植えつけられて殺されるだけだった。
しかし、アスクレイは慌てない。
三人を逃がしたから、一人になったから。
むしろ、心が安らいでいた。
ようやく、日常に帰ってきた。
己の命は己で守る。
殺し、殺され。
信じるのは、頼るのは、己一人でいい。
◆◆◆◆◆
アスクレイは、懐から長い布を手にとった。
その上に、ウイスキーをダバダバと流していく。
アルコールが染みこんだのをみてから、それを己に巻きつけていった。
足先から頭頂まで。
ほんのわずかの隙もないよう、きっちりと締め上げていく。
盾の魔術は、もうギリギリだった。
ピシ、ピシとひびが入っている。
いくつかのツチケラの産卵管が、そのヒビに入りこんでいた。
ポタポタ、と白い卵が落ちていく。
それが頭にかかったというのに、アスクレイは素知らぬ顔だった。
すぐ頭上に、己を殺さんとする無数の命が蠢いているというのに。
その手は、わずかたりとも震えることはない。
まるで娼婦が客に会うためのドレスをまとうように。
ゆっくりと、正しく、ていねいに。
そうして、アスクレイは目もとのほかはすっかり布で肌を隠してしまった。
そうして、これが最後といわんばかりに。
ゆっくりと、頭から灯りのための油をかけていく。
アルコールと油に濡れ。
そうして、アスクレイは火の灯ったランプを手にとった。
魔術の黒い幕に入ったヒビが、どんどんと大きくなっていく。
ツチケラたちはそのたびに、より激しく産卵管をたたきつけた。
ギギギギ、と魔術が絶叫した。
ついに、一匹のツチケラがとどめの一撃を打ちこむ。
まるで、落としたガラス細工のように、その時は一瞬だった。
キラキラと、美しい欠片となって盾の魔術が砕け散る。
ようやく、とばかりにツチケラたちがアスクレイに群がっていく。
上から、右から、左から、下から。
その時、アスクレイは手にしていたランプの灯を、己にかけた。
ぶわり、と炎が巻きつけられた布に燃え盛っていく。
そうして火だるまになったアスクレイは。
そのまま、地を蹴ってイノチの霜につっこんでいった。