スラムの子、コツコツ金稼ぎ   作:雨雲ばいう

2 / 17
02 暗黒街

なんだ、とアスクレイは首を傾げた。

 

こんな音は聞いたことがない。

 

骨や磁器にしては音が軽い。

 

鉄の鍋にしては音が小さい。

 

アスクレイはピッチフォークを深々と沈め、下水からかき上げた。

 

ヘドロにまぎれて、キラキラと輝くもの。アスクレイはそれを手にとった。

 

小さなガラスビンだった。

 

縁は銀細工で飾られ、宝石が埋めこまれている。

 

そのビンのうちには、ドロリとしたなにかの血が入っていた。

 

ただの血ではない。

 

まるで生きているかのように蠢き、時に泡を吹いている。

 

ランプにかざすと、深紅に美しく輝いた。

 

「……」

 

紅い、その血をじっとみつめる。

 

アスクレイは、その光に魅入られた。

 

寒さに震え、ひもじさに苦しむ。そんなみじめな己とは違う。

 

それこそ永遠に、いつまでも輝いているのだろう。

 

そう思えるほどその血は深く、美しかった。

 

いつまでもアスクレイはビンをみつめていた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「……?」

 

ふと気がつくと、下水に夕焼けの光がさしこんでいた。

 

アスクレイは慌ててビンを懐の深くにしまいこみ、下水を後にする。

 

夜になると狂暴なドブネズミが現れて、ろくにガラクタ漁りもできないのだ。

 

地上に上がった時には、すでに天には白い月が現れていた。

 

もう夜になってしまったのだ。

 

いったいどれだけあのビンをみつめていたのだろうか。

 

アスクレイはゾッとした。

 

今日の稼ぎはない。

 

なにしろあの謎の血の輝きにずっと魅入られていたのだから。

 

「はぁ……」

 

深いため息をこぼす。

 

今日はパンにはありつけなさそうだ。

 

もちろん、今日唯一の戦果であるあのビンを手放せば話は違うだろう。

 

ポケットに手をつっこみ、冷たいガラスをなでる。

 

しかし、アスクレイはどうしてかこの血だけは手放したくなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

夜の街に人気はない。

 

細い路地を奥へ奥へと歩き、そのたびに道は暗く、荒れていく。

 

やがて、アスクレイは己の家、灯りひとつないスラムにたどりついた。

 

積み重なったレンガの家々の下に潜む細い路地。

 

そびえる街の栄華に隠されて日の光すらも失われた、深い闇の街。

 

道は下水で濡れ、ネズミやウジが蠢いている。

 

それがアスクレイの故郷、暗黒街。

 

栄華を極める王都、その奥深くに潜むスラム街だ。

 

この街に暮らすのは極貧にあえぐ労働者に売春婦。

 

犯罪が日常で、道に子どもの亡骸が転がる。

 

そんな、地獄だった。

 

「……」

 

人目につかないところを探す。

 

アスクレイには家がない。

 

だから、道ばたで布きれにくるまって夜をこらえるほかない。

 

石畳のくぼみに入りこんで、目を閉じようとしたその時だった。

 

路地の奥で、キラリとランプの灯りが輝いた。

 

「っ!」

 

アスクレイはすぐに飛び起きた。

 

人狩りだ。

 

夜に暗黒街を訪れては、人を捕まえて海軍や鉱山に売ってしまう者たち。

 

アスクレイのような、守ってくれる者のいないみなし子にとっては天敵だった。

 

海軍に売られれば、砲弾で頭を吹き飛ばされるまで船で火薬を運ばされる。

 

鉱山に売られれば、土ぼこりで肺をやられるまでトロッコをひかされる。

 

どちらにしろ、末路は死だ。

 

アスクレイはすぐに逃げた。

 

走る。

 

ただ、走る。

 

だが、後ろから聞こえてくる足音はどんどんと大きくなっていく。

 

ここ数日でカビたパンしか口にしていない結果が、ここにあった。

 

まだ子どもで、ろくに食べられていないアスクレイ。

 

人を追いかけることが稼業で、大の大人である人狩り。

 

どちらが足が速いかは、火をみるよりもあきらかだ。

 

人狩りのランプが巨大な影を路地に落とす。

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

焦る。

 

生きたい、まだ生きていたい。

 

アスクレイの頭にある思いは、それだけだった。

 

口に血の味がして、それでもアスクレイは走り続ける。

 

「いたぞ! あっちに逃げた!」

 

しかし、現実はそんなアスクレイを嘲笑う。

 

背後から人狩りが怒鳴るのが聞こえる。

 

いよいよアスクレイは追いつめられていた。

 

警官も、暗黒街のほかの大人も、誰も助けてはくれない。

 

「ふっ、ふっ」

 

恐怖で息を乱しながら、アスクレイは目についたあばら家に飛びこんだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

後ろ手で扉を閉じる。

 

一瞬の後、扉がドンとたたかれた。

 

人狩りたちに追いつかれたのだ。

 

「このボロ家に逃げこんだぞ!」

 

「とっとと蹴飛ばせばいいだろ、オンボロの木の扉なんだ!」

 

扉越しに、男たちの荒い息が聞こえてくる。

 

そして、すぐに扉が大きくきしんだ。

 

蹴りが入るたび、木くずが飛ぶ。

 

アスクレイは、はいつくばるようにしてあばら家の奥へと逃げていった。

 

奥の一室にひきこもって、アスクレイは震える。

 

あばら家にはひとつしか扉がないようだった。

 

つまり、アスクレイは袋のネズミだった。

 

「グズグズすんな、かわれ!」

 

扉から聞こえてくる音が大きくなるにつれ、アスクレイの震えも大きくなる。

 

人狩りに捕まれば、終わりだ。

 

散々働かされて、一年もしないうちに命を失う。

 

ただ生きたいだけなのに。

 

「よし! とっとと捕まえろ!」

 

ドン、と扉が吹き飛ぶ音がした。

 

人狩りたちがあばら家に雪崩れこんでくる。

 

もう、後がない。

 

アスクレイは、震える手で懐からガラスビンをとった。

 

そのうちで輝く血を、静かな瞳でみつめる。

 

この血には、不思議でどこか恐ろしい力があるに違いなかった。

 

もしアスクレイが助かる道があるのだとすれば。

 

ふたをとる。手に握ったビンを口もとまで運んで。

 

アスクレイは血を飲んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。