スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
パキリ、と乾いた血を踏みしめる。
そのあばら家は血で赤く染められていた。
飛び散った肉片は雑に片づけられたのか、カビて残っている。
アスクレイは、ゆっくりと一室に目をやった。
ここはアスクレイが初めて竜の息吹を手にいれたところ。
人狩りたちを殺した、いわくつきのあばら家だ。
◆◆◆◆◆
ライネルに、竜の息吹を探られている。
そう知ったその日から、アスクレイは己の跡を始末していた。
これまで、アスクレイの右目を目にした者はみな殺している。
竜の舌でその力を働かす時も、獣にしか知られないようにしてきた。
だが、だからといって油断するほどアスクレイは馬鹿ではない。
さしものライネルといえど、竜の舌には手をつけられない。
ライネルの入るギャング、オーグリー兄弟。
その上の者たちならば可能だろうが、ライネルはしょせんは手下だ。
だからこそ、気をつけなければならないのは暗黒街。
これまでの人生で、アスクレイは暗黒街で十数の人殺しをしている。
人狩りだったり、盗みだったり。
アスクレイとて人殺しなどしたくはない。
官憲に目をつけられて囚われれば終わりだ。
だからといって、暗黒街は手を血で染めずにいられるところではない。
そして、竜の息吹を手に入れてからは、それに頼っているところがあった。
飛び道具に等しいそれのほうが、ナイフよりもずっと楽に殺せるのだ。
ただ、それが跡を残さないということではない。
勢いのまま石畳のすこしを食らってしまったこともある。
もちろん、そこには牙の跡がついてしまう。
だから、アスクレイはそれらを一つ残らず始末していた。
残るは、このあばら家のみ。
亡骸はすでに燃やされているだろうから、気にしなくてよい。
すっとかがみこみ、ガラス片を手にとる。
かつて竜の血が入っていた銀細工のガラスビン。
それこそが、アスクレイが集めにきたものだった。
実は、アスクレイはかつての己をいささか後悔していた。
ガラスビンという一番の証拠をここに残すことはなかっただろう。
竜の息吹。
その力にいささか酔って、懐が甘くなっていたのかもしれなかった。
粉々に砕け散ったガラスビン。
その口のあたりの細工を手にとる。
その細工に家の紋章を目にして、アスクレイは思った。
実に、竜の血が手に入ったことは幸運だった。
竜の血など、そもそもは大貴族が代々守り継ぐようなものだ。
親から子へと、竜の息吹を継いでいき、その力を守り続ける。
それが、ドブに転がっていた。
一族の争いか、それとも没落した末の運命のいたずらか。
アスクレイの手のうちに転がりこんできた。
それこそ、望むべくもないほどの幸せである。
◆◆◆◆◆
暗い暗黒街の路地。
いつものように、道ばたには乞食や傷病人が転がっている。
そのいつもの道を歩き去ろうとして、ふとアスクレイの目に入るものがあった。
すれ違って、しかし、しばらくして踵をかえす。
アスクレイは、うずくまる一人の老人を頭上からみつめた。
その老人がまとう布きれ。
土と汗と垢で黒く染められていながら、その紋様はかすかに残っている。
そこに、アスクレイはひとつの家紋を目にした。
竜の血の入ったビン、そこに描かれていた竜と月桂樹。
その老人は、乞食をしているようだった。
「お、お恵みを……」
小銭の入った木のコップを握りしめ、さしだす。
盲目なのだろう、アスクレイのほうとその手は逆だった。
「……」
「おお、ありがたや、ありがたや」
銅貨をいくつか、入れてやる。
まずは、その布の由緒を聞きたい。
アスクレイが、しゃがみこんだその時だった。
「……この力は」
老人の、閉ざされたままの目が震えた。
唇をわななかせながら、老人の手がアスクレイの頬にふれる。
指先が、布で隠された右目をなぞった。
わずかに眉をひそめて、しかしアスクレイは老人のなすがままにさせた。
独りでに情報を語ってくれるのならば、ありがたい。
「まさか、お嬢さま……?」
なぜ、人はよくアスクレイを女と思い違うのか。
アスクレイは首を傾げ、しかしこの勘違いを無駄にするつもりはなかった。
老人はアスクレイの竜の血について、知識があるに違いない。
ライネルのこともある、調べられることは調べられるだけ知っておきたかった。
頭に、ユーヴェインを考える。
王国語は、貴族と暗黒街の者では言葉づかいや口調が違う。
その口調をできるだけ、アスクレイはまねた。
「……はい、そうです」
「おお、おお……」
老人の目には、火傷の跡がある。
焼きごてかなにかで目を潰されたのかもしれない。
だが、その光を宿すことのない目のはしから、輝くものがこぼれ落ちた。
「お嬢さま、ワシです、家宰をしておりました、オーロックでございます」
家宰、ということは貴族家お抱えの臣下。
オーロックは、アスクレイの竜の目に気づいた。
それも、盲目だというのに。
ここまでくれば、ほとんど疑いはない。
オーロックは、かつて竜の血を継いでいた貴族家に従っていた。
そして今、アスクレイをその跡継ぎかなにかと思い違いしている。
果たして、これを生かさずしてどうするのか。
「生きていたのですね、オーロック。ぜひともわたしの家にいらっしゃって……」
心にもない言葉を口にする。
今、アスクレイの暮らしている地下室。
そこに誘いこむため、アスクレイはオーロックが起き上がるのを手伝った。
「かたじけない、かたじけない、エルフィーナお嬢さまに力を貸していただくなど」
「そんなことはありません。オーロックは誰よりもわたしによくしたから」
エルフィーナ、なるほど後継ぎの名はそうらしい。
ならば、この老人にとってこれから己はエルフィーナだ。
そう、アスクレイは胸のうちで呟いた。
己のためならば、まったく迷いなく人に嘘をつける。
アスクレイは、そういう類の子どもだった。