スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
「エルフィーナ様は、ほんとうに心優しいお人だ」
ある晩のことだった。
目のみえぬオーロック、その口もとに粥を運んでいたその時。
オーロックがポツリと呟いた。
「まあ、ありがとうございます」
嬉しそうな言葉を口にしておきながら、アスクレイの頭は冷めている。
しょせんは老人のざれ言。
エルフィーナという嘘を信じこんでいるだけだ。
アスクレイは、優しくなどない。
たとえエルフィーナを演じていても、己のことを優しいと思ったことはない。
むしろ、笑えない冗談だった。
アスクレイはお世辞にも人がいいはずがない。
己のためなら嘘をつき、人を殺す。盗みだって生きるためには手を染めた。
そんなアスクレイが、優しいなどと。
そのまま、冷めた頭のまま言葉を紡ぐ。
「オーロックにそう言われますと、嬉しいですわ」
「ふーむ……」
オーロックが顎を手でなでた。
「この老骨の言葉、信じておられませんな」
「……はい?」
アスクレイは首を傾げる。
ありがたいと、嬉しいと言ったではないか。
まさか年で記憶があやふやになっているのではないか。
「そんな、わたしがオーロックを疑うなど……」
「いいえ、信じておられませぬ」
しかし、そんなアスクレイの疑問を、オーロックは静かにほどいていった。
「この老骨への献身も、竜の息吹を教えてもらうため。そう思ってらっしゃる」
「それは違いますわ! わたしはオーロックのためを思って……」
とにかく、エルフィーナのふりを続ける。
そんなアスクレイに、オーロックは小さく笑った。
「エルフィーナ様、この老骨が目を失った訳は知っておりますかな」
◆◆◆◆◆
アンドロマギ家。
オーロックは、その家に代々従う家宰の一族に生まれる。
そして、十五の時に目を失った。
アンドロマギ家に伝わる、因習だ。
かつて、家宰の一人が家から竜の血を盗み、竜の目を手に入れようとしたという。
それから、アンドロマギ家の家宰にはひとつの規則が設けられた。
すなわち、盲目であること。
目がなければ、竜の息吹を盗むことはできない。
そんな、単純な理屈だった。
「実に痛かった。母親に腕をおさえつけられ、父親に焼きごてを目にあてられて」
そうして、オーロックは家宰となった。
「盲目というのは、実はよくみえるものなのでございます」
人のほんとうの心というものが、よくみえる。
暗く、オーロックが笑う。
知らぬ道を歩くだけで誰かがつきそわねばならず、日常の暮らしもままならない。
人は、そんな盲目のオーロックをあからさまに嫌った。
ゆえに、ほかに召し抱えてくれる家もなく、アンドロマギ家にすがりつくほかない。
粥を口に運ぶ手つきだけで、人からの嘲りが伝わってくるのだという。
「人によっては乱暴に口にスプーンをねじこむ、老骨がえづくのも知らん顔で」
エルフィーナの父からは、ただの駒として。
ほかの従者からは陰で馬鹿にされ。
オーロックは、妻からすら愛されなかった。
親のしたてた結婚で、盲目の男と結ばれたことを好ましく思っていなかったのだ。
「だが、エルフィーナ様は違います。優しく、様子をうかがってくださる」
オーロックが、アスクレイの手を握りしめた。
温もりが、肌から伝わってくる。
「わかりますとも、この手の者は優しい心なのだと」
やけに人の世話になれている、そうオーロックはアスクレイを評した。
「これは邪推かもしれませんの。ですが、エルフィーナ様……」
ぞっと、アスクレイの背筋に悪寒が走る。
――どなたか、心からお世話をなされた誰かがいたのではないでしょうか。
◆◆◆◆◆
「……っ!」
エルフィーナのふりも忘れて、アスクレイは勢いよく手をひっこめた。
カラカラと、スプーンが転がる。
頭に、一人の大男の顔がうかぶ。
ジョンドッグ。
アスクレイにとっての唯一の家族。
その笑顔に、なぜか頭痛がした。
が、すぐにアスクレイは正気になる。
まさか、オーロックがジョンドッグのことを知っているはずもない。
単なる、口からのでまかせだろう。
「……さあ、そんな者はおりませんが」
アスクレイの心が静まっていく。
そうだ、と胸のうちで呟いた。
アスクレイはずっと一人だ、誰も信じず、誰にも優しくせず。
ずっと一人で、己のことだけを考えて生きていく。
それが、アスクレイの人生だ。
オーロックが、暖かな笑みをこぼした。
「ほほ、ではこれは老骨の勘違いでしたな」
その時、なぜかアスクレイはとてつもなくオーロックから遠ざかりたくなった。
どうしてか、オーロックから逃げたくなったのだ。
◆◆◆◆◆
「ほんとうに、すまなかった! 先日のオレは馬鹿だった!」
暗い顔をしたユーヴェインが、頭を床にこすりつけていた。
「ちょ、ちょっとユーヴ、なにして……!」
その脇では、一人の女スカベンジャーが慌てふためいている。
アスクレイは、その光景を実に白い目で眺めていた。
「オレが頼んだことで、さらに命まで救ってもらったのに……」
らちがあかない。
アスクレイは、この混沌の根源をじろりとにらむ。
「……ローレライン、これはなんです」
「くくく、よかったじゃないか。アスクレイ」
なにやら暗く笑っている、ローレライン。
この女こそが、アスクレイとユーヴェインを会わせたのだった。
そっとアスクレイの耳にささやいてくる。
「こいつの家はそこそこの武門だ。コネをもっておきたい」
「……はぁ、そうですか」
どうやらローレラインの野心のダシにされたらしい。
この女の欲望は、どうやら足るを知ることがなさそうだ。
「いいか、とにかく恩を売れ。そうすれば、伝手でいい新人が捕まるかもしれん」
「……」
「もちろん、後で金はやるから」
「……はぁ」
心から呆れたように、アスクレイはため息をついた。
実にローレラインにはアスクレイの操る術を知られてしまったものだ。
これだけのことで金がもらえるなら、暗黒街の生まれとして逆らうことはできない。
「そ、その、あんたはユーヴのなんなの?」
床に頭をすりつけるユーヴェイン。
そんなユーヴェインのそばにいた女スカベンジャーが、問いかけてきた。
「……」
なんと言ったものか、アスクレイは悩む。
アスクレイにとってユーヴェインはただ単に困った人。
だが、ローレラインにああ頼まれた上は、そんなことなど言えるはずもない。
だが、その女スカベンジャーはアスクレイの沈黙を違うようにとったようだった。
「ああ、名乗りもせずに人にものを聞くのは失礼だったわね」
そうして、赤髪の勝気な顔をしたその女スカベンジャーは、胸に手をあてた。
「わたし、エルフィーナというの。とうの昔に没落した、アンドロマギ家の娘」