スラムの子、コツコツ金稼ぎ   作:雨雲ばいう

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29 アスクレイの名

つーっと血が流れていく。

 

虚ろな瞳のライネルを、アスクレイは静かにみつめた。

 

これで、終わりだ。

 

アスクレイの、竜の目の秘密を探る者はもういなくなった。

 

ギャングに狙われることもない。

 

「オーロック、しっかりして!」

 

遠くではエルフィーナが気を失って青い顔のオーロックを抱き起している。

 

「あ、ひぃ……、命だけは……」

 

あちこちに転がるライネルの手下たち。

 

そのうち、まだ息がある者をユーヴェインは殺してまわっている。

 

いつもの優しげな顔と違って、その目は情がなく冷めきっていた。

 

ふと、気になる。

 

「よく、殺せますね」

 

アスクレイは問いかけてみた。

 

これまで善人ぶっていたユーヴェインなら、人殺しにためらうかと思っていた。

 

だから、ライネルたちを殺すようにしむけるのは骨が折れると思っていたのだが。

 

だが、ユーヴェインは不思議そうに首を傾けた。

 

「この者たちは罪人だ。罪人は生きているだけで人々を脅かす」

 

血みどろになりながら、不気味なほどに爽やかな笑顔をした。

 

「だから、こうして殺しておかないと人々を守れない。貴族の務めだからね」

 

……なるほど。

 

「そうですか、それはすばらしいことです」

 

アスクレイは、ユーヴェインから目をそらした。

 

どこか、胸の奥で湧き上がる嘲笑とも激情ともつかない思いがあったからだ。

 

ふたたび、アスクレイは地に転がる手下たちの亡骸に目をやった。

 

ユーヴェインは、正義の思いから、義憤からこの者たちを手にかけた。

 

なるほど、実に貴族らしい考えだ。

 

暗黒街のことなど、貧困にあえぐ人々など知らない者の、論理だ。

 

アスクレイは、ライネルたちに怒ってなどいない。

 

命を狙われ、竜の息吹という力を狙われ、それでも不条理などと考えたことはない。

 

なぜなら、アスクレイだってそうするからだ。

 

この暗黒街に落ちた者は、誰だって逃れられるならどんな犯罪にも手を染める。

 

逆に、そうしなければまともに生きられるはずがない。

 

むしろ、アスクレイは親しみすら抱いていた。

 

アスクレイとライネルは、ともにこの暗黒街で生きようとした者だった。

 

ただ、ライネルはしくじり、アスクレイは果たしたというだけ。

 

そこに、いささかの違いもない。

 

生まれた時から不足を知らない貴族なんぞよりも、ずっと好ましかった。

 

「二人とも、オーロックを医師まで運ぶのを手伝って!」

 

遠くから、エルフィーナが叫んでいる。

 

最後に、アスクレイは息絶えたライネルに目をやった。

 

その顔には、やりきれないような怒りが、この世への怨みが描かれている。

 

そっと目を閉じて、アスクレイは呟いた。

 

「あと、すこしでしたね」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「これはなかなかにひどい傷だ。息があるのが不思議なぐらいです」

 

ユーヴェインがオーロックを運びこんだ先。

 

鮮やかな薬のビンがびっしりと入った棚。

 

ランプの灯りにキラキラと輝く道具類。

 

暗黒街の労働者には一生手に入ることのないものばかり。

 

「頼む、金なら糸目はつけないから……」

 

「ほかならぬユーヴェイン様の頼みです。ぜひやらせていただきましょう」

 

ユーヴェインの言葉に、医者は深々と頷いてみせた。

 

清潔な白いシーツに寝かされたオーロック。

 

医者はテキパキと貴重な薬なども惜しげもなく費やしていく。

 

軟膏を傷口に塗られているその姿を、アスクレイは冷たい目でみつめた。

 

暗黒街の労働者なら、こんな傷を負ったらそのまま命を落としていただろう。

 

ユーヴェインという貴族がいるからこそ、この医師はオーロックを診てくれている。

 

どうせ救われても長くは生きることはない命だというのに。

 

ライネルのやつが、オーロックを殺さなかったのは驚きだった。

 

馬鹿で脳筋なので、勢いのままにくびり殺すものだと考えていたからだ。

 

そうすれば口封じもでき、エルフィーナの怒りも煽れる。

 

そう一石二鳥だと思っていたのだが。

 

「まあ、数日は安静にすれば命は助かるでしょう」

 

しばらくして医師がそう告げると、エルフィーナは泣き崩れてしまった。

 

「先生、ありがとう。ユーヴェイン、この恩はいつか……」

 

「いいさ、これぐらい。ずっと探してた人なんだろう」

 

にっこりと笑うユーヴェインが、エルフィーナに飛びつかれる。

 

なぜか顔を赤くしているのだが、そんなことはアスクレイにはどうでもよかった。

 

遠ざかったところで、アスクレイは胸のうちで舌打ちする。

 

まさか、生き長らえるとは。

 

このままではアスクレイがエルフィーナをかたっていたこと。

 

さらには、アンドロマギ家の竜の血を盗んだのが己なことまで暴かれてしまう。

 

……しかたがない。

 

アスクレイはため息をつき、そっと右目の布に指をかける。

 

医師やユーヴェイン、エルフィーナに気づかれぬよう。

 

そっとその竜の目をひらいた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「はて、この老骨はいったいなにを……」

 

「オーロック!」

 

起き上がったオーロックに、エルフィーナが飛びつく。

 

「これはお嬢さま、いったいなにが……」

 

頭が痛むのか、オーロックはしかめ顔で額に手をあてている。

 

そんなオーロックに、アスクレイは静かに話しかけた。

 

「……どれほど、記憶ははっきりとしていますか」

 

オーロックが、アスクレイの顔をまじまじとみつめる。

 

なにかを思い起こすように首を傾げ、しかし痛みが走ったのかすぐさま顔を歪めた。

 

「たしか、路頭を迷っているところをあなた様に……、しかし、記憶があやふやで」

 

「痛めつけられて混乱しているのかもしれませんな」

 

医師がそうものを知ったように語る。

 

オーロックが、申し訳なさそうにアスクレイに問いかけた。

 

「失礼ですが、あなた様はいったいどのような名でしたでしょうか」

 

アスクレイは、にっこりと笑う。

 

「アスクレイといいます。ただのアスクレイです」

 

よかった、竜の息吹はきちんと働いてくれたようだ。

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