スラムの子、コツコツ金稼ぎ 作:雨雲ばいう
ふと気づくと、アスクレイは巨大な城にいた。
古い、石造りの城。その大ホール。
豪勢な、この世の財という財をつぎこんだかのようなご馳走の山があった。
クジャクの姿焼きに、たっぷりと肥えたラムのソテー。
琥珀に輝く魅惑のワインに、深い深いブランデー。
ただ、アスクレイをのぞいて人影はひとつもない。
そのかわり一匹の竜の姿があった。
酒池肉林のなかにあって、ただ暴食暴飲にはげんでいる。
皿ごと肉を食らい、ワインはボトルを十ほどまとめて口に流しこむ。
というのに、その竜はやせ細り、あばら骨がういていた。
理由は実に単純である。
へそに大きな穴があって、そこからボトボトとこぼれ落ちているのだ。
その姿は恐ろしくもあり、哀れでもあった。
「ニンゲン、なぜここにいる」
背をむけたまま、竜が問いかける。
ビンに入っていたのはこの竜の血だったのだと、アスクレイは気づいた。
「生きるための力が欲しくて、血を飲みました」
「なるほど、生きるためか」
竜は、皿を口に流しこむのをやめた。
肉がそげ、骨がみえ隠れする顔をアスクレイにむける。
生臭い息が、アスクレイの髪をゆらした。
「なぜ生きたい。生きても苦しむだけ、楽になりたくはないか」
己が生きたいと願う理由。そう聞かれて、アスクレイは考えこんだ。
竜の言うことは正しかった。
暗黒街に生きて、アスクレイは楽しいことなどひとつもなかった。
いつも飢えに苦しみ、人狩りや犯罪に脅え、息をひそめていた。
生きることが喜びでないのならば、ではなぜアスクレイは生きようとしているのか。
「まともに、生きてみたいんです」
するりと、ひとつの願いが口をついた。
「きちんとした家に暮らして」
「暖かなベッドで休んで」
己が望んでやまない、ささやかな幸せを言葉にしていく。
「後は、そうですね」
アスクレイは、竜の瞳をまっすぐにみつめて、己の思いを口にした。
「美味しいものを、いっぱい食べてみたいです」
竜がニタリと笑う。
アスクレイの背筋に、怖気が走った。
「……っ!」
瞳にまるでとけた鉄を流しこまれるかのような熱が走り、悲鳴を上げる。
それは、アスクレイが今まで味わったどんな苦痛よりもなお激しかった。
「あっ、ぐっ……!」
歯を食いしばり、うずくまって痛みをこらえる。
そうしてもだえ苦しむアスクレイに、竜は笑った。
「さあニンゲン。おまえにオレの目をくれてやろう」
その晩、アスクレイは竜の息吹を吹きかけられた。
◆◆◆◆◆
「子どもはなんとか捕まえました、気を失って床に転がってます」
人狩りの首領が、ゆっくりとあばら家に足を踏み入れた。
アスクレイの髪をつかみ、顔をのぞきこむ。
美しく輝く銀の髪に、線の細い顔だち。
煤けてはいるが、整っている顔に首領は考えこんだ。
初めは知人のやっている鉱山に売りつけようと思っていた。
が、これならモノ好きの貴族がそこそこの金で買ってくれるかもしれない。
縛るための縄を運んできた手下に言い聞かせる。
「肌に跡がつかないように気をつけてくれ。質のいい商品だ」
恐らく、アスクレイはこれから常人には考えのつかない辱めに苦しむだろう。
だが、そんなことは首領の知ったことではない。
暗黒街の親のいない子どもが、どうなってもこの国は気にしない。
首領の目には、アスクレイは人ではなく商品だった。
これで今日も首領は飯を食うことができるのだ。
商品を運ぶための馬車、その段どりをつけようと扉へ歩きかけた時だった。
ジャリ、と音がする。
下に目をやると、砕けたガラスが散らばっていた。
「この家に入った時に、ガラスビンが床に落ちてたんですよ」
手下の言葉に、首領はなにかが気になった。
ガラスのかけらを手にとり、ランプにかざす。
そこには、どす黒い血がついていた。
……そういえば、竜の血というものを聞いたことがある。
はるか昔にこの地に生きていた神秘の結晶、竜。
その竜は聖書の聖人たちに滅ぼされ、血だけが今の世に残っていた。
いわく、その血を口にすれば神秘の力を手に入れられるという。
人の魔術とは威力も権能もけた違いの、正に人智のおよばぬ神秘。
すなわち、竜の息吹を。
ゆっくりと背後に目をやる。
商品の口もとには、黒い血がついていた。
顔が青ざめる。
血の気がひく。
今まさにアスクレイを縛ろうとしていた手下に、首領は叫んだ。
「おい、さっさとそいつを始末して……!」
ズン、と大気が震えた。
おぞましいほどの神秘の息吹が、あばら家に吹きこまれる。
「は……?」
アスクレイを縛ろうとしていた手下が、おずおずと腕を上げた。
正しくは、先ほどまで腕がついていたはずの肩を。
「は、へ、ひぃいいいいいいっ!」
血がまるで蛇口をひねったように飛び散る。手下の腕は、すっかり失われていた。
まるで歯のような跡を残して。
「竜の息吹だ……」
首領が口にした言葉に、人狩りたちは顔を白くした。
竜の血の話など、王国に暮らす者は子どもでも知っている。
そして、その恐ろしさも。
一瞬の沈黙をおいて、人狩りたちは弾かれたように走りだす。
「逃げろ、はやく!」
「まって、まってくれ、おいていくなよぉ!」
「もうあいつは助からん!」
人狩りたちは扉にむかって我先に逃げようとした。
その背後で、アスクレイが起き上がる。
銀の髪がゆれ、奥から右目が露わになった。
先ほどまで海のように深い青の瞳だったはずのそこに、燃え盛る竜の目がある。
赤く、赤く、ギラギラと輝いていた。
その目が瞬いた時、人狩りたちはみな地に転がる。
「あ、ああああ……!」
まるで野犬に食い散らかされたかのように、男たちの足はなくなっていた。
あばら家に響く絶叫を気にもとめず、アスクレイは歯を噛みしめた。
「美味しくないなぁ」
ぼそりとこぼす。
その言葉に、首領はようやくさとった。
人狩りたちは、己は食われているのだ。
この、幼い、背丈が己の腰ほどの子どもに。
「ま、まってくれ……」
ゆっくりとアスクレイが歩みよってくる。
「金、金ならいくらでもやる! このことを誰にも言わない!」
その瞳に人狩りたちの頭をとらえながら。
「だから、命だけは」
また、瞬きをする。
そうして、あばら家に生きているのはアスクレイただ一人となった。
ピシャリ、と血だまりを踏んで扉をくくる。
血肉があちらこちらに飛び散る惨劇の家を後にして。
アスクレイは夜の暗黒街、その影へと去っていった。
◆◆◆◆◆
とらえたものを食らう、それがアスクレイの手に入れた竜の目の力。
はるか昔、神話の世に生きた竜の残す最後の神秘。
人智のおよばぬ、竜の息吹である。